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宮本から小一時間ほどタイヤについてのプレゼンを橋本は聞き入り、資料がまとめられているタブレットを見せてもらって入念に検討した後に、B社のタイヤに決めた。
「値段が高けりゃ、いいってものでもないんだな」
「俺も今回のことでいろいろ調べて、大変勉強になりました」
宣言通りにチャラそうな兄ちゃんに声をかけて、タイヤの履き替えをお願いする。30分ほど作業の時間がかかると言われたので暇を潰すべく、すぐ傍にあるショッピングモールに足を延ばした。
「なぁ雅輝、インプのタイヤを選ぶからって、どうしてスーツを着たんだ?」
なんの気なしに質問した橋本の言葉を聞いて、宮本は顔を思いっきり引きつらせながら「ひっ」と短い声を上げた。
「何、そのリアクション。俺ってば、聞いちゃいけないことでも訊ねた感じ?」
「やっ、そんなことはないというか……。むぅ」
「俺とタイヤ専門店に行くだけなのに、普段は着ないスーツを着てきた。他に深い理由があるのかなって思うのは、当然のことだろ」
ショッピングモールに行く道すがら話題を提供した橋本を、宮本は弱り切った顔で見つめる。
「雅輝のその表情で、俺の中にある考えが確信に変わったんだけど、ぶっちゃけてみてもいいか?」
どこか挑むような眼差しを受けて、顎を引いた宮本は黙ったまま頷いた。
「年上の彼女と俺の年齢が近いのをいいことに、試してみたんだろ?」
「あー……、はい。大体合ってます」
「大体?」
これまでのやり取りから導き出した橋本の答えは、間違いなく外していないと思ったのに、大体という言葉で濁されてしまったことは、驚きを隠せなかった。
「あのとき――。店長と陽さんに好きな人がいるって言ったときは、店長がいる手前、年上の彼女って言いましたけど、本当は年上の男性なんです」
「へぇ、そうだったのか」
「陽さん言ってましたよね。少しでも発展させるなら、見栄えを良くする努力とか、何かしら行動すればいいのにって。それでお洒落な江藤ちんに相談したら、俺の持っている普段着では格好がつかないので、スーツを着ることになったんです」
力なくぼそぼそと語っていく宮本を元気づけるべく、ばしんと背中を叩いてやった。
「なるほど。年上の誰かさんも俺のように、意表を突かれたらいいのにな!」
リュックを背負わずに片側にかけていたせいで、橋本の一撃を受けた宮本は、痛そうに顔を歪ませた。
「タイヤを選ぶのを手伝ってくれたお礼に、俺がお洒落な服をチョイスしてやる」
「えっ!?」
「だってさ、普段はそんな恰好をしない雅輝がスーツを着ていたら、相手の男は絶対に不審に思うだろ。何かあるって勘繰るって」
「…………」
叩いた背中が痛むのか、顔を歪ませたまま自分をじっと見つめる宮本に、橋本はにっこりと微笑みかけた。
「おまえの恋が成就するように、俺がプロデュースしてやる。まずは、この店の商品から漁ってみるか」
「ちょっ! ちょっと待ってくださいって。こんな高そうなブランドのお店のものなんて……。今の俺の手持ちじゃ無理です!」
店の看板を見た途端に逃げかけた宮本の腕を、橋本は両腕で捕まえて動きを止めた。
「逃げるな、大丈夫だから。俺がプロデュースするんだから、俺が出資するに決まってるだろ」
「でも俺みたいなのが、こんなブランド物の服を着ても浮いちゃって、絶対に似合わないと思うんですけど」
「そこんところを、俺が上手く見繕ってやるって言ってるんだ。それとも何か、俺が江藤ちんよりもお洒落じゃないと思っていたりする?」
橋本は掴んでいる宮本の腕をぐいっと引いて、自分の顔に近づけて睨みを利かせた。
「ああぁあ、あんまりそうやって脅さないでくださいよ。それに陽さんがお洒落だっていうのは、今着ている服装でわかっていますから」
「……俺が顔を近づけただけで、顔を赤くさせていたら、相手の男が妬いてしまうかもしれないぞ」
