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「いや。実際そうなんだけどさ。……その、連絡もなしに長いこと待たせちまってたからお前、てっきり怒ってるかと思ってたんだよ。……迎えに行くから待っとけとか誘ったくせに放置とか……ホントすまん」
すぐさまそう付け加えた信武に、日和美は「サインに添えられていたメッセージがなかったら……怒ってたかもしれません」と吐息を落とす。
「あれはズルいです……。あんなんされたら怒れません」
昼過ぎに別れたのに、結局仕事を終えた信武が日和美を迎えに来られたのは二十時を過ぎてからだった。
やるべきことを早く終わらせることに全神経を集中した結果、信武は茉莉奈を家から追い出すまで日和美に何の連絡も出来ていなかったのだ。
実際、執筆作業に集中し過ぎていて、そんなに時間が経っていたことにも、原稿を上げるまで気付けなかった信武だ。
アパート廊下には住人共有の外灯が灯っていたし、日和美の部屋のなかも明るい。
辺りはすっかり暗くなっていたけれど、お互いの顔が見えない不便さはないのだけれど。
日和美がまるで表情を見られたくないみたいに顔を伏せ気味にしてポツンと「怒れません」とかつぶやくから。
信武は色々な思いと葛藤しながらも、自分を信じてくれようとしている彼女のことが、愛しくて堪らなくなる。
「あれは、紛れもなく俺の本心だ。お前、きっといま色々思ってるだろうけどさ。……信じてくれて構わねぇから」
感極まった信武は日和美をギュッと腕の中に抱き締めて。
「俺、絶対お前を納得させっから」
吐息を落とすみたいにそう吐き捨てた声は、
「し、のぶさっ、苦し……っ」
信武の胸元でくぐもった声を上げてじたばたしている日和美には、聞こえなかったかも知れない。
だけど、信武はそんなことは些末なことだと思ってしまった。
***
徒歩一〇分圏内の滅茶苦茶近い距離なのに、はやる気持ちが抑えられなくて、日和美のことを車で迎えに来てしまった信武だ。
「とりあえず乗れよ」
「は、はいっ。お邪魔します……。って、あ、あのっ、信武さんっ。く、靴はっ。靴は脱いだ方がいいですか?」
アパート下に停めていた黒のSUV車の助手席ドアを開けて日和美を車内へ誘ったら、シートへ中途半端に腰かけた状態で泣きそうな顔をした彼女から、困惑顔で見上げられてしまった。
それもそのはず。
信武の愛車は国産車の中ではそこそこに高級車に分類される、トミタ自動車レクアスの新車だったから。
基本的にあまり車でどうこうすることはない信武だったが、別に運転が苦手なわけでも車を所持していなかったわけでもない。
ただ、仕事に追われてなかなか乗る機会がなかっただけ。
前の車の車検を機にこの車へ乗り替えて三ヶ月ちょい。
考えてみれば、助手席に人を座らせたのは今回が初めてだった。
「そのままで構わねぇよ」
新車特有の香りに怯えたのか、小動物みたいに瞳を揺らせる挙動不審な日和美のさまが可愛すぎて、つい口の端に笑みが浮かんでしまう。
仕事で茉莉奈と移動するときには彼女が手配した車に乗ってばかりだったし、本当にその必要がなかっただけなのだが、今日隣に日和美を乗せることになって、彼女が初めてで良かったとしみじみ実感しまくってしまった信武だ。
そうして思った。
ここに座らせるのは、今後もずっと日和美だけにしよう、と。
***
「おっ、お邪魔、しまっ……」
「バーカ。そんなに緊張すんなよ。俺まで息が詰まるだろーが」
自宅マンションの玄関先。
真新しい客用スリッパを出しながらククッと喉を鳴らしたら、日和美に泣きそうな顔でキッと睨まれてしまった。
「さ、さっきからあんなっ。私、生粋の庶民なんですっ。きっ、緊張しないでいるのとか、無理に決まってるじゃないですかっ!」
「生粋の庶民って……」
日和美の言動がいちいちツボに入って、信武は思わず笑ってしまった。
