テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
◆
夏休みの時間は、思っていたより早く崩れていった。
何度か会って、何度か出かけて、何度か勉強をして。
その「何度か」が重なるうちに、気づけばそれが“日常”になっていた。
颯くんは、相変わらず距離が近い。
ソファに座れば肩が触れる。
スマホを覗けば横から覗き込んでくる。
名前を呼ぶのも、だんだん当たり前になっていく。
「みちるん」
その声が聞こえるたびに、
胸の奥が少しだけざわついた。
もう慣れていたはずなのに。
◆
「これどういう意味ぃ?r
「そこはね、公式に当てはめて……」
勉強机の前。
ノートを覗き込む颯くんの横顔は、
集中しているときだけ妙に静かだった。
髪が少しだけ落ちている。
近い。
近すぎる。
息を吸うだけで届いてしまいそうな距離。
──だめだ。
そう思うのに、離れられない。
◆
勉強の途中で、颯くんがソファに倒れ込んだ。
「ちょい、無理っス……」
「え、まだ途中」
「休憩」
それだけ言って、目を閉じる。
そのまま動かなくなった。
静かな部屋に、
冷房の音だけが響く。
最初は、ただ見ていただけだった。
寝ているだけ。
いつものこと。
そう思おうとした。
でも。
視線が、勝手にそこへ落ちていく。
首筋。
呼吸に合わせて、わずかに上下する喉元。
無防備な寝顔。
“今なら触れられる”。
そんな考えが、
一瞬だけよぎる。
違う。
そういうのじゃない。
そう思って目を逸らそうとしたのに、身体が動かなかった。
胸の奥が、ずっと同じリズムで鳴っている。
空腹の時とも違う。
でも、もっと逃げにくい。
◆
ソファの横に膝をつく。
近づいてしまう。
距離が、消える。
颯くんは何も知らないまま寝ている。
安心しきった顔だった。
それが、いちばん危なかった。
息を止める。
ほんの一瞬だけ、
何も考えられなくなる。
⸻ちゅ
満は、止まらなかった。
気づいた時にはもう、唇が触れていた。
首筋に。
ほんの一瞬。
体温が、直接伝わる。
「…は」
次の瞬間。
理性が崩れた。
◆
「っ……♡」
呼吸が乱れる。
そのまま、奥に落ちそうになる。
何かが壊れる直前の感覚。
「みつるん」
声がした。
目が開く。
颯くんが、見ていた。
寝ぼけたままじゃない。
ちゃんと、見ていた。
◆
「……なにしてんスか」
その声は、怒っていなかった。
ただ、少しだけ困っていた。
「………」
満は言葉を失う。
さっきまでの衝動が、一気に引いていく。
代わりに残るのは、ひどい熱と、静かな恐怖だった。
「……ごめん」
それしか言えなかった。
◆
沈黙。
ソファの上で、
時間だけが止まっている。
「みつるん?」
颯くんが、少しだけ体を起こす。
「俺さ」
いつもの“っス”が消えていた。
家の声だった。
「お前のこと好きっぽい。」
その一言で
世界の形が変わる。
満は固まる。
呼吸が止まる。
「だからさ」
颯くんは、少しだけ笑った。
困ったみたいに。
でも、優しかった。
「そういうの、困る」
その瞬間、満の中の“空腹”が一度だけ、完全に静まる。
◆
そして気づく。
食べたい、じゃない。
ずっと前から
「失いたくなかった」?
#オリジナル
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!