「マリウス、殿下っ……」
リュシアンは唇を噛み彼を睨み付ける。
「リディア嬢、大丈夫かい」
「っ……」
マリウスはリディアを自らの背に隠しリュシアンと対峙する。リディアは訳が分からず放心状態で立っているのがやっとで、声が出ない。縋る様にマリウスの背にただ視線向ける。
「怖かっただろう。もう、大丈夫だよ」
マリウスは振り返り優しく微笑むと、リディアの頭を撫でた。そして彼は改めてリュシアンを見据える。
「白騎士団長ともあろう者がする様な言動とは到底思えないね。目に余る。彼女を慕うのは構わないと思うよ、でもそれを彼女に押し付けるような真似は感心しないな」
「……これは、私とリディアの問題です。いくら殿下であろうと口を挟まないで頂きたい」
互いに一歩も引くつもりはない様子で、睨み合う。空気が張り詰める。
「本来ならばね。だが君の言動は常軌を逸している。ハッキリ言うがリディアは嫌がっている。君は今過度の興奮状態にあり精神的に不安定で、その事を自身がまるで気が付いていない」
マリウスの言う通りだと思った。リュシアンはかなり興奮し、情緒が不安定な様に見えた。ただ何故彼がそんな風になってしまったのかは分からない。
「私は至って正常です。変な言い掛かりを付けるのはやめて下さい。私はただ、あの男の手からリディアを救い出そうとしただけです。彼女はあの男に騙されている。いつか彼女は絶対に傷付く事になる。私にはそれが分かるんだ。彼女に悲しい想いなどさせたくない。だからリディアを私が、救い出さなくてならない。私が、リディアを、リディアを救うんだっ」
リュシアンの異様さを感じリディアは後ろによろめいた。
ただ、怖いと思った。これまでの穏やかで優しい彼じゃない……。
「だから、さあリディア。私と一緒に帰ろう。そして私の妻になるんだ。そうすれば君は必ず幸せになれる。私が生涯……永遠に君を護る。私が君を幸せにする。私だけが君を護る事が出来る。君を幸せにする事が出来るんだ」
瞬きすらせずに虚な目で、リディアを凝視していた。鬼気迫る様子のリュシアンに恐怖以外の感情を抱けない。
「話にならないね」
呆れた様にマリウスがため息を吐き、髪を掻き上げる。少し頭を悩ませている様子だった。リディアも戸惑いながらも、どうしたらいいかと考える。このままではマリウスに多大な迷惑を掛けてしまう。自分でどうにかしなくては……。
「リュシアン様……あの」
何と言えばいいのか、正直分からない。どう話せば彼は納得してくれるだろうか、正気に戻ってくれるだろうか……。
「リディア、君なら分かってくれるだろう」
リディアの声に嬉しそうに反応したリュシアンは、満面の笑みを浮かべた。それが更に不気味さを感じさせ息を呑む。だが此処で怯んではいけない。意志を強く持ち、自分の気持ちを伝えなくては……ぐっと両手に力を込め、リディアはリュシアンを見据えた。
「リュシアン様、兄を悪く言うのは止めて下さい。兄は何も悪くない。不気味だなんて、私思ってません。それに、私はリュシアン様と結婚など考えられません。正直したいとも、全く思いません。リュシアン様の事は、素晴らしい方で尊敬はしております。ただ友人の兄、それ以上でもそれ以下にも思えない。今後何があろとうと、この関係や気持ちが変わる事はありません。だって、私はっ……私は……」
声が震えた。所々詰まらせながらも、リディアは話し続けた。
「ディオンが好きなんです」
静寂な中庭にリディアの声が曇りなく響いた。夕闇の中、頬を掠める風がやけに冷たく感じる。リュシアンもマリウスも、リディアの言った『好き』の意味を理解したのか、固唾を呑んだのが分かった。
「だからそんな風に言わないでっ、下さい」
感情的にならない様にと、リディアは自制しようとするが込み上げてくる感情は抑えられなかった。
「私の事なんて、何も、知らないのにっ、分かった様に言わないで……ディオンは私の兄だけど、私は男性として、彼が好きっ……自分が可笑しいなんてそんな事、他人から言われなくても重々分かってます。でも、好きなんですっ‼︎自分ではどうも出来ない……苦しくて苦しくてっ……仕方なくて……この気持ちを、忘れるなんて、私には、出来ない…………。リュシアン様、私は自分の兄に恋心を抱く様な人間なんです。貴方から見たらそれは、不気味で異様な事なんですよね。ならもう私達の事は、ほっておいて下さい」
リュシアンは目を見張り呆然と立ち尽くしていた。リディアは意に返す事なく、彼の横を擦り抜けて行った。