テラーノベル
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第三話:「揺れる午後と静かな声」
白は、図書室の隅に座っていた。
棚の影になった読書スペースは、他の誰の声も届かない静寂に包まれていた。
いや――実際には、届かないのではなく、白がそれを拾えないのだった。
彼女の耳の奥では、時おり波のように音が揺れていた。鼓膜ではなく、頭の中が左右に傾ぐような感覚。
今日もまた、メニエール病の発作が彼女を静かな孤島に連れていっていた。
そこへ、黒がやってきた。
彼は足音をほとんど立てず、白の視界にそっと現れる。
「……来てたんだな」
黒の声はかすかだった。白は読んでいた本を閉じ、ゆっくりと顔を上げて、彼の唇を読む。
「今日も、調子悪い?」
白は頷いた。
黒は、ため息ひとつついて、彼女の隣に腰かける。そして、持ってきたノートを取り出すと、さらさらと何かを書きつけて見せた。
『ここ、静かだからいいね。君のペースで話してくれていい』
白は小さく微笑むと、自分のペンを取り、下に返事を書く。
『ありがとう。……今は、誰の声も聞こえない。でも、あなたの字は、ちゃんと届く』
黒は首を傾げたのち、もう一度ノートを回す。
『俺はさ、君が言葉を出さなくても、わかるようになりたい。たとえば、目が合っただけで気づけるくらいに』
白はしばらくペンを動かさず、ただ彼の字を見つめていた。やがて、震えるような線で書き始める。
『私の世界は、波の底みたい。音が沈んで、光もゆらゆらしてるの』
『でもあなたがいてくれると、その海に月が浮かぶの。静かで、やさしい月』
黒は、しばらく何も書かなかった。ただ白の肩に手を置き、彼女が嫌がらないのを見てから、そっと背中をさすった。
『じゃあ、ずっと君の月でいるよ』
その言葉を、白は唇の動きだけで読んだ。
そして、何度も頷いた。
コメント
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ぴゃあああ!てえてええええ!