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「なんか、おかしくないか?」
しろが、不意に呟いた。その表情はまるで小骨が喉に引っかかったかのような絶妙な顔だ。
「おかしい?」
そばにいたりいちょが一番に反応して首を傾げると、他の面々もしろを振り向いた。既に空は茜色に染まり、夜の訪れを物語っていた。
「俺たちは人喰い山姥を捕まえにきたんだよな?」
「うん。ニキくんの鴉に依頼が来たんだよね」
「にしては、あの山姥、おかしくなかったか?」
しろはニキ、キャメロン、りいちょ、18号の顔を見る。しろの言葉に、それぞれが先程まで相手をしていた山姥の姿を思い出す。
「⋯そういえば、人喰いって言われてたのに、山姥の家に死体が1つもなかった気が⋯⋯記憶違いだったらごめん」
18号がぽつりと呟く。
「いや確かに!俺の鼻でも見つかんなかったわ!」「それを言うなら、この村の人間たちも依頼したにしては妙に落ち着いてなかった?俺ちょっと気になってたんだよね」
りいちょが18号に強く頷き、キャメロンが自身の違和感を口にする。そう考えると、全ての動きがおかしく思えてくる。
「待って、そういえば山姥も、なんか戦うっていうよりずっと逃げてなかったっけ。ただ俺らが怖いだけかと思ってたんだけど⋯⋯それにしては向かってきたのは最後に追い詰めた時だけだったし⋯」
そしてりいちょのその言葉に、しろが重々しく頷き、その場に重苦しい空気が満ちる。なぜ、どうして、まさか、それぞれが思考を巡らせていた時、
「⋯⋯戻ろう。俺先行くわ。ボビー全速力で追ってきて」
ニキはそう言った。言い終わるより速く、彼は大きな翼をばさりと広げる。ふわりと彼の身体が浮いたかと思えば、瞬きすれば見失ってしまいそうな速度で、彼は空の彼方へ飛んで行った。
「ニキニキ!」
「俺たちも行くぞ!」
判断力の速さはニキが随一だ。真剣な顔をして飛び立ったニキを追い、しろは巨大な餓者髑髏を顕現させ、そこに皆を乗せて動き出す。
****
「くそっ!まちこり⋯!!」
空を今までにないくらい全速力で駆け抜ける。
しろに言われて初めて、ニキはまちこりーたの元に置いていた鴉と連絡が取れないことに気がついた。それはつまり、まちこりーたに何か異常事態が起こっている証拠。
大丈夫、大丈夫、そう心に言い聞かせるが、どくどくと跳ねる心臓は落ち着いてくれない。
飛んで飛んでまた飛んで、そして彼らの家が見えた時、ニキは目を見開いた。
傷一つない我が家にほっとして、けれどそこに、見慣れない大きな影があった。蜘蛛のような図体に、犬のような、おぞましい獣の顔を持った、家一つ二つありそうな大きさの、妖怪。
その妖怪の口。鋭い牙がいくつも見えるそこに、見慣れた小さな緑色があった。
「まちこ!!!!!!」
ニキは叫んだ。翼を思いっきり羽ばたかせ、その妖怪の顔面に全力の蹴りを繰り出した。己にかかる衝撃に耐えると共に、体勢を崩したその妖怪が開けた口から、瞬時にその小さな身体を抱きとめた。
一瞬で上空へ飛び、ニキは腕の中の彼女を覗き込む。
「まちこ!!まちこ!!」
人型ではなく猫の姿で目を閉じ、ぐったりとしている彼女には、遠目からでは分からなかった深い傷がいたるところにあり、熱を持っていた。じわりじわりと赤黒い血がニキの手を汚していく。
「おい!死んでんじゃねぇぞ!!起きろよ!!」
必死に叫んで叫んで、ふるり、とまちこりーたの睫毛が揺れた。
「⋯るっさいなぁ⋯⋯死んでないよ、ニキニキ」
小さく、蚊の鳴くような声で、それでも瞳を開けてまちこりーたは微笑んだ。ニキはその様子にぐっと胸の奥から湧き上がってくるそれに耐える。鼻をすすり、心の底から良かったと呟いた。
けれどそんな感動も長くは続かなかった。
「っ、ニキニキ上に飛んで!!」
突然叫んだまちこりーたの声に、ニキは反射的に翼を動かした。そしてその足下、彼らが元々いた場所に、何かが飛来する。それはニキたちに当たることなく森へと落ちていき、そしてその場所をじゅう、と溶かした。
「はぁ!?何あれこっわ!!」
「⋯毒の糸、牛鬼の得意技だよ⋯!」
叫んだせいか、ごほごほと咳をするまちこりーたは驚くニキに説明する。
「牛鬼って⋯あの海辺に住む?」
「そう⋯、獰猛で、人間も妖怪も襲う、厄介な妖怪」
「なんだってそんな奴がこんな山奥に⋯!!」
「お前らを食うためだよ!」
不意に会話に混じる、野太く地を這うようなおぞましい声。ニキたちはその声の主へと視線を向ける。
人型ではないものの、その口元はにぃっと歪に弧を描き、ぎらぎらとした瞳でニキとまちこりーたを見つめていた。
