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猫化 (ネコ化症)
・愛に傾き、免疫の低下中に何らかの条件が揃って感染すると発症する。伝染ることはあるが、発症しない人が大多数。
・愛している人に目一杯愛されれば治る
(撫でる、ハグなど接触行為であれば手段は問わない)
治らないまま恋を終わりにすれば、猫になる。
・一定期間誰にも愛されない場合、体温の上昇(38.0~)、耳が隠せない、思考がしずらくなる、発語が出来ない、過眠や五感の変化などが出るが、どの症状か、どのくらいかというのは個人差が大きい。
軽減するには誰でもいいが、愛す人よりも効果は少ない。
・耳は四つになる、どちらも聞こえるが聞こえ方は違う
(猫の方は物音、人の方は声に反応しやすくなる)
青黒 (両片思い)
赤と桃 水と白 (両思い)
身長見た目共にキャラビジュ
ある日突然、起きたら獣耳が生えていた。
「…なんや、これ?」
気付いたのはほんの数秒前、寝起きの髪がふわふわに爆発したのを、とりあえずまとめようとした時だった。違和感を覚えた頭の上には丸めな三角の耳。状況もよく分からずそれを触ってみれば、ぞくぞくと身の毛立つような感覚に襲われる。こんな薄い本でよく見る展開が己の身に降り掛かるなんて思いもしなかった。
「ど、うすんねん、これ…」
とりあえず情報を、とその前に今日の予定はグッズ試作品の会議があることを思い出す。出社しなければいけないのだ。だがしかし、こんな事になってしまった、なんて誰に連絡しようか。相談の出来る彼には絶対に頼れないし、社長に連絡を取るには忍びない。
「会議が夕方、で、…今日の予定、なんやっけ、…?」
端末をつけて確認する限り、夕方のそれ以外には人と対面せざるを得ない状況にはならなそうだと安堵する。ついで治す方法を検索してみると、そこにはどうしようもないニュースたちが並べられていた。『好きな人に構われたい!? 話題のネコ化症とは?…』『ネコ化症、その原因を究明 愛玩動物として… 』『「いちゃつく口実が出来ました♡」カップルに多いこの…』
上から何個か見出しを目にすると、逃げるようにスマホを閉じる。現実に向き合わなければいけないとはいえ、頭から冷水をかけられた気分だった。
「なんやこれ…そんなばかなこと、あってたまるかって…」
まだきちんと記事を見ていないが、暗雲漂う内容に思わず天を仰ぐ。この耳は絶対に治らないと言われているようなものだった。理解しきれない現状を丸々飲み込んで、段々と色々な思い考えが身体中に巡る、苦しくなった心臓に触れれば、じっとりと変になった体温が手のひらから伝わった。
「くそ、っ…早く治れ、いらへん、こんなん、…!」
元々伝えることのない心情を全部ぶちまけられた気分だった。溢れて出てきそうな激情を押さえれば、馬鹿けた病気の象徴を切ってやろうと頭が辿り着く。それくらいに、自覚する気も成就する確率も、その恋心に納得できる事もなかったのだ。荒波に飲まれ、促されるように鋏を取り出し頭のそれに歯を入れた…その時だった。急に鳴り出した電話によって、その狂気に満ちた行動は片耳に傷を付けただけに終わった。
「…はい、」
「朝早くにごめん、起こしちゃった?」
いつもの覇気がない、弱々しく伺うような声がする。そのうえで、電話機の吐き出す風の音が増して聞こえた。
「起きとったよ。そんで、急にどしたん」
「それがさぁ、起きたら猫耳生えてんの」
「は、なんて…?」
驚き、というよりも困惑が走っていく。出てこなかった自分もそうだ、の言葉の前に話が続けられていた。
「これしょーちゃんもなったってさ。どっから貰ってきたんだろうね〜」
「…貰ってきた?」
