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夜半過ぎ、メルローズの目を覚まさせたのは、どこからか聞こえてくるパチパチという高い破裂音だった。
遠巻きに風にのり流れてくる異音と、遠吠えのような鬼気迫る声に首を傾けたメルローズは、寝具から出て目を擦りながら寝室の窓を開けた。
豪族の土地を間借りし、上皇以下の者が寝床としていた一帯の上空は、夜にも関わらず微かな光に包まれていた。何が起きていると窓から外へ飛び降りたメルローズは、明るく夜の闇を照らす一角で、あってはならない光景を目にした。
「え……? 村が、燃えている」
仮宿から少しばかり東へ下った先だった。
豪族が取り仕切る小さな村のあった東の空は、真紅の炎に包まれたように赤黒く光っていた。
光はさもこの世の全てを溶かさんと燃え滾っているようで、慌てたメルローズは靴も履かずに飛び出していた。
しかし村へと繋がる一本道にさしかかったところで、そこにいてはならない人物と遭遇した。
「おや、どちらへおいでかな、メルローズ殿」
現れたのは執事長のピートだった。
落ち着き払った男は、長く蓄えた顎髭を触りながら、「よく燃えますねぇ」と他人事のように言った。
「何をバカなッ?! 早く火を消し村人たちを助けるのです、今ならまだ間に合います!」
走り出そうとするメルローズの腕を掴んだピートは、ふるふると首を横に振った。
「無駄ですよ」と言ってから、遠く見える建物を指さした。
「あそこで煙を上げているのが、我々に土地を提供いただいた豪族の屋敷だそうです。しかし私が見た限り、どうやらあそこを除いた全ては焼け落ち、生き残った者もいないようで。おや、どうやらあの屋敷も焼けてしまったかな、これは残念」
「どうしてそんな……。このような夜中にあれほどの大火など……。ま、まさか」
髭に触れていたピートの手が止まり、ふぅと鼻で息を吐いた。
奥歯を噛み締め、充血した目を向けたメルローズは、ピートに尋ねた。
「まさか、まさかそうじゃありませんよね? まさか我々が、自らルールを破るようなことはないですよね?!」
ピートは視線を外し、何も知らないと誰かと同じように無表情で答えてから、以前メルローズが豪族に持たせた包をそのまま握らせた。
「さきほどそこで拾いました。その紋、確かメルローズ殿のものでしょう」
「なぜこれを貴方が……。お答えください、あれだけの恩を受けておきながら、よもやまさか、このような蛮行に及んだわけではありませんよね?!」
メルローズが執事服の袖にしがみついた。意に介さないピートは、いつものように姿勢を正しながら、炎に包まれる村を眺め、小さく敬礼をした。
「我らに協力し、有事の補助をいただいた感謝を忘れることは永劫ないことでしょう。残念でありません」
「残念って……。どうしてこんな酷いことを、……答えなさい?!」
蔑むような目で村を一瞥したピートは、これ以上留まる意味はないとメルローズに軽く会釈した。待ちなさいと手を引くが、上皇以下全命令系統のトップであるピートが、メルローズの指示に従う理由はなかった。
「メルローズ殿。貴女様は上皇様に直接付随する侍女故、わたくしども組織と直接の関係はございません。しかし、我らは共に上皇様に全てを捧げる身。立場の違いはあれど、我々が下々の者たちに下に見られることなどあってはならないのです。……未来永劫に」
不意に呟いた言葉に、全てを悟ったメルローズはピートに組み付いた。
「たったあれしきのことで、関係のない村の者まで殺める必要がどこにありますか?! 確かにあの男の態度には問題があったかもしれない。しかしそれは、私とあの男とだけの話のはず。貴男方や上皇様とは何の関係も――」
「関係あるのですよ」
メルローズの後方で誰かが呟いた。
振り返るとメイド長のマセリが立っていて、微かに煤けた頬に触れながら、にっこりと微笑んだ。
「貴女が舐められるということは、上皇様が舐められるも同義であるということ。あの男は貴女と対峙する中で、貴女という人間がどのような人物で、どのような行動をとるか観察をしていた。そして滅多なことでは手をくださないと判断し、今回のような行動に移した。……軽んじられたのですよ、アリストラ上皇という存在そのものが」