彼女を迎えに行くまではずっと。
今から日和美にあれこれの真実をどう話すべきか思い悩んで胃が痛くなりそうだったのだが、今は不思議と穏やかな気持ちになれている。
(ホント、不思議な女だ)
車に乗せた時にも、この辺りでは高級な部類に入る低層マンションの五階――最上階住戸に招き入れた時にも、日和美は同じように息を呑んで目を白黒させてから、恐る恐る信武の反応を窺うように「お邪魔します」と言った。
信武の住んでいるマンションは、エレベーターを降りるなり部屋のなかと言う構造ではないものの、最上階は信武が住んでいるこの部屋しかないから、基本的には信武に用がない人間は上がってこない。
エレベーターを降りるとすぐ、ペントハウスのためだけのタイル敷きの玄関ポーチがあって、その先の玄関扉を抜けてすぐの土間にはシューズクロークと、自転車などが仕舞える広めの物入がある。
信武は自転車は利用していないので、物入にあまり物は入っていないのだが、コートなどは数着そこへ掛けるようにしていたし、使うあてがなくなってしまったけれど、愛犬ルティシアの散歩道具もそこへ入れてあった。
廊下を抜けた先には六畳相当の洋室が三つと、浴室と洗面所、バルコニーが二か所。
それらに囲まれる形でど真ん中に十五畳のリビングダイニングといった間取り。
一人で住むには広すぎるこの住居は、小ぢんまりしたアパート住まいの日和美の目に、さぞや贅沢に映っただろう。
まぁ、信武が日和美の立場でも、ヒモみたいな生活態度ばかり見せていた相手が、いきなりこんな……金に困っていなさそうなものを見せてきたら戸惑うと思う。
そう。自分自身思っているのだ。
このマンションが身分不相応だということは。
実はここ、父――立神信真の資産のひとつで、信武がここに住まわされているのは、ある意味親から首輪を付けられているようなものだ。
もちろんそこそこに名の売れた作家になってからは家賃などもちゃんと払っているのだけれど、それにしたって親の手のひらの上で踊らされていると言う気持ちは拭えない。
信武が何だかんだ理由を付けて日和美の家に入り浸っていたのは、そういう理由もあった。
***
「茶でいいか?」
「あ、はい」
リビングダイニングに日和美を通して半島型キッチンに立った信武は、日和美をキッチン前に二つ並べ置かれたスツールのひとつに座らせた。
キッチンに対面するような形でカウンターになっているそこへ腰かけて貰えば、作業をしながらでも日和美の顔が真正面から見られる。
「あ、あのっ、信武さん。お茶なら私が……」
日和美ならそう言うだろうことは想定の範囲内。
キッチンを回り込んで信武の方へ近付いてきた日和美に、
「だったらどれがいいか選んでくんね?」
そう言いおいて、信武はわざと先日入手したばかりの贈答品『京都緑茶飲みくらべセット』をカウンターの上へ置いた。
先日日和美に萌風もふの『ユラユラたゆたう夏祭り〜金魚すくいですくったふわふわドS王子様からの濡れ濡れな溺愛が止まりません!〜』(通称『ゆらたう』)の初版本をプレゼントした信武だったが、実はそれを〝萌風〟から受け取った際、袋の中には本以外のものも沢山入っていた。
その中のひとつがコレ――『京都緑茶飲みくらべセット』だった。
「わぁー。信武さんもコレ、持ってらしたんですね。実は私も先日萌風もふ先生にファンレターと一緒に……」
そこまで言ってハッとしたように信武を見詰めると、「もしかして」と瞳を揺らせた日和美だ。
信武は、まさにこの瞬間を待っていた。
萌風と自分に接点があることは、日和美にも知られている。
日和美が萌風に贈ったはずのこれが信武の住居にあることを見せたいがために、日和美をアパートからマンションへ連れ出す必要があったのだ。
「お前が喫茶店で俺と萌風を見かけたって日があっただろ。そいつはあの日に渡された物だ」
日和美に渡した紙袋の中に、『ゆらたう』の初版本と一緒に入れられていた中のひとつだよと付け加えたら、日和美が泣きそうな顔になる。
