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(江藤ちん、ありがとう。俺ひとりだったらきっと、こんな作戦は思いつかなかった――)
目の前でしゃがみ込み、凛とした表情でタイヤに触れている橋本の横顔を、宮本は胸を熱くさせながら見惚れつつ、昨夜の出来事を思い出していた。
「もしもし、江藤ちんどうしよう! 明日のデートで、何を着て行けばいいか、全然わからなくて」
橋本とカー用品店に出かけることをデートと称してしまったのは、それだけ楽しみにしていたせいだったりする。
宮本は、手持ちの少ない服を床に散らばせた状態で、江藤に電話をした。まさに藁にも縋る思いで話かけたものに対する友人の第一声は、意外なものからはじまった。
『やめっ、離れろ。電話に出なきゃ、ンンっ!』
「ごめん、自力で何とかするから」
宮本が電話をかけたタイミングが悪すぎることを呪いながら切ろうとした瞬間に、ガンッという何かを殴った音と『ぐはっ』という悲痛な声が聞こえてきた。
『はあはぁ……大丈夫だ、宮本のバカは沈黙させた。それで、服がどうかしたのか?』
ちょっとだけ鼻にかかったような甘い声から一転、いつもの調子で会話を続行する江藤の強靭なメンタルに舌を巻いた。
(佑輝、いいところを邪魔して済まないな。相談が終わったら、すぐに江藤ちんを返すから!)
江藤から愛の鉄槌を食らった実の弟に哀悼の意を心の中で送り、現在困っていることを説明する。
「明日着ていく服の候補が、この状態なんだ。テレビ電話に切り替えるから見てほしい」
ポチッと画面を押して、モードを切り替えるなり、床に散らばっている服を江藤に見せた。
『雅輝、聞きたいことがある。デートを取りつけたのはいつだ?』
渋い声に導かれるようにスマホを見ると、画面のむこう側にいる江藤は額に片手を当てながら、憂鬱そうに眉根を寄せていた。
「えっと1週間前……」
『それだけあったら、服を買いに行く時間くらいあっただろう。何をしていたんだ、しっかり者のおまえらしくない』
「実は今度のデート先がカー用品店で、彼の愛車のタイヤを選ぶことなんだ。それで車とタイヤの相性について、いろいろ調べてまとめたりしていたのと……」
たどたどしく語っていく宮本の言葉を、江藤はじと目をキープしたまま聞き入る。
「心に響く告白しようと思って、アニメを貪り見ていたら、時間があっという間に経ってしまったんだ」
『アニメだと? 貪り見てしまうようなそんなにいいものを、おまえが持っているとは思えない。戦闘シーンが多数で、恋愛要素はほんのちょっとしかないだろうな』
(さすがは江藤ちん、俺の趣味をよくわかっていらっしゃる!)
『雅輝に反論してほしかったのに、感心した顔で俺様を見つめてくるとは。やっぱアレか、三つ子の魂百までなんだな。大学時代と変わっていなかったということか』
額に当てていた手を顎に移動させて言い淀む江藤に、宮本はアハハと小さく笑うしかなかった。
「俺、いつも受け身でいたし、いろんなところに自信がなかったせいで、今まで諦めてばかりだった。自分から告白したことがないんだ」
『告白したことがない自慢なんてするなよ、このモテ男め! モテない弟が、俺様の膝の上で泣いてるぞ』
(それって、江藤ちんに殴られたせいで泣いているのでは、なんて言えない――)
「だって事実だしさ。そういう経験をしたことがないから、何を言ったらいいか迷ってる」
『笑うに笑えねぇよ。告白する言葉が迷走しているだけじゃなく、着て行く服もないときてるんだから。兄弟揃って、センスが壊滅的だしな!』
カラカラ笑う江藤の傍にいる弟が「笑いすぎですよ、いい加減にしてくださいっ」なんて、偉そうに注意をした。
「江藤ちん、どうすればいい?」
『簡単なことさ、好きだと言えばいいだけ。俺様を含めておまえに告白してきたヤツらも、そう言っただろ?』
「うん……」
『はじめて告白するからこそ、もっと気の利いた言葉で、相手の心を掴みたいのはわかる。ましてや今回は片想い、振り向かせたいっていう強い気持ちも、理解するがな』
思いやりに溢れる友人の声は、宮本の耳から胸にじわりと伝わった。画面越しに向けられる眼差しはいつも以上に優しくて、鼻の奥がツンとなる。
