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#2 心をほどく一杯
wki side
雨の匂いが混じった夜風が、ガラス戸の隙間からすっと入ってきた。
時計はすでに午前零時半を回っている。
「セリーヌ」の夜は、いつもと変わらず静かだ。
けれどその夜、扉の向こうから現れた彼の顔を見た瞬間、俺はわずかに眉を寄せた。
ネクタイはぐしゃぐしゃで、シャツの袖口には薄いインク染み。
目の下には深い影が落ち、頬も少しこけたように見える。
それでも「こんばんは」と小さく挨拶をして、彼はカウンターの定位置に腰を下ろした。
「いつもの、でいいですか」
「……はい」
その声は、いつもより一段と掠れていた。
フライパンにバターを落とすと、じゅっと小気味よい音が広がる。
その瞬間だけでも、少し肩の力を抜けるように_そう願いながら、玉ねぎを炒める。
甘い香りに混じって、ほんのり焦げた香ばしさが漂う。
ピーマンを加えると、青い香りが立ち上がり、空気が一瞬だけ鮮やかになる。
麺とケチャップを絡め、皿に盛る。その上にパセリを散らして完成だ。
「お待たせしました」
皿を置くと、彼は短く礼を言い、フォークを手に取った。
けれど、口に運ぶスピードはいつもより遅い。
視線は皿に落ちているのに、どこか遠くを見ているような目だった。
…これは少し甘いものもあった方がいいか。
そう思い、コーヒーを淹れるときに、小さなチョコを添えた。
ネルから落ちるコーヒーの雫が、深煎り特有の苦みと香りを放つ。
「サービスです。甘いもの、疲れた身体に効きますから」
カップを置くと、彼は驚いたように俺を見上げ、それから小さく笑った。
「……ありがとうございます」
それきりまた黙って食べ、飲み、チョコをゆっくり口に含んだ。
沈黙は重くない。ただ、静かな波が満ち引きするような時間が流れる。
だが、その夜は少し違った。
コーヒーを飲み終えた頃、彼の指先がかすかに震えているのに気づく。
呼吸も浅く、視線はカップの底に落ちたままだ。
「……大丈夫ですか」
そう声をかけると、彼は一瞬だけ唇を噛み、それからぽつりと呟いた。
「……全然、大丈夫じゃないです」
その瞬間、堰が切れたように、目から静かに涙がこぼれ落ちた。
声は出さず、肩だけが小さく上下する。 俺はカウンター越しにそっと手を差し出した。
ハンカチを渡すと、彼は何も言わず受け取り、顔を覆った。
店内は、時計の針の音と、外から聞こえる遠い車の走行音だけ。
泣き声は一切ないのに、空気がわずかに湿っていくような感覚があった。
俺はただ、その場に立ったまま、湯気の消えかけたコーヒーを見つめていた。
泣き止んだのは、数分後だった。
彼は「すみません…洗って返します」と低く呟き、ハンカチを丁寧に畳む。
「返さなくていいですよ。持っててください」
そう言うと、彼は小さく笑って、頷いた。
その笑みは、ほんのわずかにだが、先ほどよりも柔らかかった。
会計を済ませ、出口に向かう背中を見送る。
その歩き方はまだ重いが、来たときよりは少しだけまっすぐだった。
戸を閉めると、残り香のようにチョコとコーヒーの香りが店に漂っていた。
俺はカップを片付けながら、胸の奥に芽生えた言葉を押し込む。
_ここは、あんたの避難所でいい。
それを、いつかちゃんと伝えられればいいと思った。
大森さんが初めて弱さを見せましたぁ
コメント
4件
ええ大森さーーーーーーーん?!🙄🙄 攻めが弱さ見せるのわたしダーイスキ!!(( ばりすき。ええええ!!(?