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千鉱…縁切りの神様
淵天…縁切りの刀にして千鉱の愛刀
昼彦…良くない縁を呼び易い人間
国重…縁結びの神様
賽銭箱の前で一心に祈る女性には黒い系が解けないように幾重にも絡んでおり、その華奢な身体を締め上げていた。他にも綺麗な白い糸や赤い糸も巻かれていたが、どす黒い糸のせいで殆どが隠れてしまっている。
すっ。
しかし千鉱が刀を軽く振うと黒い糸だけが切れて解けて消えていく。糸や千鉱の姿は見えなくとも何か感じたのか、女性はふいに顔を上げて参拝前より明るくなった表情で辺りを見回して、ほっとしたように胸を撫で下しながら帰って行った。
これで彼女は悪縁から離れられたはずだ。
一つ息を吐いて、袴に差した鞘に縁切りの刀を納めた。
縁切り神社であるここ『六平千神社』には悪縁に悩むに人物がよく訪れる。そういった人物には黒い糸が絡まっており、たちが悪いものは量が多く色も深い。
その悪縁の黒い糸を斬ることが千鉱の神としての役目だった。というか、元は縁の神から派生した千鉱は縁切りだけに特化しておりそれ以外の権能はない。今までに切れなかった悪縁はないが辺鄙な場所に神社があり、社も質素な佇まいであるせいかそうそう参拝者はいない。
社の屋根から鴉が飛び立ち、夕日が境内を赤く照らしている。もう本日は参拝はないか、そう思った矢先に階段を駆け登る音と荒い息遣いが響いた。
「来るな!」
「待てぇえ」
戸惑った少年の声が聞こえた。それに対する粘度がある男の声もする。黒い糸の気配を感じて、声の先に駆けつけながら刀の濃口を切った。
鳥居をくぐってきたのは薄桃色の長い髪の少年と大柄な男だった。少年は男から逃げているようでその秀麗な顔を引き攣らせている。男から伸びるどす黒い糸は太く、一目で悪縁と分かる。
「助けてっ…!」
その祈りに応えて一刀振り抜くと黒い糸はプツンと容易く切れた。心の大部分を占めていた執着が突如失われたせいか、呻いて気絶した男の先に呆然としている少年が見える。
一安心と息を吐いたが気のせいか、少年の丸い瞳孔と目が合っている気がする。いや、神の自分を見ることができる者は滅多にいないはずーー
「え…浮いてる…まさか、かみさま…?」
「…見えるのか」
キン、と刀を納めると気が抜けたように少年が倒れ込んだ。
「かみさまって本当にいるんだ……ありがとう助かったよ!」
「軽いなお前…」
神として偉ぶるつもりは千鉱にはないがあまりに気安い物言いに少し呆れた。さっきまでは怯えて逃げ回っていたのに、今は好奇心で丸い瞳を輝かせているのも呆れの度合いに拍車を掛ける。
「だって浮いてるのと帯刀してるのを除いたら同い年にしか見えないんだもん。かみさまに年齢ってあるの?名前とかは?」
「本当に気安いな…名は千鉱。生き物のように年齢はない。ところで、先程の男は知り合いか」
近頃では見ないほど黒く太い糸が気になり尋ねると、彼はやっと眉を顰めた。
「知り合いなんかじゃない。ストーカーだよ。結構あるんだよね…女でもないのに。嫌になる」
「…そうか。やはり」
「なに?」
切り替えが早いのかキョトンとした表情にはもう暗さがなかった。そのために伝えてしまうか迷ったが、手遅れになる前に告げる。
彼の身体に異様なほどの数の灰色の糸が巻き付いていたからだ。
「黒い糸はもうなくなったが、お前に『何百人』もの灰色の糸が巻き付いている。放っておくと大量の悪縁になるかもしれない…お前何者だ?」
灰色の糸は些細なキッカケがあれば黒い糸に染まるが害のない色の糸に戻ることもある。恋愛の行き過ぎた想いを抱えられていたり、盲信を抱かれている人物に紐付くことが多いが、これほどの数は見たことがなかった。
「…マジ?」
「まじ、だ」
下界に疎い千鉱もこれ位の若者言葉は知っている。本人にバレないように得意気は隠したが、もし彼の父神がここに居たら『それもう若者言葉ってくらいの新しい言葉じゃないかもだなぁ、今の最新は「マ」?だよ!ガハハ』と突っ込んでくれたかもしれない。
