苦しいのなら、今すぐにでも助かりたいと思うのは人間として……いや生き物として当然のことじゃないのか?
それなのに、どうして止めろなんて言われなきゃならないんだ。全くもって人権の侵害だ。
それじゃあ何だ、アンタがどうにかしてくれるってのか。何もかんも魔法みたくパッと解決してくれるって?明日から俺はアンタらと同じく、下層の人間共を覗き込んで無遠慮に哀れむ馬鹿共になれるってのか?
無駄に止めんなよな。
その有り余った善意、他に回したほうがよっぽど世界のためになるんじゃねえの。生きたいと思える奴らに言ってやれよその言葉、きっと涙流して喜ぶぜ。win-winだろ。
……俺?俺は良いんだよ。
この一歩踏み出すだけではいおしまい。コスパ良いだろ?ちゃんと下は立ち入り禁止区域だから、他人を巻き込むなんてサイアクな事はしないさ。ほら、誰にも迷惑かけてない。止めるなんて、百害あって一利なしだよな?
「……さむっ」
流石に高所は風が強いな。もうじき冬か。死ぬには良い時分だろ、多分。撒き散らしてもあんま肉腐んないだろうし。
……あぁでも、俺を発見する人だけは、ホントごめんなさい。それだけは本当に。許してくれとは言わんが、どうか乗り越えてくれ。
「………よし」
そんじゃ、サヨナラ。
『…あっもう飛んでる。決断早っ』
寝癖だらけの黒髪に、そこだけ世界がくり抜かれたような虚ろな黒瞳。それらを覆い隠す裾の長い黒のローブ。
『まだ回収準備終わってないのに』
その青年は死神である。
名前:「不知火」。
ナンバリング:103。業績:中の上。
一度手を付けた仕事は必ず完遂するが、遅刻・サボり癖あり。
『あー、ほら縄ほどけたし。なんで回収道具ってこんなに多いんだろ。こんなん、自分で刈った方が早いじゃん』
黒いエンジニアブーツの底を鳴らして不知火は立ち上がり、ふわりと宙に浮かぶ。
その拍子にフードが外れたため被り直すが、すぐに風もないのにローブが大きく波打ち、またパサリと呆気なく外れた。不知火は心底嫌そうな顔をしたが、結局直さずそのままにしておいた。
ふわっと、コンクリートに散らばった赤黒い何かの側に降り立った不知火は『げぇ』と低い声を漏らす。
『……思い切り良すぎだろ。俺達のことも考えろよな……はぁ、後始末後始末』
うんざりとした表情で不知火は手を前に突き出すと、目を閉じ、ふぅと深く息を吐いた。
『……さぁ、昏きハーデスの寵愛。目覚めよ、熱き血は断罪の……って、あちち。目覚めすぎ目覚めすぎ』
不知火の手が青い炎に包まれた。その炎の中で、紙が燃える様を逆再生したように不条理な様相で、不知火の身長ほどの大鎌が現れる。
不知火はそれ以上祝詞を唱えることもなく、ぞんざいに手を振って火を払うと大鎌を大きく振りかぶった。
『はい、じゃあ人生お疲れ様でした』
___ガツン!
『………は?』
不知火の振り下ろした一撃は、コンクリートに重い衝撃を与えた。不知火の手にジンと鈍い痺れが走る。しかし、それだけだった。
魂は身体から切り離されていない。
…鎌が死体を通り抜けてしまったのだ。
『…は?え?そんなのあり?……あ、うわそっか、やっぱりぐちゃぐちゃなのが駄目なんだ』
不知火はひょいとしゃがんで、地面に広がっている肉片を一欠片摘んだ。そして空を見上げる。目の前にそびえるビルは非常に背が高く、生きている人間なら簡単に首を痛めそうだと不知火は思った。
『あぁもう、なんでこんな高い所から死ぬかなぁ。本当、自殺は面倒臭くて最悪……』
深くため息をつき、不知火は立ち上った。
そして辺りに散らばった、集めれば一人の人間の形になるはずの物をのそのそと拾い始めた。
『これは足……腕、は指が一本無い……ふざけんなよ……うわっ、目玉踏んじゃった。あーあー、これ大丈夫かなぁ』
黒いローブを袋のようにして、やる気が無いながらも手際良く身体を集める。そして胴体……心臓の近くにどさどさと落とす。溢れ、飛び散った血はブーツの底で適当に寄せておいた。
