テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「溶ける夏」
🟦🏺:両片思い
容赦のない夏の日差しがつぼ浦の健康的な色の肌を焼く。顎を伝い、アスファルトに垂れた汗は一瞬で蒸発した。すべてを燃やして干からびさせてしまおうと言わんばかりの殺意の高い日差しの中、つぼ浦はバット片手に銀行の前で仁王立ちしていた。
「オーイ、人質を開放しろー!」
大声で呼びかけると銀行の中から犯人のうるさい声が聞こえる。心無きとはいえ人質がいては手が出せない。警察の辛いところだ。大人しく外で待つしかなかった。
一歩歩くたびに底の薄いサンダルは溶けて地面に張り付いてしまいそうだ。日本ならこんなに夏が盛りならきっと蝉時雨がうるさく響くのだろう。しかしロスサントスにはセミはいない。日本のように湿度は高くないが、それはサウナかドライヤーかの違いで暑いことに変わりはない。
空はペンキで塗ったかのようにギラギラ青く、ちぎれた綿のような雲が申し訳程度に浮かんでいる。生命が止まる冬よりも命が燃える夏のほうが死に近い。つぼ浦は額に滲む汗を拭うと乾いた口を開いた。
「早くしろよ、……クソっ、暑ィな」
何度目かの呼びかけをするが解錠に手間取っているようで、犯人の気弱な声が聞こえる。ここからどれだけ待つことになるのか。気を抜いてもたれかかった愛車は火傷するほどに熱く、慌てて体を起こした。
時間は正午に近い。天頂から照りつける陽光のせいで影は限りなく短い。涼もうにも物陰もない、そのつぼ浦の頭上を不意に影が横切った。
「なーにまだやってんの?ここの強盗」
降下してきた機体から間延びした声がした。鬼の面がヘリの運転席からつぼ浦を見下ろしていた。
「そうなんすよ、なんかもたついてて」
「ふーん、初心者さんかなぁ」
つぼ浦の答えを聞いて、青井は少し離れたところにヘリを着陸させた。乾いた土埃を巻き上げるローターの風圧が心地よい。ヘリは巨大な扇風機のようなもんだな、とつぼ浦はのぼせる頭で思った。
「うわ地上暑すぎるだろ、こんな暑い最中に待つのもなぁ……終わったら電話してもらう?」
暑さと無縁な空から鉄板焼きにでもなりそうな地上に降りて、青井はすぐに音を上げた。見回しても路上にはハトの1羽もいない。地獄のような地上から離れてどこにでも行ける鳥はさぞかし気楽だろう。
「そうはいかねぇだろ、警察が、そんな甘えたことじゃ……」
言い返そうとしたつぼ浦の足がもつれた。踏ん張ろうと踏み出した左足にも力が入らない。支えるすべをなくした身体が大きく揺れた。
「つぼ浦?!」
身体が回転したのか世界が回ったのかわからない。目の前の景色が蜃気楼のように溶ける。力が抜けたつぼ浦の目に駆け寄る青井の姿が映った。倒れ込んだアスファルトはチョコレートなら一瞬で溶けそうなくらい熱かった。
*
本署二階の休憩所のベンチで、つぼ浦は青井に看病されていた。経口補水液を飲み干したつぼ浦から気の抜けたラッパのようなうめき声が上がる。身体が水と塩分を欲しているからこそ飲めるが、平常時ならもっと不味く感じるのだろう。しかし今はこれが命の水だ。隣に座る青井が空になったボトルを受け取り、側面の注意書きをしげしげと読んでいる。
「ねぇこれちょっとずつ飲むものだよ?あんな勢いで飲んでお腹大丈夫?」
「喉乾いてんだよ、仕方ねぇだろ」
青井は再びベンチに横になったつぼ浦の首や脇に先ほど救急隊からもらったアイスパックを置いてあげた。この暑さで倒れた人が急増しているらしい。幸い、つぼ浦は軽度の熱中症だったので手当ての道具だけもらって自力で休養することになった。
本署はクーラーがよく効いていて、汗は止まっているがまだ顔は赤い。つぼ浦は眉間にシワを寄せて浅く呼吸している。
青井も鬼のヘルメットを脱いだ。ついでに黒いグローブも脱ぎ捨てる。少し地上を歩くだけで命が危うくなるほど暑かった。汗で張り付いた前髪を耳にかけ、気休め程度に顔を手であおぐ。
「俺が通りかかってよかったね。あのまま焼肉になってたかもよ」
「本当っすか?やったのか?アスファルトで」
「なんでだよ、たとえ話だよ」
「じゃあやってないのか、焼肉は」
「やるわけないだろ」
