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◆
夕食は、思っていたよりずっと普通だった。豪華な皿が並んでいるのに、どこか肩の力が抜けている。
「これ、食べていいんスか?」
「もちろんです。颯さまのご友人ですから」
「俺がすごいみたいな言い方やめて。何もしてないから。」
颯くんが顔をしかめる横で、僕は小さく笑った。
温かい食事だった。
味もそうだけど、 空気が、ちゃんと温かかった。
一人で食べるハンバーグとは違う。
誰かと同じテーブルで食べるだけで、 こんなに違うんだと思った。
「みつるん、これうまいっスよ」
「…ほんとだ」
「でしょ」
何気ない会話が続く。
気づけば、皿は空になっていた。
◆
「もう帰るね。本当、ありがとう。」
玄関まで見送られて、 靴を履く。
少しだけ名残惜しい。
「みつるん」
呼ばれて振り向く。
颯くんがスマホを差し出していた。
「連絡先、交換しとこ。」
「あ……うん」
画面を近づける。
指が少しだけ触れる。
その瞬間、 胸の奥が変な音を立てた。
空腹じゃない。
でも、似ている。
「……はい」
「ん」
短い交換。
なのに、やけに長く感じた。
◆
家に帰ってからも、 スマホを何度も見てしまった。
新しいトーク画面。
『はやて』
それだけで落ち着かない。
送る用もないのに、 何度も開いてしまう。
◆
数日後。
気づけば、
あの“空腹”は少しだけ静かになっていた。
人を見るたびに浮かんでいた、
あの切り分けの感覚。
それが、薄れている。
代わりに残っているのは、
「今日、颯くん何してるかな」
それだけだった。
◆
「みつる先輩」
「みつるん」
呼ばれるだけで、少し嬉しい。
学校の廊下。
図書室の前。
後ろから聞こえる声。
「みつるんー、これどこ戻すんスか」
そのたびに、胸 の奥がふわっと緩む。
お腹が空く感覚とは違う。
でも、満たされる。
◆
ある日気づく。
最近、 人を見ても“食べたい”と思わない。
代わりに思うのは、
「この人、颯と喋ったらどうなるんだろう」
とか
「今日の帰り、連絡来るかな」
とか。
それだけだった。
⸻
そして、また名前を呼ばれる。
「満」
「みつるん♡」
一瞬だけ、呼吸が止まる。
胸の奥が、熱くなる。
嬉しい。
理由は分からないのに。
ただ、それだけでいい気がした。
◆
夏になった。
制服のシャツはもう少しで肌に貼りつきそうで、駅までの道だけで汗が滲む。
「暑いっスね」
「うん……」
颯くんは片手でシャツの襟をつまみながら歩いていた。
「…あ。明日、映画行きません?」
「え?」
「そのあと飯」
それだけ言って、また前を向く。
あまりにも自然な誘い方だった。
断る理由が思いつかない。
「……いいの?」
「いいっスよ」
そう言う時の颯くんは、いつも少しだけ軽い。
でも、その軽さが怖くないのが不思議だった。
◆
映画館は冷房が効きすぎていて、
外との温度差に一瞬だけ頭がぼんやりする。
暗闇の中で、スクリーンだけが光っていた。
横を見ると、 颯くんがポップコーンをつまんでいる。
何でもない動作。
ただそれだけなのに、 目が離せなかった。
噛む。
飲み込む。
また手を伸ばす。
その繰り返し。
映画の内容はほとんど入ってこない。
代わりに、 隣の呼吸だけがやけに鮮明だった。
「みつるん、食べないんスか?
「……うん」
「遠慮?」
「そうじゃない」
言いかけてやめる。
説明できない。
ただ、見ていたかった。
◆
映画が終わる頃には、
外はまだ明るかった。
「腹減ったっスね」
「うん」
当たり前みたいに歩き出す颯くんの後ろを追う。
駅前の小さな店に入る。
注文した料理が来て、
颯くんはすぐに食べ始めた。
頬張る。
噛む。
少しだけ手元が忙しくなる。
それだけなのに、
胸の奥が妙に騒がしい。
綺麗だと思った。
乱れているのに、
ちゃんと“生きている形”だった。
僕はその光景から目を離せなかった。
「……みつるん!?」
「あ…ごめんっ!?」
「ちがくて、鼻血!」
ぼたぼたと鼻血を垂らしていたらしい。
「…わ!?ごめん…!?」
「これ使ってください、大丈夫ですか!?」
何かがおかしい。
「ん、大丈夫……。」
でも、戻し方が分からない。
◆
帰り道。
夕焼けが街をオレンジに染めていた。
「今日」
颯くんがポケットに手を突っ込みながら言う。
「普通に楽しかったっスね!」
「うん」
「また行こ。」
その一言で、 胸の奥が少しだけほどける。
空腹じゃない。
でも満たされる。
その境界が、もう分からなくなっていた。
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