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傘を広げながら空を見上げると、灰色の雲が漂い、冷たい雨粒を落としていた。
梅雨はとっくに過ぎ、だんだん日差しもキツくなってきたけど、今日はこの雨のおかげで比較的過ごしやすい。
私は薄手のカーディガンを羽織り、保育園を出て歩きだした。
今日のシフトはお昼まで、雪都のお迎えまではまだ時間がある。
1度マンションに戻って用事を済ませなきゃ。
「彩葉」
その瞬間、雨の音が全部消えたみたいに、私の耳にあの美しい声が流れ込んできた。
「……えっ?」
その人は、少し離れた場所に車を止め、その前で傘をさして立っていた。
それは、まさしくこの前保育園に現れた男性だった。
周りの何気ない景色さえも全て自分の背景として取り込み、まるでその場所だけが海外のオシャレな映画のワンシーンのように見えた。
日常から遠くかけ離れたその光景。
私の中に、息ができないくらいの感情が一気に湧き上がった。
その人が1歩ずつこちらに近づいてくる間、私の心臓はどんどん高鳴り、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
「彩葉……やっと会えた」
間違いない、この人は私がずっと想い続けている九条さん。
そして、九条さんが言ったその一言は、この世の中で1番短く、1番美しく、1番嬉しい「詩」(うた)のようだった。
私の全身は嘘みたいに熱くなって、鼓動がさらに激しく脈打った。
立っていることがやっとなくらいで、傘を持つ手は九条さんに会った瞬間からずっと震えてる。
「どうして……? なぜここに?」
絞り出すように疑問をぶつけた。
「君に会いたかったから」
「えっ……」
「真斗を迎えに行った時、奥の方にいたのは彩葉だってすぐにわかった。だから……会いにきた」
「そんな……」
気付くはずないって思ってたのに。
それに「会いにきた」なんて……
私なんかにわざわざ会いにきてくれたっていうの?
私のこと、この3年間、ずっと忘れずにいてくれたの?
「雨に濡れたら風邪を引く。車で送るよ」
九条さん……
その優しいセリフにキュンとなる。
「あっ、いえ、大丈夫です。マンションまで近いですし、傘もありますから」
「少し話したいんだ。大切なことだから」
真剣な表情。
潤んだ瞳で真っ直ぐ私を見つめる九条さん。
ズルいよ、こんな切なげで憂いを帯びた顔をされたら断れなくなる。
「さあ、行こう」
確かにここで話してて誰かに見られるのも嫌だし、私は九条さんに言われるがままに車の助手席に座った。
シートに座るまで、雨に濡れないように傘をさしてガードしてくれるところ、紳士的で優しい。
運転席に乗り込んだ九条さんのスーツのジャケットには雨で濡れた跡が……
さらに足元に目をやると、上着よりもスラックスの裾の方がかなり濡れていた。
まさか、車から出て雨の中をずっと待っていてくれたの?
「突然悪かったな」
私は、首を横に振った。
「あ、あの……ま、真斗君はずいぶん九条さんに懐いてますね。真斗君、すごく嬉しそうにしてましたから」
いきなり何を言ってるんだろ?
隣に九条さんがいるせいで動揺が治まらない。