あー、と乱暴に薄桃の髪を掻きむしる手がぴたりと止まると、乱れずに元の絹糸のような流れに戻るのが不思議で一瞬気を取られた。
「なるほど…えっと俺、昼彦って言うんだけど知らないよね。アイドルやってます、炎上中だけど」
「!」
「うわー!やっぱりヤバいんだ俺の状況!ねぇ!!助けてよ神様ぁ!」
がっ、と腕を掴まれて揺さぶられる不敬の前に、相手の職業への得心が言った。アイドルくらいはわかるが同時に疑問も一つある。
「炎上って…火事に遭ったのか?」
***
炎上の意味は聞いた。色々種類はあるようだが今回の場合は、どうやらうかつな発言をして応援してくれていたファンが『反転あんち』という真逆の存在になってしまったらしい。
ちなみに原因の発言を聞いてみると「好きな人ができたから近いうちアイドル辞めます!きゃは」と言ったとのこと。他者を好きになるのは年頃を考えれば自然だと思うが有名人というのは厄介な境遇らしい。
そんな炎上中の昼彦はなぜか今、千鉱の神社の境内の掃き掃除をしている。辺りを見回っていた千鉱が戻ると輝く笑顔を向けて手を振ってきた。そして境内の裏側に勝手に貼った大きなテントに戻っていく。朝餉でも取るのかもしれない。
どうしてこんなことに。その一言に尽きる。
今まで千鉱は参拝に訪れる者の悩みを聞き黒い糸を切ってきた。基本的には黒い糸ばかり切るが、悩みの内容によっては灰色の糸や他の色の糸を切ることもある。今回昼彦に助けを求められた時も灰色の糸の説明をして望むなら切ることを提案したが、本人が「まだファンに戻る可能性もあるってことだろ!人気商売だから残して欲しい!」と拒んだ。
確かに糸を切ると糸を伸ばしている人物からの興味や関心が失われる。昨夜あれだけ昼彦に執心して追いかけていた男も気絶から目を覚ましたら首をひねりながら帰っていったのが証拠だ。
それならば頑張ってファンを宥めるか、ほとぼりが冷めるまでしばらく大人しくしておけと助言をして帰そうとすると、またもやガシッと肩を掴まれた。
「でも怖いものは怖いし、さっきみたいに悪縁になっちゃった奴だけ千鉱に斬って欲しい!だから俺ここに通うね!ちょうど自粛してて暇だし。
代わりにこの寂しい神社の巫女さん兼、千鉱の友達になってあげる」
「男は巫女じゃなく禰宜…いや友って、それより待て!いらない!」
「まあまあまあ」
と押し切られて仮拠点のテントまで建てられてしまった。どこまで本気だ、と疑っていたが最近はもう諦めている。
流石に一日中いるわけではないが朝早いうちから参拝し、境内の掃除を済ませて打ち水もしてくれる。専属の宮大工などいないこの神社の傷んだ社の補修すら少しずつやってくれていた。参拝者が階段を登る気配がすると、社の後ろの見えない位置に構えたテントに篭り、参拝と縁切りが終われば出てきて千鉱相手にまた好き勝手しゃべり始める。
「今日は4人かな。ここ辺鄙だけど結構縁切りを求める人は多いんだね。千鉱やっぱりすごいな。来る人みんな行きよりも帰りの方が足音が軽いよ」
「辺鄙は余計だ」
いつものように素っ気なく返しつつも、無意識に手が刀の柄をなぞった。真正面から褒められることは父神とその父神の友神以外からはない。
ましてや『友』と呼べる存在を持った経験もなかった。
父神に大事にされてきた上に神としての務めを果たすべく離れても繋がりを感じ取れるため寂しさは感じたことがなく、大抵人間には認識できない存在のために言葉を交わすことすら久しかった。人間であることと本人の軽さも相まって昼彦の言う『友達』にはまだ違和感があるが、少し悪くない心持ちになることも事実だった。
いつか昼彦の灰色の糸の問題が解決したり、本人がいなくなったときは寂しさを覚えるかもしれない。そんなことを思う程度には慣れてしまったのだろう。
こうして日常が少し明るく騒がしくなって少し。
ーーー腐臭すら感じるどす黒い糸を持つ人間が参拝してきた。それも、何人も。
***
「千鉱大丈夫?…最近の参拝者ってもしかしておかしい?今日は20人もいたかな。明らかに増えてるのに皆足取りがすごく重そうだし…縁切りした後の千鉱すごく疲れているように見えるよ」
震える手で刀を納めると昼彦が慌てて駆け寄り心配したように声をかけてきた。
