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1話
𝐠𝐨⤵︎
ヨコハマに佇む、少しだけ贅沢な高層マンションの一室。
そこには、かつて「双黒」と呼ばれ、裏社会のトップとも言える二人の男の、驚くほど平穏な生活があった。
ソファに深く身を沈めた太宰治は、読みかけの読本を膝に置き、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
部屋には、中原中也が好んでいる煙草の銘柄の香りが微かに漂っている。
キッチンからは、つい先程まで二人が囲んでいた夕食の、名残惜しい温かな匂いがしていた。
中也は、太宰に優しかった。
それは、組織の相棒として背中を預け合っていた頃の苛烈で剥き出しの信頼とはまた違う、柔らかで、時折怖くなるほど甘い献身だった。
包帯を替える手つき。
悪夢にうなされた夜、無言で引き寄せられる胸の鼓動。
「しにたい」
と零す太宰の言葉を、否定も肯定もせず、
「そうか、なら今日は酒でも飲んで寝ろ」
と笑って頭を撫でてくれる、その手のひらの熱。
(……信じてみても、いいのかもしれない)
織田作之助を失って以来、太宰が硬く閉ざしていた心の扉が、中也という光によって僅かに、本当に僅かに、軋みながら開こうとしていた。
相棒という運命共同体ではなく、ただの「恋人」として。
一人の人間として。
この男となら、この泥のような世界でも、もう少しだけ息をしていてもいいのではないか。
そう思い始めた、矢先のことだった。
「太宰」
壁に寄りかかり、腕を組んで立っていた中也が、低く、重い声で名前を呼んだ。
太宰は顔を上げる。逆光の中に立つ中也の表情は、影になってよく見えない。
「別れようぜ。……もう終わりだ」
部屋の空気が、一瞬で氷結した。
太宰は、反射的に思考の海へ潜る。
これは冗談か。
何かの任務のための偽装か。
それとも、私の隠し事がバレて怒っているのか。
数多の仮説を数秒で弾き出し、答えを探す。
太宰の頭脳は、常に真実を暴くために最適化されていた。
「……なんで」
絞り出すような声が出た。
中也は動かない。
ただ、淡々とした口調で続けた。
「理由なんてねェよ。……ただ、愛してねェんだ。お前を愛するのに、疲れた。それだけだ」
太宰の瞳が、僅かに揺れる。
太宰治という男は、嘘の天才だ。
同時に、他人の嘘を見抜くことに関しても、世界で右に出る者はいない。
心拍数、瞳孔の開き、声の微かな震え、空気の揺らぎ。
その全てが、中也が「本当のこと」を言っていると告げていた。
嘘じゃない。
この、世界で一番自分を愛してくれていたはずの男は、今、本気で私を切り捨てようとしている。
その事実が、鋭い刃となって太宰の心臓を正確に貫いた。
「……そっか。……わかったよ」
太宰は立ち上がった。
抗う言葉も、引き止める理由も、持ち合わせていなかった。
もともと、自分は愛される資格のない人間だと知っていた。
中也が自分に注いでくれた愛は、奇跡のような、あるいは貸し出し期間の過ぎた過ちのようなものだったのだ。
中也は一度も振り返らず、玄関へと向かう。
カツ、カツと、履き慣れた靴の音が廊下に響く。
その音が、二人の時間を一歩ずつ削り取っていく。
玄関のドアノブに、中也の指がかかった。
カチャリ、と金属音が鳴る。
その音が、太宰の中で「永遠の別れ」の鐘のように響いた。
「……中也」
体が勝手に動いていた。
太宰は、中也のコートの裾を、指先が白くなるほどの力で掴んだ。
ここで離せば、もう二度と、この熱に触れることはできない。
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そう直感が叫んでいた。
「……ごめんね」
謝るべきことなど、山ほどあった。
勝手に死のうとしたこと。
食事をこっそり抜いたこと。
彼を振り回したこと。
そして何より――こんな自分を、彼に愛させてしまったこと。
「中也のこと、好きだったよ……。本当だよ……。嘘じゃないんだ。だから……っ」
視界が歪んだ。
太宰の目から、大粒の涙が溢れ出し、中也の黒いコートに吸い込まれていく。
感情を殺し、理屈で生きてきた男が、子供のように声を震わせて泣いていた。
「嫌いに、ならないで……、ちゃんと、直すから。君が嫌いなところ、全部変える、 から……。だから、行かないで……一人にしないで、中也……っ!」
喉の奥が熱い。
胸が、引き裂かれるように痛い。
これは、太宰治が生涯で初めて口にした、紛れもない「我儘」だった。
太宰にとっての「愛」は、常に恐怖と隣り合わせだった。
けれど、中也の隣にいる時だけは、不思議と安心できたのだ。
大きな掌が自分の手を包み込んでくれた時。
指を絡め、体温を分け合った時。
無造作に髪を撫でられ、「馬鹿かお前は」と笑いかけられた時。
その一つ一つの何気ない仕草が、呪いのように太宰を縛り、同時に救っていた。
「こんな私でも、生きていてもいいのかもしれない」
そう思わせてくれたのは、世界でたった一人、中原中也だけだった。
「……中也……おねがい……」
掴んだ裾を離せない。
泣きじゃくる太宰の姿を、中也はやはり振り返らないまま、黙って受け止めていた。
ドアの外からは、夜の街の音が入り込んでくる。
二人の間に流れる時間は、もう、元に戻ることはない。
太宰は、泣きながら確信していた。
中也の決意は固い。
それでも、この瞬間だけは、この裾を掴んでいる指先だけは、自分の命を繋ぎ止める最後の糸だった。
「……離せ、太宰」
中也の低い声が、静かな玄関に響いた。
それは突き放すような冷たさと、同時に、何かを堪えるような深い断絶が含まれていた。
いや、太宰の勘違いかもしれない。
太宰の指から、力が抜けていく。
裾が指先から滑り落ちた瞬間、世界から色が消えた。
ドアが閉まる音。
それが、二人の恋の、そして太宰治がようやく見つけた「生」への執着の、終わりの合図だった。
太宰は静まり返った玄関で、いつまでも止まらない涙を拭うことさえ忘れて、立ち尽くしていた。
愛していた。
初めて、自分以外の誰かを、自分と同じくらい――いや、自分以上に守りたいと、側にいたいと願っていた。
その想いだけが、冷え切った空気の中に、いつまでも漂っていた。
文ストだから、ちょっと、難しい言葉使っていってみた
3人組ハブられ界隈になって鬱
2人にしか分からない超絶オタクな会話始めちゃって、私たち運命共同体だよねっ!✨みたいな言い出してもう辛い泣
𝙉𝙚𝙭𝙩 ︎