気弱になっている今だから、こうして寄り添ってくれる思いが嬉しくて堪らない。
『ぐだぐだ説教するみたいに気持ちを告げるよりも、シンプルに言うほうが、案外インパクトはあるってもんだ』
「シンプルイズベスト、か――」
『そうだ、言葉はシンプルに。だが着ている服を意外なものにしたら、相手が驚くこと間違いなし。スーツくらい持ってるだろ、全部見せてみろ!』
こうして数着の中から、濃紺のものが選ばれたのに、持っているネクタイがお洒落じゃないと苦い薬を飲み干したような顔つきになった江藤から、見事にツッコミが入ってしまった。
デート当日の午前中に、スーツに似合うネクタイを一緒に買いに出かけたついでに、髪形もチェンジしろよとアドバイスを受けて、江藤が行きつけにしている美容室にまで足を延ばした。
その結果、いつもと違う宮本の姿を見て、橋本は驚いただけじゃなく、きちんと褒めてくれた。見違えるまでとはいかないものの、いつもより積極的に、自分の気持ちを口にできたことは、確実に自信へとつながった。
(江藤ちんに呆れられた、リュックについての指摘はどうしようもなかったとして、いつもなら陽さんの言葉に反論することができなかった俺が、あそこまで追い詰めることができたのは、このスーツのお蔭なんだよな。しかしながら語彙力がなさすぎて、「突っ込む」を連呼したのは失敗だった――)
しみじみと先ほどまでのやり取りを思い返す宮本の耳に、橋本の話し声が聞こえてきた。
「どうも……」
「それでお客様は、どの車種のタイヤをお探しなんですかぁ?」
軟派な雰囲気を漂わせた茶髪の店員が、馴れ馴れしく話しかけながら橋本の肩に手を置き、同じようにしゃがみ込む。
(――俺の定位置を横取りするなよ、アホ店員!)
宮本は背負っていたリュックを下ろし、橋本に触れている店員の腕に目がけて、ぶつけるように床に置いた。
ドサッ!
「うわっ!」
「すみません~、勢い余ってつい!」
店員が驚いて後退りしたのを見て、宮本はすかさず躰を割り込ませて、定位置を略奪した。
「陽さん、聞いてくださいよ。実はオススメしたいタイヤが、3つもあるんです」
店員が背後から何かを話しかける前に、手早くリュックサックからタブレットを取り出して電源を入れた。起動するのにちょっとだけ時間がかかるので、橋本を待たせないようにしようと、頭の中に入っている知識を思い返してみる。
「ちなみに、普段のインプの使用頻度はどれくらいですか?」
「平日はほとんど乗らないな。むしゃくしゃしたときにぶらっとそこら辺を走るのと、休みになったら遠くまで買い物に出かけるのに、走らせる程度」
「今、陽さんが触ってるM社のタイヤなんですけど、欧州の道路で超高速走行をしても使える、大陸型の長距離走行に適したものなんですよ。確かに耐磨耗性はいいですが、乗り心地が硬いせいで、ノイズも高めなんです」
起動し終えたタブレットを操作して、会社別に比較しやすいようにまとめたものを、橋本に見えるように画面に表示した。
「すげっ、何これ? おまえが全部調べたのかよ?」
「はい。これを見たら一目瞭然なんですけど、さっきのタイヤだと「うるさいな」「硬いな」と使っている内に、時間が経ってしまうんです。硬い分だけタイヤの溝は残っていても、その前にゴムの劣化による寿命を迎えることになるんです」
指先でM社のタイヤが表示されている画面を差しながら、耐磨耗性だけ特化していると評価した自分の意見をなぞってみる。
「あのぅ、お話のところすみません。お客様はタイヤについて、お詳しいのでしょうか?」
背後に退かせた茶髪の店員が、恐るおそる話しかけてきた。
ここからなのにと、心の中でチッと舌打ちをしたとき、宮本の肩に橋本の腕が回された。
「兄ちゃん悪いな。コイツ、いろいろ調べているみたいだから、その話を聞いて購入を決めることにする。どれにするかハッキリ決まったら呼んでやるから、悪いがふたりきりにしてくれ」
橋本が背後に話しかけながら、宮本の躰を自分にくっつけるように、力を入れるのがわかった。
本当はどんな感じで、橋本が店員と交渉しているのかを見たかったのに、宮本は顔が熱くてそれどころじゃなく――口から心臓が飛び出そうなくらいに、バクバクしていた。
