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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
快晴の休日。仕事の疲れを癒したくて、私は外に出る代わりにベッドの背もたれに身を預けていた。昨夜コンビニエンスストアで購入した雑誌をパラパラと捲っていた、その時だった。
聞き慣れた着信音が鳴り、手に取ったスマートフォンの画面には母親の名前が表示されていた。
用件は聞かずとも分かっていた。
だからこそ、出るのに少し躊躇した。
このまま逃げ続けるわけにもいかないと、私は覚悟を決め、親指で通話ボタンをスライドさせて端末を耳に当てた。
「もしもし」
『もしもし、夏帆? あなた最近連絡ないけどきちんと食べてるの?』
「仕送りのお陰できちんと食べてるよ」
相変わらずな会話の幕開けに、思わず苦笑いが漏れる。
母はいつだって私の心配ばかりしている。まだ子供だと思っているのか、ありがたいことに今でも定期的に食材が送られてきていた。
『あんたが早く身を固めてくれたら私も気にせず居られるのに。相変わらず良い人はいないの?』
予想通りの展開に、ぐっと気が沈む。
電話のたびに繰り返されるこの話題が、最近の私が母からの連絡を億劫に思う一番の理由だった。
「…いないけど、でも今は仕事が楽しいから」
『そう言ったって仕事は一生じゃないのに…。ねぇ、夏帆。良いお見合いの話があるんだけどそろそろ受けてみない?』
「受けてみない?」という問いかけは、実質的な強制であることを私は知っている。
断ったところで、「会う前から決めつけないで一度くらい」と畳みかけられる未来まで、容易に想像がついていた。
この手の話はそろそろ終わりにしたいけれど、終わらせようと思って、ここで適当に「恋人がいる」なんて嘘をつけば、次は「いつ会わせるのか」と詰め寄られるのが目に見えている。
そして当然、両親に紹介を出来る男性なんていない。
「……本当に今は忙しいからもう少しだけ待って。また顔出しに帰るから、ね?」
『あんたはまたそう言って……。本当に、ちゃんと考えなさいね』
「うん」
そんな話をしてから逃げるように電話を切り、深く溜息を吐き出した。
せっかくの休みなのに、どうしてこんなにストレスを溜めなきゃいけないのか。
母が私のことを思ってくれているのは重々承知しているけれど、納得のいかないことに貴重な時間を使いたくはなかった。
壁の時計に目をやると、時刻は午前十一時。
パーッと発散したい気分だが、一人で出かけるのは味気ない。そんな時、ふと頭に浮かんだのは雅の顔だった。
雅なら気を遣わなくていいし、買い物に連れ出して荷物持ちをさせるのも悪くない。そう結論づけると、私はLINEのトーク画面を開き、迷わず通話ボタンをタップした。
なかなか出ない。まだ寝ているのかもしれないが、構わずかけ続ける。
一度目は無反応。二度、三度と粘っていると、ようやくコール音が止み『……はい』と、掠れきった寝起きの声が聞こえてきた。
きっと明け方まで仕事をして眠っていたと、容易に想像はついたが、申し訳ないなんて微塵も思わないし、このまま寝かせておく気もなかった。
「おはよう、暇でしょ?」
『一言目から失礼な女だな、暇じゃねぇよ。今日も仕事だよ』
不機嫌そうな声に、思わず笑みがこぼれる。彼は何度か咳払いをして喉を整えると「で、何の用?」と億劫そうに質問を投げてきた。
「暇よね。今日、私のストレス発散に付き合ってくれない?」
『仕事だっつったろ。聞けよ』
そんな雅のツッコミは当然聞いていないし、聞くつもりも無い。私の中では、雅を連れ出すことはすでに決定事項だから。
「付き合ってくれたら今日のご飯も夜のバーも私の奢り。好きなだけ食べさせてあげるし、好きなだけ飲ませてあげる」
『……同伴?』
「いつからホストだったのあんた」
さっきまでストレスでキリキリしていた胃の痛みが、雅と話しているうちに少しずつ和らいでいく。
変に気を遣わず、どこまでもフラットに接してくれるからか、雅との会話は気楽で、それでいて驚くほど波長が合う。
『今から用意しても時間かかるわ。今から送る住所まで迎えに来てくんね?』
「図々しい男ね、私の方が時間掛かるわよ。今から用意だもの」
『何でだよ、誘って来といて。とりあえず来て。送っとくから』
雅はそう言い捨てて、一方的に電話を切った。
人の話を聞いてないだなんてあんたが言えた事じゃないでしょうにと、そう思いながら軽く溜息を吐き、私はようやくベッドを抜け出した。
⏲
一時間半後。身支度を整えた私は、Googleマップが示す住所へと辿り着いた。
自宅から徒歩十五分。これほど近くに住んでいたのなら、なぜ今まで一度も遭遇しなかったのかと思うと不思議だ。見上げた先には、それなりにセキュリティの厳重そうなマンションがそびえ立っていた。
エントランスのオートロックを抜け、指定された部屋のインターフォンを押す。少しの間をおいて、電子音が静まり返った廊下に解錠の音を響かせた。
中から顔を出したのは、雅だったけれど、その姿に思わず絶句した。
奴はまさかの上半身裸だった。
「おはよ」
「……服は着てから出てきなさいよ」