「だって、陽さんみたいに整った顔の人が間近で睨んでくるだけで、無駄に緊張しちゃって、どうしていいか分からなくなるし」
赤ら顔のままでいる宮本の頬を、軽く抓ってみる。
「そんな可愛らしい顔は、好きなヤツの前だけでしろよな。つーかおまえのほっぺたって、すごく柔らかい」
ふにふに触り倒す橋本の手を、不服そうな顔した宮本がやんわりと外した。
「いい加減にしてください。可愛いは陽さんの専売特許でしょ」
橋本の手をぽいっと投げ捨てるなり、宮本は顔を横に背ける。頬を紅潮させたままなので怒っていても、ちびっ子がへそを曲げているようにしか見えなかった。
(惜しいな。コイツの持つ二面性――車で峠を攻めているときと、今のようなガキみたいな態度をとるギャップが、好きな男の心を惹きつけると思うのに)
相手の男は、雅輝のどの部分まで知っているのだろうかと考えながら、仏頂面のままでいる友人の頭を意味なく撫でてしまった。
「わっ、いきなり頭を撫でて、機嫌をとろうとしないでくださいっ」
橋本の手から逃げるように退いた宮本の首根っこを素早く掴み、手荒に店の中へと引きずり込む。
「うわぁ、ちょっ陽さんってば強引!」
「とにかく俺の分まで、おまえの恋愛が上手くいくように、いい服を選んでやる。黙ってついて来い!」
掴んでいた手を放したら、えらく微妙な表情で橋本を見つめる視線と絡んだ。
「……雅輝、そんな不安そうな顔をするな。大丈夫、きっと上手くいくって」
「陽さん――」
「そのぼやっとした顔を引き立てるには、パステルカラーみたいな色だと余計にぼやけるから、ビビットな色が似合うと思うんだ。それをわかっている江藤ちんは、ネイビーブルーのそれを選んだんだぞ」
「ぼやっとした顔……」
橋本の言葉で宮本がずーんと落胆したことも知らずに、店内の商品を物色し始める。
「うーん、暖色系で顔を明るくするのもアリだけど、相手は年上だからな。雅輝がガキっぽく見えるのはいただけないから、少しでも釣り合うように、あえて逆からいってみるか」
「あのっ、お願いがあるんですけど」
橋本が傍にあったTシャツの布地の感触を確かめていると、切羽詰まったような宮本の声が耳に届いた。
「お願い? 何だ?」
視線は商品のトップスに釘付けのまま、返事をしてやる。
「陽さんの普段の着こなしを参考にしたいんです」
「俺の着こなしなんて、どうしてだ?」
告げられた意外なセリフに、橋本は顔をあげて横を見たら、俯きながらもじもじしている姿があった。
「ぇえっと、格好いい陽さんの着こなし術をお手本にしたいなと思ったんです。少しでも見た目を良くしたいですし」
「雅輝は偉いな……」
「へっ!?」
「最初の頃は、自分の見た目についてネガティブな発言ばかりしていたのに、少しでも良くしようと行動してるだろ。素直にすげぇって思ってさ。俺は諦めることもできずに、立ち止まったままだから」
「そんなことはないですっ!」
俯いていた宮本が顔をあげて、強い口調で言い放った。
「陽さん俺に言いましたよね『落ち着いたら視野を広げる努力をする』って。そう宣言できただけでも、前進したことになるじゃないですか」
「雅輝……」
必死な形相で説得する宮本に、橋本は困った顔のまま愛想笑いを浮かべた。
言うには言ったが、それがいつ実現できるかすらわからない現状に、笑って誤魔化すしかなかった。
「言ったからには、絶対に実行してもらいますからね。はい」
ちょっとだけ凄みのある声で宮本は告げるなり、橋本の目の前に右手の小指を差し出す。
「えー……、こんなガキ臭いことして約束させるなんて」
「男気溢れる陽さんが、約束を破るなんてしないのはわかっていますけど、念には念を入れようと考えました。だから、はい!」
ちょっとだけごつい小指が、橋本の小指を誘うようにぴくぴく動いた。仕方なくそれに、自分の小指を絡めてやる。
「指切りげんまん、嘘ついたらインプでぐるぐるの刑です」
