テラーノベル
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それからの時間は、詩乃にとって、終わりの見えない地獄だった。
手入れの行き届いた、艶やかな髪。
高級ブランドのバッグ。
光沢のあるコート。
“今の地位”を示す戦利品を身につけて、果穂は何度も病室を訪れた。
結婚式の話。
豪華な新居の話。
海外赴任でほとんど家にいない夫の話。
やがて、男の子を産んだこと。
「跡取りだって。すごいでしょ?」
「名前は乃亜にしたの。海外っぽくてオシャレでしょ?」
詩乃は、ただ聞くしかなかった。
「ねえ、聞いてる?
……あ、聞こえないか」
一方的に語り、一方的に笑い、一方的に去っていく。
詩乃は、声だけの世界で、ひたすらそれを受け止め続けた。
時間だけが、残酷に過ぎていく。
――二年。
果穂の声は、次第に変わっていった。
以前のような、弾む調子は消え、どこか冷めた、投げやりな響きに変わる。
「……ねえ。正直さ、もう飽きた」
ある日、果穂はそう言った。
「何も言わないし、何も反応しないし……つまんない」
「生きてる意味、ある?」
静かな声。
次の瞬間、機械の音が、ひとつ――消えた。
(……え……?)
「もういいよね。……お姉ちゃん」
詩乃は、必死に叫ぼうとする。
動け、と願う。
けれど――
「ばいばい」
闇が、深くなる。
(……私の人生……)
果穂に奪われ続けた日々。
守られなかった夢。
信じてもらえなかった真実。
(……これで、終わり……)
意識が闇に沈み、何も分からなくなっていく。
――どれくらいの時間、そうしていたのだろう。
詩乃は、重たい意識の底から、ゆっくりと浮上した。
頭が、ずきずきと痛む。
喉がひどく乾いていて、口の中にアルコールの苦味が残っていた。
(……気持ち、悪い……)
無意識に額を押さえようとして、詩乃は動きを止める。
手が、軽い。
細くて、白くて、指先には派手なネイル。
(……え……?)
視界が、ぼんやりと焦点を結んでいく。
見えたのは、高い天井。
シンプルで洗練された、広々とした空間。
だが、その下に広がる光景は――ひどく、荒れていた。
床に転がるヒール。空になった酒瓶。
ソファに脱ぎ捨てられた数々の服と、ブランドバッグ。
ガラスのローテーブルには、使いかけの化粧品や灰皿が散乱している。
(……ここ……どこ……?)
体を起こそうとして、詩乃はたった今まで、自分が床で寝ていたことに気づく。
辛うじて脱いだらしいコートが、そばでくしゃくしゃに丸まっていた。
(どうして……私は、さっきまで病院で……)
混乱する頭のまま、立ち上がろうとした、その時だった。
誰かの、気配。
リビングの奥、薄暗い影の中に、小さな人影があった。
詩乃がそちらを見ると、小さな男の子が、じっとこちらを見つめていた。
見た目だと、二歳くらいに見える。
「……」
視線が合っても――男の子は、何も言わない。
詩乃が一歩近づくと、男の子はびくりと身をすくめた。
逃げはしない。ただ、怯えたように、大きな瞳がこちらを見上げている。
胸の奥が、ざわめいた。
(……この子……)
そこでようやく、詩乃の中に、決定的な違和感が走った。
(……違う……何かが……)
詩乃はふらつきながら、壁際の姿見へ向かう。
全身が映る、大きな鏡。
そこに立っていたのは――自分ではない、女。
乱れた髪。
派手なメイク。
アイラインが滲んで、目の周りを黒く染めている。
そして、よく見知った顔。
「……っ」
喉が、ひくりと鳴った。
――楠木果穂。
紛れもない“妹”の顔が、そこにあった。
(……嘘……)
鏡の中の女が、同じように唇を震わせる。
(……私……果穂に……?)
理解が追いつかないまま、背後で小さな足音がした。
先程より、少しだけ近くなった距離。
それでも一定の距離は保ったまま、男の子が、詩乃――果穂の体を見上げている。
(この子……果穂の……)
――息子。
果穂が産んだ、子ども。
その瞬間。
玄関の方から、電子ロックの解除音が響いた。
がちゃり、とドアが開く。
そして、静かな足音が近づいてくる。
どうして私がここにいるのか。
どうして、私が“果穂”になっているのか。
何も分からない。
ただ今ひとつ、分かることがある。
「……ただいま」
――綾咲幸人が、帰ってきた。
🍑❄♡
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都築七美
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コメント
1件
うわっ……この回、重すぎて息できなかった…… 詩乃の無力さと果穂の「ばいばい」が心に刺さりすぎて、しばらく動けなかった。 それで意識戻ったら果穂の体って……入れ替わりなの? それとも何かもっと別のことが……? 二歳の乃亜くんの怯えた目が本当に切なくて、胸がぎゅっとなった。 最後の「ただいま」で背筋が凍った。続きが気になりすぎる……😭