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橘靖竜
第206話 自由の刃
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
パイソンの胸に、レアの光刃が突き刺さっていた。
校庭の時間が、止まったように見えた。
サキへ向かっていた黒い構文は、胸の寸前で崩れている。
黒い文字列は白くひび割れ、砂のように消えていった。
サキは動けなかった。
「レア……」
レアは、パイソンの胸に刃を突き立てたまま、苦しそうに息をしていた。
体の内側では、まだ黒い構文が暴れている。
首筋から頬へ。
腕から胸へ。
足元から背中へ。
命令の残骸が、彼女をもう一度縛ろうとしている。
パイソンは、自分の胸を見下ろしていた。
「ありえない」
その声には、初めて明らかな揺れがあった。
「君は再定義済みです」
「カシウス様の所有物として、命令を実行する状態に戻した」
「私を攻撃する条件は存在しない」
レアは、細く笑った。
「だから……言ったでしょ」
声はかすれている。
それでも、確かにレア自身の声だった。
「命令じゃない」
光刃が、さらに深くパイソンの胸に沈む。
「私が……選んだ」
パイソンの目の奥で、黒い文字列が激しく乱れた。
if damage == fatal。
rollback。
if unit == Rea。
control。
if control == failure。
purge。
次々に構文が走る。
だが、どれも途中で崩れていく。
レアの光が、パイソンの中に入り込んでいた。
それは攻撃というより、内側から黒い命令を焼く光だった。
パイソンは片手を上げる。
「ジャバ」
その声を聞き、ジャバが動きかけた。
「ちっ、何やってんだよ!」
ジャバの足元に影が集まる。
だが、ヴェルニが前へ出た。
「行かせるかよ」
ヴェルニの体はふらついている。
それでも、炎を両手に宿して立っていた。
ジャバは怒鳴る。
「どけ!」
「どかねえ!」
ジャバの拳とヴェルニの炎がぶつかる。
ドンッ!
衝撃で校庭の土が跳ねた。
ヴェルニの足が沈む。
だが、今度は後ろへ飛ばされなかった。
王都兵たちが、ヴェルニの背後で名前を叫ぶ。
「ヴェルニ、立っています!」
「南西槍列、支えています!」
「アデル、外周を支えています!」
アデルは外周線を保ったまま、鋭く命じた。
「ジャバをパイソンへ近づけるな!」
「外周線を落とすな!」
「ここを持たせろ!」
兵士たちが一斉に動く。
ジャバは舌打ちした。
「邪魔くせえ!」
だが、その一瞬の足止めで十分だった。
レアの光は、さらに強くなっていく。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭中央・朝】
パイソンの体から、黒い影が吹き出した。
最初は細い煙のようだった。
だが、すぐにそれは大量の文字列へ変わった。
if。
else。
return。
break。
owner。
role。
command。
control。
黒い文字列が、パイソンの肩から、背中から、目から溢れ出す。
それは逃げようとしていた。
校庭へ。
外周線へ。
体育館へ。
サキへ。
ハレルへ。
リオへ。
だが、レアは光刃を離さなかった。
「逃がさない」
パイソンは初めて、レアの腕を掴んだ。
「離れなさい」
「このままでは、君も崩れます」
レアは笑った。
「うん」
その一言に、サキが息を呑んだ。
「レア、だめ!」
サキが走り出そうとする。
ハレルが手を伸ばす。
「サキ、待て!」
だが、サキは止まらない。
「待てない!」
レアが、顔だけをサキへ向けた。
「サキちゃん」
その声が聞こえた瞬間、サキの足が止まった。
レアは、苦しそうに、それでも優しく笑っていた。
「来ないで」
サキは首を振る。
「嫌だ」
「来たら……巻き込まれる」
「そんなの嫌だよ!」
サキは叫んだ。
「こっちに戻ってきてよ!」
「やっと、自分で選べたんでしょ!」
「だったら、こっちに戻ってきてよ!」
レアの目が揺れた。
その奥に、黒い文字列はまだある。
けれど、それよりも白い光の方が強くなっていた。
「やっと……自由になれたと思った」
レアは言った。
「自分の役割を、見つけられたと思った」
サキは涙をこぼしながら言う。