「…う」
「千鉱!」
ついに浮いてもいられずに地面に倒れ伏してしまう。昼彦に抱え込まれたが拒むこともできない。ただそっと顔を撫でるように当たった桃色の長髪の先がくすぐったかった。
「…異常だ。あれほどの黒い糸は見たことがない。あんな糸を伸ばせるのは人間なのか…?」
最近はおぞましい気配を放つ黒い糸にがんじがらめにされた参拝者ばかりが訪れる。信じられないほど硬く太い糸は一刀では切れず何度も裂帛の気合いを込めてやっとギリギリで断ち切れるほどだ。それが日に何度も訪れて千鉱の力を削っていく。さらには糸を切った後の人間はフラフラと人形のような表情のまま境内から去るのみで、黒い糸の影響を完全に除けているのかが分からない。
千鉱にできるのは縁を切るだけで、心を癒すことはできない。父神のように「良縁を結ぶ」縁結びの力があれば、また違っただろうが。
「…確証はないけど心当たりがあるかもしれない」
「なんだと」
昼彦がいつもの軽薄な表情を消してためらいがちに続けた。
「この近くに『毘灼』っていう新興宗教の支部ができたんだって。マネージャーからくれぐれ関わらないようにって以前教えてもらった。
イカれた連中で、確か信者は指や手の甲にわざと火傷をすることで入信の証にするらしい。
ここ最近来ている人達のことを隠れて見てたけど、手の肌が変色している人が多かった気がする。あれって火傷じゃないかな」
「毘灼…」
ここに悪縁の縁切りに訪れる者は様々な悩みを抱えている。別れても執念深く追ってくる元恋人や、職場での理不尽な扱い、尋常でない様子の近所の者から遠ざかりたい人など多岐にわたる。そして中には行き過ぎた宗教や団体からの拘束から逃れたい人達もいた。ここ最近斬っていたどす黒い悪縁の持ち主はあまりにも穢れがひどくて悩み事の内容を察することができなかったが、なるほど、悪意ある新興宗教による洗脳状態にあったというなら納得がついた。
まだその団体が原因と決まったわけではないが、元を断たなければ近いうちに千鉱の手に溢れてしまうのも事実だ。
「可能性があるなら当たってみよう。昼彦、しばらくここは留守にする。お前も自宅に戻れ」
「え、千鉱ってこの神社の外に出られるのか?」
「ああ。暫しの間なら」
「へぇ。すごい。御神体の近くでないと姿を保てないのかと思ってた」
「…くわしいな?」
ふと、違和感を感じた。巫女などの知識はないくせに御神体などは知っているものだろうか。
「え?いや、ゲームでよくある設定だよ。帰ってきたら持ってくるね!千鉱もやってみたら」
「げーむ…なるほど」
昼彦の明るさに拍子が抜けたが、疲れも少し軽くなった気がする。
気をつけて、と千鉱を案じながら神社を去る昼彦を見送ってから神社を閉ざす。見た目には変化はないが、千鉱が留守の間に参拝者や神社での盗みを働く者が入らないように、只人には認識されない空間とした。
刀を抜き、刀身を指でなぞると連日の悪縁切りで溜まってしまった曇りが飛んだ。消耗した力は戻っていないし、神社から離れるのは弱体も意味する。だがこのままでは多くの人間があの異常な悪縁に潰されてしまうだろう。
「父さん…お役目通りに切り捨ててきます」
全身を覆っていた白い袴から、黒い袴に変わり、問答無用で悪縁を切り捨てるための夜叉となる。
縁切りの刀である淵天だけを手にして、千鉱は悪縁の気配を頼りに飛び上がった。
***
「ここか」
昼彦の話を頼りに、周囲の気配を集中して辿ると明らかに淀んで穢れた空間を見つけることができた。
町外れに位置する大きな廃墟。元は病院か研究所だったのか、煤けた白い壁に反して建物の基礎はしっかりしているようだ。
廃墟ではあり得ないほど人の気配を感じるし、何よりほとんどの人間に重苦しい悪縁を感じる。
自分の赤い眼に意識を集めると、黒い糸が蛇のトグロのように重なっているのが見えて苦痛を感じるほどだ。
余りにも辺りの状態が悪い。一体何をすればこんなに悪縁を持つ人物を集められるのだろうか。
その時、より禍々しい空気を感じた。廃墟の一室から、何か人間ではあり得ない穢れを感じる。
