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Celine After Hours

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Celine After Hours

3 - #2 心をほどく一杯

♥

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2025年08月13日

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#2 心をほどく一杯







wki side




雨の匂いが混じった夜風が、ガラス戸の隙間からすっと入ってきた。

時計はすでに午前零時半を回っている。

「セリーヌ」の夜は、いつもと変わらず静かだ。

けれどその夜、扉の向こうから現れた彼の顔を見た瞬間、俺はわずかに眉を寄せた。


ネクタイはぐしゃぐしゃで、シャツの袖口には薄いインク染み。

目の下には深い影が落ち、頬も少しこけたように見える。

それでも「こんばんは」と小さく挨拶をして、彼はカウンターの定位置に腰を下ろした。


「いつもの、でいいですか」


「……はい」


その声は、いつもより一段と掠れていた。


フライパンにバターを落とすと、じゅっと小気味よい音が広がる。

その瞬間だけでも、少し肩の力を抜けるように_そう願いながら、玉ねぎを炒める。

甘い香りに混じって、ほんのり焦げた香ばしさが漂う。

ピーマンを加えると、青い香りが立ち上がり、空気が一瞬だけ鮮やかになる。

麺とケチャップを絡め、皿に盛る。その上にパセリを散らして完成だ。


「お待たせしました」


皿を置くと、彼は短く礼を言い、フォークを手に取った。

けれど、口に運ぶスピードはいつもより遅い。

視線は皿に落ちているのに、どこか遠くを見ているような目だった。


…これは少し甘いものもあった方がいいか。

そう思い、コーヒーを淹れるときに、小さなチョコを添えた。

ネルから落ちるコーヒーの雫が、深煎り特有の苦みと香りを放つ。


「サービスです。甘いもの、疲れた身体に効きますから」


カップを置くと、彼は驚いたように俺を見上げ、それから小さく笑った。


「……ありがとうございます」


それきりまた黙って食べ、飲み、チョコをゆっくり口に含んだ。

沈黙は重くない。ただ、静かな波が満ち引きするような時間が流れる。


だが、その夜は少し違った。

コーヒーを飲み終えた頃、彼の指先がかすかに震えているのに気づく。

呼吸も浅く、視線はカップの底に落ちたままだ。


「……大丈夫ですか」


そう声をかけると、彼は一瞬だけ唇を噛み、それからぽつりと呟いた。


「……全然、大丈夫じゃないです」


その瞬間、堰が切れたように、目から静かに涙がこぼれ落ちた。

声は出さず、肩だけが小さく上下する。 俺はカウンター越しにそっと手を差し出した。

ハンカチを渡すと、彼は何も言わず受け取り、顔を覆った。


店内は、時計の針の音と、外から聞こえる遠い車の走行音だけ。

泣き声は一切ないのに、空気がわずかに湿っていくような感覚があった。

俺はただ、その場に立ったまま、湯気の消えかけたコーヒーを見つめていた。


泣き止んだのは、数分後だった。

彼は「すみません…洗って返します」と低く呟き、ハンカチを丁寧に畳む。


「返さなくていいですよ。持っててください」


そう言うと、彼は小さく笑って、頷いた。

その笑みは、ほんのわずかにだが、先ほどよりも柔らかかった。


会計を済ませ、出口に向かう背中を見送る。

その歩き方はまだ重いが、来たときよりは少しだけまっすぐだった。


戸を閉めると、残り香のようにチョコとコーヒーの香りが店に漂っていた。

俺はカップを片付けながら、胸の奥に芽生えた言葉を押し込む。

_ここは、あんたの避難所でいい。

それを、いつかちゃんと伝えられればいいと思った。













大森さんが初めて弱さを見せましたぁ









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