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「明日、広島に行って来る」
マンションに帰って来るなり、雪斗は憂鬱そうな顔をして言った。
「広島って、仕事で?」
朝はそんな事言って無かったけれど、急に決まった出張なのかな。
「ああ、広島の工場でトラブルが有って」
「そうなんだ……泊まりなの?」
「1泊。明日泊まって、明後日の午後に戻って来る」
「そう……」
明日の夜は一人なんだ。内心がっかりしたけど、仕事なら仕方無い。今夜は雪斗がゆっくり休める様に気を遣おう。
「明日は直接広島工場に行くの?」
テーブルに出来たばかりの夕食を並べながら聞くと、雪斗はなぜか気まずそうな顔をした。
「どうしたの?」
「明日の出張は真壁も同行する」
「えっ?!」
ショックで変な声が出てしまった。よりによって真壁さんが一緒だなんて。
「部長が今後の為にも真壁も行くように言い出して断れなかった」
雪斗がこんな弁解みたいな言い方をするのは珍しい。
私の動揺がそれだけ酷く見えたのかもしれない。
本音を言えば、雪斗と真壁さんが二人で出張なんて嫌で仕方ない。
そんな業務命令を出した部長が恨めしい。
ただの八つ当たりだし、雪斗と真壁さんがどうかなるとは思ってないけれど、感情が追い付かない。
だからといって、いつまでも沈んでいたり、不安になってたりしてはいられないから、無理矢理気持ちを切り替えて、笑顔を作った。
「今日は早く寝た方がいいね。ご飯食べちゃおう」
「……ああ」
雪斗はホッとした様子で頷き、テーブルに着いた。
「私も明日、外回りなんだ」
「また有賀とか?」
話題を変えたつもりが、今度は雪斗の顔が曇ってしまった。
「そう、打ち合わせに付いて行くんだけど……」
「あいつ、美月を気安く連れ回し過ぎだよな。美月は基本内勤なのに」
「そうだけど……」
雪斗も私の事、連れまわしていたような。
「打ち合わせくらい一人で行けないのか?」
雪斗は眉をひそめ、ブツブツと文句を言う。
「私の今後の為に連れて行ってくれてるんでしょ?」
有賀さんをフォローしつつも、こうやってヤキモチみたいな態度を取られると、少し嬉しくなる。
雪斗の気持ちが私に向いている事を感じられて。
もしかしたら、わざと態度に出してくれてるのかな?
雪斗なら,嫉妬をしていたとしても上手く隠せる。
実際、以前は少しも心が見えなくて、気持ちが分からなくて不安になった。
今は私が安心する様に、言葉や態度に出してくれてるのかな。
そうだとしたら私は結局雪斗の手の平で踊らされてる様なもの。
でもそれは、幸せなことだと思った。
食後は出張用の鞄に着替え等荷物のパッキングをする雪斗を手伝う。
こうしていると何だか奥さんになった気分。
こっそりにやけていると、雪斗はかなり適当に荷物を詰め込みながら言った。
「面倒だよな……一泊なんだし身一つでよくないか?」
「そうはいっても下着とかは必要でしょ?」
二日同じなんてちょっと気持ち悪い。
「どうってこと無いだろ? 腐る訳じゃ無いし、誰かに見せるわけじゃ無いし」
「そうだけど……」
確かに誰かに見せられたら困るけど。
きっと皆は雪斗がこんな適当でがさつだって知らないんだろうな。
私も前はこんな人だって思わなかった。
藤原雪斗と言えば、完璧な男で、当然出張のパッキングも完璧だと思ってた。
今となっては完全な幻想だ。実際はパンツを二日連続で履ける男なんだから。
めんどくさがりかつ適当な男雪斗は、しかし翌朝完璧な男に変身していた。
ダークグレーのスーツに黒のコートが嫌味なくらい、似合っている。
相変わらず魅力的だった。
雪斗は広島に発つ前、一度会社に顔を出すそうで、私の隣を長い足で悠々と歩いている。