迷っている時間はない。千鉱はその一室を目掛けて外から刀で数度切りつけた。
ガラガラ…
『ギャギイイイイイイイイイ』
壁が斬られて崩れると共に人ではない叫び声とゾッとする空気が溢れ出る。
「ぐっ…!」
悪意の集合体からも衝撃波のような反撃が飛ばされ、千鉱は切り捨てつつも身を削られるような痛みを受けた。
それでも眼を見開いて睨みつけた先には、壇上に仰々しく飾り立てらてた獣と人の合いの子のような屍体があった。飢えながら死んだのか肋が浮いた躰には毛がまだらに生えており絶えず黒い水、いや穢れが溢れている。縁切りの神の千鉱も見たことのないような悪意と害意が込められた呪物だ。どうやって作られたかなど考えたくもない。それに、
「こんなものと人間に縁を結ばせていたのか…!」
呪物と人間に縁を結ぶなど只人には思いつかないし、実行できないはずだ。ただ実現してしまったなら最後、縁を結ばされた人間は即死がまだ優しいような煉獄の苦痛に閉じ込められるだろう。
ふと、壇上の近くに若い女性と男性が気を失って倒れているのが見えた。恐らく彼女たちもこの化け物と強制的に縁を結ばされる直前だったのだろう。意図は分からないが大人数と縁を結ばせることで呪物本体の力をより溢れさせているようだ。もう爆発寸前に思える。
このまま放っていけば、ここだけではなく街まで被害は拡大し取り返しがつかなくなる。
「ーーーふっ」
迷いはない。淵天を構えて一拍、構えを取る。父神から分かれて生まれて未だ若い自分は高位の神々には遠く及ばない。そんな自分がこの呪物を斬れば無事では済まないだろう。それでも役目を果たすだけだ。
ーー父さん、どうか、力を。そして俺がいなくなった後のこの地を護ってください。
そう、心の中で最後に父に祈りを捧げて。
千鉱は全身全霊を込めて刀を振り下ろした。
***
すごいなぁ。さすが俺のカミサマ。
ぽっかりと空になった意識を掬い上げられるように、声が振ってきた。全身に焼け付くような痛みを感じるが、それによって自分がまだ消滅していないことに気がつく。だが消耗しきっているのか指先すら動かせなかった。
「あ、気がついた?千鉱」
「おまえは…」
霞む視界の中、体を抱えこまれながら、さらりと頬を撫でられる。手ではなく髪の軽さで、これは覚えのある感触だった。
「ひるひこ…なんで…ここはあぶない、から」
「こんなになってまで俺の心配とか…千鉱は優しいな」
きゅ、と軽く胸に抱き寄せられた。ぼんやりと辺りを見ると、あの崩れた廃墟の一室のままだったが呪物は消えたようだ。だが空気はまだ重苦しい。
「千鉱は勝つって信じてたよ。でも最後に俺がアレを維持してた祭壇のまじないを崩さなかったら危なかったかな」
「は…?」
「あーみんなに怒られちゃうかな。でも千鉱を俺だけのカミサマにするって決めたからね。千鉱、みんなの仲間になって俺と一緒に頑張ろうね!」
話が見えない。昼彦はなぜここにいて何を言っている?
「ごめん最初に嘘ついた。適当に頭悪そうな男を引っ掛けて襲われるふりをしたし、アイドルっていうのも嘘。あ、でもホントは似たものかも。
俺ねこの宗教団体『毘灼』のS地区の管理者、つまり教祖なんだ。毘灼は各地区の教祖が手を組んで日本を沈めようって目標があるんだよ」
「な…」
にこり、と麗しく微笑む昼彦からは欠片も悪意を感じなかった。それだけに話す内容が乖離しているようで頭がまとまらない。
「俺たちは儀式で強制的に信者を縛り付けて言いなりにすることはできるんだけど、縁切りの神の力も欲しかったんだよね。信者を効率よく増やすために良縁を切り刻んで、あやしい宗教にハマるような『かわいそうな人』を増やすためにさ。
だから小さくて有名所ではないけど、評判の良い千鉱の神社に眼をつけたんだ。
でも、想定外だったな」
愛おしむようにそっと優しく手を握り込まれた。だがこれでは刀が握れない。
「千鉱が真っ直ぐで優しくて、友達になって話すと面白くて…あまりにも綺麗な神様だったからさ。汚して壊して人形にするなんて惜しいことできなくなった。
だから、千鉱は千鉱のまま俺たちの仲間になって。あ、でも俺が1番仲良しね!」
