テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「契約金、確認したか?」
「え?」
慧に言われた直後、ポケットのスマホの通知が鳴った。
何気なく画面を確認して――私は、その場で固まった。
『振込 5,000,000円』
「……ご、500万円……!?」
慌てて銀行アプリを開く。何度見直しても、ゼロは六つ並んでいる。
契約成立時に半額。契約書どおり、慧から500万円が振り込まれていた。
(本当に入ってる……!)
(これ、全部私のお金なのよね……!?)
一瞬、胸が躍った。けれど、すぐに弟の顔が浮かぶ。
朔が目指しているのは、私立大学の理系学部。四年間で500万円以上かかる。
私は今も奨学金を返している。弟にまで、卒業と同時に借金を背負わせたくない。
(この500万円は、朔のために取っておこう)
「確認できたみたいだな」
慧が、テーブルの上へ黒のカードを滑らせた。
「それと、生活費はこれを使え」
「……何、これ」
「家族カードだ」
恐る恐る手に取る。黒いカードは、どう見ても普通のクレジットカードではない。
「これ……もしかして、噂のブラックカード……!?」
「ああ」
「初めて本物を見たんだけど……。ちなみに、上限は?」
「月300万円に設定してある」
「月300万円!? 何を買ったら、ひと月でそんなに使うのよ!」
「足りなければ言え」
口座には、500万円。手元には、月300万円まで使えるブラックカード。
(自分名義の口座残高なら、間違いなく人生最高額ね……!)
このカードを使えば、ずっと憧れていたブランドバッグも、靴も、高級コスメも――。
(今度こそ、値段を気にせず好き放題に買い物ができちゃうってこと!?)
(やったー!)
「これ、どこまで使っていいの?」
「共同生活に必要なものと、妻として必要な支出だ」
「その“必要”を決めるのは?」
「基本的には、お前でいい」
「『基本的には』って何よ。怖いんだけど!」
「常識の範囲なら問題ない。お前に任せる」
慧はそれだけ言うと、忙しそうにノートパソコンへ視線を戻した。
私は、手の中の黒いカードを見下ろす。
(本当に使っていいのよね!?)
(あとから文句を言っても、知らないんだから!)
***
その足で、私は駅ビルへやってきた。
目の前には、光り輝くブランドバッグ。そしてこれまで手を伸ばすのを諦めていた、高級コスメの数々。
(もしかして……今日は値札を見なくてもいいってこと!?)
夢にまで見た、値段を気にしない爆買いパラダイス!
脳内で両手を上げた、その時。
(――待て、私)
『基本的には、お前でいい』
慧の言葉が、頭の中で蘇った。
(あの“基本的には”が怖すぎる……!)
冷静な自分が、超強力な急ブレーキを踏む。
タダより高いものはない。営業部で日頃から経費精算をしていると、自分では必要だと思った支出でも、経理から差し戻されることがある。
『こちらは経費として認められません』
その一言で、全額自腹確定の地獄を見るのだ。
(例えば、ハイブランドのバッグを買って、あとから慧に『妻の必要経費として認められない』って言われたら……?)
(実家に続いて、今度は私が破産するんだけど!?)
バッグへ伸びかけた手が、恐怖ですっと引っ込んだ。
子どもの頃は、欲しいと言えば、大抵のものが手に入った。
けれど、実家が倒産した日、シンデレラの魔法は一夜で解けた。
あとに残ったのは、私の奨学金と弟の学費。
それ以来、自分のための贅沢には、無意識にブレーキがかかるようになっていた。
手の中の黒いカードが、急にずしりと重くなる。
(……と、とりあえず今日は、『共同生活に必要なもの』だけにしておこう)
結局、何も買えなかった。
そのまま別フロアの雑貨店とスーパーへ移動する。
ブラックカードで買い揃えたのは――。
分別用の蓋つきゴミ箱。徳用のゴミ袋。箱買いしたティッシュペーパー。冷凍野菜と肉。
色違いの洗濯カゴを二つ。以上。
自分のためのものは、何一つ買えなかった。
こうして、記念すべきブラックカード初使用は、生活用品だけで終わった……。
私は、手の中の黒いカードを悔しそうに睨みつけた。
(いいもん!)
(最初の500万円は、朔のため)
(一年後、残りの契約金を受け取ったら――)
(今度こそ、自分のために思いっきり贅沢してやるんだから!)
***
マンションへ戻った私は、ランドリールームに二つの洗濯カゴを並べた。
白いカゴには『玲奈』。黒いカゴには『慧』。
大きな文字で書いたラベルも貼ってある。
「色も名前も違う。間違える要素がない。さすがに、これで大丈夫よね」
そう安心していたのに――。その日の夜。
「はあああああ……っ!?」
ランドリールームに、私の絶叫が響き渡った。
私は毎日洗濯したい派だ。それに自分の下着まで佐伯さんに洗ってもらうのも抵抗がある。
だから、自分の衣類だけを洗濯機へ入れた――はずだった。
乾燥を終えたばかりの衣類を取り出す。
まず出てきたのは、男物の黒い靴下。続いて、白いシャツ。そして最後に――。
ダークグレーのボクサーパンツ。
「ちょっと! 慧、今すぐここへ来なさい!」
数秒後。呼びつけられた本人は、悪びれた様子もなくランドリールームへ現れた。
「何だ」
「私、カゴを二つ置いて名前まで書いたよね? 普通は分けてるって気づくでしょ!?」
「……分けていたのか?」
不思議そうに首を傾げられた。
「気づかなかったの!?っていうか……あんたのパンツまで一緒に洗っちゃったじゃないのよ!」
「洗濯機の性能は問題ない。除菌モードもついているし、乾燥まで自動でできる」
「性能の話をしてるんじゃないの!!」
駄目だ。本気で通じていない。私は、ボクサーパンツをつまみ上げたまま、大きく息を吐いた。
(このワンちゃん……まずは、しつけが必要ね)
コメント
1件
ひよりさん、第8話読みました〜!🌸 ブラックカードに500万円!夢のようだけど「基本的には」の一言で急ブレーキかかる主人公、めっちゃわかる〜😂 実家の倒産経験がチラついて、結局ゴミ箱とティッシュ買うしかなかったの、なんか切なくて笑った…。最後の洗濯事故で慧のパンツまで一緒に洗っちゃう流れ、ギャップ萌えすぎる😭💕 しつけが必要なワンちゃん扱い、今後の展開が楽しみすぎるよ〜!