「あ、そうそう。先生曰く一応伝染するんだって、気を付けてねって、それで連絡中。でもまろには一報いれただけ、仕事中だろうし…」
慕うヒトの話が出てきて、内に秘める乙女な心臓が早鐘を打ち始める。行きどころもない、どうしようもない恋をしていること自体を愛惜している気分にもなってきた。
「そう、なんや…そのヤツ、って、どんなん?」
「恋してる人がなる、好きな人に愛されれば治る、恋心?の隠し具合で耳も隠せる…って感じらしい。俺隠せてないけど」
「…アテはあるん」
聞いてはいけなかった気がする、がもう遅かった。そういう相手がいる事が、気になってそのまま声に出ていたらしい。
「え、っと…まぁ一応、後でまた言うけど。電話したのは今日の会議リスケしたくて、」
「あぁ全然。期限もっと後やったやん、ゆっくりせえよ」
「ほんとごめん!決まったら、というか今日中には全体のとこに連絡するから、見ておいて」
「了解、別に明日とか明後日でもええよ…。お大事にな」
「まじ優しすぎ、ありがとう!それじゃあ。」
軽く返事を返して、電話が切れる。自分も病院に行こうとは思えなかったが、隠せるかもしれないなんて希望を聞けたことで切ろうという心持ちは潰えたところだった。スマホを操作して、内容を見る限りは聞いたものがそのままだった。いつも通りと隠していた、そんな意識で目を瞑る。深呼吸をしてから開けてみれば、暗い画面にはいつも通りの自分が居た。
「…はは、なんや、いつも通りやん、」
ヘッドホンをつけて、なるべく、なるべくと忘れるようにする。耳はその日以来いつまで経っても出てくる事は無くて、僕は居なかったと言わんばかりだった。
あれから数日経った会議の日。混む電車を避けていたら、早めに会社に着いてしまったところだ。水でも買っておこうかな、と近くにある自販機に寄っている時、不意に後ろから声をかけられた。
「あにきー!久しぶり〜」
「…まろか、1週間ぶりくらい?」
「ファンミ以来?とか。今週ドタバタすぎてさ〜」
「そうなん、?お疲れ様」
大変だった、という話を聞きながら社内に入ると、約束より早い自分達よりも早く来ていた二人の姿があった。
「あ、」
多分そちらからは俺たちが見えていないのだろう、顔を近づけて、…あ、笑った。
「いっ…たん俺、戻ろかな、」
「あ、待って、…」
事務所の外に出て、スマホの時刻を見る。集合より大分早いので、あと二人が来るまではまだ時間があるだろう。もうすぐ春だと言うのに少し寒いくらいだ。
「…ちゅー、してたね」
一緒に戻ってきた彼が言う。
「…そうやな」
電話口で言っていたことはあれだったのだとようやく、点と点が繋がった。あの二人をとやかく言うわけではないし、言える立場でもないが、…羨ましいと、思ってしまった。
「…いつからかな、あの二人」
「……最近やない?」
「…そっか、最近かぁ」
地味な言葉の間は、話す言葉を探っているから。変なことを言えば余計に居た堪れなくなることが目に見えていたからだ。
「……今日寒いね」
「…夜、マイナス行くくらいやて」
「え、まじ?寒い訳やわ」
「はよ中入りたいわ、…行かれへんけど」
「ん〜…ええんやない、大丈夫やろ」
お喋りしながら行こ?と腕を引かれる。いたずらに笑っているのが可愛らしく、少し切ない気持ちになる。
「こうすれば二人も分かるて!」
「いや、邪魔せんとこ?…な?」
「でも寒いし!悪いの俺らやないから、」
「そうやけど…」
声が届いていたのか、駄弁っていた間に終わったのか。真偽は不明だが、二人は別々に仕事をしたりスマホをいじっていた。
「二人共お疲れ〜」
「おつー、今日は早いね」
「さっき会ってん、なー?」
そう言って、彼は肩を引き寄せた。軽く返事をして笑っていれば、にっこりと横で笑う。
「相変わらず距離近いなあ、付き合ってんの?」