指先1つ動かせず、歯を噛み縛ることしかできない。他人にあれだけの所業をしておいて、さらに神々が収める日本を壊そうとしているくせに。
理解し難いが昼彦が千鉱に向けている友情には嘘がないとわかってしまった。
今も、綺麗に光る糸が昼彦から千鉱に伸ばされているから…友情の緑色の糸が。
「仲間になることと、あと千鉱に俺との縁を切られないように、ちょっと暗示はさせてもらうけどね。このために毎回神社に悪縁付けた信者送って消耗してもらったんだー。
とはいえ神様相手に俺だけじゃ暗示は無理だから幽達も呼ばなきゃ。そこでみんなに紹介するよ。
ははっ、楽しみだなぁ。手合わせもしよ!最後の一刀カッコよかった。俺とも殺す気で遊ぼう!」
これからよろしくね、俺のカミサマ。
桃色の髪の帷が下がり、にこりと微笑む昼彦の顔しか視界に入らない。
他にはもう何も見えなくなった。
END
—————————————-
後日談:
この後毘灼の収める中心地に攫われるので、千鉱との縁が遠くなって国重パパ神が異常に気がついてブチ切れ、捜索開始。
千鉱は暗示されても心の底で抵抗しており、また淵天もその意を組んで、結局一般人の良縁を切ることはできなかった。
まあそれでもいっか、と柔軟な毘灼さんサイドは権力者の悪縁を千鉱に斬らせることで宗教を宣伝し流行らせる。
昼彦は常に千鉱と一緒に行動してるし、遊びという名の殺し合いをしたことでお互い瀕死の重症負っても治るまで一緒のベッドで寝てるしご機嫌の極み。
千鉱…転校生
淵天…誰かにもらった金魚のキーホルダー
幽…高校のクラスの担任
昼彦…クラスメイト
ゴーン…と重く響く鐘の音とともに授業が終わる。
相変わらず変わったチャイムだなと思いながら教科書をしまっていると、その鐘の余韻をかき消すように賑やかな声と落ち着いた声が教室に響いた。
「第一印象から決めてました!先生付き合って!」
「古文の赤点抱えて告白するな。却下」
「うぐっそんな借金みたいに…!だって登場人物の心情の詩なんて意味わかんないし!昔の人間て恋ボケてるし!もー俺でダメならもう千鉱しかいないよ?」
「六平か」
賑やかな声の方、何かとちょっかいをかけてくるクラスメイトの昼彦に呼ばれているだけなら無視しても良かったが、担任にも名前を呼ばれたらそういう訳にもいかない。
やや眉間にシワを寄せながら彼らを見遣った。
「まだその遊び流行っていたのか」
「ちっひろー!我らの頑固な転校生!このクラスで先生に告白していないのお前だけだよ」
「くだらないな…先生、からも何か言えば…どうですか。遊びとはいえ面倒でしょう」
話を切り上げたくてさっさと担任に話を振ったが、静かな眼でじっと見つめられて失策を悟る。
なぜかこの担任と話すのは苦手だ。普段大人相手に使い慣れている敬語すら詰まってしまうほどに。
「交流の1つだと思えば何も面倒ではない。とくに…」
きろり、と細められた瞳に背が震えた。声だけでなく視線すら忌避を感じるのは、本当になぜだ。
「優等生がどのように想いを告げるのか、聴いてみたいな」
「は…」
「わーさすが先生はノリがいいね!ほら、千鉱早く!」
オアソビなんだからさあ、と昼彦に背を叩かれる。
クラスの生徒が担任に告白するゲームが流行っているのは知っている。暗黙の了解なのか1日に1人、担任に告白するのだ。向こうも遊びとは分かりきっているのか、千鉱が今まで聴いている限り担任が告白に応えたことはない。
「先生どうか私をお選びください」「断る。天気がわるい」
「愛しています、一生仕えます」「軽いな。空腹の足しにもならない」と何かしらいい加減な理由を付けて断っている。
整った顔ながら年齢不詳な妖しさを持つ担任には奇妙なカリスマ性があるためか、生徒側は遊びとは思えないほど、やたら大仰な告白をすることが多い。
全てを捧げると言ったり、今までこのために生きてきたと言ったり。
今日の昼彦のような両者とも親しみのあるような返しは珍しい、というか初めて聞いた。昼彦は担任と何か学校外でも縁があるのか気安い印象だ。独特な雰囲気が似通っているように感じるため、親戚なのかもしれない。興味はないが。
―――いったい、こんなゲームは誰が始めたのか。