「なら、生きてよ」
レアは少しだけ目を伏せた。
「でも、消えないね」
「何が……?」
「私が殺した人たち」
レアの声は震えていた。
「私が使った顔」
「私が壊したもの」
「誰かの命令だったとしても」
「私の手で、やったことは消えない」
サキは言葉を失った。
レアは、パイソンの胸に刺した光刃を握り直した。
「だから、これが私の役割」
「もう、誰かの顔を使わせない」
「もう、誰かの命令で殺さない」
「もう、私みたいなものを増やさせない」
パイソンの体から、黒い影がさらに噴き出す。
その影が、レアの体へも絡みつく。
サキは叫んだ。
「レア!」
レアは、サキを見た。
「ありがとう」
「やめて……」
「友達に、なれたかな」
レアは、ほんの少しだけ照れたように笑った。
「サキちゃん」
サキの顔が崩れた。
「なれたよ!」
「なれたに決まってるじゃん!」
「だから戻ってきてよ!」
レアは、その言葉を聞いて、少しだけ安心したように笑った。
「よかった」
その声は、とても小さかった。
でも、サキにははっきり聞こえた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の床が、大きく震えた。
青山先生が生徒たちへ叫ぶ。
「名前確認を続けて!」
生徒たちは泣きながらも声を出す。
「小森ハルカ、ここにいます!」
「内田ソウタ、ここにいます!」
「遠藤ミナ、ここにいます!」
ダミエは体育館の結界を支えながら、校庭側の変化を感じ取っていた。
黒い構文の圧が、一気に弱まり始めている。
ノノの声が入る。
『パイソンの構文が崩れてる!』
『でも、同時に大きな光反応!』
『レアの反応と混ざってる!』
ダミエは低く言った。
「彼女は、パイソンごと自分を燃やす気か」
ノノが息を呑む。
『止められる?』
ダミエは答えられなかった。
止めたい。
だが、今動けば体育館が崩れる。
校庭へ結界を伸ばせば、生徒たちの足元が空く。
それに、分かってしまった。
今のレアは、誰かに動かされているのではない。
自分で選んでいる。
だからこそ、止めることが難しい。
ダミエは歯を食いしばった。
「名前確認を続けろ」
「彼女が作った隙を、無駄にするな」
青山先生が泣きそうな顔で頷いた。
「はい!」
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
日下部の画面が白く染まっていた。
《PYTHON CORE / DAMAGED》
《COMMAND STRUCTURE / COLLAPSING》
《REA LIGHT / EXPANDING》
《BLACK SHADOW LEAK / HIGH》
《SCHOOL RETURN LINE / HOLDING》
日下部は声を震わせた。
「パイソンの構文が崩れています」
「でも、レアの光反応が異常に上昇」
「このままだと……」
木崎が森の奥を見る。
「どうなる」
日下部は唇を噛んだ。
「分かりません」
「ただ、パイソンの黒影を、レアが内側から押さえ込んでいます」
城ヶ峰が低く言う。
「外周は」
「保っています」
「現実側の外周が切れたら、黒影が流れ込む可能性があります」
木崎は無線を取った。
『全班、外周維持』
『絶対に線を落とすな』
『向こうで何かを止めている』
『こちらは場所を支える』
各班から名前確認が返る。
『南西一班、相馬。外周維持』
『北側二班、村井。光具維持』
『東側三班、加納。封鎖継続』
森の奥で、校庭の影が白く光った。
木崎は息を呑む。
その光の中に、少女のような影が見えた気がした。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
パイソンは、レアを引き剥がそうとしていた。
黒い構文が何本もレアの体へ突き刺さる。
if unit == Rea。
release weapon。
if damage == fatal。
rollback。
if control == failure。
discard。
だが、レアは離れない。
「無駄だよ」
レアは言った。
「もう……あなたの条件じゃ動かない」
パイソンの声が乱れる。
「不合理です」
「君が消えれば、君の自由も消える」
「そうだね」
「それでも選ぶのですか」
「うん」
レアは、パイソンへ一歩近づいた。
