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書生の借金を返すべく奔走した数日後、吾輩は思い悩んでいた。いや、悩んでいると言えば聞こえは良いが、実のところ、吾輩の日常は怠惰の極みにあった。小汚い座布団に丸くなり、昼は窓辺で人間どもの喧騒を観察しながら日向ぼっこに耽り、夜は書斎の隅に転がる残飯をむしゃむしゃと貪り、再度座布団に戻って眠る。この繰り返しである。哲学者ならばこれを「思索の日々」と呼ぶかもしれぬが、猫の思索とは、魚の骨の味を反芻する程度のものだ。吾輩は思う。人生とは、かくも無為に流れゆくものか。借金返済の志は胸に宿れど、肉体は座布団の誘惑に抗えぬ。人間とは奇妙な生き物だ。彼らは金を追い求め、汗を流し、互いに騙し合う。吾輩が芸を披露し、物を売ろうとした試みは、子供の嘲笑と商人の冷笑によって潰えた。人間の欲とは、猫の爪では掴めぬ蜃気楼の如し。だが、吾輩は猫である。猫の誇りにかけて、書生の借金を返さねばならぬ。書生とは、貧乏臭いながらも吾輩に飯を分け与えた男だ。その恩を忘れ、自由を謳歌するなど、猫の道に反する。
窓辺に寝そべり、市場の喧騒を眺める。魚屋の親爺が大声で客を呼び、子供が石を蹴って遊び、女が籠を提げて値切り合う。人間の生活は、かくも雑多で無意味だ。ふと、吾輩の脳裏に一つの記憶が蘇る。先日、路地裏で拾った小銭を書生に渡した時のことだ。彼は一銭硬貨を手に、「酒の一杯にもならん」と呟きつつ、僅かに口元を緩めた。あの顔! あの微かな喜びの表情こそ、吾輩の努力が報われた証ではなかったか。吾輩は閃く。落ちている金を拾えばよいのだ。人間は金を落とし、猫はそれを拾う。これぞ天啓、猫の経済学の極意なり!
吾輩は書斎を飛び出し、街へと繰り出す。意気揚々と路地を進むが、ふと立ち止まる。金とは何か? 吾輩は人間が金を使う姿を見たことはある。キラキラ光る硬貨、紙切れを手に、魚や酒を手に入れる。だが、硬貨と枯葉、紙切れと雑誌の切れ端の違いが、吾輩の猫脳には曖昧模糊たるものだ。まあ、細かいことは後で考えよう。価値あるものを拾い、書生に届ければよい。吾輩は鼻を地面に近づけ、探索を開始する。
まず、路地裏で光る石を見つける。これは高価な宝石に違いない。吾輩は石を咥え、書斎に持ち帰る。書生は机に突っ伏し、酒瓶を握りしめている。吾輩は石を彼の膝に落とす。彼は目をこすり、「また何か拾ってきたのか」と顔を上げる。が、石を見て眉をひそめる。「ただの石ころじゃないか! こんなもので借金が返せるか!」と怒鳴る。失敬な! 吾輩の審美眼を疑うとは、人間とは何と愚かな生き物か。宝石と石ころの違いなど、猫には些末な問題だ。
気を取り直し、市場へ向かう。今度はキラリと光る硬貨のようなものを見つける。よし、これぞ金だ! 吾輩はそれを咥え、書斎に急ぐ。書生はまだ不機嫌な顔で、「今度はなんだ」と硬貨を手に取る。が、彼は顔をしかめ、「これ、菓子屋の包み紙の破片だぞ!」と投げ捨てる。包み紙? 硬貨と何が違う? 吾輩は首を傾げる。人間の金とは、かくも複雑怪奇なものか。吾輩の純粋な心は、紙と金の区別に惑わされぬ。価値とは、心が決めるものではないのか?
さらに、川沿いで紙切れを見つける。これは人間が大事そうに握る「紙幣」に違いない。吾輩は紙切れを咥え、ずぶ濡れになりながら書斎に戻る。書生は呆れ顔で紙切れを手に取り、「新聞の切れ端だ! お前、いい加減にしろ!」と怒鳴る。新聞? 紙幣? 吾輩には同じ紙だ。書生の怒りは理解不能だ。吾輩は思う。人間とは、価値を形式に縛られる哀れな生き物だ。猫の自由な魂は、紙の種類に惑わされぬ。全ては宝、全ては無価値。人生とは、かくも矛盾に満ちたものか。
吾輩は座布団に丸くなり、哲学に耽る。書生の借金は未だ返せず、吾輩の努力はゴミの山を増やしただけだ。だが、吾輩は諦めぬ。猫の誇りにかけて、金を拾う策を続けるのだ。人間の金が枯葉や紙切れと変わらぬなら、吾輩は全てを拾い、書生に差し出そう。いつか、彼の顔に再び喜びの色が浮かぶ日が来るはずだ。吾輩は目を閉じ、夢の世界へ旅立つ。夢では、吾輩は金の山に寝そべり、書生が魚を捧げる。なんと滑稽な夢か。人間とは、猫とは、かくも馬鹿馬鹿しい存在だ。