自分たちの話をする導線なんだろうと思う。そうやって言われるのは嫌ではないが、相手に迷惑だと思うだけだったから。やめろよなんて言おうとしたその時だった、
「…はは、バレた?」
「えっ」
余程驚いたらしい、ソファに深く座っていた最年少が立ち上がって交互に顔を見た。突発的に投げられた爆弾で、俺も思考を停止する。
「ん、?ほんとなの?」
「…まろ?冗談はやめとき、?」
「いやぁ、そんな驚かれるとは思ってなかったわ」
「心臓に悪いって、!」
「でもそっちやって、なぁ?あにき?」
「せやね、まぁ…」
同じくらいの背だから、肩が組みやすいのだろうか。すぐ側に寄りかかって顔を見合わせる、…あ、睫毛長いなぁ。深青の瞳が真っ直ぐに見据えている、吸い込まれそうってほんとにあるんや。
「…?なんかついてる?」
「あ、…いや、目の下、ごみついとって」
言い訳をした上で輪郭に手を当て、頬骨を親指でなぞる。行動をしてから考えの浅さに気が付き、冷えきった背筋を伸ばして平静を取り繕うと、誤魔化すように微笑み返した。
「はい、とれた」
「ん、…ありがと」
「それで?そっちだって、は見てたの?」
社長らしい態度で話しかけた当人へ、立ち話も面倒だと適当な椅子に腰掛ければ、返事をするように小さく軋んだ。
「おん、さっきな」
「…さっき!?待って、ほんとに?どこまで、いやどこから!?」
「騒ぐなや最年少、こんなとこでやっとんのが悪いんやろ」
「そ、っ…それは…そうだけど」
「この通りやわ。キ…まぁ途中で見かけてん」
中学生でもないのにキス、なんて言葉で言い淀んでしまう。済まし顔な青年の照れ様を見ていると、柄にもなく自分まで恥ずかしくなりそうだった。
「まあいいんとちゃう?変に女性と問題になるよりな。俺らの場合過度やければBL営業で済むし」
「それはそうやんな、嫌なら表の距離感は考えることや」
「二人ともありがと、気をつけるね。なんかでも、否定されなくて良かったよ」
へらっと笑った社長に正しいと思う言葉を返す、他人の恋を否定する気もないし、害する気もないことを。
「…そんなんで嫌いにもならんし、否定もせえへんよ。巻き込むってなったら別やけど。そういう訳やないし」
「俺もそんな感じかな〜、友達やもん」
そんな話をしている所に、ドアが開いて見知った二人が入ってくる。距離感がいつもより近い気がするのは、こちらもそういう事だ、と言いたいんだろう。
「…そっちも?」
訝しむ最年少を横に、きょとんと眺めるだけの頭脳組が居る。鈍いのは重々承知の上だが、顔がいいのにモテないと自称するのはこういうところなんだろうなぁと思う。
「そっちも、って何が?」
「付き合っとるん?って言いたいんやろ」
そう問えば、はわわと効果音が付きそうな驚き方をした。なんで知っていると言わんばかりに見える。
「赤組が付き合い始めたんやて。いむしょーも?ってこと」
「え、そうやけど…何、まろにきもなん?」
「…いやぁ、俺らは違うで?推しとオタクやもん」
あはは、と笑い飛ばせばそれに笑ってくれる仲間が居る。幸せそうな感情を眺めながら、みんなで打ち合わせをして、動画を回し始めた。
直接会う機会は少ないから、多分病状が悪化してるんだと思う。段々睡眠時間が増えて、8時間くらい寝たら体調が悪くなるなんて言っていたのが嘘みたいになってきた。いや、体調が良くない状態でずっと寝てしまうのが正しいだろうか。
「…く、ぁ」
「どしたん、寝不足?」
「最近ずっと眠くて…なんでか分からんのやけどな、」
歌い方の相談とか、なんとなく話を持ち掛けられたので、とりあえず全体通話で話をしている時だった。
「そうなんや…疲れとるんやない?」
「んー…そうかもな、」
「はよ寝とき、どっかで倒れんで」
