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ナーシャ達を乗せた馬車が止まったのは、それからかなりの時間が経ってからだった。 馬車を下りてから空を見上げると、眩しく光を放つ太陽が、真上に差し掛かっていた。
時間を考えれば2時間ほど走りっぱなしだと考えられた。
着いた先は、大きくもなく小さくもない、貴族の別邸と考えられる邸だった。
傍してそこは、ルオン公爵家の別邸だった。
位置は10分ほど歩けば、隣の領地に行けるほど王都の端の端だと教えられた。
中では、ルオン公爵が待っていてくれた。そしてもう一人、試験官だったワグナイヤ子爵も居た。
「ナーシャ、無事に侯爵家を出てこれて歓迎する。ゆっくりとしたまえと言いたいところなのだが、少し状況が変わってしまった。想定内ではあったのだが、少々進行が早すぎてね。残念な事に、手続きを終えたら急いで出立してもらわなければならなくなったんだ」
ルオン公爵の説明は、ナーシャには全く理解できなかったが、養父でもある彼の言葉を、今のナーシャは抗うつもりはなかった。
それに、セリナと二人で生きていくつもりだったけれど、今はジェストが側にいてくれる。
彼と離れる事にならないのであれば、ルオン公爵の言うとおりにしようとナーシャは思っていた。
忙しなく机の上に置かれたのは、婚姻届けだった。
既にジェストの署名と見届け人として、ルオン公爵とワグナイヤ子爵の署名もされていた。
促されるまま、ナーシャが署名する。
“ナーシャ・ルオン”
昨日養女になったばかりなのに、最初で最後の署名だった。
署名を終えてホッとするのも束の間。
なだれ込むようにメイドや侍女が入ってきて、ナーシャは別室に連れて行かれた。
そこで、白いワンピースに着替えさせられ、腰までの長さのベールを掛けられた。
着替えに参加してなかったセリナに、小さなブーケを渡される。
「予定では、もっと先だったのです。こんなに小さくて申し訳ありません」
小さなブーケはセリナの手作りだった。
小さくても絶対に心が籠っているブーケに、ナーシャは嬉しくて小さなピンクの花に口づけた。
そしてまたもや、あれよあれよという間に連れて行かれたのは、別邸の敷地内に建てられた小さな教会で、ただ祈る為だけの祭壇も置かれていた。
そこには既に、ジェストも公爵も子爵も、そして見たことのない司祭がナーシャを待っていた。
ここまでくればナーシャにもこれが結婚式だと分かる。
心の準備など皆無だったが、慌ただしい中でそれでもナーシャは幸せに感じられた。
準備もリハーサルも無し、誓いの言葉も覚えていない。
付け焼き刃のような結婚式だったが、それでも見守ってくれている皆の目は優しかった。公爵も子爵もセリナも、着替えを手伝ってくれたメイドに侍女達。数人の男性使用人の顔も見える。
司祭の言葉を復唱して、誓いを立てたジェストとナーシャ。
ナーシャのベールを上げたジェストは、はじめにナーシャの頬を流れる涙を吸った。
そして、馬車の中とは違い、今度はナーシャの薄いピンクの唇に、そっと優しく口づけた。
結婚式が終わると先程の婚姻届に、司祭が結婚証明の教会印と署名をしてくれて、それを手にワグナイヤ子爵は直ぐに別邸を後にした。
ナーシャには何の説明もなく、そのままベールだけを外し、ナーシャとジェスト、そしてセリナはルオン公爵への挨拶もそこそこに、直ぐにここまできた馬車で出発する事になった。
「ナーシャ、スピードを限界まで上げるそうだから、話す事は出来ない。舌を噛んでしまうからね」
「何処に向かうの?」
「最終的にはデリス子爵領だ。今日の宿に着くまで、眠れるなら寝ていていいよ。セリナもそうするといい、昨夜から気を張っていただろう」
ジェストはそう言うと、ナーシャの頭を引き寄せて、自分の肩に置いてくれる。
セリナは、背を張ってはいるけれど、瞼は閉じていた。
それから、王国の辺境領の一つ手前に位置する、ジェストの生家デリス領に向けて馬車は出発した。
◇◇◇
宿に着いたと起こされるまで、ナーシャは眠っていたようだ。起きたときには、ナーシャの頭はジェストの膝にあった。
「ナーシャ、今日の宿に着いたよ。食事をしながら説明するから、それまでゆっくりと湯に浸かって着替えをするといい」
ジェストはまだ微睡んでいるナーシャを抱き上げて、そのまま部屋に連れて行ってくれた。
どうやら、部屋はセリナと二人部屋を取ってくれたらしい。
抱えられて馬車を下りたときは、まだぼんやりしていた頭は、部屋に着く頃にはしっかりと起きていた。窓の外は暗くなっていて、もう夜なのだと分かった。
「ねぇセリナ」
「はい、何でしょう」
ジェストに言われた通り、ナーシャは宿の湯に浸かりお湯を掬って肩に掛けながら、タオルを準備しているセリナに尋ねた。
「セリナも、今日の事知っていたの?」
ナーシャの質問に、セリナは少し考えるように首を傾げてから答えてくれた。
「そうですね、概ねの事は聞いておりましたが、こんなに急ぎではなかったです。暫くはあの別邸で過ごす事になっていたのです。ですから、こんなに急いで出発したのは何か理由があったのかもしれません」
セリナが聞いていたのは、ジェストが迎えに来る事と、オリジエル侯爵家に気付かれないうちに、急いで別邸に隠れ住む事。
1ヶ月ほど滞在して、結婚式を済ませてから子爵領に向かうという段取りだった。
ナーシャにそう告げると、ナーシャもお湯の中で首を傾げる。
ただナーシャにはそれ以上に、とても重大な事があった。
「ねぇセリナ」
「はい、何でしょうナーシャ様」
今度は小さな桶で、ナーシャの肩にお湯を掛けながらセリナが返事をする。
「私、ジェスト様と結婚しちゃったのね!」
そう言って照れて頬を染め、ブクブクと頭の先までお湯に浸かろうとするナーシャを、セリナは慌てて引き上げる。
ナーシャが流れる涙を誤魔化そうとしている事に、セリナはちゃんと気付いていた。
「おめでとうございます、ナーシャ様」
「うん、ありがとうセリナ」
ナーシャはセリナに祝福してもらえる事が、何よりも嬉しかった。
コメント
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おお、第19話、ついに結婚式ですね…! 慌ただしい流れの中で、それでもナーシャが「幸せだ」と感じているのが本当に切なくて、愛おしかったです。ジェストがベールを上げて涙を吸ったところ、そしてセリナの手作りブーケに口づけるナーシャの仕草が、もう、心にじんわりきました。運命の速さに戸惑いながらも、確かに幸せを掴んでいる感じが伝わってきます。続きがすごく気になります!