「そんなことがあるものですか。たとえ私が安く見られたとしても、村人たちの上皇様に対する忠誠心は決して変わらなかった。酷い嵐に遭遇し、弱りきっていた我々に、あれだけの施しをしてくれた彼らの姿を忘れたのですか?!」
「それは、それ。これは、これ。です」
ポンとメルローズの肩を叩いたマセリは、戻りましょうとピートに言った。
その直後、今度はメルローズの後方で地面の擦れる音がした。
「誰だ?」
ピートの威嚇に怯えた誰かは、その場で尻もちをつき、「あわわ」と慌てた。
見れば、メルローズの部屋で看病を受けていたはずのミアが倒れていた。
「この女、……確か村の」
マセリの目が鈍く光った。二人が背中に隠した武器に指先が触れる間際、ミアの正面に立ち塞がったメルローズは、無言で攻撃を制止させた。
「ただ一人の例外も許しはしない。ここで起こったことは、何人たりとも知っていてはならない」
ゆっくりと三角形のブーメランのような武器を握ったマセリは、魔力で自らの服を漆黒に染めていく。ピートも同じく、メルローズをマセリと挟んだ場所に移動し杖を握ると、桁違いな魔力を流し込んだ。
「武器を下ろしてください。この者は敵ではありません。ただの、本当にただの何も知らないか弱き民です」
庇われ、目を丸くしたミアは状況が読めず「メルローズ様」とまた慌てた。
しかし前後からひたひたと距離を詰める二人の迫力にやられ、ミアは震えながらメルローズに縋るしかなかった。
「め、めるろーじゅしゃまぁ!」
「大丈夫、絶対にわたくしが守ります」
ピートとマセリが同時に飛び上がり、二人に火弾を放った。
メルローズは慌てることなく光の壁で魔法を弾いたが、ピートとマセリはさらに連続で冷気と火弾を繰り出した。
「おやめください、わたくしの話をお聞きください!」
ミアを抱えて走り出したメルローズは、二人の攻撃を躱しながら、仮宿の方向へ少しでも近付こうとした。しかしピートとマセリも、そうはさせじと息のあったフォーメーションでメルローズを追い込んでいく。
「無駄な抵抗はおやめなさい。これ以上逃げても無駄です。我々二人と、足手まといを連れた貴女では戦力差がありすぎます。万に一つも、貴女方が逃げ切れる可能性はありませんよ」
メルローズへの直撃を避けながら、執拗かつ丁寧に退路を断ったピートは、何も語らず一人飛び上がると、頭上で巨大な火の玉を作り上げた。あんなものが当たればミア共々即死は免れないと、仕方なく足を止めたメルローズは、ミアを背後に隠し、空中に術式を練り上げた。
「巨大火弾」
躊躇なく放った巨大な飛球を前に、ギリギリで陣を携えたメルローズは、ミアと自分を覆う巨大な四角い箱を作り出した。
「ひ、ひぇぇ!」
「舌を噛まないようにして、頭を隠して地面に伏せなさい!」
箱に火弾が直撃し、衝撃が二人を襲った。
どうにか攻撃をやり過ごした二人は、ダメージを最小限に防ぎきった。しかし――
「さすがは我らが侍女のトップオブトップ、上皇様の側近にして最強の盾の名は伊達ではありません。やはり一筋縄にはいきませんか」
しかしどれだけ攻撃を防いだとしても、いつかやられてしまうのは目に見えていた。
何より執事長のピートは、執事でありながら国最強の戦士でもあり、隣に立つマセリも、国最高峰の魔法使いだった。
対してメルローズは守りが専門の盾役兼ヒーラー。
攻撃はからっきしで、最初から勝ち目など皆無。勝負は始めから決まっていた。
「逃げても無駄です。その女をこちらへ渡しなさい」
マセリがゆっくりと近付いた。
しかしメルローズは、ミアを隠したまま拒絶した。
「ならば仕方ありません。二人まとめて燃えていただきましょう」
詰将棋のように迫ったピートとマセリは、仮宿と真反対の場所にある切り立つ崖へと二人を追いやった。逃げ場なく崖を背負ったメルローズとミアは、為す術なく歯を食いしばるしかなかった。
「わざわざそんな女に命を賭ける意味など皆無。さっさと崖下へ投げてしまいなさいな」
マセリが呆れながら言った。
メルローズは全力で首を横に振り、「この者は私が守る」と顕示した。
「ならば燃え尽きよ。巨大――」
ピートが右腕を掲げ魔法を唱えた。
しかし唐突に、また別の誰かの声が、四人の鼓膜を同時に揺らした。
『―― はいはい、そこまでそこまで』