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またもやべたべたと絡みつこうとする丸石せいらから、ゆずはがするりと逃げてみせる。その身のこなしからして、相当に慣れていることがうかがえた。これまでに何十回、何百回とこういうやり取りをしてきたのだろう。ひかりの頭蓋骨の中からぷちり、ぷちりと脳細胞が一つずつ死滅していく音が聞こえる。そこはいつか自分が収まることができたらいいな、とかつて夢見ていたポジションだというのに。
「すみません。失礼なことを言ってしまったかもしれませんね」
ひかりは笑顔で謝罪する。が、自分でも驚くほどに、温度のない平坦な声が出た。
「いいえ〜。ウチらもはしゃぎすぎやね、ごめんな?」
しかしひかりのそんな調子に気づくこともなく、せいらは能天気に軽く頭を下げる。その仕草の一つ一つが癪に障って仕方がない。
もはや将来の配偶者であるはずの吉崎兄はひかりの認識する範囲から完全に外れ、代わりにゆずはとせいらのカップルが視界を占領する。額に青筋が浮きそうになるのを懸命にこらえながら、ひかりはにっこりと二人に微笑んだ。
「素敵なパートナーさんがいらっしゃって、ゆずはさんは幸せね?」
「え? あ、えっと……」
「そらそうやろ。ウチがこんなに幸せなんやから、ゆうちゃんやって幸せやないわけないわ。せやろ?」
「……うん。そう、だね」
ひかりの言葉に戸惑う様子を見せるゆずはだが、せいらからの問いかけに対しては何も否定しない。それどころか、俯きながらもしっかりと頷いてみせるではないか。ほんのりと頬を赤く染めて恥ずかしそうに俯くその様は、高校時代に先輩に絡まれていたひかりを助けてくれた、あの日のゆずはを思い出させて……。
やめろ、やめろ! 私だけの大切な思い出を汚すな!
「ずいぶんと仲がよろしいんですね。丸石さん、とおっしゃったかしら? ゆずはさんのどんなところに惹かれたのか、良かったら教えていただけません?」
「え? ううん……」
ひかりに問われ、それまでよく喋っていたせいらが口ごもる。ゆずはをじっと見つめて何かを思案していたが、やがて照れた様子ではにかんだ。
「やっぱり、優しくて思いやりがあるところかな。言葉にするとちょっと陳腐やね」
「うう。は、恥ずかしい……!」
「そうそう、こういう照れ屋なところも可愛いなぁって思うわ。ウチがゆうちゃんのこと好きやって言うと、いつも真っ赤になって照れよるんよ。ゆうちゃん可愛いなぁって、顔見るたびに思うねん」
「本当にもうやめて……」
「んふふ。ゆうちゃんの照れたお顔、ほんまに可愛いわぁ! 大好き!」
「せいら……」
ゆうちゃんと呼ぶな。可愛がるな。ゆずは、お前も照れるんじゃない。おい、見つめ合い始めるな。
ひかりは頭の中で罵詈雑言を吐きつつ、表面上はあくまで素敵な微笑みを保つ。
「あ、そうや。あとな、ゆうちゃんって大人しそうに見えて、何て言うんかな? 変なトコで妙に行動力あんねんな。そもそもウチがゆうちゃんのこと気になるなぁって思ったきっかけも」
「もう、せいらってば。立脇さんの前で何言ってるの」
「ええやないの。この人もゆうちゃんのこと知っとるんやし、隠す必要もないやろ?」
「そういう問題じゃなくて……」
今日は俺とひかりが主役のはずなんだけどなぁ、と呑気に言ってのける吉崎兄に対して黙れと怒鳴りつけそうになったので、ひかりは咳払いをして誤魔化した。
「ええとな、ゼミの歓迎会でお花見をしたんやけど、そん時にちょっと性質の悪い先輩から度数の高いお酒注がれて、ウチに飲め飲め言うてきてん」
「ちょっと、やめてったら!」
ゆずはが止めに入るのも構わずに、せいらは話を続ける。
「それでな、ウチこう見えてお酒弱いもんやから、どないしたもんかと困ってしもて。そしたらゆうちゃんが横からコップ奪い取ってな、代わりにこう、グイッと全部飲んでもうたんよ」
「せいら! ちょっと本当に……」
「ほんでその先輩に空のコップ突き出して、『先輩、これは立派なアルハラですからね? どうしても人に飲ませたいんだったら私に注いでください』って言うて、黙らせてくれたんよ」
「うう、黒歴史!」
ゆずはが降参した様子で顔を覆った。対するせいらは目尻を下げ、ますますデレデレとした様子で口を開く。
「あん時のゆうちゃん、もうほんまカッコ良かったんよ! ウチそれですっかり惚れ込んでしもて、めちゃめちゃアプローチしてな? ゆうちゃんがウチの気持ちに応えてくれたんは正直まぐれちゃうかなって、今でも思てる」
「そんなこと……」
「うん?」
せいらが軽く首を傾げ、ゆずはの顔を覗き込む。かあっと赤みを帯びていた顔がさらに朱に染まり、ゆずはは早口でまくし立てた。
「ま、まぐれじゃないよ! せいらと付き合えて本当に良かったって、私、心から思ってる!」
「ゆうちゃん」
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