テラーノベル
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その日、漆原さんは終始青白く暗い顔をしていたが、鈴奈は気にも留めなかった。
漆原さんがどうなろうと知ったことではない。悪いのはこれまで事あるごとに難癖つけて叱りつけてきた漆原さんのほうじゃない。終いには気に入らない私をクビにしようとして。
「ねえ、漆原さんなんだか様子がおかしいけど、なにを話したの?」
隣席のはなちゃんが、小声で尋ねてくる。
「さあ、別に。クソでもしたいんじゃない?」
「ク、クソって!?」
はなちゃんは驚いたようにぽかんと口を開けて鈴奈を見つめるが、無視を決め込む。
得体の知れない怒りに囚われている鈴奈は、今や全てがどうでも良いが故に最強だった。
普段の気弱な鈴奈と全く異なった、凄みあるオーラを放っていることに自分でも気づいていない。
お手洗いに行こうと席を立ち、オフィスルームを出て廊下を歩いていると後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、営業部のイケオジである佐藤だ。妻子持ちだが女遊びが激しいと噂されている。
漆原さんが指摘してた通り、前から事あるごとに鈴奈にアプローチを掛けている社員のひとりだった。
「よお、幸手ちゃん」
「なんですか?」
冷ややかな目で佐藤を見つめると、いつもとは異なる雰囲気に怯んだ様子。
「い、いや。今日もまたキレイだなって思ってさ」
「そうですか。それでご用件は」
「なんだよー、ずいぶん堅苦しいな。あのさ、今夜あたりどう? 高級寿司屋に連れてってあげるからさあ。トロでもイクラでもサーモンでも好きなだけ奢っちゃうよ」
食事に誘われるのは、これでもう何度目だろうか。
前から佐藤のことは生理的に苦手だった。いつも半泣きになりながら「本当にごめんなさい。今夜はちょっと用事がありまして」と断り続けてきたが。
「今夜こそは、用事なんてないよね」
「まあ、特にございませんが」
「じゃあ、行こう。いいかげん誘いに乗ってくれないと、ハケンの査定に響いちゃうぞ。社員との協調性がないってね」
そう、やんわり脅されても、キッと睨み返すところが今日の鈴奈である。
「わかりました。でも条件があります」
「なになに? デートしてくれるんなら、なんでも聞いちゃうよ」
「デートとしてではなく、レンタル彼女としてなら同行いたします」
「ほう、巷で噂のレンタル彼女。1時間いくらでデートしますって、あれか。いいねえ、後腐れもないし。で、いくら?」
「1000万円です」
「い、1000万!?」
「はい。ビタ一文、負けませんから」
ぽかんと口を開けたまま鈴奈を見つめる佐藤に、追い討ちをかける。
「無理ですよね。出せませんよね。でも、私。佐藤さんが思ってるほどお安くないので」
「い、いや。ちょっと待ってよ……いったい、どうしちゃったんだい、幸手ちゃん」
「これ以上話がないなら、もう行っていいですか? クソしたいので」
「ク、クソって……!?」
驚きの表情で完全に固まってしてしまった佐藤を残して、鈴奈はスタスタと歩き出す。
すると今度はスマホが鳴った。見ると知らない番号からだ。不審に思いながらもスマホを耳に当てる。
『前橋さん? 前橋リサさん?』
聞こえてきたのは、恒生の姉である怜央の声だった。
「怜央さんですか? どうしてこの番号を」
『ふふっ、恒生のスマホを盗み見したのよ。あの子バカだからパスコードを自分の生年月日にしてるの。わかりやすいったらありゃしない』
「はあ。それで私に、どういったご用件でしょうか」
『あれえ、随分よそよそしいんじゃなくて? リサさんってそんなタイプだったっけ?』
「すみません。仕事中でして」
『そうそう、ハケン社員だったわよねえ。薄給の上に会社からこき使われてかわいそうに』
「あの、特に用件がないようでしたら、忙しいので」
『用件だったらあるわよ。恒生のこと』
「恒生さんが、どうかされたのですか?」