『変な遊びだな!』『ケッタイな遊びやなぁ』とあの人達なら言うだろうか。
ふと、笑おうとしたが不意に止まる。あの人達とは誰だったかが思い出せない———
「千鉱聞いてる?うわほっぺた薄い」
「やめろ」
むい、と頬をついてきた昼彦の細い指を払い落としてから、担任に向き直った。
自分で最後ならこのくだらない遊びも終わりだ。これできっと「帰れる」。どこかで聞いた安いメロドラマのようなセリフでいいだろうと、口を開いた。
「…俺はあなたを一生……ゆるさない」
相手の見開かれた目に自分の鋭い赤目が映っているのを自覚して、ぱし、と自分の口を押さえる。
今何を言ったのか。告白と程遠いことを言った気がする。まずい。
「…六平千鉱」
「いや、あの」
ふ、と猫のように細まった目に視線を、素早い手に左手を掴まれた。
「こちらこそ、末永くご一緒しよう」
「…え?は、なぜ」
ひゅーぅと口笛を吹いたのは昼彦か。担任と親しい彼ですら「断られた」のに。
思考が切れ切れとなる中、脳裏の警鐘だけが鳴り続ける。担任と生徒の遊びのはずなのに、なぜ目の前の瞳の中に焔に似た色があるのか。取られた手はより一層固くキリキリと締め上げられる。
ゴーン…ゴーン…
その時また鐘が鳴った。重苦しい音が2回、だがこれは何の鐘なのか。
2回の鐘は始業の合図のはずだ。今日はもう放課後で窓の外も夕焼けに燃えている。
「今日は追加で『卒業式』の準備を行う。まずは…家庭科室に集合するように」
「家庭科…?いや、卒業式って…」
自分達はたしかに高校3年だが、まだ季節は…いや、今はいつだ?
混乱のせいか季節すら思い出せない。なんだかずっと靄がかかっているような心地だ。
思い出さなければならない大事なことがあるのに。
「さぁ、行こう」
痛み始めた頭を抱えては、担任に左手を引かれても抵抗できなかった。
竹製の籠目のザルに盛られた果物は夏が旬のものもあれば冬が盛りのものもある。笹が敷かれた肉や魚はすぐさっきまで生きていたかのように身を光らせていて、新鮮な野菜や木の子を従えている。1番に目を引くのは透き通るような朱色の鱗を持つ鯛だ。
明らかに家庭科実習で扱う食材ではない。
だが、戸惑う千鉱を置き去りにクラスメイトは制服のまま食材を取り分け、湯を沸かし始める。
「千鉱ーはいこれ。なんて言うんだっけ、カッポウギ?」
他の生徒とは違っていつの間にか白い割烹着を着込んで長い髪を三角巾に収めた昼彦が、こちらにも割烹着を手渡してくる。
つい、千鉱も空気に呑まれて着てしまい、気がつけば魚を3枚に卸していた。
「見事だな」
「別に…いつもやっているので」
「焼きよりも煮付けの方が好みだ」
「はあ…そうですか」
いつもの黒いスーツのまま興味深げに覗き込んできつつ謎の好みアピールをする担任を邪魔に思いながら、うっすらと「なぜ家庭科の担当教員ではなく担任がいるのか。何を料理するべきなのか」と思考する。違和感は強くなる。だがそれも隣で上がった火柱と甲高い悲鳴に散らされた。
「!大丈夫か」
「は…はい…」
カタカタと震える女子の手には不似合いな酒の一升瓶が抱えられていた。フライパンの中の食材に酒を加えようとして火に跳ねてしまったのだろう。駆け寄って彼女の手を取る。
「怪我はないか?あとは俺がやっておくから、別のものを…」
「!いや、私まだできます!お料理は慣れているもの」
「…保健室へ行きなさい」
か細く叫ぶ彼女の声を遮るように担任が声を掛けてくる。意外と心配性なのかと振り向くと、ぞっとするような冷たい瞳が女子生徒を刺していた。
「あ、あぅ…わたし、わたしまだ…申し訳ありま…」
「はやく」
「……」
するりと震えた小さい手が引き抜かれて、此の世の終わりかのような真っ青な表情で彼女は家庭科室を出て行った。
「心配するにも…言い方が…」
「良いんだよ六平くん」
担任のあまりにも冷たい視線と声色に反駁しようとすると、鰹節を削りつつ出汁をとっている男子に止められた。彼の声は聞いたことがあるようなないようなで、立ち昇る湯気の向こうにある顔は見えず誰かはわからない。
「御祝い事ために、僕たちは修練してきた。だからあの程度のことすらできないなら資格はない」