「はは、…倒れてもまあ一人暮らしやし、大丈夫よ」
倒れても迷惑をかける人間が居ない、というのは便利なところだ。そんな具合で言ったつもりだったのだが、
「…一人暮らしやから危ないんやろ!?あにきほんまに大丈夫か!?」
焦り声から、言葉を間違えたなぁくらいの思考は巡る。最近頭がぼんやりするのも、眠いのが原因なのだろう。
「ん、?あぁ…そっか、グループやし大変やもんなぁ」
「いや、倒れたら助けられんて言うてんねん…なんでグループが大変とか言うてるん?」
「…そういう事か、確かになぁ」
意図を読み間違えた、と思うのと同時にこれ以上やらかせないことにも繋がってくる。優しい彼からすれば、遠回りに今の俺に聞いても無意味だと考えるだろうから。
「ほんまに大丈夫…?はよ寝た方がええんとちゃう?」
「おん、大丈夫やろ…まだ話終わっとらんかったし、」
「まぁそうやけどさぁ…後でもええんやで?」
「…じゃあそうするわ。ごめんな、また今度」
返事を聞かず、通話から抜ける。これ以上様子が変だと思われるのも怖かった。PCの電源を落とし、明日の予定を確認する、アラームをかけてから照明を消せば、夜目が効くようになっていることに気が付いた。
「…ねこやな、これ…完全に、」
ふと消えるように呟いた言葉を置いたあと、すとんと半ば気絶するように眠りについたこの日、夢を見た。
「まろ」
なんでか分からないが、ふと声をかける。無意識下でも会いたくて、呼びたかっただけかもしれない。まろはゆっくりと振り返って、しゃらんと効果音をつけて微笑んだ。
「なに、あにき…どしたの?」
「…俺、さ。まろのこと、好きやねん」
現実じゃ絶対に言わない言葉が、何気なく、世間話のひとつみたいにこぼれ落ちた。まろはびっくりしたような、鹿威しがかこんと鳴り落ちたみたいな顔をした。
「どしたん急に、」
「ん、まぁ…言いたくなっただけ」
「…振り向いてほしくないの?」
じっと見ている瞳が、切れ長の中のあお色がじっとりと見つめている。吸い込まれるみたいに遠近感がなくなって、ぐわんぐわんと頭がゆれだした。体は動かなくて、蛇に睨まれた蛙みたいだ。
「振り向いたら、きらいになるの?」
「それって俺のこと、ほんとにすきなの?」
矢継ぎ早に質問が放たれて、呼吸ができなくなりそうだ。水が欲しかったのに、溺れて死ぬみたいな、そんな感覚。
「…俺、振り向いて欲しい、のか?」
目の前にいる、青い髪の、青い瞳の青年がわらう。
「違うの?じゃあただの性欲?」
「そんなはず、…」
「先輩に襲われてから、そういうの嫌いなの、知ってるよ。でも、自分は違うって、胸張って言える?」
言うはずのない事、いふも、みんなも知るはずのない事。喋っているのは偶像で、俺が作ったうそなんだと。
「バンドできるって思ったら急に、だもんねぇ……怖かったね。だからノーマルだって言ったのに、凝りもなく、また」
じっとりした熱に腕を、首をつかまれたきがする。
「そんなの、……ちがう、おれは」
「いらないなら捨てなよ、希望を追いかけて、ばかみたい。」
分からない。人並みに恋愛もしてきたはずで、人並みの、人生を送って、人並みならぬ仲間に恵まれて、人並みになれない恋心を認められなくて、殺せなくて。
悪い夢を見ていた気がする。そう思ったのは、目の端から涙が溢れていたから。忘れた夢のせいで泣くなんて、どれだけ愚かなんだろう。
「今日会わんといけんのかぁ、タイミング悪…」
出だしが最悪と言わんばかりな雨の朝、じっとりと重い空気が部屋中にこもっている。服を着替えて、顔を洗って、とっくに味のしなくなったご飯を食べて。そこまででもう疲れて、眠くなってしまうのは、昔じゃ考えられなかった。
「しゃきっとせな…」