「何時頃出発するの?」
「十時、寂しいと思うけど我慢しろよ」
雪斗はニヤリと笑いながら言う。
「うん」
「浮気すんなよ」
「浮気って……ある訳ないでしょ?」
そんな心配より、自分の心配をして欲しい。
相変わらず真壁さんに狙われてるんだから。
二人きりの出張だ。真壁さんは絶対何か考えてると思う。
雪斗がそれに乗るとは思わないし、流されるタイプでも無いから大丈夫だとは思うけど。
「向こう着いたらメールする」
「うん、仕事落ち着いたら電話してね」
雪斗は満足そうに頷くと私の手を握って来た。
朝から手を繋いで歩くなんて、以前の私なら有り得なかった。
人目が気になって恥ずかしいし。
でも雪斗とだと、それ以上に嬉しくて私も雪斗の手を強く握り返した。
会社に着くと、雪斗は直ぐに忙しそうに仕事を始めた。
突然決まった出張だから、スケジュールの調整が大変なんだろう。
同じチームの若い男性社員に簡単な指示をしたり、部長と打ち合わせをしたり……出発まで私と話す暇なんて無さそうだった。
私も自分の仕事に取りかかる。まずはメールを確認から。
納期の問い合わせや、不良品のクレームなど憂鬱なものまで揃っていて、朝から今日の忙しさを想像出来た。
そんな中、一つのメールが目を引いた。
真壁さんからのメールでタイトルは、不在連絡。
今日の雪斗との出張について、営業部や関係部署の皆に通知していた。
【藤原さんと真壁に急ぎの用の場合は、こちらの携帯まで……】
メールには、真壁さんが会社の携帯を持っているから、雪斗への連絡も真壁さん経由にって内容が書かれている。
「……」
雪斗が面倒がって会社の電話を真壁さんに電話を持たせたんだろうけど……でもなんだか嫌な気持ちになった。
真壁さんが雪斗の窓口だなんて……仕事上の事なんだけど、気分が悪い。
……馬鹿みたい。自分が。
朝から浮いたり、沈んだり。自分の自信の無さから直ぐ不安になって、揺らいで。
思わずため息が漏れる。
その直後、人の気配を感じた。
「秋野さん」
呼びかけられてビクリとした。この声は……。
「ちょっといい?」
声の主は予想通り真壁さんだった。
彼女が付いて来る様に促す仕草をする。素直に付いて言ってもろくな事が無さそうな気がして、席を立つのを躊躇ってしまう。
私の態度に苛立ったのか、真壁さんは少しキツイ声で言った。
「仕事の件で話が有るの、時間が無いから急いでくれない?」
本当かな? つい疑ってしまうけど、仕事って言われてるのに嫌ですとは言えない。
真壁さんに言われるまま、未使用の会議室に向かう。
ガランとした会議室で真壁さんと二人は間が持たない。気まずい気持ちになりながら、真壁さんのはす向かいの席に座った。
「藤原君と私が広島に行く事は聞いてるわよね? 不在の間頼みたい事が有るの」
……本当に仕事の話なんだ。
「不満?」
「いえ……でもどうして私なんですか?」
私は雪斗と真壁さんとはチームが違う。不在の間の仕事は基本的には同じチームの人間に引き継ぐ決まりなのに、なぜわざわざ私に言うのだろう。
「私と藤原君が抜けるから、うちのチームは手一杯なの。同じ部なんだし協力してくれてもいいでしょ?」
「……はい」
別に嫌だなんて言ってないのに、真壁さんは相変わらず私には攻撃的だ。
「社内手続き関係だから。これだったら秋野さんにも出来るでしょ?」
「はい」
肝心の営業部の仕事は出来ないって言いたいのかな。
なんてひねくれた事を考えながら、真壁さんが差し出して来た資料を受け取った。
サッと目を通す。手間はかかるけど、内容的には特に問題無さそうなものばかりだった。
決裁文書の申請をしたり、社印を貰ったり、総務的な事ばかり。
必要な書類を作って、成美に頼めば直ぐにやってくれそうだ。