光刃を刺したまま、両腕でパイソンを抱きしめるようにした。
サキが叫ぶ。
「レア!」
レアは目を閉じた。
「ごめんね」
光が、レアの胸の奥から溢れ出す。
最初は小さかった。
だが、すぐに全身へ広がった。
腕が光る。
足が光る。
髪が光る。
黒い片目の奥にあった文字列が、白い光の中で崩れていく。
レアの体全体が、光の刃になっていく。
パイソンの中から、黒い影が暴れ出す。
大量の文字列。
命令列。
役割の断片。
誰かを支配しようとする黒い線。
それらが一斉に外へ逃げようとする。
ハレルが叫ぶ。
「みんな、伏せろ!」
リオが傷ついた副鍵で光を広げる。
「〈光盾・第二級〉!」
アデルも外周を支えながら、余った光を校庭中央へ向ける。
「外へ漏らすな!」
ヴェルニはジャバを押し返しながら叫ぶ。
「お前も動くなよ!」
ジャバは歯を食いしばっていた。
「くそっ……何なんだよ、これは!」
黒い影と白い光が、校庭中央で渦を巻く。
パイソンは初めて叫んだ。
「ありえない!」
「君は、再定義済みの――」
レアの声が重なる。
「私は、レア」
その一言で、白い光が一気に広がった。
◆ ◆ ◆
光が爆ぜた。
音はなかった。
いや、音が消えたように感じるほど、強い光だった。
校庭の黒い構文が、次々と白く砕ける。
ifも、elseも、returnも、breakも。
黒い命令列が、光に飲まれて消えていく。
パイソンの体が崩れ始めた。
肩から黒い影が剥がれる。
腕が文字列になって散る。
胸の奥から、光刃に焼かれた黒い核が露出する。
レアは、最後まで離れなかった。
サキは泣きながら叫んだ。
「レア!」
光の中で、レアが少しだけ振り返った。
その顔は、もう苦しそうではなかった。
サキには、そう見えた。
レアは口を動かした。
声は聞こえなかった。
けれど、サキには分かった。
ありがとう。
次の瞬間、白い光が二人を飲み込んだ。
パイソンの黒い影が激しく暴れた。
しかし、レアの光に絡め取られ、内側から崩れていく。
黒い文字列が、悲鳴のように乱れる。
そして、消えた。
光が収まった時、校庭の中央には誰もいなかった。
パイソンも。
レアも。
そこに残っていたのは、白い光の粒と、黒い影の焦げ跡だけだった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
誰も声を出せなかった。
ハレルは肩の傷を押さえたまま、校庭の中央を見ていた。
リオは副鍵の傷を押さえ、立ち尽くしていた。
アデルは外周線を支えたまま、目を伏せた。
ヴェルニは炎を消し、黙っていた。
ジャバでさえ、動かなかった。
サキだけが、ふらふらと前へ歩いた。
「レア……?」
校庭の中央へ近づく。
王都兵が止めようとしたが、言葉が出なかった。
サキは、白い光の粒が漂う場所に膝をついた。
「レア」
返事はない。
「レア……」
指先で光の粒に触れようとする。
けれど、それは触れる前に消えた。
サキは両手を握りしめた。
「友達だよ……」
声が震える。
「友達に、なれたよ……」
涙が落ちた。
地面に落ちた涙のそばで、最後の光の粒が一つだけ揺れた。
まるで返事をするように。
そして、それも静かに消えた。
◆ ◆ ◆
パイソンは消えた。
戦場の条件を書き換え、名前と役割をずらし、
レアを再定義しようとした黒い影は、レアの光に飲まれて消滅した。
レアもまた、消えた。
カシウスのものとしてではなく。
パイソンの駒としてでもなく。
誰かの顔を使う道具としてでもなく。
最後に、自分で選んだレアとして。
彼女は、パイソンを抱きしめるようにして、光の中へ消えた。
その光は、学園に残っていた黒い構文を焼き、帰還の線を少しだけ澄ませた。
だが、サキの前に残ったのは、空白だった。
名前を呼んでも、もう返事はない。
それでも、サキは呼んだ。
「レア」
友達の名前を、忘れないために。
コメント
1件
うわあ……読み終わってしばらく言葉が出ませんでした。レアが「命令じゃない」「私が選んだ」って言い切ったところ、本当に胸に来ました。ずっと誰かに動かされてきた子が、最後に自分で選んだんだなって思うと涙が止まらなくて。サキの「戻ってきてよ」も響きました。でも、レアは消えることで自分を解放したんだろうな……切ないけど、とてもきれいな終わり方でした。橘さんの描く"選択"の重み、毎回心に刺さります。