テラーノベル
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その夜。帰宅した瑞奈のお父さんに挨拶をし、夕食をご馳走になった。お父さんは年齢の割には若々しい風貌で、真ん中で分けた髪には白髪が混ざっているものの清潔感があった。俺に『会いに来てくれませんか? 瑞奈に』と促してくれた咲良も、何てこともない顔をしながら家に帰ってきた。
「咲良、何で晴翔くんに言っちゃったんだよお」
瑞奈が開口一番、不服そうな声を漏らすも、咲良は冷静だった。
「この方が良かったと思うから」
くいっと眼鏡を中指であげる。
「それじゃ、勉強するから」
後腐れのない雰囲気を醸しだした咲良が二階の自室へと階段を昇っていく。高校三年の咲良は受験を控えている。あの日は、予備校の夏期講習を休んではるばる上京したそうだ。
「俺は妹さんに感謝してるよ」
ふーんだ、と瑞奈が箸を口と鼻の間に挟む。瑞奈のお母さんが、これ瑞奈、と叱ると、瑞奈はもっとぶーたれた表情で、ふふーんだ、と口をさらに突き出した。でも、瑞奈の目は嬉しそうに眉を下げている。
「本当にいいのよ、晴翔君。泊まっていって」
瑞奈のお父さんもうんうんと頷いてくれたが、俺は「行きの新幹線の中でホテルを予約しちゃいまして」と瑞奈のご両親の申し出を辞退した。
実際のところ、本当に長野駅近くのホテルを二泊分予約してある。今回のために貯金を削る覚悟もできているので、数泊分の宿泊代は何とかなりそうだ。もし、予算的に厳しくなった場合は、ご両親のご厚意に甘えようと思っている。
「また明日伺います」
本当にどうもありがとうございます、と瑞奈のご両親が頭を下げてくるので、俺も慌てて「いえいえ」などと言いながらお辞儀をする。
「なーにやってんだか」
瑞奈が俺の手を取り、「送るぞ」と俺を引っ張った。流石に、ご両親の目の前で手を繋ぐのは憚られる。咄嗟に手を引こうとしたが、彼女は俺の手を離さなかった。
なし崩しのように俺ははにかみながらご両親にお礼を述べつつ、瑞奈に手を引かれて玄関を後にした。くすっと、ご両親が笑みを浮かべてくれたのがせめてもの救いだった。
角を曲がり、ご両親の視線から逸れたところで、瑞奈が大胆に腕を絡めてきた。瑞奈のしなやかな腕の柔らかさと匂いを知覚するや、自覚せずに、ふー、と長い息が漏れた。
「ごめんね」
瑞奈が俺の腕をぎゅっと絞るように抱き寄せる。
「怒ってる?」
「怒るどころか、気が気じゃなかった。マジ、神経きつかった」
「ホント、ごめん」
その言葉を最後にしばらく俺と瑞奈は言葉を交わさなかった。無言で、二人寄り添ったままアスファルトの道路を歩いていく。路面に俺と瑞奈の長い影が伸びていた。歩くたびに、その影も一緒に移動してくる。路面を踏む足音と時折り聞こえてくる近所の生活音だけが、空気を振動させている気がした。だいぶ歩いたところで、瑞奈が「あのね」と言いだした。俺は足を止める。
「大学、辞めるよ」
「何だと?」
俺の返答がおかしかったのか、きゃははと瑞奈が真面目な表情を崩した。『何だと?』だって、おかしー、と笑い声をあげ続ける瑞奈の両肩を俺は掴んだ。
「大学辞めるのはまだ早いだろう。せめて休学とか。そもそも病気かどうかがまだはっきりしてな――」
「退学するの」
俺の言葉を遮る瑞奈の声は、笑い声から一転して固かった。俺と至近距離で目が合う。瑞奈は目をそむけない。真っすぐ俺を見ていた。
「動けないあたしを、みんなに知られたくないから」
瑞奈の瞳が揺れた。一回揺れ、二回揺れ、三回目で止まる。
「ごめん」
瑞奈の肩を掴む手の力を緩める。
「支える俺がショックを受けてて」
「当然だよ。もしも、立場が逆だったら、晴翔くんがALSかもしれないって診断下されたら、あたしショックで寝込んじゃうかもしれない。少なくとも、リフティングが八百回続くことはないよ」
「普通の心理状態でも、八百回はなかなか続かねえよ」
「そうなの?」
瑞奈が、さっきまでとは打って変わった雰囲気を纏いながら、素で驚く。まるで今までの会話がなかったかのように。
まったく、こいつは。
自然と笑みが沸いてきた。こんなシリアスなシーンなのに、大好きだ、そう再認識する感情まで俺に抱かせてくる。だから言わずにはいられなかった。
「瑞奈、大好きだ」
「ばかもん、あたしもだ。へっへっへ」