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薄いテント布越しに差し込む朝日が、史奈の閉じた瞼をじわりと温めた。
重い。体が砂袋のように沈み込む。全身に残る鈍痛と、乾いた喉。
それでも――確かに「生きている」。
ゆっくり目を開ける。
視界に入ったのは、見慣れたはずの自分の簡易テントの天井だった。
「ここ、あたしのテント…?」
首を動かすだけで傷がうずく。
自分の体に巻かれた新しい包帯が、密やかに胸の上下に合わせて動いた。
左腕、脇腹、太もも――あちこちが撃たれ、裂かれたはずの部分は綺麗に処置されている。
傷口からは、もう血のにおいはしなかった。
だが、もっと驚いたのは――
「パジャマ、これ…新品…?」
薄いブルーの柔らかな布地。
昨日まで着ていた、砂と血にまみれたパジャマではない。
きちんと洗われ、乾かされた、どこか懐かしい匂いの布だった。
荷物の隣には、丁寧に畳まれた古いパジャマと、清潔な包帯の束。
M9、AKM、コンバットナイフ、弾倉――
すべて傷一つなく、油まで差されて整然と並べられている。
まるで、誰かが一晩かけて「元の状態以上」に整えてくれたかのように。
「…誰よ、あたしを…助けたの?」
記憶の底を探る。
倒れ、這いずり、意識が砂の底に沈んでいく直前――
確かに見た。
よちよちと、しかし確かな足取りで近づいてくる影。
白い髭、深く刻まれた皺。
古びた杖。
腰には錆びたSIG P226。
老人――推定90歳。
ただ一人、広い砂漠で杖をつきながら立っていた男。
「あの老人…本当に…?」
もし気のせいでなければ、
あの老人が、あたしを背負って、ここまで運んだ…?
常識では考えられない。
90歳の老人が、戦場で倒れた傭兵を担ぎ上げるなんて。
だが――体についた、誰かに抱えられた時のような痕跡。
完璧すぎる処置。
丁寧に畳まれた服。
証拠は、すべて目の前にあった。
「なんであたしなんか…助けたのよ…」
史奈は、包帯の上からそっと手を添えた。
触れると思わず息が漏れるほど痛い。
けれど、その痛みが今、妙に温かかった。
生きている。
誰かが助けてくれた。
全て失い、孤独の中で戦うしかなかった傭兵の史奈に、
名も知らぬ誰かが手を差し伸べた。
それだけで胸がじんと熱くなる。
「礼のひとつも言ってねえのに…どこ行ったのよ」
テントの入口を開けて、朝の砂漠を見渡す。
冷たい風が吹き抜ける。
だが老人の足跡らしきものは、もうどこにもなかった。
砂漠はすべてを飲み込む。
恩人の痕跡まで。
「…あんた、何者なのよ」
呟きは、乾いた風にさらわれた。
遠く、誰かの足音が聞こえた気がした。
だが振り返っても、誰もいない。
史奈は、拳を強く握る。
必ず探し出す。
助けてくれたあの老人に、
一言でいい――「ありがとう」と言うために。
そして、そのためにも――
「あたしは…まだ死ねないってわけね」
史奈は痛む体を起こし、包帯を締め直した。
砂漠に生きる傭兵として、そしてひとりの少女として。
今日もまた、生き延びるために戦うのだ。
――史奈の孤独な戦いは、
まだ終わらない。
夜がゆっくりと街を飲み込む頃、史奈は無言でビル影に身を沈めた。
クライアント不明。
目標も時間も曖昧。
ただ「市街地で発生する武装集団の動きを監視し、必要なら排除せよ」という一文だけが渡された。
いつもなら依頼主の素性を確認するが、今回は妙に急ぎだった。
戦闘服を着直した身体は、まだどこか疼く。
しかし、もう戦うのは日常だ。
生きるための呼吸のようなもの。
**◆ 市街地――静寂と不穏の混ざる夜**
市街地は寂れていた。
ネオンサインはほとんど消えており、残った電光が風に揺れるゴミを照らす。
史奈はAKMを肩に掛け、レーザーサイトは切ったまま。
M9は腰に、コンバットナイフは胸のベルトに。
(何かがおかしい…)
人気のない通りを進むほど、胸の奥に重い圧が乗っていく。
砂漠とは違う、閉塞的な空気。
箱庭のような街並みが、罠に見えた。
角を曲がった瞬間――
◆ 伏兵
**「撃てッッ!!」**
建物の上、路地の奥、窓の影。
数十メートル四方から一斉に銃火が吐き出された。
史奈は咄嗟に転がり、遮蔽物の裏へ飛び込む。
ダダダダダッ!!
7.62mmと5.56mmの音が混ざる。
敵は複数の軍用銃を持っているようだ。
(完全に待ち伏せ…! あたしを誘い込んだんだ…!)
怒りより、妙な冷静さが先に来る。
戦場で鍛えられた、あの感覚だ。
史奈は呼吸を整え、AKMのセレクターをフルオートに切り替える。
**ババババッッ!!**
建物の陰にいた敵が一人、倒れる。
しかし数が多い。
まだ十人以上。
◆ 接近戦
敵数名が史奈を囲むように接近してきた。
史奈はAKMを投げ捨て、ナイフを抜いて飛び込む。
――刃が閃き、喉元を裂く。
――背後からの斬撃を身を沈めてかわし、反転して敵の肋骨に刃を押し込む。
――M9を抜き、至近距離でサプレッサー越しに二発撃つ。
「はぁ…はぁ…ッ!」
呼吸が乱れる。
体力も削られ、足もまだ完治していない。
だが止まれない。
◆ 市街地中央 ― 真の敵
銃撃戦が落ち着いたかと思うと、奥から一人の男が現れた。
フルフェイスマスクに長いコート。
手にはM16A4。
その周りにはさらに数名の武装兵。
AKMは落としたまま。
M9には残り11発。
ナイフは血に濡れている。
(ここで死んでたまるか…!)
