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”回っている。ぐるぐると循環している。 どんな事象も存在も、巡り巡って力を生む。 血液。思考。経済。地球だって。そもそも世界が。 力を生む為にぐるぐると回っている。 人間関係。縁。運命……ていうか全部。すべて。みんな。何もかもが。 ぐるぐるぐるぐる回っている”
窓を開け放つ。 真昼の街は、快晴の三月。 爽やかな風が入り込み、顔を洗うように撫でていく。
もうすぐ、春。
そういえばこの街の何処かには、もう、花を開かせ始めた桜があるそうだ。『ソメイヨシノより早く咲く種類があるのよ』と、この前遊びに行った老人ホームで、おばあさんが嬉しそうに話していた。
おっと、そんな事よりも自己紹介がまだだったな。 では、改めまして。
”俺の名はマロン! もちろん、本名じゃあないぜ? みんなは俺をこう呼ぶ。ヒーローと”
マロンは昨日、まだ少し肌寒い街の中を全力でぐんぐんと突っ走っていた。 そのだらしなさ極まる、破裂寸前の中年ボディが走る光景は、動画のスロー再生よろしく、驚く程ゆっくりにしか見えなかった。 夕方、マロンはパトロールをしていた。 平和の為に毎日行っている。剥き出しの不審者でも、キレッキレの変質者でも、悪者共よかかってこい! 見つけ次第退治してやるぜ! と、意気込んではいたが、そんなに都合良く現れる悪者など、この街には存在しなかった。
しかし、悪者の代わりに、ベンチに座り、遠くを見つめる青年の姿が目に入る。 その青年は、何故だか凄く無表情……。 こんなに表情のない人間を見たのは生まれて初めてで、気になり出せばもう止まらなかった。 それ程に無表情で。ただただ無表情で。自分史上最高に無表情で……もう、何だよ! どうしたんだよ! 大丈夫かよ! 心配にもなった。 とにかく、声を掛けない訳にはいかない。
『やあ、どうしたんだい? ついに最後まで食卓に残ってしまった奈良漬けみたいな顔して』声をかけ青年に近付いて行くと、ズボンのお尻の方で”ビリっ”と裂ける音がした。やべっ! と一瞬怯んだが、聞こえてないふりでやり過ごす。
『 あぁ、ヒーローのおじさんか。ていうか何その例え。分かりにくすぎるよ』一瞬驚いた青年も”ビリっ”が聞こえてないフリをしてくれた。むしろその”ビリっ”のおかげで表情が緩んだようだ。結果オーライ。
『いや、君の顔だよ。もうね、何か目がヤバかった。釣り上がったらニュースになる化石みたいな魚とおんなじ目だったぜ? そうだ! 今夜は魚料理にするといい』
『何それ、別に夕飯の献立の事なんて考えてないよ』
『何かあったような顔だったぜ? ここで会ったのも何かの縁だ。改めて教えてくれ! 君は何をそんなに悩んでいるんだい? 何が君をそんな表情にさせるんだい?』
『縁って……何か無理矢理だな。別に悩んでは無いけど……おじさんはさ、どうしてヒーローになろうと思ったの?』青年はその両目に夕日の光をキラキラと湛え、迷子になった猫みたいな顔で訊ねた。
『むむっ! 興味があるのかい? ヒーローなった理由かぁ……よしっ! 少し、長くなるぜ?』マロンは真剣な顔で隣に座り、破けたお尻を隠すとゆっくりと語り始めた。
”俺は今までの人生の中で、刑務所で過ごした時間がある。倫理を破壊し、人を傷つけ、食い扶持すら人から奪っていた俺には、当然の報いだったと思う。 あの頃の俺は、人から騙し取った金で生活するような卑劣な人間で、もっと! もっともっともっと……そんな風に次から次へと金を求めていく内、はっ! と気付けば麻痺していた。被害者の気持ちや、手に入る金だったり、他人に対する感受性がバカになっちまっていた。 業務用のおろし金で擦っても、俺の良心からはもう血の一滴すら出やしない。 気付けば立派な犯罪者だったよ。まあ、自業自得だな。 そして何年かを刑務所で過ごし、反省して出所したハズの俺は、今度は違う形のクズさを発揮して、仕事もせずにだらだらと生きていた。 電気を使い、ガスを使い、酸素も使って水も使う。生み出すものと言えば、排泄物と、二酸化炭素と、迷惑のみ。それが俺という人間で、存在する事で得をした人も、喜んだ人も誰もいない。誰にとっても迷惑で、邪魔臭くて、厄介で……。 正直当時の俺には、生きてて良い理由なんて物は見当たらなかった……客観的にも、主観的にも……。 そしてそんな生活は俺を不安にさせ始めた。先の事を怖いと思う感性はかろうじて残っていたが、その感性が何かしてくれる訳もなく、何とかしなきゃいけないまま、結局何にも何とも出来ず、俺は無駄に生きていた。
そんなある日、いつもの様に街を徘徊した帰り道で、困り果てた様子のおばあさんが視界に入ってきた。道行く人に声を掛けているようだけど、誰にも姿が見えない幽霊かのように、見向きもされていなかった。 恐る恐る声を掛けてみると、なんの事は無く、公民館へ行く途中で道が分からなくなってしまい、絶賛迷子中との事。俺は帰宅ついでに公民館まで道案内をしたんだけど、到着するや否や鬱陶しく感じる程のお礼を言ってきてさ。 まあ、嬉しかったんだろうとは思うけど、正直面倒だと思った俺は”当たり前の事しただけだから”とだけ伝えて帰ろうとしたら、おばあさんはそんな俺に、こんな事を言ってくれたんだ……。