「祝い事…資格…?」
「千鉱ー!鯛ってどう焼くの」
昼彦の脳天気な声に引き戻される。彼の面倒を見つつも、滅多に見ないような上等の食材を調理していった。
違和感を振り払うように包丁を振るい、背筋の冷たさを紛らわせるように火を扱う。
無意識であったのに、出来上がったのは何かの『式』に相応しい懐石料理だった。
ただ品数が揃っているのは2席分で家庭科室の中央の席に並べられている。あとの席には主菜と汁物が数点置かれているのみだ。
「主役」と「その他」が明確にされた席に戸惑っていると、クラスメイトは椅子取りゲームのように次々と着席して行ってしまい、残ったのはまさに「主役」の2席だった。
「ここ…」
「座ろう。せっかく皆が用意してくれたんだ」
千鉱の手をとって主役の席に着いたのは担任だった。自分が調理した2尾しかない鯛の白んだ目がこちらを見ている。
「頂きます」
食事の挨拶だけは、普段の調理実習通りだった。
「次は体育館へ向かう」
違和感が強く食べた気がしない料理の大半を残し、廊下へ出るがまたも首を捻る。
卒業式の準備や練習ならば、会場になる体育館で行うのは理にかなっている。だが。
(廊下の床はこんなに赤かっただろうか。校舎はこんなに静かなものなのだろうか)
ゆっくりと歩く担任と何故かその隣に押し上げられた千鉱を先頭にクラス全員がしずしずと赤い床を進む。
しんと静かな校舎は自分達以外に人の気配がないようだ。そんなわけはない。学校というのは他にもクラスがあって職員もいるはずだ。
なんだか、この赤い廊下を一歩一歩進むたびにくらくらする。
気がつけば、飴色の木材に豪奢な赤い布が垂れている空間の中心にいた。小上がりに担任と二人残され、それ以外のクラスメイトは床に座って侍る。
式典とはいえ、体育館はこんな場所だっただろうか。そもそも卒業式は「何」の?
今の季節はいつなのか、また今までこの校舎で学んできたことが何も思い出せない。
「教科書を開くように」
担任の静かな声に引き戻されると、本を開く音が聞こえる。
教科書など持ってきていない自分には、軽い足取りで近づいてきた昼彦が「はい」と渡してきた。
そうだ、この教科書を見れば何を学んだのかがわかるはず。
そう思って開いたページには、
『荒麤屠禡の祝詞』と題された筆文字がびっしりと紙面を埋めていた。
「っ!」
これは荒ぶる神に向けた祝詞だ。思い出した。
ここに「転校」してきてから古文の時間には祝詞を、体育の時間には舞いや刀の手合わせを、日本史の時間には神々の世界について学ばされていた。
異常だと心のどこかで引っかかりつつも、坦々と自分もこなしていたはずだ。転校生なのに優秀だと担任に褒められた記憶がある。
だがなぜ「転校」したのか、友人や家族はどこにいるのかが思い出せない。自分は神職に関わる出自ではなかったことだけはわかる。なら何故。
「始めよう」
「はい」「はい」「はい」「はい」「はい」
「此の佳き日に結びの儀をーーー」
誰かが唱え始めた言葉で思考がまた途切れた。とにかく「自分は違う」。ここにいるべきではない。
「あ」「待って」「待て!」
四方から伸びるクラスメイトの手を掻い潜り、千鉱は気味の悪い空間を抜けた。
(帰らないと…とにかくここから出て、帰り道は…)
手当たり次第に廊下を走り扉を開けていくが出口がわからない。一本道の校舎のはずなのに誰もいない教室のドアを抜けても別の部屋や別の短い廊下に繋がっている。
やはり尋常ではない空間だ。
それでもがむしゃらに駆けていくと、やがてむっとするような不快な匂いのする部屋に辿り着いた。
(この匂いは血だ。それも大量に)
匂いの正体に気がつくと同時に赤い垂れ幕に気がつく。
いや、垂れ幕ではない。壁に磔にされた人間から垂れている血の帯だった。
「…!」
顔は項垂れていて見えないが髪型に見覚えがある。先ほど家庭科室で火柱を上げていた女子だ。担任に保健室に向かうように言われていたはずなのに。
その時、背後から腕を取られた。
「この部屋には赤色が足りなかったから『提供』してもらった」
「お前…、ぐぁっ…!」
