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私は中村と言う、商店街に宝石店をやっているものです。店は父が開いた所を引き継ぎました。今日は父がお店を開いた当初からのお得意様の家にやって来ています。
大分老朽化していますが、手入れは良く行き届いており、門の前に立つだけで身が引き締まる思いがします。
今お住まいなのは、この家を建てた方のお嬢様とその息子様、執事の坂下さんです。数年前に亡くなった旦那様は一代で財をなした方でした。病弱な奥様はお嬢様を産み落とされた時に亡くなられましたが、その後はお嬢様をお屋敷の皆で育て上げました。やがて、旦那様の会社の社員から選ばれた方とご結婚され、元気な男の子が生まれたのです。お嬢様の旦那様になられた方は大人しい方で、大旦那様がご存命の間はその支持に従うことで会社を上手く運営されましたが、大旦那様がお亡くなりになると会社は規模を小さくせざるおえなくなり、最終的には他社に売払われてしまいました。それからすぐ旦那様も心労が重なり、お亡くなりになったのでした。
それからと言うもの、大勢いた屋敷の従業員も執事の坂下さんを残して去って行きました。その屋敷の維持と生活の為に時々こうして私が呼ばれ、昔大旦那様が買われた宝石を買い取っているのです。大旦那様は一人娘のお嬢様を大変可愛がり、年二回のペースで宝石をプレゼントされていました。お嬢様はその宝石を使って、ままごとや人形遊びもされました。とても楽しそうでした。今はそれを売ることで生活していることをお嬢様は「役に立って嬉しい」とも「中村のおかげで助かっていますよ」とにこやかにおっしゃいますが、私はつい新しく仕入れた宝石をお見せしたい誘惑に駆られ、いつも持って来てしまうのでした。
今日はとりわけ大きな宝石の売却を望まれました。息子様が今度大学入試に失敗され、予備校に通われる費用がいるのだそうです。私がお屋敷に到着した時には外出されていた息子様は買取価格をお伝えした頃にはご帰宅されたようで、応接間にスルッと庭に開いた窓から入られ、面白くなさそうにお母上の顔を睨みつけました。
「あら、洋ちゃん帰っていたの。お客様にご挨拶なさい」
「いえ、奥様。勿体ないお言葉でございます。用は済みましたので失礼させていただきます」
「そうお?坂下、中村さんを玄関までお送りして」
「いえ、一人で大丈夫でございます。それでは、失礼いたします、奥様」
そう言って立ち上がろうとしたところ、息子様が内ポケットから何か光る物を取り出しながら近寄って来ました。同時に奥様の斜め後ろに控えていた坂下さんも私の前に立ちふさがり、その光る物を取り上げようとしました。次の瞬間、坂下さんの手から赤い液体が四方に飛び散り、お嬢様が驚いて立ち上がり悲鳴を上げました。息子様が取り出したのはナイフだったのです。坂下さんが冷静に口を開きます。
「奥様、大丈夫でございます。ゆっくりおかけになってください」
「ぼっちゃま、力を抜いてください。ナイフから手を放して、そう、そうです」
今はすっかり怯えたような表情の息子様はナイフを坂下さんに手渡すとその場に座り込んでしまいました。私はポケットからハンカチを取り出すと、坂下さんの手の傷口を抑え、縛って止血します。幸い傷は深くなかったようで、もう血は滴り落ちてはいないようでした。
その時、窓の外から舌打ちのような音が聞こえた気がして、音のした方向を見ると誰かが門に向かって走り出した様子でした。もちろん坂下さんも気付いていて同じ方を見つめましたが、私の視線に気付くと唇に人差し指を当て、他言無用の合図を送って来ました。
「お茶を入れ直して来ます。中村さんもお飲みになってください」
と息子様を連れて部屋から出て行きました。その頃には我に返ったお嬢様がうっすらと笑みを浮かべ
「坂下の言うとおりよ、中村さん。もう一杯お茶に付き合ってちょうだい」
「はい、ではお言葉に甘えさせていただきます」
それまで気付いておりませんでしたが、私もかなり動転していたようです。自分の鞄を倒してしまっていました。倒した拍子に蓋も開いたらしく、持参した宝石ケースが見えています。私は慌てているように見えないようにゆっくりとそのケースを押しやり、鞄の蓋をしっかり閉じました。
庭を眺めていたお嬢様はほうっと息をはきました。そして
「宝石には沢山楽しませてもらったけど、もう夢は見られないわね」
と奥様はおっしゃいました。