テラーノベル
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あれから、七年が経った。
季節の巡り方を、すちはもう数えなくなっていた。
桜が咲いて、散って、また咲く。
その繰り返しの中に、みことのいない時間が、静かに積み重なっていった。
部屋は、少しだけ変わった。
家具の配置は変えたけれど、窓際の小さな棚だけは、そのまま残している。
みことがよく座って、日向ぼっこをしていた場所。
棚の上には、今も写真立てと、あのノートが置いてある。
――みことの日記。
すちは、今でも、時々それを開く。
滲んだ文字を指でなぞりながら、声に出さずに読む。
『すちが大好き』
『今日も手、あったかかった』
『忘れたくない』
胸の奥が、きゅっと締まる。
でも、もう、泣かなくなった。
代わりに、ちゃんと、微笑めるようになった。
すちは、小さな福祉施設で働いている。
認知症の人たちと関わる仕事だ。
最初は、怖かった。
みことと重なる顔、仕草、言葉。
心が耐えられるか、わからなかった。
それでも、ある日、ふと思った。
“みことが教えてくれた時間を、無駄にしたくない”
忘れる怖さ。
わからなくなる不安。
それでも、誰かの手の温度に救われること。
すちは、それを知っている。
だから、ゆっくり話す。
同じ説明を、何度でもする。
名前を呼ばれなくても、笑顔で応える。
「大丈夫ですよ」
「ちゃんと、ここにいますから」
それは、かつて、みことに何度も言った言葉だった。
ある日の午後。
施設の庭で、ひとりの高齢の利用者が、空を見上げていた。
「……だれか……待ってる気がするんだけどね……」
「名前、思い出せないの」
すちは、隣に腰を下ろす。
「それでも、待ってたいって思えるなら」 「きっと、大事な人なんでしょうね」
その人は、少し笑った。
「……そうかもしれないね」
その笑顔に、一瞬、みことの面影が重なる。
胸が、ほんのり痛んで、でも、あたたかかった。
仕事帰り。
すちは、いつもの公園に寄る。
七年前、ひとりで桜を見上げた、あの場所。
ベンチに座り、空を見上げる。
「……今年も咲いたね」
もちろん、返事はない。
それでも、風が吹いて、花びらがひとひら、すちの肩に落ちた。
まるで、触れられたみたいに。
すちは、小さく笑う。
「……相変わらず、いたずら好きだね」
部屋に戻り、写真立ての前に座る。
少し色褪せた、二人の笑顔。
すちは、静かに語りかける。
「……今日さ、利用者さんに言われた」 「待ってる人がいる気がするって」
少し間を置いて。
「……俺は、今も、待ってるのかもしれない」
「会える日まで」
それは、悲しみじゃなくて、希望に近い感情だった。
布団に入る前、すちは、日記を一度だけ開く。
最後のページ。
『忘れないで』
すちは、指でなぞって、静かに呟く。
「忘れてない」
「一日も」
電気を消して、目を閉じる。
胸の奥にあるのは、痛みじゃない。
“一緒に生きた時間”の、確かな温度だった。
きっと、いつか。
また会える。
名前を呼び合えなくても。
記憶がなくても。
それでも、きっと――
同じ温度で、また、恋をする。
そんな予感を胸に、すちは今日も静かに眠りについた。
__𝐹𝑖𝑛.
コメント
3件

泣きました、感動しました。 切ないけど良い話…
おぉ、、、、ちゃんと立ち直って福祉施設で働いてるのか、、、今でも👑くんのことを大事に思っているのがわかって胸が暖かくなりました、、!
本当に最高でした