敵のコマンドが手を振ると同時に、再び銃火が飛んでくる。
**◆ クライマックス ― ひとりの戦争**
史奈は車の下に滑り込み、転がりながら反対側から反撃。
鉄臭い空気の中を、銃声がこだまする。
M9の弾は着実に敵の鎖骨、額、腹部に命中。
史奈の動きは速い。
生き残るためのしなやかさと獰猛さを持つ。
しかし、敵は多すぎる。
数発が建物に跳ね、足元のコンクリに弾痕を刻む。
史奈は、一時引くことに決め
AKMを拾い上げ
戦場を後にした。
血が戦闘服に滲む、しかし、止まらない。
敵兵が、史奈に集中砲火する。
史奈は息を切らしながら
帰路についた。
夜の砂漠は、昼の灼熱とは別の顔を見せる。
気温は急激に下がり、乾いた空気が肌に刺さるほど冷たい。
史奈は、砂丘の陰に簡易テントを張ると、息を荒げながらその中へ倒れ込んだ。
「……痛っ……くそ……」
彼女は、先ほどまで任務についていた。
市街地での激しい銃撃戦の中、気づけば古傷が開いていた。
防弾ベスト越しでも、銃弾の衝撃や跳弾による傷は避けられない。
テントの中のランタンを点けると、淡い橙色の光が史奈の身体を照らした。
腹部から脇腹にかけて、赤黒い血がにじんでいる。
「無茶したな…あたし…」
彼女はバックパックを引き寄せ、中からボトルを取り出す。
ラベルのない透明な液体――ウォッカだ。
消毒薬がもう残っていないため、これで代用するしかなかった。
史奈はTシャツを捲り上げ、傷を露出させる。
深く、裂けたような生々しい傷口。
「…っく…!」
ウォッカを持つ手が震えた。
だが、迷っている時間はない。
史奈はボトルを握りしめ、勢いよく傷にかけた。
「――――っっ!!」
抑えきれない悲鳴が喉まで込み上げる。
とっさに、首にかけていたドッグタグを噛んだ。
金属の味が舌に広がる。
歯を食いしばる音が、静かなテントの中に響いた。
痛みが波のように襲ってくる中、史奈はバックの中を探る。
包帯、針、縫合糸――最低限の救急セットだけは常に携帯している。
手が震える。
だがやらなければ、傷が化膿する。
この砂漠では、それは死を意味する。
「……っはぁ……よし……」
史奈は針に糸を通すと、ランタンの光で傷を照らした。
深呼吸を一つ。
覚悟を決める。
そして――針を傷に突き立てた。
「……っっぎ……‼」
声にならない声が漏れる。
ドッグタグを噛む歯がきしむ。
一本、二本……縫うたびに視界が揺れ、呼吸が荒くなる。
「……まだ…まだだろ…っ……」
額から汗が垂れ、顎を伝い、縫合中の傷に落ちる。
痛みで手元がおぼつかない。
だが、それでも史奈は止めなかった。
誰も助けてくれない。
頼れる仲間も今は居ない。
「…あたしは…一人で……生きてきたんだ…!」
最後のひと縫いを終えた瞬間、緊張の糸が切れたように崩れ落ちた。
針が手からこぼれ、乾いた音を立てる。
呼吸はもう荒いのか静かなのか分からない。
体温が下がり、視界が白く滲む。
「……っ……もう……限界……」
ランタンの揺らぐ光が、かすかに史奈の頬を照らす。
ゆっくりと、眠るように瞼が閉じていく。
そして――
史奈はそのまま意識を失った。
静寂に包まれる砂漠の夜。
テントの外では風が吹き、遠くで砂が流れる音だけが響いていた。
誰にも知られず、誰にも気づかれず。
史奈はひとり、暗闇の中へ沈んでいった。
薄い砂埃の舞う朝、史奈は簡易テントの中で目を覚ました。
昨夜、自分で縫合した箇所はまだ熱を持ち、脈打つたび鋭い痛みが走る。
だが任務は待ってくれない。
**「標的は市街地北区旧市庁舎。護衛多数。殲滅、そして回収。」**
**「援護なし。単独で実行せよ。」**
史奈は、AKMのボルトを引きながら息を吐いた。
「……はいはい。あたし一人ね。いつも通りってわけだ。」
M9のサプレッサーを装着し、AKMにフルマガジンを差し込む。
痛む脇腹を押さえ、マスクを被ると、史奈は夜明け前の市街地へと消えた。
■ 市街地突入
旧市街地は静まり返っていた。
廃ビル、焦げ跡の残る壁、打ち捨てられた車……。
その全てが、今から起きる惨劇を予感させる。
史奈は建物の陰に身を滑らせ、周囲を観察する。
旧市庁舎前だけが不自然なほど警備が厚い。
「数……20以上。軽装歩兵とPKM……厄介ね。」
史奈は深呼吸し、AKMを構えた。
そして——
**タァンッ!!**
乾いた銃声が夜明けの街に響いた。
最初の一発で見張りの一人が崩れ落ち、静寂が割れる。
「敵襲だ!!」「北側だ、囲め!!」
怒号が飛ぶ。
史奈は動き出していた。
物陰から物陰へ、砂を蹴って走る。
**AKMの連射。
M9を撃つ。
コンバットナイフの閃き。**
撃ち、伏せ、走り、殴り、刺す。
敵の銃弾がコンクリートの壁を削り、火花が散る。
流れ弾が頬をかすめ、熱を残す。
だが、痛みが彼女を止めることはなかった。
■ 白兵戦の激化
市庁舎の裏手に回ると、敵が三方向から迫っていた。
「くそっ、数が多い……!」
史奈はM9を抜いて、距離を詰めてきた兵士の喉に打ち込む。
後ろから刃物を持った兵が飛びかかってきた。
**ガキィン!!**
史奈はナイフで受け止め、肘で相手の顎を砕く。
だが傷口が裂け、脇腹から血が流れ落ちる。
「あぁ……また開いた……!」
意識が少し揺らぐ。
しかしその隙を許すほど敵は甘くはない。
PKMの制圧射撃が建物ごと吹き飛ばす勢いで降り注ぐ。
「…やばい!」
史奈は瓦礫の裏へ転がり込み、弾倉を交換する。
心臓の鼓動が、やけに大きく響いた。
だが、史奈の眼はまだ死んでいなかった。
■ 市庁舎内部
入口を突破した史奈は、内部の階段を駆け上がる。
標的は最上階。
激しい銃撃戦を抜けるたび、息が荒くなり、視界が滲む。
「——まだいける。倒れるのは任務が終わってから。」
自分自身に言い聞かせながら、最後の扉を蹴破った。
標的は驚愕した表情で振り返った。
「お……お前は誰だ……!?」
史奈は一言だけ答えた。
「傭兵だよ。あんたの最後の相手。」
銃声が一発だけ響いた。
その後は、静寂。
任務完了。
屋上に出た史奈は、夜明けの空を見上げながら深く息を吐いた。
市街地が徐々に明るさを取り戻していく。
しかしその瞬間、膝が崩れた。
「……っ……開きすぎ……。まずい、これ……」
脇腹の傷口は完全に裂け、血が止まらない。
史奈はビルの縁に背中を預けるが、視界が揺れ、地面が回るように感じる。
「……寝るな……まだ……」
そのまま、彼女は静かに目を閉じた。
任務は成功した。
だが、帰路はまだ始まってもいない。