顔を叩いて喝を入れる、家を出てみんなに会えば最年長の役目がスタートする。事務所に集まって、一室を使ってダンスの練習しようということになっていた。
「…あにき眠いの?」
「ん…?…あぁ、おん、そうやね」
「悠くん顔色悪いやん!体調悪いなら帰り?」
「悪ないやろ、…多分、」
「クマできてるよ?なんかあった?」
「準備するまでの間、寝てれば?踊れないでしょ」
「…そうしよかな、ごめん」
帽子を目深にかぶり、床に腰掛ける。無意識に耳が出てくる時があったから、それへの少しの抵抗が帽子を被ることだった。どうしようもなく、バレることが心配だった。
「俺の肩使いな、先ソロやしもっと後やから」
優しい声に近寄る、冷たく感じる人肌が心地よい。ぼんやりと動く人を眺めつつ、意識を軽く手放してしまった。
触れている頬が熱い気がする。熱でもあるんじゃないか、と思って首元に手をふれれば、疑念が確信に変わる。
「なぁ、多分風邪かなんかやわ、めっちゃ熱いねんけど」
「え、大丈夫なの?」
「知らん、本人寝とるから確認のしようないわ」
ぺた、と首元に手を触れて不味そうな表情を浮かべる。後ろでは数人が心配そうに見ていた。
「結構あるよね、これ」
「多分な、なんでこれで来てん…」
「寝させとく?濡れタオルおでこに乗っけるとか」
「それがいいかもね、まろの番来たら起こそうか」
帽子を取った時、頭にある何かを発見する。異様な膨らみ、というのだろうか。
「…猫?」
猫の耳、というには三角形ではなく、ぺったりと頭に付けたような、いわゆるイカ耳のような状態になっている。
「うわ、ほんとだ…この人いつから隠してんの…?」
「あれ…よな、なんかちょっと前言うてたヤツ」
「そうそう、多分ね」
そんな話をしていると、うすく目を開いたのが分かる。ぱちぱちと瞬きをする目の奥をじっと見ていれば、縦型の猫みたいな瞳孔があるのが分かった。
「…あれ、どしたん」
あにきが起きたのと同時くらいに、猫の耳は不思議と髪の中に紛れ消えたように見えた。きょとんとしている彼の頭を撫でればそれは跡形もなく消えていて、何?と言わんばかりだった。
「あにき、なんか隠してることない?」
ないこが話しかける。フリーズしているのか、返答が遅いだけなのか数秒の沈黙が生まれた。
「…まぁ、特にない、な」
「その耳は?」
その問いかけに、ネコの耳があった場所を触る。カマをかけたのだろうが、こうも反応してしまっては隠せない。
「…あにきもなってたんだね?」
「あー…言わんで悪かったとは思っとる……」
髪をぐしゃりと掻き乱し、バツが悪いと言わんばかりだ。
「それで?治せそうなの?」
無言で首を振った。相手が届かない人なのだろうか、そうだとしたら俺が…なんて邪推をしてしまうのは、酷いだろうか。
「でもあれでしょ、何かしら対策が必要じゃない?」
「…別に、なんもあらへんやろ」
「誰に撫でられたりしても、緩和にはなるんだよ?まさか病院行ってないの?」
「行ってない、…めんどくて、」
自分のことに関して適当な人だとは思っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。未知の病気だろうそれに、こうも平然としているのは不思議で仕方ない。
「これだから最年長は!適当なんだよ!もうちょっと自分のこと大切にしなよ!!」
「んはは、…ごめん、なんか」
か細い声で申し訳なさそうに笑う、明るい最年長がこうもなると目に見えて衰弱しているのが痛々しいほど分かった。
「はぁ…一旦寝ときな、説教は後で。タクって帰りな?治らなそうなら病院ね」
「…おん、そうするわぁ」
ふにゃりと作り笑っているような、困っているだけのような。マスクで隠れている分表情では読めないが、あまり体調がよくないのは確かだろう。初兎が撫でたる〜なんて言って隣を奪った、一方でほとけの方はそこまで気にしていない様子だった。