「狐に鴉に犬に鬼、高位妖怪がこんなに集まってるなんて、ご馳走以外の何物でもないだろ?」
「まちこり無視されてやんの」
「うるせぇー!」
軽口を叩きながらも、ニキは牛鬼から目を離すことはしない。まちこりーたもニキに抱えられながら、その一挙一動に警戒する。
「お前らを食えば、俺はもっと妖力を手に入れられる!!でも、お前ら全員を相手にして無事でいられる保証はない」
「へー、脳筋の癖に頭は回るんだな。意味ねぇけど」
「はっ、これから食われるやつになんて言われても屁でもないわ」
「てか、それなら山姥もお前の仕業だな?」
「そうだ。やっと気づいたのか?あの村の人間が海辺に近づいた瞬間に操って、山姥を脅して殺させて、”人喰い山姥”をでっち上げたんだよ!殺した人間はオレが食べたけどなぁ」
ぺらぺらと自慢げに話す姿は小物のようだが、その内容は油断できるものではない。あの村全体に術をかけ、尚且つそれを遠隔で行った。それは牛鬼が、大きな妖力とそれを使いこなす技量を持つことに他ならない。
「そんでのこのこ家を出たお前らを嘲笑いながら根城を壊して、休息させる間もなく襲ってやろうと思っていた⋯⋯のに」
ぎろり、牛鬼の瞳がニキの腕の中にいるまちこりーたを睨みつける。まちこりーた震えそうになる身体を抑えて見つめ返すと、牛鬼は愉悦の表情から一転、怒りの形相へと変化する。
「そのクソ猫が邪魔しやがった!!家に変な結界張りやがって傷一つ付けれねぇ!!」
ガンッッ!!!
牛鬼はその脚を大きく振りかぶり、ニキたちの家へ突き立てた。しかしその脚は家を貫くどころか、瞬時に弾かれ、牛鬼はその衝撃で数歩後ろへ下がる。
「やるやんまちこり」
「えへへ〜。言ったでしょ?家は守るって。ま、その代わり、妖力使いすぎてこんなぼろぼろになっちゃったけど」
まちこりーたは得意気に笑ったあと、情けないというように眉を下げて笑う。息も絶え絶えで、彼女がどれだけの時間一人で耐えていたのか、それを想像しニキはさらなる怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「まぁ、でも、オレは幸運だ。一人でのこのこ来てお荷物抱えてくれるなんて、飛んで火に入る夏の烏だ」
牛鬼はそう叫んだかと思えば、連続で毒の糸の塊を吐き出してくる。距離があるからか避けるのは苦ではないが、それでもまちこりーたを抱えながらでは俊敏さは落ちる。彼女の傷に障ってしまうかもしれない、その優しさで。
「どうしたどうした!鴉天狗はこんなもんかぁ!?」
いける、と踏んだのか牛鬼は意気揚々と攻撃を放ち続ける。けれど、ニキとまちこりーたは焦りなんて微塵も浮かべていなかった。
「ぺらぺらぺらぺら、ご丁寧に自慢話どうも。おかげで間に合ったわ」
ズゥゥン、ズゥゥンと、どこからか大きな音が轟く。とてつもない妖力がこの場に向かっていることに気づき、牛鬼はハッとして空を見上げた。
ニキの背後、黒く染まる夜空に浮かび上がるように、山一つありそうな、巨大な骸骨が顕現する。
「怒り心頭の、最強妖怪たちがよ」
ニキの隣に立った餓者髑髏が大きく手を振りかぶる。その手は派手な炎を纏い、ゆったりと牛鬼へと狙いを定めている。
あまりにも大きく、桁違いの妖力。
牛鬼は恐れた。こんなはずはない、せいぜい全員でオレと互角なはず、そう己の身を鼓舞しようとした。けれど彼の脚は自然と後退を始め、本能から彼は後ろを向いて逃げようとした。
しかし、その脚に激痛が走り、バランスを崩して地面へ倒れ込む。何事か、と視線を向ければ、足には煙のようなものが巻き付き、さらにそのどの脚も在らぬ方向へ曲がっていた。
「じゅうはち拘束ありがとう。流石の手腕」
「あの一瞬で全部折るめろんちゃんも流石だよ」
牛鬼を見下ろすように、木の上に赤髪の男と栗色の髪の女が並んでいた。男は狼の耳と尾を、女は二対の角を携えている。アイツらか、と怒りが湧き上がるが、脚は動かず、ただ睨みつけることしかできない。
そして感じた、熱。
視界が一気に輝き、赤く染まる。
「消えろ」
「ばいばーい」
そんな声が聞こえたかと思った瞬間、牛鬼は己の判断を後悔した。何が全員で互角だ。いや確かに1人ずつであれば希望はあった。猫一匹、そう思っていたのが間違いだった。自分は逆鱗に触れたのだと。彼らの本気を引き出してしまったのだと、理解した。
「ク、ソ──」
憎しみの言葉を吐く暇もなく、牛鬼の意識は暗闇へと落ちていった。
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