薄れゆく意識の中、彼女はただひとり、屋上で倒れ込む。
**——救援なし。
——帰還の保証なし。**
それでも史奈は、生きようと歯を食いしばる。
砂漠の風だけが、彼女の頬を撫でていった。
焼けつくような陽光の中、史奈はゆっくりと瞼を開いた。
傷の痛みは鈍い。だが痛みがあるということは、生きている証だ。
昨夜の市街地任務で負った傷はまだ治りきっていない。
だが傭兵に休息などない。目が覚めれば、次の生存行動を始めなければならない。
■ 市街地を彷徨う史奈
湿った風が吹き抜ける廃墟のような街。
ガラス片が散らばり、遠くでかすかに銃声が響く。
史奈は、足を引きずりながら瓦礫の間を抜け歩いた。
バックパックに残っているのは数本のマガジンと、乾パンと、最低限の医療用品だけ。
「……どっか、マシな場所……ねぇの……?」
誰に聞かせるでもない独り言。
ふらつきながら歩き続けると、朽ちた大きな建物が見えてきた――かつて病院だった建物。
窓ガラスは割れ、入口は崩れて洞窟のように口を開いている。
史奈はそこで足を止めた。
「……今日は、ここでいいか。」
重い足取りで、廃病院の内部へと入っていく。
■ 廃病院での探索
薄暗い内部は静まり返っている。
鉄とカビの匂いが混ざり合い、冷たい空気が肌を刺す。
史奈は慎重にクリアリングしながら廊下を進む。
部屋の扉を開けるたびに、古びた担架、埃をかぶった器具、散乱したカルテ……
だが、どこかでまだ使える医療道具があるかもしれない。
そして――
「…あった。」
かつて手術室だったと思われる部屋に、錆びてはいるがまだ形を保った手術台が残されていた。
史奈は息を吐き、そこに腰掛ける。
■ 自ら治療する史奈
傷は腹部と太ももに数カ所。
昨日の戦闘で開いてしまい、血がにじんでいる。
史奈はバックパックから**小瓶のウォッカ**と**針糸セット**を取り出す。
「……はい、地獄タイムね。」
まずウォッカを傷にかける。
「あぐっ……っ!」
声が漏れる。
手術台の端を掴み、震わせながら痛みに耐える。
だが逃げ道はない。
自分の身体は、自分で直すしかない。
史奈は歯で自らのドッグタグを噛み、呼吸を整え、針を傷へ突き刺した。
痛みで視界がにじむ。
しかし、手は止めない。
「……っ……は、ぁ……」
数分か、数十分か。
時間の感覚は消えていた。
最後の縫合を終えた瞬間――
史奈の意識が、ふっと遠のいた。
■ 再び目覚める史奈
いつのまにか眠っていたらしい。
気がつけば手術室の薄暗い天井が視界にあった。
「……ああ……また、寝ちまった……」
身体はまだ重いが、縫合した部分はしっかり閉じている。
史奈はゆっくり起き上がり、寝袋を取り出した。
手術台の上を簡単に拭き、寝袋を広げる。
「他にベッドなんかないし……今日はここで十分。」
パジャマに着替え、携帯食料の乾パンをかじる。
噛むたびに乾いた音が響く。
病院の外は静まり返っていた。
銃声も、叫び声も、もう聞こえない。
久しく感じていなかった“静かな夜”だった。
「…一人の夜って、悪くないのに…」
そう呟きながら、史奈は寝袋に潜り込んだ。
冷えた空気。
薄暗い手術室。
壊れた病院に差し込む月光。
そのすべてが、孤独な彼女を包む。
史奈は深い息を吐き――
静かに目を閉じた。
── 廃病院の朝、影を落とすローター音──
薄暗い廃病院の手術室。
天井の割れた照明から朝日が細く差し込み、埃の粒が光の筋の中で静かに漂っていた。
史奈は、硬い手術台の上に敷いた寝袋の中で、ゆっくりとまぶたを開いた。
身体を起こすと、縫合したばかりの脇腹の傷がずきりと疼く。
「っ…まだ痛むけど…歩けるだけマシか…」
包帯をめくり、即席の縫合は問題ないと確認する。
昨夜の冷たい空気、薄暗い病室、ひとりの静寂。
孤独には慣れているはずなのに、不思議と胸の奥に重たい感覚があった。
史奈は、装備を整えながら廃病院の窓外を一瞥する。
崩れた街のビル群が、朝の日差しに灰色の影を落としていた。
AKMを背負い、M9を腰に下げ、完全に任務再開の準備を整える。
「行くか…」
病院を出た瞬間だった。
**――パパパパパパッ……!**
遠くからローター音。
それもただのヘリではない。重く、地を叩くような音圧。
「……この音、まさか…」
史奈は即座に建物の影へ走り込み、壁に背を預けて息を潜めた。
ローター音は次第に大きくなり、やがて市街地上空へ巨大な影が滑り込んできた。
■ Mi-24 “ハインド”
クリーム色と緑の迷彩をまとった、ロシア製の重武装攻撃ヘリ。
両側に伸びた武装翼にはロケットポッド、機体の下腹には重機関砲。
その腹部の窓越しに、ロシア人傭兵と思わしき影が3つ見えた。
「…最悪だよ…なんでこんな所に…」
ヘリは高度を下げ、街の上空を蛇のように旋回しながら偵察している。
もし見つかれば、建物ごと焼かれるのは確実だった。
史奈は、息すら殺して壁際に伏せる。
ローターの風圧で砂埃が舞い、瓦礫の欠片がぱらぱらと地面で跳ねた。
Mi-24 は、ビルの間をゆっくりと進み、機関砲が左右に揺れながら索敵している。
「探してる…誰かを…
それとも、あたし…?」
傷はまだ完全ではない。
戦えば勝てない。
逃げるにしても、ヘリの目を振り切るのは難しい。
ヘリのエンジン音が頭上を通り過ぎた瞬間、コンクリートの破片が史奈の肩に落ち、カラリと音を立てる。
その小さな音にすら、心臓が跳ね上がった。
**頼む…気付くな…
まだ死ねない…**
Mi-24 は一度ホバリングする。
照準機が街の奥をゆっくりとスキャンしていく。
あと数メートルで、自分の隠れている場所が索敵範囲に入る。
史奈は、無意識に拳を握った。
指の震えが止まらない。
だが次の瞬間——。
**――ローター音が遠ざかり始めた。**
Mi-24 は、どうやら別の市街地へ移動するらしい。
徐々に音が薄くなり、やがて空の向こうへ消えていった。
「……っは……助かった……」
壁に背を預けたまま、肩で息をしながら空を見上げる。
まだ朝日は低く、廃墟に長く影を落としている。
ここから無事に脱出できる保証は、どこにもない。
それでも、ひとまず最悪の事態は回避した。
「行かないと…こんな所に長く居る方が危ない…」
史奈は、痛む脇腹を手で押さえながらゆっくりと立ち上がった。
再び、孤独な旅路へと足を踏み出す。
― 砂漠の崖、Mi-24 の轟音の中で ―**
焼けた金属のように熱い砂漠の風が、史奈(ふみな)の頬を叩いた。
廃病院で明け方を迎え、慎重に帰路を歩き始めた矢先だった。
――ドドドドドドッ!!