「なんか不満そうね」
「え……そんな事有りませんけど」
完全な濡れ衣だ。真壁さんに思うところは有っても仕事はちゃんとやろうと思ってたのに。
「私と藤原君が二人で出張する事が気に入らないんでしょ?」
……そっちの話か。気に入ってる訳が無いし正直もの凄く嫌だ。
でもそんな本音を真壁さんに素直に言う訳ない。
真壁さんだって分かってるだろうに、なぜ毎回挑発する様な事ばかり言うのだろう。
雪斗の恋人として私は失格って思ってるなら、こんな嫌味な事を言わないで無視してればいいのに。
「私が同行するのは部長の命令よ。逆恨みしないでね」
「逆恨みなんてしませんし、仕事に不満なんて有りません」
「そう?」
完全に強がりだけど、真壁さんに弱みを見せたくない。無表情を装い言う。
「仕事が終ればプライベートよ。私は好きに行動するわ」
「好きにって……」
強気な真壁さんの発言につい押されそうになる。
「仕事はきちんとするわ。藤原君に認められたいし。でも夜ホテルに帰ってからは、自由時間よ。私はこの機会を無駄にはしないわ」
多分、真壁さんは私を怒らせようとしている。
確かにこの出張は真壁さんにとってチャンスかもしれないけど、何をするのかいちいち私に言う必要は無いのだから。
「どうしてそれを私に言うんですか?」
「え?」
「真壁さんが雪斗を好きなのは分かってます。告白するのも自由だと思いますけど、どうして私に言うんですか?」
今まで我慢していたストレスからか、いつになくキツイ言葉になってしまう。
「真壁さんの話を聞いてると、ただ私を攻撃したいだけだと感じます」
真壁さんは少し驚いた顔をしていたけれど、ポツリと独り言の様に言った。
「……雪斗ね。私の前で呼び捨てるなんて、秋野さんの方がよほど嫌味で攻撃的だわ」
「……え? どうして……」
まさかそんな事を言われるとは思ってなかった。
真壁さんにはいつも一方的に責められるばかりで、私から何かを言った事は無かった。
「自覚無いの?」
「無いです。私のどこが攻撃的だって言うんですか?」
本当に分からなくて言うと、真壁さんは呆れた様な表情で笑った。
「無自覚って一番恐いわよね」
「もったいぶらないでください」
「それならはっきり言ってあげるわ。あなたはいつも私を見下してるわよね」
「見下すって……そんな訳……」
「自分が藤原君の恋人で正しい存在。私は横から割り込む邪魔な正しくない存在。そう思ってるでしょ? 対等だと思ってない」
「そんなこと……」
無いって言いたいのに言葉が出て来なかった。
確かにいつも思っていた。
どうして私達の邪魔をするんだろうって。
真壁さんより私の方が雪斗の隣に居る権利が有ると当たり前に思ってた。
黙った私に、真壁さんははっきりとした口調で言った。
「私が藤原君を想うのは私の自由よ。別に秋野さんに遠慮することじゃない、人の気持ちを止める権利なんて誰にも無い。私があなたを攻撃するのは当然だわ、自分の幸せの障害なんだもの。あなた個人に恨みは無いけど許せない存在では有るわ」
「そんな……」
取り繕う事も無い本音に圧倒される。
「時間が無いから私は行くわ」
上手く切り返せなかった私に、真壁さんは落ち着きを取り戻した冷たい声で言った。
「頼んだ仕事はちゃんとやっておいて、私情は挟まないで」
部屋を出て行く真壁さんに何も言う事が出来なかった。
少ししてから営業部のフロアに戻ると、雪斗と真壁さんが出発するところだった。
「行って来ます」
さっきの険しい顔が嘘の様な笑顔で真壁さんは同僚たちに挨拶をしていた。
先を歩く雪斗が私に気付いて、微笑んだ。
思わず駆け寄りたくなる。早く帰って来てと言いたい。
雪斗の事、信じてるけど不安で仕方がなかった。