「…ええの、あれ」
「ん?まぁ…あにきじゃん、良いんじゃない?」
髪をアレンジしながら撫でている最年少と、その横で撫でたり頬をついて遊んでいる。そんな様子を遠くから傍観しているのは、いずれにせよ不思議だった。
「同じ男やん、心配とかせぇへんの」
「そんな気になる?あにきって…言い方悪いけど、男に興味無さそうじゃん?だからいいかなって」
「…ふーん、そうなんや」
「その点いふくんも心配してないよ。ノーマル発言みたいなの、してたの二人だけじゃない?」
「そう、やっけ…俺どっちでもええんやけど…」
相手より自分がしていたかどうか、が気になるのは、当時兄貴の言っていたそれに少し感傷的になったから、覚えているだろう。
「…なに、しょーちゃんのこと好きなの?宣戦布告?」
「は?んなわけ」
「じゃああにきなの?」
「ちゃうわ、あほとけ」
平然と返したつもり、だったのだが。変に笑顔になるからなんだと睨めど、笑ったまま生暖かくこちらを見ていた。
「ふーん…そうなんだぁ…」
「違うって言ってんだろうが!!」
「はいはい、照れ隠ししなくていいって」
「えー、?まろって、あにきのことすきなの?」
後ろからにやにやと話に割り込んだのは、他でもないないこだった。
「だから、違うって…」
「ほんとに?緩和すんの、居なければ誰かに任せようと思ってたんだけど…」
「…居なかったら考える」
「あにき次第だけどね…でも変な人に任せるより、じゃない?」
件の彼へ目線を移す。三人で横に並び、真ん中の一番背高の彼をなでる様子はあまり見ない光景だ。普段ああやって可愛がると怒られるから、相当参っているのだろうと察せた。
「あにき、動けそう?」
「……ん?寝んとっても、普通には動けるで、」
「じゃあ帰ろう?熱あるんでしょ、」
「熱あるん、おれ…どうりで……」
くぁ、と咬み殺すような欠伸の声が漏れる。そのまま、何事もなかったかのように言葉をつけた。
「…俺今日はかえるわ、ごめんな、伝染すとあかんし」
「あにき、それ緩和できる人居る?撫でたり、なんかして貰えそうな人は?」
「んー……わからん、どうやろなぁ…」
「それで言えばまろとか、俺らでも良いし…とにかく頼りな?治らないときついでしょ?」
「…俺多分過眠だけやねん、大丈夫…はよ治すわ、」
「誰かに撫でられて帰れば?…そっちのが楽じゃない?」
一瞬考えて、首を振った。じゃあ。と一言告げて部屋を後にする。どうしよう、と思っている内に体は動いていた。階段を降りていった彼を追いかけて、手を伸ばす。
「あにき、待って…!」
「ん…なに?どしたん、なんかあった?」
「今日の夜、なんかある?」
急に何を言うんだ、と言わんばかりだ。小さく迷った声がして、スマホを取り出している。
「今んとこ…なんもあらへんけど。なんで?」
「…撫でに行ってもええ?」
「は?…急やな、」
「えっと、気になって…触ってみたいなって、」
不思議そうにすい、と耳があった場所を撫でる。好きだとか、そういうのは多分気付かれていないのだろうし、気付かれることも無いかもしれない。
「猫耳気になんねや、…ふしぎやもんな、これ。」
「その…心配してんねん、下心とかやなくて、嫌なら別に」
「ええよ、おいで……あ、多分寝とるから、これ鍵。好きな時に来てや…後で返してな、」
鞄からキーケースを取りだし、その中の1本を手に置かれる。あにきが好きなキャラクターの飾りが付いたやつだ。
「…2本持ち歩いとんの?」
「んや……最近なくしがちでな、結局は見つかんねやけど、予備で2本持ってんねん」
「そうなんや…じゃあ、気を付けて帰りや?」
「おん、気をつけるわぁ…ありがとな〜」