『リサさんに大事な話があるの。電話では話せないから、今夜会える? もちろん会えるわよね』
有無を言わさぬ怜央の口ぶりに、鈴奈は仕方なくはい、と答えた。
◇
その夜。
鈴奈が待ち合せ場所として指定された駅前のカフェに到着すると、奥の席に陣取った怜央が軽く手を上げた。
黒のスーツ姿。シャツのボタンを三つ外し、タイトスカートから抜け出た長く肉感的な生足を組むその姿は、いかにも仕事がデキる女っぽくもあり、かつ強烈なフェロモンを醸し出している。
口元に薄笑いを浮かべてじろじろ見つめられる不快感を感じながら、鈴奈は怜央の向かい席に腰掛けた。
「あれ、どうしたの?」
「なにがですか」
「首の絆創膏よ」
「ああこれは……自分の爪で引っ掻いてしまいまして」
「ふうん。リサさんの爪、全然伸びていないのにねえ。不思議だなあ」
そう言うと怜央は興味深げに鈴奈の顔をじっと見つめた。普段の鈴奈ならおどおどと目を逸らすだろう。だが悪魔的とも言える怒りモードが胸に渦巻いている今は、キッと怜央を見つめ返した。
「それで。恒生さんの話ってなんですか」
「なんか、今日ってカリカリしてる?」
「してません。お話を聞きたいだけです」
「そう。ま、いっか。実はねえ、呼び出したのは恒生のことじゃないの。恒生を引き合いに出さないと来ないと思ったからウソついちゃった」
「はあ?」
「リサさんに確かめたいことがあるのよ」
「確かめたいことって?」
鈴奈が不審気にそう聞くと、怜央はじらすように手を上げて店員を呼び、「この人に豆乳キャラメルラテのトール、ホイップ多めプラスチョコソーストッピングで!」とスタバでもないのにスタバ的なメニューを勝手に注文した。
「で、なんだっけ?」
「だから、私に確かめたいことってなんなんですか」
「そうそう、それだった」
怜央はわざとらしくも、うんうんと頷き、改めて満面の笑顔でじっと鈴奈を見つめる。それはもう、楽しくて仕方がないといったふうに。
「リサさんさあ、あなたウソついてるでしょ」
「ウソって?」
「前橋リサは偽名。本名は幸手鈴奈」
思わず心臓が跳ね上がった。口をヒクつかせながらも努めて平静を装おうとするが、そんな反応はすっかり見透かされているだろう。しらを切るべきではあるが、鈴奈がそんな狡猾さを持ち合わせているはずもない。
「は、はあ? えっ、えっ……」
「土曜日の夜にさあ、渋谷で友達とオールで飲んでたんだよねえ。さすがにこの歳でオールはきついんだけどさ。それで朝方店を出たら、ホテル街のほうからカップルがいちゃいちゃしながら歩いてくるじゃない。あーこいつらもオールで楽しんだってわけね、と思いながら女の顔を見たの。そしたら、もうびっくり!」
大きく目を見開きながら、怜央は鈴奈に人差し指を向けた。
「あなただったのよ。男のほうと言えば、じゃがいもみたいな顔。あれえ、恒生じゃないのと驚いて、こっそりあとを付けたってわけ。なんだかもう、わくわくしちゃって酔いがすっかり冷めちゃった。駅前でふたりが別れたのを見計らって、じゃがいも君に声を掛けたんだ。彼女のともだちなんですけど、ってウソついてね」
話を聞く鈴奈の顔は透き通ったように限りなく白く、かつ凍りついていた。
それは丸一日記憶が無い休日のことだ。別人格がタカシとデートしていたに違いない。それをまさか、怜央に見られていたなんて。
「タカシくんだっけ。いろいろ教えてくれたわ。あなたの本名とか、マッチングアプリで偶然出会った中学の同級生だとか。一番驚いたのは、難病の弟を助けるために500万ものお金をあなたに渡したことかな。おかしいよねえ、恒生から聞いた話だと弟さんは水虫だそうだけど。水虫の治療に500万もかかる?」
豆乳なんちゃらが運ばれて来て、怜央はいったん口を閉ざした。
店員が去ると、テーブル越しに思いっきり身を乗り出し、固まったままの鈴奈の直前まで顔を寄せる。
そして、こう囁いた。
「ズバリ聞くけど。あなた、マッチングアプリで婚活サギやってるでしょ」
どきんと心臓が大きく跳ね上がる。