「なんだそりゃ?」
絡めた小指が宮本によって、痛いくらいに締めつけられた。
「この間インプを運転したときは、8割の力量で走りましたけど、約束を破ったそのときは陽さんが助けてくれと叫んでも無視して、全力でコーナーを攻めます」
「は? あれが8割なのかよ!?」
衝撃的な事実に、橋本の開いた口が塞がらない。アホ面丸出しで、宮本を見つめてしまった。
「人の車を借りるんですから、自分が制御できる範囲で運転するのは、当然ですよね。はい、指切った!」
強引に約束させられたことは、橋本を追い詰める結果になった。しかし近い将来恭介を諦めなければならないので、これでいいかと納得して、洋服選びを再開すべくトップスが置いてある棚に視線を飛ばした。
(恭介を諦めて、別の人物を好きになる――まったく想像つかないが、雅輝の言ってたぐるぐるの刑は恐ろしいものだというのは、想像しなくても躰が恐怖を覚えているな)
「陽さんは普段、どんな感じの服を着ているんですか?」
考え事をしている最中になされた宮本の質問を聞いて、橋本は反射的に着ているタートルネックの裾をひょいと引っ張ってみた。
「大したものは着ていない、色は全体的に暗めのものが多いかな」
「俺はいつも無地のTシャツにジーパンばかりで色もバラバラだから、お洒落というものには縁遠くて」
「おまえが持ってるそのTシャツは、アニメのキャラがプリントされている、すっげぇダサいものだったりするんだろ?」
「違います! 確かにアニメ関係のものもありますけど、ぱっと見はわからないデザインになってますよ。タイトルロゴが格好良くあしらわれていたりして、よぉく見ないと絶対にわからないというか」
(――やっぱりな。雅輝は期待を裏切らないヤツだよ)
「んもぅ、陽さんってば、俺のことをバカにしてるでしょ!」
「いや、全然。馬鹿にしてないって。本当本当」
「言ってることが棒読みになってるし、口は笑ってるのに目が笑っていない変な笑い方が、俺をバカにしてる証拠ですよ」
宮本はつんと顔を背けて橋本から離れるなり、すぐに立ち止まって、ハンガーに吊るされているシャツに目を留めた。
「おっ、何か気になるものでも発見したのか?」
お洒落じゃないと言った宮本が反応したものが気になり、すぐに駆け寄ってそれを確かめるべく声をかけた。
「こういうストライプのシャツって、使い勝手がいいのかなと思って」
言いながらそれを手に取り、橋本に見えるように自分の躰に当てる。オフホワイトに細かい幅のグレーのストライプが入ったシャツは、宮本の体形を細身に感じさせるデザインだった。
「それ、おまえに似合ってる。いいセンスしてるじゃないか」
「本当ですか?」
「普段使いをするなら、上からトレーナーやパーカーを重ね着すればそれなりに見えるけど、どこかに来て行くなら……」
橋本はきょろきょろして、シャツに合いそうなトップスに指を差しながらアドバイスしてみる。
「ニットやジャケットを羽織ったり、アウターを長めのものにして大人っぽく仕上げるのもありだな。だけど雅輝のキャラを考えると、MA-1も似合いそうだ」
「すみません、アウターって何ですか?」
そこからかよと橋本は内心のけ反ったが、宮本に分かるように説明してやった。
「そっか。江藤ちんが言ってた『おまえはアウターが野暮ったい』って言ってた意味がやっとわかった。合わせ方がなっていなかったんだな」
橋本の説明を聞くなり、嬉しそうに顔をくしゃっと崩すと、ストライプのシャツに合いそうなものを自ら見繕っていく。その様子を橋本はぼんやりしながら眺めた。
一緒にいて、居心地の良さを感じることのできる宮本の存在は、今の自分の中で結構大きいと思えど――恭介を諦めたとき、多分一番傍にいるであろうこの友人を、恋愛対象として意識することができるだろうか。
名前を呼んで慕ってくれるところは、素直に可愛いなと思える。つい意地悪なことを口にしても、文句を言いつつ笑って許してくれる懐の広さに、何度か助けられているのも事実。
