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立ち上がったあと、うさぎに目を奪われながら、海岸沿いの道を歩いていたのぞみは、
「うひゃっ」
と声を上げる。
なにかに足をとられかけたからだ。
下を見ると、あちこちに穴が空いている。
「うさぎの穴ですかね。
アリスになるとこでした……」
「落ちたくらいでなれるんなら、落ちてこい」
仔うさぎ潰すなよ、と京平が言ってくる。
「穴がたくさんありますね~」
「此処はアナウサギが多いらしいからな。
春は仔うさぎが顔を出してたりするらしいぞ」
それは見てみたい、と思いながら、のぞみはしばらく、穴を覗いていた。
京平も急かすことなく、後ろに立っている。
のぞみを待ってくれているのか、自分も仔うさぎが見たいのかは謎だが。
しゃがみ込んだのぞみの頭の上では、崖に繁茂しているシダのような植物が揺れる音がし、潮風が鼻先をくすぐる。
「なんだかまったりした時間が流れてますよね、此処」
と振り返りのぞみが笑うと、
「お前の周りは何処でもまったりした時間が流れているが……」
と京平は言う。
そして、京平は崖近くの斜め先を見た。
「ほら、お前を落とそうと、うさぎが穴を掘っているぞ」
……なるほど、木の下にうさぎがカカカカカッと穴を掘っている。
おしりをフリフリ掘っているさまが、なんとも言えず、愛らしい。
いや、結構動きは素早いし、本人(?)は必死なのだろうが。
「じゃあ、落とされないうちに行きましょうか」
とのぞみが立ち上がると、京平は島の地図を見ながら、
「じゃあ、行くか、廃墟に」
と言ってくる。
「……何故、廃墟ですか」
「いや、お前も好きだろ。
俺が行きたいところに全部廃墟があると即座にわかったし」
うっ、とのぞみはつまった。
確かにコンビニなどで、廃墟の本とかあると、ついつい、買ってしまう。
何故、コンビニには、廃墟の本とか、コンビナートの夜景の本とか、仏像の本とかあるんだ。
罠だっ、とのぞみは思っていた。
しかし、草に覆われた廃墟の写真の、あの、なんとも言えない、物悲しいような、それでいて、ゲームのワンシーンのような雰囲気が好きなだけで、実際に行きたいわけではない。
なにか出そうだからだ。
「よし、廃墟はこっちだな」
と言って、さっさと京平は歩き出す。
ああっ、待ってくださいっ、と思ったが、人の言うことを聞くような男ではないし。
京平が人の言うことを聞くような人間なら、今、此処に二人でこうしてはいない。
「専務、お茶です」
「ありがとう」
くらいしか会話のない関係を今でも続けていたに違いない。
「大丈夫だ。
廃墟を通ると、うさぎがいっぱい居る場所に出られるそうだ」
「いやそれ、きっと、別のとこ通ってもいけますよね……」
となんだかんだで京平について行きながら、のぞみは後ろを振り返る。
楽しげな家族連れは、無料バスに乗るか、反対方向に向かって歩いていっているからだ。
だが、廃墟に向かうコースの道の端にうさぎが寝ていた。
三匹並んで、こちらに背を向け、おしりをもふっとさせて寝ている。
のぞみは吸い寄せられるようにふらふらと廃墟への道を進んでいった。
うさぎが驚かないよう、遠くから見つめながら小声で叫ぶ。
「ああっ。
もう駄目ですっ。
私は此処に住み着きますっ」
「……いや、たぶん、うさぎに出ていけと言われると思うぞ」
京平が冷静に言ってきた。
巨大な廃墟だ。
のぞみは昔、発電所だったというその大きな建物を見上げた。
中は立ち入り禁止だが、壁がないくらいほとんど窓なので、中の様子もよく見える。
がらんとした巨大な空間があるだけで、なにもないようだった。
廃墟って、写真で見たら、美しいけど、実際に見たら、寂しい感じがするかな、と思っていたのだが。
ただただ静かだ。
緑に覆われたやはり巨大な毒ガス貯蔵庫まで来たとき、京平が、
「のぞみ」
と声をかけてきた。
振り返ると、京平がシャッターを切る。
鞄から取り出したらしき、立派な一眼レフのカメラを手にしている。
京平は今撮った画像を確認しながら、
「ちょうど光と影の感じがいいな」
と言った。
「しかし、こうして見ると、お前、ほんとに綺麗だな」
と画像の方ののぞみを見ながら言ったあとで、実物を見、首を傾げる。
「だが、生きて動いている方は、知れば知るほど、綺麗という単語から遠ざかって行くのは何故だろうな?
なにかぼんやりしてるからだろうか。
口を開けば、阿呆なことばかり言うから、見た瞬間に感じた神秘性がどんどん薄らいでいくというか……」
もう一生、口を開くまいか、と思ったとき、京平が言ってきた。
「大丈夫だ。
言わなかったか。
もともとお前は俺の好みではない」
そして、少しの間のあと、付け加える。
「……どっちかといえば、しゃべったあとの方が好みだ。
行くぞ」
京平は、そのまま、こちらを見ずに、軍隊の演習か、という勢いで歩き出す。
ちょっと笑ってしまった。
少し歩くと、うさぎがちょこちょこっと顔を覗けた。
足許に来て、ちょい、と京平の足に触れてくる。
だが、お、と京平が下を向くと、何故か、すい、と逃げた。
殺気を感じたのかもしれないな、とのぞみは思う。
いや、そんなものうさぎに向かって出しているはずもないのだが、京平は、普段から、仕事のときの勢いで目つきが鋭いことが多いからだ。
今も、せっかく近づいてきたうさぎを逃すまいとして、すごい目をしていた。
「やはり、エサを出さないと近くにとどまってはくれないな」
「ニンジンスティックの出番ですねー。
従兄のめーちゃんがうさぎ、リンゴの方が好きみたいだって言ってましたけど」
とのぞみがカバンから、ごそごそタッパーから出していると、
「そんな小さな従妹が居るのか?」
とちっちゃい子がうさぎを飼っているイメージなのか、京平はそう言ってきた。
「いえ、二十七歳、男のめーちゃんです。
……いや、いいじゃないですか。
男の人がうさぎ好きでも。
専務も好きでしょう?
っていうか、めーちゃん、小学校の先生なんですよ。
学校でうさぎを飼ってるんです。
で、学校で、うさぎがリンゴ好きと判明したらしいんですが。
リンゴ季節じゃないから、ニンジン持ってきたんです」
「待て。
今、ニンジンは季節なのか?」
「さあ」
「お前と話していると、脳に、なまぬる~い風が吹くよ」
という京平を無視し、ニンジンを手にして、腰をかがめると、早速うさぎが飛んできた。
だが、すごい勢いで取られる。
「な、なかなか凶悪ですね」
「そりゃ、野生のうさぎだからな」
「でも、うさぎ、ニンジンも好きみたいでよかったです」
「まあ、好きで食べてるのかは知らないが。
人間にだって、人によって、好き嫌いがあるんだから、うさぎにだってあるだろ。
リンゴ嫌いで、ニンジン好きとかも居るだろうよ」
と京平は言う。
「そうですか、勉強になります」
とあらたなニンジンスティックを出しながら言うと、後ろで寂しそうに京平が、
「お前、うさぎに集中してて、聞いてないだろ、俺の話……」
と言ってきた。