空気そのものが震え、胸の奥まで響くような重低音。
Mi-24 “ハインド” のローター音。
史奈の背中が、瞬時に冷たくなった。
「……最悪。」
建物の影に飛び込み、息を潜める。
だが二度目の訪問は、ただの偵察ではなかった。
ヘリが旋回しながら高度を下げ、
機体腹部のガトリング砲が、ゆっくりと史奈へ向けられる。
そして――
**ガガガガガッ!!!**
舗装の剥がれた道路が粉砕され、砂と破片が噴き上がった。
史奈は叫ぶ間もなく、全力で走り出す。
「っ……くそッ!!」
M9、AKMしか持っていない。
対空兵器も、遮蔽物もほぼ無い。
廃墟の壁に飛び込みながら、身をかがめる。
ガトリング弾が壁を紙のように貫通し、背後の建物が崩れ落ちた。
――このままじゃ死ぬ。
史奈は思考を切り替え、走路を砂漠方面へ向けた。
建物がなくなれば狙いやすくなる。
だがそれでも、ただ死を待つよりはマシだ。
Mi-24 が低空に降下し、砂漠へ逃げ込む史奈を追い詰める。
**ガガガガガガッ!!!**
砂が爆ぜ、熱風が背中を焼く。
12.7mm 弾が肩のすぐ横をかすめ、史奈の体勢が崩れた。
バランスを失い砂に転がるが、すぐに起き上がる。
「しつこいんだよ……ッ!!」
しかしハインドは容赦しない。
対地ロケット発射口が開き、ライトが赤く点灯する。
――ロケットまで撃つ気か。
砂漠に身を隠す場所などない。
ただ全速力で走り続けることだけが、生き残る唯一の手段だった。
右ふくらはぎをかすめた風圧と激痛。
銃弾が肉を削り、血が噴き出す。
「っ……あぁ……っ!」
足が千切れそうでも走るしかない。
やがて、砂漠の先に、切り立った巨大な崖が姿を現した。
逃げ場が、もう無い。
Mi-24 がゆっくりとホバリングし、真正面から史奈を見下ろす。
コックピットのロシア人傭兵が、嘲笑うように頭を傾けた。
史奈は、その視線から目を逸らさなかった。
「……上等だよ。
最後まで……あたしはあたしのやり方でやる……!」
ハインドの砲口が再び史奈を捉えた。
砂が舞い、視界が揺れる。
息は荒く、足は血に濡れ、全身が重い。
だが、後ろへ下がればもう――
**崖。**
風が下から吹き上げ、深い谷の底が闇のように口を開けている。
Mi-24 が撃つ。
崖が爆風で裂ける。
岩が砕け、砂が吹き上がる。
史奈は、短く息を吐き――
**迷わず、後ろへ身を投げた。**
重力が身体を引きずり落とす。
耳元で風が悲鳴をあげる。
Mi-24 のローター音が遠ざかり、世界が反転する。
「……まだ……終われない……!」
視界が白く弾けるまでの瞬間、
史奈は必死に、自分の胸元に手を伸ばし――
身を守る最後の策を探していた。
そして身体は暗い谷底へ消え、
Mi-24 の操縦士が唖然とする間に、
史奈の姿は砂煙の向こうに消えた。
この崖の底で何が待つのか。
落下の衝撃をどう生き延びるのか。
史奈はまだ知らない。
だが――生きる意志だけは、誰にも負けていなかった。
砂の粒が、史奈の頬に当たっていた。
風が吹くたびに、細かい石が皮膚に食い込むように痛む。
**崖から落下した衝撃は、全身を粉砕したような痛み**として残っていた。
「……ッ、はぁ……ッ、く……」
呼吸をするたび、胸の奥に鋭い刃が刺さる。
**肋骨の数本が折れている**のは、素人でも分かった。
右足を動かすと、裂けた肉の中から生ぬるい血が滲み、
神経がむき出しになったような激痛が電流のように走る。
左足は打撲で膝が曲がらず、力が入らない。
**──もう立つことはできない。**
それを理解した途端、恐怖よりも虚無感が押し寄せてきた。
Mi-24のローター音は、もう聞こえない。
地上に落ちた自分を追撃する必要はないと判断したのだろう。
あるいは、すでに“死んだ”と思われたのか。
史奈は、乾いた笑いを一瞬漏らした。
「……あたし……こんなとこで、死ぬの……?」
声は、砂に吸われて消えた。
**這うしかなかった。**
砂を掴むたび、爪の間に血が滲む。
肋骨が動くたび、胸の中で何かが擦れ合い、呼吸が止まりそうになる。
それでも前に進まなければ、夜までに確実に死ぬ。
この砂漠の夜は、傷ついた体には致命的すぎる。
「……ッ……くそ……!」
史奈は、右足の裂傷を抱え込むようにして身体を持ち上げ、
ほんのわずか、数センチだけ前進した。
これを繰り返す。
何度でも。
どんな痛みが襲おうと。
しかし、痛みと疲労は急速に限界に近づいていた。
**視界の端が揺れ始め、色が薄れる。**
太陽は容赦なく照りつけ、
熱は史奈の体力をじわじわ奪っていく。
「……っ……はぁ……ッ、は……」
呼吸が苦しい。
胸の奥の空気が、砂のようにざらつき、肺に全く入らない。
──ふと、影が揺れた。
何かが近づいている。
ハイエナか、敵兵か、幻覚か。
顔を上げようとしたが、首が上がらなかった。
意識が、闇へと沈んでいく。
「……ぁ……」
最後に聞こえたのは、風の音か、砂の音か、
あるいは、遠くで鳴く鳥の声だったのか。
分からない。
史奈の視界は、完全に暗転した。
**彼女の身体は、崖下の砂に沈むように倒れたまま、
静かに動きを止めた。**
意識が遠のいたまま、史奈は何時間も崖下の冷たい砂の上に横たわっていた。
気温は昼と夜で極端に変わり、砂は熱気を失い急激に冷え込んでいく。
ふと、耳の奥で風が鳴る。
遠くで砂を巻き上げる音がする。
史奈の呼吸が微かに震えた。
「……あたし、生きてる……?」
乾いた唇が、ようやく言葉を形にした。
激痛が胸の奥から襲いかかる。
折れた肋骨が呼吸に合わせて軋む。
右足の裂傷は深く、左足は紫色に腫れあがっていた。
全身の皮膚は崖を落ちたときの摩擦で擦り切れ、血と砂と汗が混じっている。
それでも、死ねない――。
史奈は、痛みに歯を食いしばりながら身体を起こす。
バックパックだけは奇跡的に近くに落ちていた。