まさか婚活サギがバレてしまったとは。しかもよりによって恒生の姉に。
鈴奈は愕然としながらも必死に頭を巡らした。
ここで肯定しまうとどうなるか。怜央は恒生に鈴奈が婚活サギ師であると伝えて、当然恒生との関係は終わり。その上警察に通報されたら、なにもかも全ておしまい。それだけは絶対に避けなければ。
気づくと自然に言葉が出ていた。
「違います。そんなことしてません」
なぜか堂々とそう言えたのは、すっかりヤケになって開き直ったせいかもしれない。
「へえ、この期に及んで否定するんだ」
「タカシって人なんか知りません。休日は家にずっといました。誰かと見間違えたんじゃないですか?」
「いいえ、確かにあなただったわ」
「本当に絶対に間違いなく、私だったと断言できます? 本人が否定しているのに」
きっぱりとそう言い放つ鈴奈は、今や完全にサギ師の魂が乗り移ったと言えよう。
それほどまでに嘘をつくことに迷いがなく、凜とした表情を浮かべていた。
怜央の顔から、ニヤニヤとした笑みが薄れていく。
「見間違い? いや、そんなはずは……」
「私は恒生さんと真剣に交際したいと思っているんです。婚活サギ師とか言われて、いくら恒生さんのお姉さんでも許せません!」
「いえ、私は恒生のことが心配になって……」
立場は逆転し、今や怜央のほうがすっかり怯み困惑していた。
ここぞとばかりに、鈴奈は攻勢に出る。
「心配なんかしていないでしょうに。怜央さんこそ、恒生さんを自分のオモチャにして楽しんでるだけじゃないですか。もうすっかり大人なのに、いつまで経っても恒生さんは怜央さんに子供扱いされて虐げられている。本当は姉として恒生さんの幸せを願うのが普通じゃありませんか? 婚活を心から応援するのが当たり前じゃありませんか?」
全くどの口がこんなことを、と話しながら鈴奈は思っている。自分はすっかり口先だけのサギ師になってしまったんだと。
「そうね。あなたの言うとおりかもしれない」
怜央は、すっかりしょげかえっているように見えた。
今や鈴奈は、難局を乗り越えたことを確信していた。罪悪感など、どこへやら。これまでの情けない自分が生まれ返ったような、そんな気がして心が高揚すらしていた。
「ごめんなさい、疑って悪かったわ」
「いいえ。こちらこそ、怜央さんに対して言い過ぎました」
「恒生のこと、あなたの言う通りね。確かに私はずっと恒生をおもちゃにしてた。でも裏返せば、それほど彼のことが好きってこと。独占欲が強すぎたのかもね。赤の他人の女に恒生を渡すもんかっていう」
「その気持ち、わかるような気もします」
「とにかく今は、あなたに対する敗北感でいっぱい。悔しいけど」
「では、そろそろ宜しいでしょうか。失礼させていただきます」
カバンを持って立ちあがろうとすると、眉間にしわを寄せていた怜央がすっと鈴奈の腕を押さえた。
「待って」
「まだ、なにか?」
「あなたには本当に申し訳ないんだけど、最後にひとつだけ確認させて欲しいの」
「なんでしょう」
「実はね……ここにもうひとり呼んでるのよ。ほら、私って疑い深い性格だからさあ、念には念を入れたくて。今となっては無駄なのはわかってるけど、お願い。あとちょっとだけ付き合ってくれる?」
「えっ、誰を呼んだんですか?」
「まあ、もう着く頃だから」
そう怜央がいったとたん、カフェのドアが開く。
入ってきたのは……タカシだった。
コメント
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読み終えました……第18話、めっちゃ面白かったです! 鈴奈の「どうでも良いが故に最強」モード、最高でしたね。佐藤さんに「1000万円」と「クソしたいので」で返す場面、痛快すぎて声出そうになりました(笑)。でも後半の怜央さんとの対峙が、もう……。見つかってる!ってハラハラしたのに、開き直って逆に攻め返す鈴奈の成長(?)っぷりに驚かされました。そして最後のタカシ登場! この畳み掛けは痺れます。続きが気になって仕方ないです!