立ち去るのをその場で見て、自分もみんなの居る部屋に戻る。鍵はポケットに隠して、絶対に見られないようにと思った。
「…おかえり、いいことあった?」
「え、何が?」
思わず声が裏返った、何かを隠している雰囲気が増してしまった気がする。
「にこにこだったから、いいことかなって」
「あ、まろちゃんなんか隠しとんなー!?」
「隠してへんわ!俺のことはええやろ!!」
質問攻めにあったのは言うまでもないが、最年長の彼が心配だし、恋路もそれなりに心配、というのは伺えた。練習が終わった後、今から行くと一報を入れて買い物に向かう。体調が悪いとか熱とか言っていたから、念の為だ。家に着いて、一応インターホンを鳴らす。反応は無かったので鍵を開け、部屋に入った。
「お邪魔します…」
奥へ進めば、ソファで返ってきたそのままの状態で、すやすやと寝息を立てているのが見えた。上着やら荷物を端に寄せて置いてから、冷蔵庫の片隅を拝借して飲み物やらを入れ込んでいると、音に反応したのか名前を呼ばれた気がして振り返る。
「…来てたんや」
「さっきね、熱は大丈夫そう?」
「んー…多分猫に近なってるんと違うかな、熱って感じやないねん」
「そんでも人間の体では熱やんか、水分摂ってる?」
「普通には飲んどるけど…」
「これ俺買ってきたやつやけど、良ければ飲んで…あと何本か冷蔵庫に入っとるから」
「…おん、ありがとう」
ぼんやりとした瞳を見ていると急に、ぽすん、と抱きしめられる。身長差はほとんどないから、首元に熱い吐息が触れた。すり…と肩に頭を擦って、小さく唸っている。
「あ、にき……?」
ふと我に返ったのか、両手をあげてぱっと離れた。顔色を変えて、やらかしたとでも言わんばかりだ。
「ごめ、なんか、ぼーっとしとって…」
「ええよ…やっても、そんならそっち行こうな」
背中を追って、水を片手にソファへ戻った。横に座っても気まずいのは変わらない、打破する言葉をゆっくり探している。
「何すればいいん、俺…撫でた方がいい?」
「…なんでもええけど。猫の耳が気になってんねやろ?」
横を向いて、差し出すように少し下を向いた。いつのまに出てきていたネコ耳は少し丸みを帯びた三角形で、黒髪の中に紛れている。ゆるやかに巻かれた髪は猫になる前から変わらない。ぴこぴこと動いている耳に触れれば、瞳を閉じてくすぐったそうにしている。たまに瞬きをする目とろんと垂れて眠気を払いきれないでいた。
「眠いん?」
「ん…なんか、撫でられると眠なってくるわ」
顔にかかる髪を掛けた手に、頬擦りをした。冷たくて気持ちがいい、と笑った声に微かに喉が鳴っている音が聞こえる。可愛らしいと思う反面、他の人を想う彼の弱みに付け入る事しか出来なかったことへ、申し訳ない気持ちも芽生えてくる。
「…失礼なこと言ってもええ?」
聞きたかった。俺たちにも、その相手へも言わずに抱え込んで、秘匿する忍耐とそれだけの愛が
「どしたん…急やな、前置き重いし…..なに?」
「あにきの、好きな人って…さ、」
「…おん」
「そんな酷い人、なん…?」
きょとん、と俺の顔を見る。なんで聞かれたのか分からないと言わんばかりの表情だった。
「なんでそんな人やと思ってん、」
「あにきが言わないん、そういうことなんかな…って」
「…..怖いから言わんだけ、酷ないよ。優しいひと。」
苦い表情で、悲しいよりも誇らしいという顔をした。負の感情よりも先立っている強い感情がそこにあった。
「そっか…愛されてるんやな、その人」
「俺が好きになっただけあるわ、…かっこええんやで?」
相手を想って笑うあにきは、つかの間の息継ぎをするように元気そうだった。それに嫉妬してしまう自分の恋心は、どれくらい悪いのだろうか。
「あにきがそう言うなら、相当なんやなぁ」
「そう、俺じゃ…届かへんねん、そういうひと」