友人としては申し分ないが、そこに恋愛が絡んだらどうなるのか――。
(……っといけねぇな。コイツには年上の好きなヤツがいるんだから、俺がこんなことを考えちゃ駄目だろ)
そう思い至った瞬間に、橋本の心の中にざわっとした嫌な感情が芽生えた。
年上の誰かと、宮本が上手くいってしまった場合、こうして気軽に出かけることもなくなることを考えつき、急に寂しさに襲われてしまった。
いっそのこと、上手くいかなければいいのに――。
「陽さん、こんな感じで合わせてみたんですけど、どうでしょうか?」
自分にかけられた宮本の声で我に返り、考えていたことも空中分解した。
(一緒にいる居心地の良さのせいで、独占欲を丸出しにして、何をやってるんだか。雅輝の幸せを考えるのが最優先だろ)
棚の空きスペースを使って、ストライプのシャツに合わせたであろうトップスが数点置かれているのを見下ろしながら、橋本は顔を思いっきり引きつらせた。
「さっきは、センスがいいって褒めたけど、前言撤回だな。ビビットな色を選べばと言ったが、どうしてそんな奇抜な色ばかりを選んだんだ。まんま、ヤドクガエルの色合いだぞ」
「ヤドクガエル?」
「調べてみろ。あーもう、相手の男を警戒させたいのかよ、まったく」
橋本は呆れた声をあげつつ、合わせられたトップスをたたみ直して、商品があった棚へ戻していった。
「ゲッ! 選んだんだもののほとんどが、ヤドクガエルの色と一緒だ……」
「年上の男を別の意味で射止めるべく、自分のことを危険人物に見せたかったんだな。相手の男が不憫だから、雅輝を俺色に染めてやるよ」
自分がいつも身に着けている色よりもちょっとだけ明るいカラーをチョイスし、置きっぱなしになっているストライプのシャツの上にあてがってみた。
「……陽さんの色に染められちゃうんですか?」
「おまえが選んだ極彩色よりはマシだろ」
橋本が鼻でせせら笑いながら指摘してやると、宮本は薄っすらと頬を染めて、視線を右往左往させた。
極彩色のくだりが恥ずかしくて、照れた反応をしたと判断したので、宥めようと橋本が背中をポンと叩いてみたら、あからさまに躰をズラされる。
「なんだよ、怒ったのか?」
ズラされた分だけ橋本が近づくと、宮本は両手を伸ばしながら更に後退りした。
「これ以上、近寄らないでください。心臓に悪ぃ……」
「心臓に悪いって、意味がわからねぇぞ」
「鈍すぎるのも、ある意味拷問だよ」
橋本に聞こえないように呟きながら、宮本は腕を下ろし、俯いたままセッティングされている棚の傍まで逃げるように歩いて行く宮本を見て、首を傾げてしまった。
(外したことを言ったつもりはないのに、どうしてこんな態度をとられるんだろう。雅輝の考えていることが、さっぱりわからねぇな)
「すごい、俺が合わせたのとは雰囲気が全然違う。落ち着いた大人って感じですね」
さっきまでしていた態度を改めたように、感嘆の声をあげた友人の横に駆け寄ってやる。
「そうだろ。これでも俺が着ている服よりも、ライトな感じに仕立ててみたんだ。パンツをデニムにしたらカジュアルに見えるし、茶系や黒で合わせたらシックな感じなるぞ」
お洒落に無頓着な宮本が合わせやすいようにセッティングしたトップスは、普段使いができるように合わせただけじゃなく、告白が上手くいくようにと見栄えをよくするように合わせていた。
「これなら、持ってる服に合わせやすいです」
「乗り掛かった舟だ。面倒くさいから、パンツも選んでやるよ」
結局、宮本のために数着洋服を購入した。
それが余程嬉しかったのか、その場でスーツから買った服に着替えた宮本は、満面の笑みで橋本にお礼を言った。
その後、カー用品店に戻ってインプに乗り込み、三笠山の峠のレストランで早めの夕食を食べたのだった。
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