彼女は這い寄り、震える手でチャックを開ける。
中には最低限の救急セットと、水、針と糸、ZIPPO、そして破損していないAKMとM9。
唯一の問題は、コンバットナイフが崖肌に突き刺したせいで刃が折れてしまったことだ。
「……やるしかない、か」
夜の冷気が迫る前に治療をしなければ死ぬ。
史奈は、砂の上で服を、ブーツ、すべて脱ぎ捨てた。
服についた砂や血が処置の邪魔になる。
肋骨の痛みで呼吸が乱れ、視界が揺らぐ。
だが、史奈は止まらなかった。
まずは、折れた肋骨周辺の腫れと出血を確認し、胸を固定するため布を巻く。
だが、左足の縫合が最大の難関だった。
ウォッカを小さな金属皿に注ぎ、震える手で傷口にかける。
「っ……あ、あぁぁああ……!」
喉が裂けるような悲鳴。
だが誰も助けには来ない。
夜は深まり、風だけが返事をした。
史奈は、糸を針に通し、深い裂傷を少しずつ縫合していく。
涙が頬を伝うが、痛さでは泣かない。
孤独が泣かせた。
手が滑り、針が皮膚を刺し損ね、血がにじむ。
それでも続けた。
右足は裂傷が深くはないため、止血と消毒を中心に処置した。
数十分か、数時間か。
時間の感覚は失われていた。
全てを終えた時、史奈は針を握ったまま砂の上に崩れ落ちた。
「……あたし……まだ……死ねない……」
そこまで言葉を吐いた瞬間――彼女は失神した。
気が付くと、夜空の星が瞬いていた。
身体は激痛だが、まだ動ける。
史奈は炎を起こすため、乾いた枝とZIPPOを使った。
やがて小さな焚き火が揺らぎ、史奈の血だらけの肌を照らす。
彼女はバックパックに残っていた携帯食料を噛みしめた。
味はなく、砂が混ざり、口の中が痛む。
しかし、栄養は必要だった。
夜風が背中を撫でる。
遠くで狼の遠吠え。
「ひとりか。
…いや、いつも、こうだったな…」
児童養護施設での孤独。
仲間を作らず、頼る相手もいなかった自分。
今、その延長線のような夜が広がっていた。
だが、生きると決めたのは自分だ。
史奈は、ゆっくり焚き火の前に横になった。
AKMを抱き、M9を手の届くところに置く。
「……明日、生きてたら……戻れる、か」
彼女はまぶたを閉じた。
星明かりの下、砂漠の風が静かに吹き渡っていた。
砂漠の風が、荒れた砂粒を容赦なく吹きつけていた。
その中を、一人の女が這うように進んでいる。
**村上史奈。**
全身は砂まみれで、血と汗が固まり、皮膚に張りついていた。
数時間前、崖から転落した衝撃と、Mi-24の攻撃による負傷で、身体はすでに限界を超えていた。
肋骨は折れ、右足は裂傷で力が入らず、左足は打撲で痛みが走る。
呼吸をするたびに肺の奥が軋むように痛む。
それでも、史奈は――生きようとしていた。
「…あたしは…ここで死ぬつもりは…ない」
声にならない声が、乾いた唇から零れる。
右手に握りしめているのは、砂まみれのAKM。
銃身には砂が入り、動作が怪しいが、それでも史奈は手を離さなかった。
武器を失った瞬間、本当に死ぬと分かっていたからだ。
◆ 砂漠の夜は冷たい
太陽が沈むにつれ、急激に気温が下がっていく。
日中は皮膚を焼くほどの熱さだった砂漠も、夜には骨まで冷え込む。
「……さむ……」
震える身体を押さえつけながら、史奈はわずかに起き上がった。
這いずるように砂を掻き分け、バックパックを引き寄せる。
そして――
震える指で、簡易テントを組み立てはじめた。
金具が上手く噛み合わない。
折れた肋骨が痛みを訴え、視界が霞む。
何度も倒れ、砂に顔を埋め、それでも再び起き上がった。
「……っ、あと……少し……」
数十分後。
歪みながらも、どうにか形を保った簡易テントがそこに立っていた。
史奈は、もう**歩く**ことも**立つ**ことも出来なかった。
両腕だけで砂を押し、テントの中へ転がり込むように入る。
◆ 身体が悲鳴をあげる
テントの中は暗く、小さなライトだけが天井を照らしていた。
史奈は力尽きる直前、バックパックから水筒を引っ張り、わずかな水を口に含む。
砂の味が混じったが、それでも喉を通る水の冷たさに涙が滲んだ。
「……生きて……帰ってやる……あたしは……」
言葉が震える。
もう、誰に聞かせるつもりの言葉でもない。
武器をすべて抱き寄せるようにして、史奈は身を丸めた。
AKM。
M9。
刃の折れたナイフ。
どれも、自分を守るための道具。
砂漠を這いながらここまで来れたのは、これらがあったからだった。
史奈の手が、砂まみれのAKMのストックを握りしめたまま動かない。
◆ 眠りの中へ
疲労は、すでに限界だった。
身体中に走る痛みが、ついさっきまで史奈を意識の淵に引き留めていたが、
安心できる場所に転がり込んだ瞬間、緊張の糸が切れた。
視界がぼやけ、揺れ、滲んだ。
テントの壁が風に揺れる音が、やけに遠く聞こえる。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸だけが苦しそうに続く。
史奈は、ぼろぼろの身体のまま、
AKMに腕を回し、まるでそれを抱くようにしながら、ゆっくりと瞼を閉じていった。
そして――
砂漠の冷たい夜の中で、静かに意識を手放した。
その顔には、痛みと疲労の影が深く刻まれていたが、
どこか、やり切ったような安堵の色もあった。
今日、生き延びた。
それだけが、史奈の誇りだった。
砂漠に張られた簡易テントの中で、史奈は荒い呼吸を繰り返しながら目を覚ました。
全身は擦り傷と裂傷で覆われ、肋骨は折れたまま、左足も痛みでほとんど動かない。
喉は焼けつくように乾き、頭は重く、視界がわずかに揺れていた。
起き上がろうとしても、身体は砂袋のように動かない。
それでも史奈は、癖のように横に置いたAKMへ手を伸ばす。握った瞬間、少しだけ心が落ち着いた。
その時だ。
**ザッ…ザッ…**
耳を疑う。
こんな場所に、誰が来る?