「今服選んでたところ。ちょうどいいところに来たわ。上がって」
私だからって気抜きすぎでしょ、この男。
無駄のない、しなやかな筋肉のライン。普段、男性の身体を目にする機会などない私には、あまりに毒気が強すぎるのでやめていただきたい。
招き入れられた室内は、驚くほど物が少なく、整然としていた。この部屋のシンプルさは、大学時代の彼を彷彿とさせる。
雅は昔から物欲が希薄で「何が欲しい?」と問いかけても「夏帆からもらえるなら何でもいい」とはぐらかされるばかりだった。
時折自分で買う服やアクセサリーも、こだわりがあるのかないのか、いつも黒一色。自分のスタイルをそれがまた引き立てる服装なので似合うのを分かって着ているのだと思ったらなんとなくイラッとした
ぼんやりと部屋を見渡していると、不意に肩を抱き寄せられた。
「てか、すごい綺麗にしてんじゃん。俺のため?」
低く囁くような声が耳元で聞こえる。雅の指先が、セットしたばかりの私の髪で遊ぶ。その手慣れた仕草に、私は反射的にその手をパシッと跳ね除けた。
ここで触れることを許してしまえば、あとは彼のペースに飲み込まれるだけだ。部屋に入ったことで合意になんてなったら……と考えたが、そんな隙を見せるつもりは、毛頭なかった。
「ていうかいつまで待たせる気? 早く用意しなさいよ」
「ちょうどいい所に来たって言ったのは、これ。服選んで、夏帆」
言葉と一緒に後ろから抱きつかれ、開いたクローゼットに指をさしている。「ちょっと!」と声を荒らげると、背後から覗き込んできたいたずらな笑みをしている奴と目が合った。
「……早く離れて」
「はいはい。決まったら渡して」
誰もまだ服を選ぶなんて言っていないけど、くらい言ってやりたかったのにもう私の話を聞く気が無い様で、奴はもう聞く耳を持たず洗面所へ向かっている。
確かに一緒に出掛ける時は雅の服を私が選んでいた。
元々選ぶのは好きだったし、大好きな彼氏が自分好みの服装で隣を歩いてくれるのは最高だった。当時のことを思い出してワクワクする反面、今の状況を思うと少しだけ複雑だ。
早く出かけるためにも選んでしまおうとクローゼットに手を伸ばすが、いざ服に触れるとどの組み合わせがいいか真剣に悩んでしまう。
結局、複雑だなんだと言いながら、始まってしまえばこの瞬間が好きだ。自分がおしゃれをするのはもちろん、人を着飾ることも。
洗面所から戻ってきた雅を「ちょっとこっち来て」と呼び止め、選んだ服を体に当てる。見立て通り、よく似合っていた。顔がいいのももちろんあるけれど、スタイルもいいから大抵の服は着こなしてしまう。
「はあ、イケメンって罪よね」
「惚れそう?」
「顔だけね」
勘違いされないように釘を刺すと、雅は楽しそうに笑っていた。
「はい、着替えてきて」
「はいはい」
そう言って服を受け取り、再び洗面所へと向かう雅の背中を見送った。
今日は買い物にしこたま付き合わせて、思いっきり飲んで帰ろう。幸い明日も休みだし。……仕事前に連れ出すのは少し可哀想だったかしら、なんて考えて十五分後。着替えとヘアセットを終えた雅が戻ってきた。
その姿を見た瞬間、自分の見立てに間違いはなかったと確信する。
「ああ、本当黙ってたら惚れそう」
「はは、間違って殴りそう」
そんなクズ発言は聞き流して、外見の良さにうっとりする。今だけは間違えて殴るなんてありえないでしょというツッコミすら忘れて。
視線を浴びることに慣れているのか、奴は平然とした様子で財布やスマホをポケットに放り込み、棚から取り出したアクセサリーを身に着けていく。
「ていうか、ここに来るまで結構時間あったのに何をしてたの」
「ごろごろして目覚ましてから風呂入っただけ。そんで髪乾かし終わったら、ちょうど夏帆来た」
「迎えに来させといてごろごろとは本当良いご身分ね、あんた」
軽く肘で小突くと、雅は「こっちの事情も考えずに急に誘ってきといて…。これでも急いだ方だろ」と文句をこぼした。
「ていうか、あんたそもそも綺麗な顔してるからメイクもいらないし、どこに時間かけるの?」
「……強いて言えば風呂?」
「お風呂……」
ヘアセットなどではなく風呂という言葉が出てくるのが羨ましい。
私は服選びもメイクもヘアセットも、全てに時間がかかる。できることならその準備量を交換してほしい。
「お待たせ。てか、どこ行くわけ?」
「買い物。お礼に何でも買ってあげる」
「まじ? 恩って売っとくべきなんだな」
「調子乗んな」
そんな会話をしながら一緒に家を出ると、車を持っているという雅に、そのままハンドルを握らせた。
外に出れば必ずと言っていいほどお酒を飲むこの人が、一体いつ車に乗っているのかは謎だけれど。
コメント
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おお、この第5話、めっちゃいい感じやん! 雅のクズっぷりが全開だけど、なんか憎めないというか…夏帆との掛け合いがテンポ良くて、読んでてニヤニヤしちゃったわ。 特に“服選び”のシーン、元カレに自分の趣味の服着せるのって、なんか独占欲というか、距離感が絶妙でグッときた。 顔面とスタイルに免じて許してるけど、実際殴りそうになる気持ちもわかる(笑) この先、再会からどう転がっていくのか、超気になる!