「……萌風先生はプレゼントとか送り付けられて……ご迷惑だったってことでしょうか」
涙目になりながらポツンとつぶやかれた言葉に、「んなわけねぇだろ」と信武が即答して。
日和美は「何で信武さんにそんなことが分かるんですかっ」と、お門違いだと分かっていながらも、噛みつかずにはいられない。
「は? んなの俺が喜んでるからに決まってんだろ」
ギュッと泣き顔の日和美を腕の中に抱き締めて、信武は彼女が疑問を挟み込む余地を与えずに畳み掛ける。
「お前からのファンレターもプレゼントも、全部全部俺にとっちゃあ最高の品々ばっかだった。迷惑なモンなんてひとつもなかったよ」
「え……? 私……信武さんにファンレターなんて」
日和美はまだ〝立神信武先生〟にファンレターを書いたことはない。
日和美がそれらを宛てた相手は萌風もふ先生だ。
そう言おうとした日和美に、信武が溜め息まじりに小さく舌打ちをして。
「なぁ、……まだ分かんねぇの? 俺が! お前が愛してやまない萌風もふなんだけど」
吐き捨てるようにそう言ったら、信武の腕の中で日和美が明らかに硬直したのが分かった。
「立神信武の裏ペンネーム。それが萌風もふだ」
日和美を抱く腕をそっと緩めると、信武は日和美の顔を覗き込んだ。
***
信武に真正面から顔を覗き込まれた日和美は、頭の中がパニック状態。
「えっ。でも萌風もふ先生は女性で……。し、信武さんの編集さんじゃぁ……?」
昼間信武のサイン会の時、信武の後ろで彼の世話を甲斐甲斐しく焼いていた担当編集者は、髪型や服装の雰囲気こそ違えど、日和美が先日信武と喫茶店でお茶をしていたところを目撃した相手――萌風もふ先生に他ならなかった。
公私共に(?)親密げに見える二人を見たからこそ、自分はショックを受けたのだ。
なのに、信武が萌風先生とはどういう意味だろう?
理解できないままに呆然と信武を見詰めたら、信武が何とも言えない顔をして笑った。
「あいつは萌風もふの影武者だ。……だって恥ずかしいだろ!? 男の俺がティーンズラブで萌えキュンなの書いてるとか」
視線を逸らせるようにした信武の耳が真っ赤になっているのを見逃さなかった日和美だ。
「立神信武は……官能作家だって異名もあるんだぞ?」
そっぽを向いたままポツンと落とされたセリフに、日和美は先日読んだ『ある茶葉店店主の淫らな劣情』や『誘いかける蜜口』の本文を思い出した。
確かにあれを書いている立神信武先生と、女性向けTLを書いている萌風もふ先生が同一人物だと言われたら、違和感しかない。
(文体だって全然違ったのに)
そのくせ、何故かとても読みやすくて懐かしいと感じたのもまた事実。
そこでふと、Webpediaに書かれていた、「立神信武は作品によってまるで別人が書いたみたいに筆致が変わる作家として有名」だという文言を思い出した日和美だ。
鷹槻れん

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#シングルマザー
水羽凛
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鷹槻れん

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#大人の恋
月詠 涼
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コメント
2件
あれこれつながっていく感じが見事!
うわあ、ついに来たね……!信武が萌風もふもふだって告白するシーン、めっちゃドキドキしながら読んだよ。日和美が混乱してるのも分かるし、「恥ずかしいだろ!」って赤くなった信武の表情が脳裏に浮かんでニヤけちゃった。あの「お前が愛してやまない萌風もふもふなんだけど」って台詞、重すぎて最高すぎてやばいよ🥀💕