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周り全てが敵に見えて……
いつしか笑うことも忘れていたような気がする。
自分はただ厳しいだけの情がない人間だと、本気でそう思っていたし、いつだって必死に会社を守ろうと、そのことだけを考えていた。
そんな時、目の前に1人の女性が現れた。
仕事柄、普段からたくさんの女性と出会う、話もする。
中には、俺に好意を寄せてくれた人もいた。
でも、誰1人として、本当の愛情を感じられる女性はいなかった。
ましてや心を許せる人など、いるはずもなく。
なのに、ある時、たまたま通りかかった店の前を掃除していた女性にふと目がいった。
何気なく見ていたら、その人は道行く人に笑顔で挨拶をした。
その瞬間……
自分でも何が起こったのかわからない程に、体中に衝撃が走り、心臓が止まりそうになった。
彼女から一瞬足りとも視線を外せなくなって……俺はしばらくその場に立ちすくんでしまった。
「この感情はなんだ? 俺は……どうしたんだ」と、自分自身に訴えかけた。
ハッとして我に返り、その店に近づいてみた。
『杏』というパン屋だった。
店の中に入った彼女は誰かと話していた。
ここの店員か……
俺は店に入ることはなく、よくわからない気持ちのまま会社に戻った。
そして、前田君に言われた、
『社長、肩に桜が……』
舞い落ちた薄いピンクの花びらが、ずっと俺の肩に留まって着いてきたんだ。
手のひらに乗せたら、それはとても美しく、可愛らしく……
その花びらを見ていたら、彼女の顔が頭に思い浮かんだ。
ついさっき初めて会った……いや、見かけただけの女性。
この桜のように素敵な人だったと、改めて思い返した。
でも、その時は仕事をいくつも抱えて、かなり慌ただしい生活をしていて、女性との時間を作ることなど、会社を潰すことにつながると、無理やり自分の気持ちを押さえ込んだ。
彼女への想いは、決して恋や愛なんていう感情なんかじゃない、そう自分に何度も言い聞かせた。
それから1年――
ただがむしゃらに仕事だけをこなし、あらゆる事業やイベントを成功させ、それを父もとても喜んでくれた。
周りにも認められた。
だけど……
あれほどまでに「自分とは関係ない、彼女と出会ったこと自体幻だったんだ」と、まるで暗示をかけるみたいに生きていた俺の心は……いつになっても満たされることはなかった。
どんなに自分に嘘をついても、いくら努力しても、全部、無駄だった。
仕事に夢中になっていたとしても、本当は、片時も彼女を忘れたことはなかったんだ。
忘れたくても……
雫の眩しい程の笑顔が消えることはなく、それどころか、ますます輝きを強めて……
俺の中に留まり、存在し続けた。
俺は自分の気持ちに気づいていながら、1年間もそれを認めず見て見ぬふりをしていた。
仕事のためだと強がって。
そうやって、自分自身の心を、ずっとずっと痛め続けていたんだ。
1年経って、ようやく俺は自分の気持ちに正直になれた。
……と、思ってる。
初めて『杏』の店内に入って、久しぶりに雫の顔を見た。
可愛い笑顔はあの時のままだった。
同じ空間に彼女がいる。
たとえ短い時間であったとしても、雫と会話するだけで……それだけで、俺は身も心も癒された。
1年という長い沈黙の間に、彼女は、特別で誰よりも大切な存在になってしまってたんだ。
社長としての重責を果たすためには、女性との恋愛など有り得ないと信じていたのに、今は、雫の笑顔がないと自分が上手くコントロールできない。
反対に、彼女の笑顔があれば不思議なくらい力が湧いた。
もっと早く素直になれば良かったと、情けない程に後悔した。