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意識が戻ったとき、レナトゥーレは拘束具を付けられて寝具の上に寝かされていた。窓がなく、神力で厳重な結界が張られた扉が1つある以外には、寝具と机と椅子しかない空間。
罪を犯した天人族が捕えられる場所だと理解したレナトゥーレは、罪人を見張っているであろう同胞に、目覚めたことを知らせるため扉を軽く叩く。
しばらく待っていれば、同じ上級の第二位の座にいる天人族がレナトゥーレの元へときた。
階級が近いがために、よく競い合うライバルであり、レナトゥーレの初めての友で、親友でもある男アーゼルフは、ただ静かにレナトゥーレを見た。
“帝国で何があった”と問いかけてくる友に、レナトゥーレは何も返さない。
セイロスとも面識のあるアーゼルフは、まだ養子として引き取られたばかりの頃のレナトゥーレのことをよく聞いていた。
そのときに教えられた、見えているのに何も映していない虚ろな瞳と、感情のない無表情な顔は、今レナトゥーレがしているものと同じだったのだろうかと、アーゼルフは考える。
レナトゥーレに無理やり休みを取らせてくれと神に進言したのはアーゼルフだ。
さすがに疲れが顔に滲みでていたレナトゥーレを見かねたアーゼルフが、久しぶりに家族団欒を楽しんで欲しいと気を利かせたつもりだった。
一日しっかりと休んで仕事に戻ってきたら、レナトゥーレはきっと穏やかで幸せそうな顔をしているのだろうとアーゼルフは想像していた。
まさか世界で一番大きな大陸を跡形もなく消し飛ばして帰ってくるなんて、誰が想像できようか。
しばらくレナトゥーレの様子を見ていたアーゼルフだったが、レナトゥーレの仕える神が姿を現したために退席した。
その日以降、アーゼルフがレナトゥーレに面会できることはなかった。
次にレナトゥーレの姿を見たのは、神による裁きを受けるときだ。
上級の階級持ちしか踏み入れることの許されていない神々の領域で、レナトゥーレは裁きを受ける。
レナトゥーレがなぜ大陸を消し飛ばしたのか、誰もそれを知る天人族は居ない。
神々だけが、あの日、あの大陸で何があったのかを知っている。
同じ上級の座にいる者にも教えられないような内容を、レナトゥーレは一人で全て見てしまったのだろう。
裁きの場に立つレナトゥーレに、アーゼルフは言いようのない感情を抱いた。
アーゼルフの妹もまた、行方不明になった天人族の一人なのだ。
天人族の絶対的な掟として破ってはならない法がある。
・神の命令に背いてはならない。
・如何なる理由があろうと、同胞を殺害してはならない。
・神に命じられる、もしくは命の危機に瀕したとき以外に、他種族を殺害してはならない。
他にも色々と掟は存在するが、レナトゥーレが破った中で最も重いのはこの三つだ。
大陸一つ消し去るなど、前代未聞なこと。
けれど、レナトゥーレの記憶を読み取った神は、レナトゥーレを正しく断罪することができなかった。
極刑に処してもおかしくないような罪を犯したレナトゥーレだったが、実際に言い渡されたのは階級の剥奪と、今後二度と如何なる神に仕えることを禁ずるというもの。
細々とした誓約は色々あれど、一番重い処罰はそれくらいだろう。
納得のいかなかったレナトゥーレは、その場で声を張り上げた。
「私は帝国の調査について深入りするなと命じられていたにもかかわらず、掟を破り帝国に一人で乗り込みました。結果として私は理性を失い大陸を跡形もなく消し去り、多くの同胞の命を奪いました。また、命じられたわけでも、命の危機に瀕したわけではないにも関わらず、そこに住まう生きとし生ける物全ての命を奪った。どんな理由があろうと、それら全ては決して許されないことです。全て私の犯した大罪です。ですが、私は自分の仕出かしたことを悔い改める気はありません。」
レナトゥーレの凛とした声だけが、裁きの場で静かに響く。
神々までもがレナトゥーレの声に耳を傾け、誰も途中で口を挟む者はいない。
「もし、神々が今は亡き同胞に憐憫の情を抱いてくださるのならば…天人族の存在をこの世から消し去り、天人族と他種族の住まう世界を分けて隔てて頂きたいと願います。もう二度と、あのような悲劇が起こらぬように。」
「私は神々に仕える御使いという名誉ある務めと、上級一位という座を返上致します。内に秘める神力を神々へと捧げ、私は天人族であることを捨てましょう。二度と天人族と称することなく、また、二度と天人族の住まう郷へと足を踏み入れません。仕えていた私の名を亡き者とし、天人族として存在していた事実ごと消し去って頂いてください。天人族の象徴であり、誇りであるこの翼も、責任を持って我が手で斬り落としましょう。」
虚ろだった目には力強い光が宿り、真っ直ぐと神々を見据える。
決して揺らがない覚悟と共に、レナトゥーレは神々へと最後の情けを願い出る。
今後もまた、同じような事件が起きれば、レナトゥーレは間違いなく、この世に生きとし生ける全ての種を蹂躙するだろう。
━・・・シャン・・・━
静かで美しい鈴の音色が場を支配する。
最高神であり、レナトゥーレが最も長く仕えた神。
「私の最も慈しい愛しの子。アナタの覚悟と願いは、確と聞き届けました。アナタには自身の命を終わらせることを禁じます。生きる気力を強く持ちなさい。諦めることは許しません。そして、奪った命よりも多くの者を救ったのならば、アナタがまた天人族として帰ってくることを歓迎しましょう。いいですね?レナトゥーレ」
