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ゆずき
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#子育て
都築七美
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奪われたまま、終わるはずだった。
目は、開かない。
正確には――開いているのかどうかすら、分からなかった。
光も、影も、色もない。
詩乃の世界には、ただ一面の暗闇だけが広がっていた。
それでも、音だけは生きている。
規則正しい電子音。
低く、一定のリズムで鳴り続ける機械の気配。
遠くで、誰かが話す声。近づいては、また遠ざかる足音。
(……ここは……)
考えることはできる。
意識は、はっきりしている。
けれど――
指一本、まぶた一枚、喉一つ。
何ひとつ、思い通りにならなかった。
叫ぼうとしても、声は出ない。
動こうとしても、体の感覚すら曖昧だ。
詩乃は、自分が“生きている”のかどうかさえ、分からなくなりそうになる。
事故だった、と聞いた気がする。
正確には「聞いた」というより、誰かの声が、意識の底に沈んでいく途中で擦れた、そんな感覚だった。
両親は、最初の数日だけ病室を訪れた。
「……まだ意識は戻らないの?」
母――加奈子のその声音は、心配というよりも、どこか苛立ちと焦りを含んでいた。
「このままじゃ困るのよ。世間に知られたら、楠木の恥になるでしょう」
父――弘の声が、低く続く。
「……男関係のトラブルで事故なんて、最悪だ。マスコミに嗅ぎつけられたら、面倒くさいことになるぞ」
(……ちがう……)
詩乃は、心の中で必死に否定する。
違う。
そんなこと、していない。
けれど、声は届かない。
「果穂が言ってたでしょう。
詩乃は、ずいぶん派手に遊んでたって」
その言葉に、詩乃の思考が凍りつく。
(……果穂……?)
「……まったく。
あれほど言って聞かせていたのに、浅はかな娘だ」
弘の溜め息。
それは、娘を案じる父のものではない。
“不良品を掴まされた経営者”の嘆きだった。
「……外聞が悪いわ。
この件は、徹底的に伏せましょう」
「当然だ。入院先も限られた人間しか知らない。
植物状態? ……それなら尚更だ」
(聞こえてる……私は、全部……)
誰も、気づかない。
気づこうともしない。
詩乃が、ここにいることを。
――ああ。
詩乃は、ぼんやりと思う。
この家では、昔からそうだった。
妹が優先され、
自分は「都合のいい方」を選ばされる。
その延長線上に、今があるだけなのだと。
***
それから、どれほどの時間が経ったのか。
ある日、空気が変わった。
足音がする。軽やかで、迷いのない音。
ヒールが床を叩く、規則正しいリズムが近づいてくる。
「……お姉ちゃん?」
その声を聞いた瞬間、詩乃の意識は強く引き戻された。
――果穂。
「久しぶり。……相変わらず、静かだね」
くすり、と笑う気配がする。
「ねえ、聞こえてる? ……まあ、聞こえてないよね」
(聞こえてる……全部……)
「まさか、こんな風になるなんてびっくり。
ちょーっと、“もう人前に出れないくらいボロボロにしてやって”って、お願いしただけなのにね」
(……お願い、した?)
「でもさ。お姉ちゃん、あのまま結婚してたら――幸せになってたでしょ?」
場違いに弾むような、果穂の声。
「それって、許せないじゃない」
見えなくても分かる。
甘く、無邪気で、底知れない悪意を孕んだ笑みで――果穂が詩乃を見下ろしている。
「だから、私が代わりに結婚してあげたよ。
――綾咲幸人さんと」
その瞬間、詩乃の意識が大きく揺れた。
――え?
混乱する思考の中、果穂の声だけが鮮明に届く。
「お父さんもお母さんもね、“果穂でよかった”って言ってくれたの」
再びヒールの音が鳴り響き、詩乃のすぐそばで止まる。
「ごめんね?」
そして果穂が、耳元で囁いた。
「お姉ちゃんの幸せ、ぜーんぶ私がもらっちゃった♡」
まるでそれは、悪魔のような。
涙が流れないのが、こんなにも残酷だとは思わなかった。心の中では、叫び声を上げているのに。
どうして。
どうして、いつも。
努力してきた。
夢を諦めた。
家のために、自分を犠牲にした。
それでも、何一つ、守られなかった。
コメント
1件
うわ……もう、胸がぎゅってなった。詩乃、ずっと意識あるのに動けなくて、周りの声を全部聞いてるって地獄すぎるよ。特に妹の果穂、あの無邪気な悪意が本当に怖かった。「代わりに結婚してあげたよ」って台詞、鳥肌たった。詩乃の幸せを一つずつ奪っていく感じ、読んでて辛かったけど、この重さを丁寧に描ける都築さんを尊敬してます。続き、ちゃんと受け止めたいです。