史奈は咄嗟にテントの布を指で少しだけめくり、外をのぞく。
——影。
それは、ゆっくりと、確実にこちらに向かって歩いてくる黒い影だった。
陽炎の揺らぎの向こうで、長いコートが風に揺れ、その手には**MR73リボルバー**がぶら下がっていた。
顔は砂漠の光を反射してよく見えない。
しかし、近付くにつれ、史奈は理解した。
**表情が一切ない。**
敵兵。
人間というよりは、処刑人の影。
「……っ」
ほとんど動かない身体で、史奈は反射的にAKMを構えた。
だが、右腕は震え、肩は痛みで引きつるように痺れ、照準が安定しない。
敵兵は歩く速度を緩めることなく、じわりと距離を詰めてくる。
まるで“逃げ場を与える気がない”かのように。
史奈は歯を食いしばる。
「……来るなよ……」
答えは無かった。
代わりに、敵兵は腕を上げた。
**MR73の銃口が、史奈の胸に向けられる。**
その瞬間——
「……っ!」
AKMの引き金を引いた。
銃声が砂漠に響き、7.62mm弾が砂を跳ね上げる。
だが、敵兵は即座に岩陰へ滑り込んだ。
無表情とは裏腹に、動きは鋭く、迷いが無い。
次の瞬間、反撃が来た。
**ドバンッ……ドバンッ……ドパンッ!**
MR73特有の乾いた銃声が、砂の壁に跳ね返る。
弾丸がテントと砂を抉り、史奈のすぐ横を通り過ぎる。
「っ……!」
史奈は、痛む身体を引きずりながら後退する。
体力は尽きかけ、視界は薄闇がじわじわと侵食してくる。
敵兵は岩陰からまた一歩、また一歩とにじり寄る。
**シリンダーを片手で開き、手際よくリロードを始めた。**
「嘘……だろ……」
追い詰める時の冷静な動き。
そして、徹底的なまでに感情の無い顔。
これは“任務のために殺す”のではない。
“そこに標的があるから処理する”——その程度の温度だった。
史奈は砂に手をつき、膝を引きずりながら後ずさる。
逃げ場は無い。
誰も来ない。
どこまで行っても砂漠。助けの気配すらない。
敵兵はリロードを終え、ゆっくりと銃口を上げた。
史奈は呼吸を荒げながら、AKMを両手で抱え込むようにして構える。
敵兵の視線が、史奈のその動きに反応した。
無表情のまま、引き金へ指がかかる。
**史奈の死が、わずか数秒先に迫っていた。**
砂漠の朝焼けは、血のような色をしていた。
史奈は満身創痍の身体を引きずり、砂の上を爪でひっかくようにして後退した。
全身が痛む。
傷は開き、呼吸のたびに肋骨が悲鳴をあげる。
――また来た。
遠方から、砂煙とともに影がひとつ、静かに歩いてくる。
黒い防弾服、マスク。手には磨かれた **MR73**。
その無表情さは、まるで感情という概念を捨てた兵士のようだった。
史奈は咄嗟に、壊れかけたAKMを構えた。
手が震え、視界は霞んでいる。それでも撃つしかない。
**ダダダダッ――!!**
弾が岩壁に跳ね返り、火花を散らした。
敵兵は驚くこともせず、ひょい、と身体を岩陰に滑り込ませる。
すぐに乾いた反撃が返ってきた。
**パシュッ! パシュッ!**
MR73から吐き出される弾丸が、史奈の足元へ正確に着弾する。
砂が跳ね、史奈はよろけた。
「……ッ!」
足を引きずり、必死に後退する。
敵兵は一歩、また一歩と距離を詰めながら撃つ。
マスクの奥から、笑ったような気配――。
弄ばれている。
史奈の背筋に、別の意味の寒気が走った。
「ふざけんな……ッ!」
彼女はAKMの最後の弾を絞り出すように撃ち続けた。
だが――
**カチッ。**
引き金が空を切った。
弾切れ。
史奈は即座にM9を抜く。
サプレッサー越しに、鋭い音が連続する。
**パスッ! パスッ! パスッ!**
敵兵は滑るように岩陰を移動し、反撃を返す。
着弾が史奈の横の地面をえぐり、砂が顔に降りかかった。
M9も、弾がわずかしか残っていない。
史奈は足を引きずり、必死に逃げる。
呼吸は荒れ、肺が焼けつく。
敵兵は追うでもなく、追わないでもなく――
距離を一定に保ちながら、ゆっくりと、楽しむように歩いてくる。
マスク越しに、にやりと笑う口元が浮かぶようだった。
「……クソッ……!」
史奈はM9を乱射する。
**パシュッ! パスッ!**
**カチッ。**
弾切れ。
逃げるしかない。
足を引きずりながら、砂漠の荒野を必死で走る。
背後から、乾いた足音。
敵兵が確実に迫ってくる。
息が切れ、肺が痛む。
視界が揺れる。
身体中の傷が開き、血が流れ落ちる。
「あぁ!!…クソッ…!!」
砂漠は静かだ。
風と、彼女を追う足音だけ。
敵兵の影が、いよいよ目前まで迫る。
拳銃を構え、ゆっくりと狙いをつける。
史奈は、最後の力で砂を蹴った。
逃げても逃げても、終わりは見えない。
――誰も助けには来ない。
史奈は悟った。
今日は命の限界を試される日だと。
砂漠の薄紅色の朝に、ひとりの傭兵の孤独な戦いが続いていく――。
砂漠の冷たい風が、血の匂いを薄く引きずって流れていく。
史奈は、胸に突き立ったままの刃の痛みに震え、視界がぐにゃりと歪む。
吐血の味が喉に広がり、呼吸のたび胸の奥が焼けるように痛い。
敵兵が史奈に馬乗りになり、ナイフを史奈の胸に突き立てている。
敵兵は、不気味な笑みを浮かべていた。
しかし、次の瞬間ーーー
ーーパンーー!!
