あぁ。自分は今、人を殺したのだ。
その事実だけが私を包み込む。
私は汚いものが好きだった。そばかすとニキビが印刷された自分の顔のように。だが、1番好きだったのは、「綺麗なものが汚される瞬間」だった。
小学生中学年の頃だったか、綺麗な床に植木鉢の土という汚れが扇状に広がったあの瞬間が今でも忘れられない。今思えば、その時の感情が自分の人生の道を捻じ曲げたのかもしれない。
かつての小学校の道徳の授業で「命の大切さ」というのを学んだ。
「人を殺めてはいけない」。皆はロボットのように首を上下に動かす。私はそうは思わない。蟻や蜚蠊は殺してもいいのに、人は殺してはいけないという矛盾に理解が出来ず、何度もその文章を反芻した。側から見れば、随分と滑稽な姿だったろう。
今から2ヶ月前、私はA君を殺した。何故殺したのかは覚えていない。ただ、私はあの薄暗い山の中、セイタカアワダチソウの茂みの中で”兎”が来るのを待っていた。
彼は自分がこれから殺されるということも理解できていなかった。その姿はまさに”兎”だった。次の瞬間、私は彼の少し焼き色のついたピザ生地のような首筋に、ナイフという名のピザカッターを入れたのだ。
首筋から鮮血が吹き出し、自分の軀を穢していく……という想像をしていたが、多少勢いのある鮮血がナイフを持っていた手が赤色に染める、という思いの外地味なものだった。
ドサッ、と表現できるような音を立て、A君が力無く倒れる。ちょうど木々が真丸に近い月を隠していたため、血溜まりはよく見えなかった。自分が何をしたのか。このときははっきりとはしていなかった。数歩下がってその様を五感で感じ取ってみる。
視覚…A君が倒れ、広がった血溜まりの一部が月明かりに照らされ赤く、赤く、そして美しく輝いている。
聴覚…微風が吹く中、日中に比べ音がよく響く夜の中、呼吸音が一つ減った。
味覚…ナイフを首筋から抜いた時に口の中に入った、A君の生温かく、気持ちの悪いさらさらとした血の味。
嗅覚…木々の匂いを運んでくる風の中、”人形の固形物”から血腥い匂いが漂っている。
触覚…左手に固く、固く握っている凶刃の感触と微風によってすっかり冷え切ったA君の血で左手が冷たく感じる。
この時、初めて私は人を殺したのだと実感した
美しく、健気に生きていた”それ”はたった一人の人間によって汚されたのだ。
「人間を殺した」。これほど簡潔に非日常を表せる文章は存在しないだろう。
微風だけが吹き付ける中、罪悪感と背徳感が交差し、N極同士のように反発し合った。地球上では今も数えきれない程の惨く、汚く、穢れた行為が行われているのに、星は見ないふりをし、今日も美しく輝くのだ。
ふと好奇心に駆られ、その軀に齧り付く。A君は痩せ型だったこともあり、筋肉より骨の感触が歯に残った。それが妙に心地よく、夢中になってその軀に汚く齧り付く。空腹の野良犬のように。腕、太腿、足、肩、腹、背中。
体中に歯形が付いたその軀を見た。
この”A君”という人間は私の所有物になったのだ。私は性器に血液が集まるのを感じた。
後片付けの際、水面に映る自分の顔を見た。
そこにはいつもと同じ。自分の醜い顔が自分自身を見つめていた。顔に血が付いていなかったからなのかわからないが、その時自分は本当は人など殺してなどいないのではないか、という一種の現実逃避のようなものを感じた。子供を殺したという事実。そのたった一つの事実が私を日常から排斥したのだ。
A君の身体は敢えて隠さないことにした。隠しても暴露るのは時間の問題だろう。それならいっそ、見せつけてやろう。私の所有物を…この子供は一途に愛されたという証を…
あの出来事以降のことは丸切り覚えていない。自分が何を話したのか、何を聞いたのか。
一つ言えることは、 あの時の快感は今までの快感をかき集めたとしても得難いものだということだ。
それ故に、私は報われないのだ。
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