『当たり前の事ってね、本当は凄く脆くて、心許ない事なんだよ? 実際、君が話し掛けてくれるまで、みんなが私を無視してた。君が当たり前にやった事は、他の人の中では存在する事さえ難しい事なんだよ。分かるかい? 在《あ》る事が難しい事が、有難い事なんだよ? 私はね、君に感謝しているの……ありがとう』
この人は、生きていても何の意味も無い俺に対して、心から本当に感謝してくれている……。 そう思うだけで、お腹の底から幸福感が込み上げてきた。 宝石を飲んだみたいに、自分という人間は強く輝いていて、特別だと思えた。俺はこの世界に歓迎される存在で、存在する事を喜ばれる命で、居ても良いんだと自信が持てた。そしてそんな自分を好きだと思えたし、そう思えたのは、生まれて初めてだった”
『多分彼女は、不安の闇に飲み込まれるその汀《みぎわ》にいた俺を、引っ張り出す為に現れたヒーローだったんだ。俺もそうゆう存在《ひと》になりたい。だから俺は、ヒーローを始めたんだ』長々と語り終えた所で、俯いて聞いていた青年が顔を上げた。
『何か凄い話だね。自分で聞いておいてなんだけどさ……どうして、話してくれたの?』
『縁だって言ったろ? それに俺はヒーローなんだぜ? 皆の力になりたいんだ。誰にも後悔なんてして欲しくない。例えば今日があのまま過ぎちゃって、明日の君が泣いていたとしたら、俺はそれに耐えられないよ』
『今日偶然出会っただけなのに? 縁ってそんなに大事な事?』青年は絶対に納得しないぞという表情だ。
『この前、老人ホームに遊びに行った時に近所の園児たちも遊びに来てたんだ。その時おばあさんが読み聞かせてた話が凄く素敵でさ。それが縁を大切にしたくなる話だったんだ! 知ってるかい? 一〇〇年たったらって絵本』
『一〇〇年たったら……どんな話なの?』
マロンは”心して聞きなさい”と言うと、笑顔になり、誇らしげに話し始めた。
”ある日、草原に一羽の鳥が降り立つんだ。しかし、そこに近付いて来たのは大きなライオン。でも鳥は、ライオンが近付いて来ても全然逃げようとしなくて、それどころかライオンに『わたしはもう飛べない。お腹がすいてるんでしょ? わたしを食べたらいいわ』って言うんだ。 けどライオンはそんな鳥に『おれは肉は食わない、おれの好物は草と虫さ』って答えてね。 実はこのライオン、見栄っ張りの寂しがり屋。鳥に近付いたのは、友達になりたいからだったんだ。その時から二匹には友情が生まれ、一緒に生活するようになり。一緒に虫を食べたり、鳥がたてがみの中で眠ったり、歌を歌ったりして二匹は過ごしていたんだ。
でも、ある月の綺麗な夜の事。鳥はライオンの背中から転げ落ちるようにして降りて行き『わたし、もう行くよ……』って言うんだ。 ライオンは『こんな夜にどこに行くんだよ』そう言うんだけど、鳥がどこに行こうとしてるかが分かって泣き出してしまうんだ。 鳥が『また、会えるよ』そう言っても、ライオンは泣きながら『それはいつ?』って。 すると鳥は、少し笑ってこう言うんだ。『ふふ、そうだねぇ……一〇〇年たったら……』”
『一〇〇年後にまた会えたの?』青年はどうしても我慢出来ないという表情で訊ねた。
『この話の続きはね。一〇〇年後、ライオンは岩場の貝になり、鳥は海の波になりました。更に一〇〇年後、ライオンが三人の孫をもつおばあさんになると、鳥はその孫娘が持ってきたひなげしの花になりました。ライオンがチョークになれば、鳥は黒板に……そして、何度目かの一〇〇年がたった時。ライオンは男の子、鳥は女の子になり、また幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし』
”良い話だね”と青年は笑っていた。
夕焼けの透ける紫の空の下、スッキリした顔の彼は、もう大丈夫だろう。 太陽が沈み夜が来ても、必ず朝はやって来て、今日は昨日、明日は今日へと変わる。 過去は変えられないし、未来には何が起こるか分からないけど、今やる事は自分で選ぶ事が出来るのだから。
二人の前では桜が並木道を作っており、その枝では蕾が花を開かせようとしていた。 桜の木が花を満開にするまで、あと、一月も掛からないだろう。そして、満開になったその花は、あっという間に散っていく。
春はあまりに短くて、季節はすぐに移りゆく。だけど、誰もがみんな信じている。 春がまた、巡り巡って訪れると……。
”回っている。ぐるぐると循環している。 道に迷うおばあさんや、少しだけ早く咲く桜。 お尻の破けたヒーローに、無表情の青年も。 一〇〇年があと何回経っても、また、全部が繋がるように……。 ぐるぐるぐるぐるぐるぐると……。 多分……世界はきっと。”
”そうゆう風に、出来ている”