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ここは猫鳴町――江戸に似て非なる、不思議の町にござる。
屋根の上をひょいひょいと渡り歩くも猫ならば、魚屋で値を値切るも猫、路地裏で煙管(きせる)をふかすも猫ときた。
町の真ん中を流れる小さき川には、船頭猫どもの舟歌がこだまし、
茶屋街に揺れる提灯の灯(あかり)の中、三味線の音が風に乗りて微かに届き申す。
朝がくれば、豆腐屋の鐘の音と共に、子猫たちの戯れる声が町中に響き渡り、
夜ともなれば、影のごとき忍び猫どもが足音を消して暗闇に動き出す。
この猫鳴町には、表と裏がござる。
表は活気あふるる商いの町、裏は謎と影の交わる隠れ家なり。
されど、この町のどこかには、人ならぬ猫たちの手により、秘められたる大いなる秘密が守られているとのこと。
その秘密がいま、夜の盗賊「鷹丸」と、教会に仕える猫「澄音」の巡り合わせにより、
静かなる胎動を始めたのでございます――。
猫鳴町のある夜のことでござる。町中の家々の灯りが消え、
住猫たちが夢の中へと沈みゆく頃、一匹の雄猫が闇の帳に紛れるように姿を現し申した。
その身のこなし、音もなく、影さえも薄きこと霧のごとし。
目指すは、この国でも稀なる建造物、猫鳴町の教会。
尖塔高くそびえ立ち、美しき硝子絵が月明かりを受けて淡く輝くその佇まい、
さながら異国の風が漂うような場所にござる。しかし、そんな異様さにも怯むことなく
雄猫は滑るようにその壁を登り始めた。
さすがは慣れた手つき、いや、足つきというべきか。躊躇う気配もなく、
しなやかに身を躍らせ、屋根へと達した様子は、さながら夜風に舞う枯葉のごとき軽やかさ。
月の光がその背を細く照らし出す中、その者は一歩また一歩と目的地へと近づきゆく。
さて、何を企むやら、この先の行く末が気になるところにございます。
今宵、鷹丸が狙うは教会の中に一枚の絵画。
その絵を手に入れるため、鷹丸はすでに教会の天井裏に忍び込み、
周囲の様子をじっと伺っておった。辺りはひっそりと静まり返り、
まるで何も音がしないかのようでござる。ふと、降りて行こうとしたその時、
突然、ガチャリとドアが開く音が響いた。
「なんだ、見回りか?」と、鷹丸は心の中で呟き、慌てて天井に身を潜めた。
すると、ろうそくを手に持った美しいシスターが、静かに歩を進めてきた。
シスターは何も気づくことなく、絵画の前に立ち、じっとそれを見つめ、祈りを捧げておった。
しばらくの間、動く気配はなし。鷹丸はその様子をじっと見守り、微動だにせず息を潜めた。
しかし、何か不意に気配を感じたのか、天井の隅を小さな動物がすばしっこく走り回った。
その正体は、まぎれもなくねずみでござった。
「しっし、あっちへ行け…」鷹丸は冷静を保とうとしたものの、猫の性に勝てるはずもなし。
思わず、ひと跳びにねずみを追いかけたのである。
その音は天井の板を激しく叩き、ドンドン、ドンドンと鳴り響いた。
シスターは不思議に思い、天井を見上げた。しかしその時、予期せぬことが起こった。
ガッシャ―ン!
天井が崩れ落ち、鷹丸とねずみは一緒に床へと落ちていった。
空中で二匹が視線を交わす瞬間、
まるで時間が止まったかのように、その出会いの瞬間が心に刻まれる。
こうして、二匹の運命の出会いが、猫鳴町の夜に静かに、しかし確かに訪れたのでございます。
その数日前のことでござった。猫鳴町の片隅にある、質屋に一匹の猫が訪ねてまいった。
店の受付に立つは、お雪という名の猫。毛並みは白く、どこか怪しげな雰囲気をまとったその姿には、
ただならぬ迫力が漂っておる。
「おやおや、旦那、いらっしゃいませ」お雪が静かに声をかけると、
客猫は少し気を引き締めるようにして答えた。
「こんにちは、私は武三と申します」
「そうですかい。さて、今日は何を持ってきたんだい?」お雪がにこやかに問いかけると、
武三は首を横に振りながら言葉を続けた。
「いえ、今日は質入れではなくて、お願いがありましてね」
「お願い?」お雪の眉がわずかに動く。
「ええ、実は2年前のことなんですが…」武三は語り始めた。
「私は、名のある酒問屋の番頭として奉公しておりました。しかし、
その酒問屋が火事で燃えてしまいましてね」
お雪は湯呑を手に取りながら、興味深げに武三を見つめた。
「ほう、それは厄介なことでございましたね」
「ええ、それだけではありません。その火事で旦那様も亡くなられました。
そして、それと同じ頃、その屋敷にあった一枚の絵画が姿を消したんですよ」
「絵画?そりゃあ、燃えてしまったんじゃないのかい?」
「そう思っておりました。しかし、最近になって驚くべきことが分かりましてね…」武三は周囲を見回し、小声で続けた。
「その絵画が、教会に飾られているのを見たんですよ」
「教会?」お雪の目が鋭く光る。「なんでまたそんなところに?」
「それが私にも分からんのです。ただ、酒問屋を失って職を探していた折に、
庭師の手伝いをするようになりまして。その仕事の一環で教会へ行った際に見たんです。
ちらっとですが、奥の小屋に飾られているのを――間違いありません」
「なるほど。しかし、なぜその絵が教会へ持ち込まれたんだい?」
「それが分かりませぬ。もしかすると、教会の誰かが盗んだのやもしれません」
「怪しい話だねぇ」
「ええ。どうか、あの絵を取り戻していただきたいのです」
お雪は顎を撫で、首をかしげた。「それならば、教会に掛け合うのが筋というもの。
旦那様の持ち物ならば、返してくれるやもしれぬ」
「それができるなら、苦労は致しませぬ」と、武三は顔を曇らせた。
「あんなところに隠されておるのだ。素直に返すとは思えませぬ。それに――」
武三は拳を握りしめた。「あの絵は、旦那様の形見でございます。私にとっても、最後の誇りなのです」
お雪はしばし黙り込んだが、やがて言葉を絞り出した。「なるほど、それはまた重い話だねぇ。しかし――」
「これを見てくだされ」武三は懐から一升瓶を取り出した。
「ほう、これは酒かい?」
「その通り。これは私が火事から命がけで持ち出したものでございます。
この酒問屋が代々守り続けた伝統の酒でございます――」
「それを売るつもりかい?」
「ええ。この酒は再び醸すことができるやもしれませぬ。
だが、絵画だけはどうにもなりませぬ。どうか、私を――いや、旦那様を助けるつもりで、力を貸してくだされ」
お雪は一升瓶を手に取りその中の琥珀色の酒をじっと見つめた。「さてさて、どうしたもんかねぇ――」