ふふ、と耳をくすぐるシニカルな笑みは軽いものなのに掴まれた手はびくともせず振り解けない。超然とした、裏を返せば化け物じみたこの男をなぜ担任教師などと思いこんでいたのだろうか。そのまま体を向かい合わせにされたと思ったら腕を引き上げられて爪先が浮く。軽いわけではない千鉱の身体を腕一本で吊ってもまるで疲れた様子一つ見えない姿と感情のない瞳に背筋が粟立つ。きっとこいつは人ではない。
「まさか昼彦の下界慣らしがてら降りた先で見つけた『一般人』のお前を選びたくなるとは。直感の気まぐれとはいえ本職の彼ら、彼女らには申し訳ないかな」
「どういう…、いやとにかくここから帰せ!」
「活きが良い。丁度良かった」
ぶんと投げ飛ばされて咄嗟に頭を庇うも、身体を受け止めたのは柔らかな感触だった。
「見た目だけだがここは保健室。床(とこ)もある」
ぎし、と乗り上げてきた膝に腹を抑えられて苦しさに呻く。そっと降りてきた形のよい唇が耳元で囁いた。
「手順を飛ばしてしまおうか」
ぞ、と血が下がった。動けない身体が震え始める。
(とうさん——)
その時、千鉱のポケットから何かが飛び出した。刹那、反射的に握り込む。見ずともわかった。これはきっと父の打った刀の柄だ。制服のポケットに入っていたはずがないのに、千鉱はそのまま振り抜いて眼の前の化生を袈裟懸けに切りつけた。かすかに眉を上げて驚いている「担任」の顔を最後に、千鉱の意識は途絶えた。
「チヒロ‼︎?よかった…っ‼︎」
誰か温かい安心する腕に抱き締められて意識が浮上する。先程までの重く冷たい腕ではない。自分が世界一信頼している腕の中だ。
「とうさん…」
「どこを探してもいなかったのに、急にお前…、そうだどこか怪我はないか⁉︎気持ち悪かったりするか」
重い瞼を開くと、憔悴した父の顔が目に入る。心配をかけてしまって申し訳ないと思うが、くたりと全身が安堵で緩んだ。
「大丈夫…でも俺、どうして…ごめん思い出せない…」
「1週間前に学校から帰らなくて、今日まで見つからなかった…いや、無理に思い出すな。とにかく無事で良かった…一旦布団に運ぶぞ」
「『学校』……あ」
ちゃり、と何かが千鉱の学生服の胸から落ちた。地面に落ちても鈍色に輝くそれは、3匹の金魚を象った金属製のキーホルダーだった。父はそれを拾い上げてしげしげと見つめた後、千鉱の手に戻してくれた。
「これ、俺が作って渡したお守りか。刀の余った材料で作ったやつ…なんで胸の上なんかにあったんだか」
「わからないけど…このお守りのおかげで帰れた気がする」
「…そうか。なんかすごい鉄で手造りしたからな」
「なんかすごい鉄ってなに」
「とにかく今はゆっくり休め。今日はずっとそばにいるからな」
「うん…ありがとう、とうさん」
火のように温かい手のひらにゆっくりと頭を撫でられてまた瞼が閉じてしまう。
良かった。自分は元の場所に帰ってこられたんだ。
…一体どこから?
ちゃり、と金魚のお守りを握りしめるが、手の甲が鈍く痛んだ気がした。
***
「え⁉︎千鉱に逃げられたの⁉︎しかもバッサリ斬られて!?幽かなりまぬけ…いたっ」
「うるさい」
「もう!俺も遊べるの楽しみにしてたのに!」
「…他は?」
「選ばれなかった奴ら?側仕えにもできない出来だったから幽もいらないでしょ。全員殺して喰べたけど。え、まさか千鉱がいなくなったからって別の奴選ぼうとしてた?」
「まさか」
「だよね」
「今度は万全の準備をして盛大に迎えに行こう。なに一度繋がってしまったからな。印はもう付けてある」
そう言って自分の手の甲に唇を触れさせる。
2体の「何か」は暗闇の中で笑い合った。
END
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◾️補足
御刀代(みとしろ)…神に捧げる稲田。貴重なもの。御戸代とも言う。
舞台を学校にしたのは幽の悪ふざけの他に「神に捧げられる教育」のため。昼彦は同属のため例外。職場見学みたいなもの。
昼彦以外のクラスメイトは高名な神社仏閣の関係者の子女。もともと捧げられるように育てられていた。
千鉱は贄よりも悪い「立場」に選ばれた。今度は逃げられないかも。