1発の銃声と共に
敵兵は仰向けに倒れ、頭部から砂へと血を広げていた。
その死体を越え、砂埃を切り裂きながら“何か”がこちらに歩いて来る。
——足音。砂の上に、規則正しく、無駄のない歩幅で。
史奈の視界はぼやけ、焦点が合ったり消えたりする。
しかし、そのシルエットは見間違えようがなかった。
**長い銃身。
重心の低い構え。迷いのない歩き方。**
少し離れた岩陰の上に立つ“それ”は、月光を浴びた **MK14 スナイパーライフル**を携えていた。
史奈(……まさか……あんた……)
影はゆっくり史奈に近付き、彼女の前に膝をつく。
風が吹き、彼女のウェーブの黒髪がふわりと揺れ、月明かりに輪郭を照らした。
**レイラだった。**
しかし、その顔はいつもの少し天然で変人めいたレイラではない。
感情のない、冷たい夜を切り裂くような表情。
まるで“砂漠に生きる狙撃の亡霊”のような無機質さ。
レイラは何も言わず、倒れた史奈の胸元に手を当て、
刺さったナイフを確認すると、ためらいもなく抜いた。
「っ、あぁあ……ッ!」
絶叫が砂漠に響き渡る。
史奈の指先が震え、身体が痙攣する。
それでもレイラは表情ひとつ変えなかった。
まるで感情を砂漠に置き忘れたかのように。
レイラは史奈の胸元の傷を押さえ、応急処置のための布を引き裂き、
淡々と作業を進める。
史奈「……に、逃げろ……レイラ……あんた……また狙われる……」
声はかすれ、息は途切れ途切れ。
一言ごとに胸の中で血が泡立つように痛む。
レイラは史奈を見下ろし、ようやく口を開いた。
「……逃げるのはあなたのほうでしょう。」
と一言。
だが、その奥には確かに温かいものが滲んでいた。
レイラは史奈を片腕で抱きかかえると、傷口から流れ落ちる血を抑えながら立ち上がる。
「もう少し頑張って。眠らないで」
史奈(……眠りたい……でも……)
視界が暗く沈み、音が遠ざかっていく。
レイラが何か叫んでいるようだが、言葉の意味がもう分からない。
最後に見えたのは、月明かりの下で自分を抱きしめて運ぶレイラの横顔。
その表情は、あの冷徹な無表情ではなく——
**必死に史奈を失うまいとする“仲間の顔”**だった。
そして史奈の意識は、完全に闇に落ちていった。
鈍い痛みが胸の奥で波打ち、史奈はゆっくりと瞼を開いた。
視界は霞んでいたが、天井の布の色で、ここが自分の簡易テントではないことだけはすぐに分かった。
身体は重く、腕も脚も思うように動かない。
だが胸に走った鋭い痛みで、先ほどまでの戦いの記憶が一気に蘇る。
——敵兵に胸を刺され、意識が落ちていった。
——最後に聞こえた、乾いた狙撃音。
——倒れ込む敵兵の姿。
史奈は小さく息を呑んだ。
その時、不意に柔らかな肉の匂いが鼻孔をくすぐった。
視線を横へ向けると、焚火の光に照らされたレイラが、ひとつの鍋を静かにかき混ぜていた。
無表情な横顔——だが、その瞳はどこか穏やかだった。
史奈に気づいたレイラが、ふっと目を瞬かせる。
「起きたのね」
その声は、いつもの冷たい無機質さとは違い、どこか安堵を含んでいた。
史奈は喉を震わせ、かすれた声を絞り出した。
「あたし…助けられたのか…?」
「あなた、死にかけてた。胸、深く刺されてた。でも、縫ったから大丈夫」
レイラは鍋を外し、小さな器にスープを注いだ。
漂う香りは濃厚で温かく、荒んだ砂漠の夜になぜかとても優しく感じられた。
「食べられる?」
レイラは史奈の身体をそっと起こし、スプーンを口元に運ぶ。
温かい。
柔らかい。
胃の奥がじんわりと熱を帯び、胸の痛みよりも安心感が勝っていく。
「…うま…」
言った瞬間、レイラの表情がわずかに緩んだ。
ほんの一瞬、本当に一瞬だったが、それは確かに「笑顔」だった。
「よかった」
その笑顔に、史奈は目を瞬かせる。
「……お前、笑えるんだな……」
「笑うこと、珍しい?」
「…あたしの前では、な」
レイラは少し照れたように目をそらした。
だが次の瞬間、レイラは無言で上着を脱ぎ始めた。
「ちょっ…な、なにして……!」
レイラは気にした様子もなく、ブーツも脱ぎ、パンツとシャツまで脱ぎ捨ててしまう。残されたのは下着のみ。
そして、濡らした布で自分の身体を拭き始めた。
焚火の光に照らされたレイラの身体。
細身だが鍛え抜かれた筋肉と、無数の古傷。
凶暴な動物に引き裂かれたような痕、銃弾が掠めた跡、深い刀傷……。
20歳とは到底思えない、激戦の歴史が刻み込まれていた。
史奈は息を飲む。
「そんなに…ボロボロだったのかよ…」
「あなたも似たようなもの」
レイラは淡々と答えた。
「私は狙撃の時、無理をすること多い。
近くに誰もいないから、自分で全部治すしかない。だから傷が増える」
史奈はその言葉を聞きながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
——自分と同じだ。
ずっと孤独で、ずっと一人で戦って、ずっと一人で傷を治してきた。
レイラもまた、孤独の中で生きてきたのだ。
「…なぁ、レイラ」
「なに?」
「助けてくれて…ありがとな」
レイラは史奈を見つめる。
無表情に戻っているが、その瞳だけが揺れていた。
「あなたが死んだら…つまらない」
「つまらない、ねぇ…」
「史奈、生きてると…なぜか、私は…安心する」
その言葉は、砂漠の夜風よりも静かに、確かに史奈の胸に落ちていった。
史奈は疲れ切った身体を横たえながら、レイラの背中を見つめる。
焚火の光の中、傷だらけの肌が淡く揺れていた。
(……あたしら、似てるんだな)
そう思った瞬間、疲労が限界を迎え、視界がゆっくりと暗くなっていく。
最後に聞こえたのは、レイラの小さな声だった。
「史奈…もう、死なないで」
優しい夜が、史奈を静かに包み込んだ。
夜の砂漠に、細い風が走っていた。
小さな焚き火の前で、史奈は包帯だらけの身体を横たえ、湯気を立てる狼肉のスープをすすっていた。
その横で、レイラは静かに服を着直すと、ふっと史奈に視線を向ける。
「……話しておいた方がいいと思ったの」
レイラは、焦げたような茶の瞳を細め、夜空を仰いだ。
普段の無表情からは想像できないほど、どこか遠くを見つめるような顔をしていた。
