テラーノベル
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葬儀の日は、空がやけに澄んでいた。
冬の終わりと春の境目みたいな、冷たいのにやわらかい光。
まるで、みことの体温を思い出させるような空気だった。
棺の中で眠るみことは、静かで、穏やかだった。
すちは、ずっと傍を離れなかった。
花を手向ける人たちの声も、僧侶の読経も、どこか遠くで鳴っているみたいで、現実味がなかった。
「……みこと」
心の中で何度も呼ぶ。
返事が返ってくる気がして、つい耳を澄ましてしまう。
――当然、何も返ってこない。
その事実だけが、胸にじわじわと沁みていった。
棺が閉じられる瞬間、すちは、そっと額に触れた。
もう冷たい額。
それでも、記憶の中では、いつも温かかった。
「……ありがとう」
「……俺の居場所でいてくれて」
声は震えなかった。
涙は、もう、出なかった。
出し切ってしまったみたいだった。
部屋に戻ると、空気が広すぎた。
音が、ない。
みことの足音も、声も、笑い声も、もうない。
すちは、自然と、あの日記を開いていた。
ページをめくる。
『すちの声がすると安心する』
『今日も大好きって言えた』
『忘れたくない』
『こわい』
拙い文字。 滲んだインク。 何度も書き直した跡。
そこには、必死に“生きよう”としていた、みことの時間が詰まっていた。
『いままでありがとう』
『すちのことが大好きだよ』
『忘れないで』
すちは、静かにページを閉じた。
「……忘れない」
声に出して、そう言った。
それからの日々は、ゆっくりと流れた。
朝起きても、隣は空いている。
食事を作っても、二人分はいらない。
洗濯物も、半分になった。
何もかもが、少しずつ、“一人用”になっていく。
それが何よりも、つらかった。
それでもすちは、ちゃんと生活を続けた。
みことが好きだったマグカップでコーヒーを飲み、
みことがよく座っていた場所で本を読み、
みことの好きだった音楽を、静かに流す。
消すんじゃなくて、残す。
それが、すちの選んだ“生き方”だった。
ある日、すちは、公園のベンチに座っていた。
春の風が、やさしく吹く。
ふと、隣に誰かが座った気がした。
錯覚だとわかっていても、すちは、思わず横を見る。
もちろん、誰もいない。
それでも、胸の奥が、少しだけあたたかくなった。
「……今さ、桜、咲いてるよ」
「……みこと、好きだったよね」
返事はない。
けれど、不思議と、寂しさだけじゃなかった。
夜、ベッドに横になり、目を閉じる。
みことの声を思い出す。 笑い方を思い出す。 手の温度を思い出す。
記憶は、ちゃんと、ここに残っている。
忘れない。
忘れさせない。
それが、すちの、静かな誓いだった。
夢の中で、みことが笑っていた。
昔と同じ顔で、同じ声で。
「……すち」
名前を呼ばれる。
胸が、ぎゅっと締めつけられて、それでも、幸せだった。
「……大好きだよ」
「うん、忘れないよ。愛してる」
手を伸ばした瞬間、夢はほどける。
目を覚ますと、朝の光。
涙が頬を伝っていた。
けれど、すちは、微笑んでいた。
愛は、失われない。
形を変えて、記憶の中で、生き続ける。
みことが忘れてしまった時間も、
二人で過ごした温度も、
交わした言葉も、
すちの中で、ずっと、生きている。
コメント
5件
完結…! とても好きなお話でした!とても切なくて…😭😭 「忘れないで」は翠くんも黄くんもお互いに言っている感じ…?愛も忘れないよ、みたいなことかな…本当にすごく大好きです!
完結、、、ですか?? 「忘れないで」って黄ちゃんの翠っちー記憶の話かと思ってたけど、黄ちゃんからの「俺を忘れないでね」ってメッセージにも感じました!切ないけど毎度主さんの小説の雰囲気がめちゃ好きです!