「―・・・はい」
セイロスやミュホの後を追うことを禁じられたことに、レナトゥーレは奥歯を噛み締めた。
裁きの時間が終わり解散となったものの、神々を含めて誰もその場を動こうとしない。
レナトゥーレが神力を使って翼を斬り落とすところだからだ。
覚悟を決めて一思いに全ての翼を斬り落とす。
出席した階級持ちの天人族たちから息を呑む音が聞こえた。
あまりの痛みにレナトゥーレは一瞬意識を飛ばしかけるも、何とか持ち堪える。
噛み殺した声はでることがなく、口の端から血が伝う。
その場に膝をついて蹲り、ただ波が去るのを震えて待つ。
立ち上がって歩けるようになるのに、結構な時間がかかった。
息を切らしながらも、何とか立ち上がったレナトゥーレ。
フラフラとした足取りでその場を後にしようと歩き出す。
レナトゥーレの動きを合図にしたかのように、神々も裁きの場から去った。
「おい、レナトゥーレ!」
呼びかける声に足を止め、けれど振り返ることなく駆け寄ってくる相手を待った。
初めてこの男と顔を合わせたのは、十四歳の頃だ。
少し他の子に比べて無愛想な子供だと思われるくらいまでは成長したレナトゥーレに、友達でも作ってもらいたいと思ったセイロスが歳の近い子を集めて開いたパーティで出会った。
同い年だったその少年は、レナトゥーレの歪な形をした翼を見て、“変な形の翼”と指を差して笑った。
レナトゥーレにとっては生家にいた頃に浴びせられた暴言よりも可愛らしい子供のもので、大して気にしていなかったのだが、兄であるセイロスがブチ切れていたのを覚えている。
セイロスに敵認定されながら、ことある事にレナトゥーレに絡んできては、セイロスに怒られる。
真っ直ぐで思ったことをすぐに口にするところは良くないと思うものの、それがこの男のいい所でもある。
口の軽さが理由で、男の首が飛ばないことを祈るばかりだ。
「アーゼルフ。私はもう二度とここには戻ってこない。多くの命を救えば天人族に戻れると神は仰ったが、救えと命ずることはなかった。だから、私は二度と天人族に戻ることはないだろう。私はもう、自身の力を使ってどんな命をも救うことを、断固として容認できないだろうから」
誰かを救いたい、助けたいと思う気持ちは微塵もない。
それどころか、大陸一つ分の命を全て消し去っておきながら、心は足りないと訴える。
もっと残虐に、絶望に身を染めた命を刈り取りたいと、心が渇望する。
やり場のない怒りや憎しみが、小さな命へと向けられる。
心残りがないといえば嘘になる。
己のやらかしたことに全くの後悔がないといえば、嘘になる。
同胞やセイロス、ミュホの遺体を持ち帰り、ちゃんとした場所で弔ってやらなかったことがレナトゥーレの心に残る。
ただ、誰にも知られることなく全ての証拠を消滅させたかった気持ちも重なって、まだ整理がつかない。
「ああ、そうだ。私がアーゼルフに頼み事を出来るような立場ではないことくらい理解しているが、…もし良ければ養父母のことを少し気にかけて欲しい。彼らも……同胞を亡くしているから」
「おいッ…!!」
「アーゼルフ!」
レナトゥーレは、アーゼルフが言おうとした言葉を遮りたくて、怒鳴るように彼の名前を呼んだ。
ずっと、グチャグチャと心の中は乱れ続け、何を言いたいのか、何を思っているのかも分からない。
ただ、冷静にだけはなりたくない。現実を受け入れたくもない。
何も見ないようにして、聞かないようにして、子供のように癇癪を起こして、否定して、愛する者たちの死がそこにあって、発散の仕方がわからない気持ちだけが燻り続ける。
秘匿されたレナトゥーレを見つけ出して救ってくれたラシュドローザ。
レナトゥーレにとって当たり前と植え付けられた常識に、心の底から怒ってくれて、ずっと優しく見守ってくれたニディエラ。
反応も返さず無表情で、可愛げなんて一切ない、突然やってきた不気味な養子であるレナトゥーレを、疎むことなく弟として迎え入れ、世界がとても美しく綺麗であることを教えてくれたセイロス。
抱えきれないほどの愛情を、溺れるほどの優しさを、何も持っていなかったレナトゥーレに、全てを与えてくれた人達に、レナトゥーレは何も返せなかった。
見返りなど求められていないことは、レナトゥーレもわかっている。
セイロスとミュホを守れなかったことを責めるような人達じゃないことも、レナトゥーレは知っている。
きっと、無惨な最後を見てしまったレナトゥーレに、彼らは謝り、そして感謝するだろう。
レナトゥーレの全てをゆるし、受け入れてくれると分かっているから、レナトゥーレは自分を許せなかった。許したくなかった。
だから、レナトゥーレは自分がまるで彼らの家族ではないように、突き放して他人事のように言葉を口にする。
二度と会えないことをわかっているから、レナトゥーレは最後に彼らに会うことはしない。
彼らと向き合うことから逃げていると、レナトゥーレも理解している。
それでも、このまま全てから逃げてしまいたかった。
忘れるわけじゃない。忘れたいわけでもない。ただ、今は何も思い出したくない。
最愛の兄も、兄の愛する人も、親友の妹も、大切な人たちを傷付ける選択をして、己の手で全てを消し去った。
ごめんなさいと謝ることは救われることなのでないのか、許されないことで罰を受け続けることもまた許しなのではないか、何も分からないまま、レナトゥーレはただ向き合うことから逃げる。
心の声に従って、ただただ、人間たちへの怨恨を抱いて、地へと堕ちる。