「…そんな会えん人なん?」
「そこまででもないかな…普通に会えるし、」
「じゃあ偉い人?」
「偉い?…どうなんやろ、聞いたことないわ」
段々難しい顔をしては、探り探り答えを出しているところを見ると変な質問だと思いながら答えているんだろうな、と分かる。誰と当てたい訳ではないが、好きな人が好きなひとの、人物像が知りたかった。
「届かないって…職業的にとか、そういうの、?」
「職業は関係あらへんかなぁ…同じことやっとるし」
同じことをしている、と言えば近くいるような気がする。いや、旧友であれば俺が知らないのも無理はないし、音楽に精通するあにきであれば多方向へパイプがあっても気付けない。
「…バンドマンってこと?」
「バンド…はやってないと思うで?会社勤めやし」
「VOISING…のスタッフ…とかグループ所属してる…?」
「…俺の好きな人当てなんてもうええやろ、みんなに聞いてこいって言われてん?」
細い瞳孔がじっと見詰めている。これ以上は教えない。そう言われているようだった。
「言われとらんよ、俺が気になっただけ」
「ふーん……珍しいやん。そんで?撫でるん気ぃ済んだ?」
たてがみのような長い髪をかき揚げ、乱れた毛並みを整える。百獣の王は人でさえ魅了するのだろう。
「あ、うん…」
「帰るならはよ帰り、ちょっと遠いやろお前ん家」
「そうやね……そんで、体調は?大丈夫?」
「全然マシになったわ、ありがとな…大丈夫、次ん時はなんか対策考えるから、迷惑かけんようにするし」
「俺でもええで?…迷惑やないし、全然」
小さく唸って、数秒考えて固まっている。最後に聞きたかったこと、俺の恋は終わらせて、応援しようと思って。
「…あのさ」
「ん?…なに」
「あにきが好きな人って、メンバーの中にいる?」
「……答えんとあかんの?」
「答えられへんの?」
「教えられんへんの。そんな気になる?」
「手伝えるんならって思うんよ、それじゃ駄目?」
「…フラれたら猫になんねん、諦めるから。だから嫌や」
「じゃあまだ、諦めてないんだよね?」
手を握って、1歩詰め寄った。丸い目を開き、困惑した表情を浮かべている。
「当てていい?」
「…どうぞ?当てられんの?」
ここからは理想で固めた予想。答えられないのは、目の前の俺がその中に含まれるから言えない。まだ諦めてない、フラれてないってことは、その人は誰かと付き合っていないはず。
そんな軽率で必中な、自殺特攻のチェックメイト。
「近くにいて、同じことしてて、バンドもやってない。
それで、メンバーで、誰とも付き合ってないヤツ!」
「そんで?」
「帰国子女で髪青くて…今、あにきの目の前にいる男!」
「はぁ………そうだよ、正解。当てて楽しかった?」
溜め息をついて、観念したように答えた。楽しかった、なんて皮肉っているのだろうが、俺は嬉しくて仕方ない。
「楽しかったよ、だって俺も好きやもん」
「だろうな。こっちは死にたないねん返事は……」
聞き間違えたとでも言うのだろうか、フリーズが一番近いと思う。何故と言わんばかりに見詰められる。
「するよ、?俺、あにきのこと好きだよ」
「…俺、キズモノだよ。お前が思うほどのヤツやない」
泣きそうで、震えた声は呆れるほど真っ直ぐだ。下を向いて、長い髪がカーテンのように表情を隠した。
「だから断れってこと?」
「恋人って、そういうことやろ…だから、」
手を握ると言葉が遮られる。大丈夫だよと撫れば、不安そうな顔が俯いた髪の隙間から覗く。
「嫌なことはしないし、隣にいたいだけ。それも嫌?」
「…嫌、じゃない」
「抱き締めてもいい?」
小さく、頷いた。腕の中に収めれば、あつすぎる熱と質量を感じた。同じくらいの身長があるのに小さいと感じるのは、なんでだろうか。
「大好きだよ、」