「ならなんで焼肉の話したんだ?」
「あーもう俺が悪かった、悪かったから全部忘れて」
「アァ?証拠隠滅か?そうやって人を煙に巻くつもりか?」
「お前の気にするポイントがわからん。とりあえず頭冷やせって」
水掛け論を仕掛けてきたつぼ浦の額にアイスパックを乱暴に押し付ける。熱のせいかいつも以上に埒の明かないセリフを引っ込めて、つぼ浦は自分でそれを頭に当てた。
窓の向こうでは相変わらず夏が猛威を振るっている。金を通り越して白い日差しが地上の生物をいじめている。地上を睥睨するような空は似合うが、青井の真っ白い肌は夏よりも冬が映えるだろう。そんなことを夏の擬人化のようなつぼ浦はぼんやり思った。
サングラスを額に押し上げてアイスパックを目に当てる。頭の奥までじわじわ広がる冷たさが心地よい。冷やしすぎて逆に頭が痛くなってきた頃、ビニールの何かをガサガサいじる音がしてつぼ浦はアイスパックをどかした。
サングラスをかけ直すと、青井が取り出した何かの封を切っているのが見えた。出てきたのは青い棒アイスだ。ふわりとラムネの香りがするそれを口に運んでいる。つぼ浦が見ていることに気づいて青井はニヤリと笑った。
「ん?美味しそうでしょ」
「チクショウ、相変わらず育ちがいいぜ」
「はは、よく言われる」
嫌味も言われ慣れれば枕詞で褒め言葉だ。暑さのせいで倒れた人の前でアイスを食べるとは。つぼ浦の喉がゴクリと鳴った。
「文句があるなら早く元気になってね、そしたらアイスくらい奢ってあげるから」
それだけ言うとうめぇ~と言いながらつぼ浦の前でアイスを食べすすめる。安っぽい水色のアイスがこんなにも美味しそうに見えたことはない。口の中に粘つく唾液があふれ、あれだけ飲んだのにまた喉が張り付いたように乾く。
「なあ、一口でいいから」
泣きそうな顔で懇願するつぼ浦を見下ろして青井は少し考え込んだ。
「仕方ないなぁ」
陸に打ち上げられた瀕死の鯉のように口をぱくぱくさせるつぼ浦に食べかけのアイスを差し出すと、すぐさま先端にかぶりついた。
海水の水割りのような経口補水液とは違い、爽やかなラムネの味が口いっぱいに広がった。その冷たさと清涼感で乾いた身体が心底生き返る思いがした。
熱のせいかやたら赤い舌が先端をちろちろ舐める。アイス自体に嬉しそうにしゃぶりつく様子を見て青井の顔がだんだん曇っていく。
「……なんか良くないな、これ」
「アァ?!何がだよ」
「なんでもない、ハイおしまい〜」
「本当育ちがいいなこのッ…!!」
なんとかかじりとった一口だけを口内に残して、アイスは没収されてしまった。思わず出かかった罵詈雑言を、それでもこいつは先輩である、という体面がギリギリで押し込めた。
悔しそうにしながらも身体を起こして取り合いになるほどの元気はないらしい。青井は回収した食べかけのアイスを食べながらくすくす笑った。
「倒れるまで無理したお前が悪いんだからな」
「目の前で犯罪が行われてるのに見逃すわけにいかねぇだろ」
「だからってお前が倒れたら意味がないだろ。次倒れたらまた目の前で美味いもん食ってやる」
「ア?具体的に何だよ」
こういう適当なことを言っているときに一歩踏み込まれるのに青井は案外弱い。つぼ浦の思ったとおり、青井はえーとかあーとか言いながら頭をひねっている。
「そうだなぁ、じゃあね、肉汁たっぷりで噛んだらパティがはみ出しちゃいそうなハンバーガー」
「おおー」
青井の表現力ではそこまでそそられなかったようで、つぼ浦から平坦な声が上がる。それを見て少し不満げに青井は続ける。
「じゃあついでに牛肉100%で。あーあとチーズもつけちゃおうかな」
「ピクルスは?」
「え?」
「ピクルスは入ってんのかって聞いてんだよ」
「知らないよ、嫌いなの?」
「入ってるかどうかを聞いてんだ」
「じゃあ入ってることにしようか」
「ァア?アオセンの許可制か?ピクルスだって自由に入る権利があるだろ」
「なんでそこに引っかかるんだよ、マジでどっちでもいい」
「チクショウ、じゃあ食うまでピクルスが入ってるかわかんねぇのか。シュレディンガーのピクルスかよ……やられたぜ、量子重ね合わせ状態ってそういうことか、ハンバーガーも重なってやがるしそこに挟まると……」