『こんなもんか………よし、今度こそ』
一度、トンと刃の先を心臓に乗せる。それから真っ直ぐ持ち上げ、美しく、音を置き去りにするような速さでその鎌を振り下ろした。
___ガツン!
『もぉぉお』
刃の先は、心臓から外れた。
『なんでだよ!』
「……なぁアンタ、さっきから俺の身体いじって何やってんだ?」
『うぉっ!?』
空を仰いで叫んだ不知火とバラバラの肉片からやや離れて、一人の男が座っていた。
清潔感のある身なりをしており、いかにも普通といった風貌の男だ。
……だからこそ、時折身体の所々が蜃気楼の様にゆらりと歪むのが殊更に異様であった。
『……あれ?、君…君じゃん、これの魂』
「あ、やっぱり?死んでるよな俺?それ、凄いコトになってるけど俺だよな?」
『そうそう、君君。……これ綺麗にまとめるとこんな風になるんだ、人体の神秘だな』
「はは、嫌な神秘だな」
神妙に呟いた目の前の男に、男は苦笑した。
それから膝の上で頬杖をつく。
血溜まりの中に立つ、黒一色の美しい青年をジロジロと見つめ、
「……アンタ、天使って柄でもなさそうだ。さては死神だろ」
『お、当たり。君を天界へ送るのが俺の仕事。ほら、これが依頼書』
不知火は男に近づき、ローブの懐から黒いメモ帳を取り出した。開かれたページには人の名前と日付・時刻がびっしりと記されており、その中には男の名もあった。
「へぇ、ちゃんとしてるな…うわっスケジュールぱんぱんじゃねぇか!……はぁ、なんだ。案外あの世も世知辛いんだな」
『本当にね。死んだ後くらい、のんびりさせて欲しいもんだよ』
「……ってことは、やっぱり死神も元人間か。俺もアンタみたいに働かされるのか?」
男の問いに不知火は首を振った。
『いや、最近新人入ったし。全然人手足りてないけど、まぁ死神がいすぎるのも問題だから』
「あぁ……だろうな」
『本来ならそのまま輪廻の輪に入ってもらうんだけど、君は……検査が必要だろうなぁ』
「検査なんかあるのか?」
『あるよー。君さぁ、身体に衝撃が入りすぎて魂が飛び出ちゃってるんだよ今。だから魂に傷が入ってないか調べるってワケ。輪廻の中で砕けられても困るしねぇ』
そこまで聞くと、男はもう一度「ちゃんとしてるな…」と呟いた。
そして少し考え込んだ後、おもむろに立ち上がった。不知火に向き直って男は言う。
「つまり、さっきアンタが困ってたのも俺がバラバラになっちまったせいだな、悪かったよ」
『中々いないよ、あそこまで肉片になる人』
「それは…ありがとう、で良いのか?まぁ事情はわかったよ。そんで、アンタがあの世に連れてってくれるのか?」
『仕事だからね。話が早くて助かるよ』
不知火は間合いを測るために一歩下がると、一応ずっと握っていた大鎌を構え直した。
そして振り下ろそうとしたその時、男があっと急に声を上げた。
『あれ、やっぱ死にたくない?』
「それは今更だろ。ちがくて……全部終わったら俺の身体、片付けてくれないか?それだけ気がかりだったんだ」
『えぇ?……まぁ、これも何かの縁か。でもいいの?君、跡形もなくなるよ?』
「いいさ。嫌がらせの為に死んだ訳じゃないんだ。遺しても仕方ないしな」
『へぇ、そういうもんか』
理解出来ても出来なくても、どっちでもいいといった感じで不知火は手慰みにくるっと大鎌を回し、もう一度しっかり構え直す。
今度は男も何も言わず、ただ目を閉じて終わりを待った。
『それじゃ、人生お疲れ様でした』
「あぁ。アンタこそお疲れさん」
『……お疲れさん、か』
肉片を青い炎にくべながら、誰にでもなく不知火は呟いた。
最後の欠片を放り込み、大きく伸びをする。
その拍子にふふっ、と不知火は口の中だけで密やかに笑った。
『よぉし、もう少し頑張っちゃおうかな』