(陽さん、不意打ちなんてズルい。この行為について他意がないことくらい、頭ではわかっているのに、期待をしてしまう自分がどこかにいる……)
「わかりましたぁ。お客様からの声がけをお待ちしておりますぅ」
気さくに頼み事をした橋本に、猫なで声で返事をした邪魔者。靴音が遠ざかる音でいなくなったのがわかり、宮本はほっと胸を撫で下ろした。
それと同時に外される、肩に回された橋本の腕を、名残惜しげに見つめてしまう。すぐ傍で感じていた温もりが瞬く間になくなったことに、宮本はどうしても落胆を隠せなかった。
「ん? どうした?」
「あっ、いえ……。何でもないです」
見つめていたことを悟られないように、ぱっと視線を外して、持っていたタブレットをガン見する。
「雅輝が調べたものの説明をしようとしているのに、アイツが口を挟むのが、俺としては嫌だったから、ああやって追い返したんだけど。やっぱり、販売員からの意見があったほうが良かったのか?」
戸惑う宮本の様子を慮って、心の内を語る橋本の優しさに、バクバクしている心臓が痛いくらいに高鳴って、苦しさが更に増した。
「そ、そのことについて、ですね」
「おう」
異常なまでの血の巡りは、宮本の頭の中をショートさせる勢いがあり、思考回路が面白いくらいに絡まるせいで、必死になって覚えたことが耳から漏れそうになる。
「陽さんが店員を追い払ったお蔭で、その……ふたりきりになれたことにより、濃厚な接触ができぅっ、違う、そうじゃなくて説明することができるので、いいタイヤ選びがラッキーというか」
「とりあえず、雅輝としては良かったんだな?」
「はいっ、もちろんです。喜んで!」
「ぷっ! 喋ってる日本語が崩壊するくらいに、インプが好きなことは、嫌っていうくらいに伝わってきた」
隣で躰を揺すって忍び笑いする橋本を、宮本は複雑な心境で眺める。
『インプよりも、陽さんが好きなんです』
そう告げそうになるせいで、口の端に力を入れてやり過ごすのに必死になった。
うず高く積まれている、新品のタイヤを目の前にして告白するなんて、ムードの欠片はおろか、お笑いにすらならない。
『タイヤを選ぶよりも、困難なことを言い出すなよ』なんて、橋本から言われそうなセリフまで思いついてしまう始末。
「そのインプに対する愛情込みでいいから、セールストークをしてくれ。雅輝の説明下手なところを考慮しながら、いいタイヤをしっかりと見極めて選んでみせる」
選んで見せると言いきった、橋本のセリフに導かれるように、宮本はタブレットから顔を上げて隣を見た。目が合った瞬間に、ずきゅーんと胸を撃ち抜かれた挙句に、口から心臓もとい魂が飛び出たような気がしたので、慌てて口元を押える。
ニヤニヤした意地悪っぽい橋本の笑みも、今の宮本にとっては、惹かれてやまないものだったせいで、全身の力が抜け落ちそうになった。
午前中、友人の江藤と一緒に出かけたときにはなかった、左右にブレまくる心の変動は、宮本自身としては困惑するものなれど、久しぶりに感じる恋する気持ちも悪くないなと、胸の奥底で嬉しさをぎゅっと噛みしめる。
(絶望的な片想いだけど、それでも大事にしたい――)
じっと見つめる橋本の視線を避けるように、宮本は目の前にあるタイヤに視線を飛ばした。
「えっと手前の左端にある、D社のタイヤなんですけど、展示されている中で一番安いタイヤなんですが、そこまで質が悪くはないタイヤなんです。理由は――」
ここ一番の最強ともいえる、橋本の笑顔に萌えを感じながら、タイヤについての知識を語っていく宮本の言葉は時として難があったが、橋本なりに内容を噛み砕き、インプにぴったりなタイヤを選ぶことができた。
恋心ゆえの暴走のせいで、ボケたセリフを口にする宮本を、生暖かい目で橋本は見つめたのだが、それすら暴走行為に拍車がかかるとは、まったく思いもよらず、更にオカシくなった宮本のことを構い倒した。
(陽さんの笑顔が見られるから、我慢してかまわれているのであって、けして喜んでかまわれているんじゃない! 弟の佑輝のように、Мっ気があるわけじゃないからな!)
ということを、宮本はコッソリ思っていたのでした。