■レイラの原点 ― トルコ中心街
「私のフルネームは――
**レイラ・アスラン・デミル**。
トルコの中心街、アンカラの近くで育った」
史奈は驚いた。
レイラが自分の名前をフルネームで名乗るのは初めてだった。
「うちは裕福だった。両親は会社を持っていて、私は看護師を目指していたの。
……小さい頃から怪我した子をよくみてあげてたから」
彼女は淡く笑った。
その笑みは普段の冷徹さとは違う。
「そして……妹がいる。
名前はメル。私によく懐いてた」
焚き火がパチンと音を立てた。
■中東の惨状をテレビで見た日
「でもね……16歳の時だった」
レイラの声が少し震えた。
「ニュースで、中東の戦闘の映像を見たの。
まだ小さな子供たちが……血まみれで泣いてるのを」
史奈は息を呑む。
レイラの目は、怒りとも悲しみともつかない色に染まっていた。
「何度も何度も、映像を巻き戻した。
私が看護師になっても……救えるのは目の前の数人だけ。
でも、銃を持てば――守れる範囲はもっと広くなる。
そう思っちゃったの」
17歳の少女に背負うには、あまりにも重い価値観だった。
■17歳で傭兵を志す
「両親はもちろん反対した。でも……止まらなかった。
夜中に家を出て、そのまま国境を越えた」
レイラは自分の腕の傷跡を見た。
「私は最初、衛生兵だったの。
でも……銃は握ったことがなかったのに、なぜか当たった」
史奈は思わず聞く。
「狙撃、得意だったのか?」
「うん。呼吸の仕方もわからないのに、600メートル先の的を撃ち抜いたら…
教官に言われたの。
**“お前、狙撃手になるべきだ”**って」
■死の風(Dying Wind)の誕生
「18歳の頃には、実戦に出た。
最初の任務で…私は敵のスナイパーを3分で2人倒した」
レイラは淡々と語るが、史奈にはその異常さがよく分かった。
「噂はすぐ広まった。
敵兵からは、私の銃声が“風の音に聞こえる”って言われて」
史奈「……風?」
「そう。
当たった瞬間にはもう死んでるから。
気付かないうちに殺される。
だから――**死の風(Dying Wind)**」
砂漠の風が吹き抜ける。
レイラの髪が揺れ、焚き火の火が小さく揺らめいた。
■そして今
「…でもね」
レイラは初めて、寂しそうな笑みを浮かべた。
「私は人と一緒にいるのが苦手。
気づいたら全部、自分一人で抱え込んじゃう。
…本当は、妹に会いたい」
史奈は、胸の奥がじんと締め付けられた。
レイラが見せた、たった数センチの弱さが、痛いほど重かった。
レイラ「史奈…あなたも、一人で戦ってきたんでしょう?」
史奈は何も言えなかった。
ただ、レイラの横顔を見つめることしかできなかった。
焚き火の赤い火が、二人の影を長く長く揺らしていた。
薄暗い砂漠の夜。
簡易テントの中には、焚き火の小さな残り火の匂いと、煮込まれた狼肉スープの残り香が漂っていた。
史奈は、レイラが与えてくれたスープで体力を少しだけ取り戻しながら、包帯と薬品の匂いに包まれた寝袋の中で、じっと横なっていた。
体の節々が痛み、胸の刺し傷は鋭い熱を持ち、呼吸をするたびに胸骨が軋む。
だが、それでも生きている──
それは紛れもなく、レイラのおかげだった。
史奈がぼんやりと視線を向けると、
テントの隅でレイラが黙々と作業をしていた。
ライトに照らされたその横顔は、美しいが冷たく、そしてどこか儚い。
■ AKMの分解音が響く
「…あんたのAKM、砂まみれだった。」
レイラは無表情のまま言う。
しかし、その手つきは驚くほど丁寧だった。
史奈のAKMは、落下の衝撃で砂漠の砂が内部にまで入り込み、油膜もすっかり枯れていた。
「……ありがと。助かる」
史奈はそう言うのが精一杯だった。
胸の傷が痛む。言葉を吐いた瞬間、肺がズキリと疼く。
レイラは答えない。
ただ無言で、カチ、カチ、と部品を丁寧に磨き、汚れを落とし、油を差し、再び組み上げていく。
その姿は、戦場の狙撃手というよりも、かつて目指していたという看護師のようだ。
■ M9のメンテナンス
次にレイラは史奈の M9 を手に取った。
こちらもほとんど砂と血で汚れ、スライドの動きが硬直していた。
「……これも限界。よく撃てたね」
「撃つしかなかったから、ね……」
痛みに耐えながら史奈は笑う。
レイラはその表情をちらりと見たが、すぐに視線を逸らし、作業に戻った。
丁寧に分解し、汚れを落とし、入念に油を塗り直す。
■ レイラ自身の武器整備
レイラは史奈の装備を整えると、
今度は自分の MK14 を取り出した。
銃身をゆっくりと撫で、スコープのレンズを丁寧に磨く。
無表情だが、扱いはどこか慈しむようで、
まるで臓器か宝物を扱う医者のようだった。
「……レイラ、サプレッサー付けてるんだ?」
史奈が尋ねると、
「静かな殺しが好きなの」
レイラは感情のこもらない声で答え、
MK14 にサプレッサーをつけたまま、軽く構えて感覚を確かめる。
続いて M1911 を取り出し、こちらにもサプレッサーを装着。
「……音がしない方が、敵も怖がるから」
その言葉は淡々としているのに、妙に背筋が冷える。
■ 史奈、胸の奥がざわつく
レイラの動作を見ていると、
史奈はふと胸の奥がざわつくのを感じた。
──私もこんなふうに誰かを助けたこと、あったっけ。
誰かのためにここまで丁寧に手を動かしたことなど、一度もない。
自分が孤独だったせいか、誰かにここまで世話をされる事もなかった。
史奈は、少し俯く。
そんな史奈に気づいたように、レイラがふいに口を開く。
「……眠れない?」
「いや……大丈夫。
あんたの作業音、落ち着く」
「そう」
レイラはそれだけ言うと、再び黙々と武器整備を続ける。
■ ほんの少しの温度
テントの灯りに照らされ、
レイラの日に焼けた肌の縫い跡が浮かび上がる。
若さに似合わぬ傷だらけの体。
戦場が刻んだ、生々しい歴史。
史奈は思わず、呟いた。
「…あんたも、ボロボロだな」
レイラは一瞬だけ手を止めた。
そして、ほんのわずか、笑った。
「お互いさま」
その微笑みは、今まで見たどの笑みより柔らかかった。
史奈の胸に、熱いものがじわりと広がる。
孤独だと思っていた。
でも──
この夜、史奈は初めて
「誰かと生き延びたい」
そう感じた。