呆れ返っている青井の横でつぼ浦は虚ろな目でブツクサ言っている。いつも脳の言語野とどこが繋がっているのかわからないことばかり言ってくるが、今日はいつにもまして不安定だ。
「お前、熱でだいぶイカれてるから、ほら、全部あげるからちょっと頭冷やせよ」
勝手に埒が明かない話をし始めたつぼ浦に青井は残りのアイスを突きつけた。頼んでもいないのに理屈と屁理屈の迷宮を作り上げるのはつぼ浦の得意技だが、今は一人でそこに迷い込んでいた。
つぼ浦はまだモニャモニャ言いながらもだるそうに手を持ち上げてアイスの棒を受け取る。埒が明かない会話のあいだに溶けたアイスで棒はベタベタだった。これ以上溶けないようにアイスを口でくわえたつぼ浦の目に、手についた溶けたアイスを舐め取る青井の姿が飛び込んできた。
日焼けしない白い指が綺麗だった。それを口に含む仕草が、飲み込んで動く喉仏を、しかも下からのアングルで見ていると見てはいけないものを見たような気持ちになってくる。
胸に大きな塊が引っかかる。飲み込みきれないそれが心臓を掴んで鼓動だけを早める。行儀が悪いと言われても仕方ない仕草なのに、艶かしさからどうしても目が離せない。
やがて見つめられていることに気づいて青井は怪訝そうにつぼ浦を見た。
「……なんか顔赤いよ?本当に大丈夫?」
指摘されてつぼ浦は初めて顔がひどく熱いことに気づいた。陽光のせいでも気温のせいでもない。心配そうに覗き込む空色の目が青空よりも眩しく綺麗だった。
急に全てが恥ずかしくなって、つぼ浦はごまかすように残りのアイスをムシャムシャと頬張った。
「チクショウ、こんな食べかけよこしやがって、半分もないじゃねぇか。あたり付きアイスなら詐欺罪だぜ」
文句を言いながらも冷たいラムネ味が喉を落ちていく。思考が溶ける暑さのせいで、夏に溶け込まない青井の白い姿がただ引っかかっただけだ。この清涼感と一緒に胸につっかかる何かも溶けてしまえばいいと思った。
青井は一つため息をついた。いつものようなつぼ浦匠が、またいつものようなことを言っている。変わらない反応は安堵とともに、少しだけの悔しさを湧き起こした。
「……なんだ、つぼ浦のことだからこういうのこそ気にするかと思ってたのに」
「何をだよ」
「間接キス」
気恥ずかしさを飲み込んで、いつもの二人に戻ったつもりだった。頭をガツンと殴られたような衝撃でつぼ浦は目を見開く。
「か、かか、か……ッ!?」
「お前の気にするところ本当にわかんな……え、どうした?」
突然子供のように真っ赤になったつぼ浦を見かねて、青井は熱を診てやろうと手を伸ばす。ひんやりと冷たい手が頬に触れた。思わず上がりかけた悲鳴を押し殺して、噛み締めた歯がアイスの棒をへし折った。
青井の低い体温は心地よかった。穴があったら入りたいほど恥ずかしいのにその顔から目をそらせない。きっと自分の都合の良い思い込みが、ありもしない妄想が目の前にいくつも浮かび、ただ熱に浮かされてアイスのように溶けていく。
青井も驚いていた。間接キスはもちろん、こうして無防備に手で触れてもつぼ浦が逃げないことに。通らないと思っていたのに通ってしまったスキンシップの着地点が見当たらない。早とちりと下心が背中を押し、理性が強くブレーキを踏む。
熱い頬に触れた手のひらにじわりと汗がにじんだ。言葉よりも素直な生理現象に気づかれる前に青井は慌てて手を引っ込めた。
窓の外は目が痛いほどの青空で、揺れる陽炎が雑踏の影まで溶かす。熱気とは隔絶されたクーラーの効いた室内で、二人の熱だけが行き場を失う。
「なんでもないっす」
「なんでもないか」
溶けてしまった距離感がうまく元に戻らない。折れた木の棒の渋みだけがつぼ浦の口に広がった。
ーーーーーーーーーー
🟦は🏺の目の前でこれみよがしにアイス食べるけどあげなそうだな~というところから何故かこんな話に
夏の悪口ならいくらでも言えるけど、エモい季節でもあるから困りますね
コメント
7件
相変わらずのことですが、文章の語彙力に尊敬しすぎて頭が上がりません、w てぇてぇ…と思いながら表現のしかたにびっくりしながらみさせていただきました、!!
雰囲気神です ゆるやかな日常って感じが最高…!!