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#3 会えなかった日々の後で
wki side
あれから数日、彼の姿を見ない夜が続いた。
週に三度は必ず来ていたはずなのに、店のドアベルは沈黙したままだ。
深夜の「セリーヌ」は、相変わらず静かで、コーヒーの香りもいつも通りに漂っている。
けれど、あの定位置のカウンター席が空いているだけで、景色が少し欠けて見えた。
心配しすぎかもしれない_そう自分に言い聞かせながらも、フライパンを振る手が時折止まる。
ナポリタンの甘酸っぱい香りを嗅ぐたび、そこに座っているはずの姿を思い浮かべてしまう。
四日目の夜。
外は小雨。閉店まであと一時間になった頃、ガラス戸の向こうに、ようやく見慣れた影が現れた。
「……こんばんは」
その声は少し掠れていたが、前よりも軽い響きがあった。
席につく前に、彼はぽつりと言った。
「……会社、辞めました」
俺は驚きはしなかった。
あの夜の涙を見ていれば、この結末は遠くないと感じていたからだ。
ただ、「そうですか」とだけ答えた。
「今日は……ナポリタン、食べられます?」
「はい。お願いします」
その笑顔は、疲労が残っていながらも、どこか晴れやかだった。
フライパンを熱し、バターを落とす。
じゅっと響く音が、店内の空気を一瞬で温める。
玉ねぎとピーマンを炒めると、甘みと青い香りが混じり合い、湿った雨の匂いを押し返していく。
ケチャップの酸味が立ち上り、麺と絡まるたびに、祖父の教えた味が形になっていく。
「お待たせしました」
皿を置くと、彼はすぐにフォークを手に取り、一口目で短く息をついた。
「……やっぱり、これだな」
その声は小さいが、心の奥から滲んでくるようだった。
食後、いつものようにコーヒーを淹れる。
深煎り豆の香りが、夜の静けさを満たしていく。
「今日は……ゆっくりしていってください」
俺がそう言うと、彼は一瞬だけ目を丸くし、それから「……はい」と微笑んだ。
それからの数時間、カウンター越しに色々な話をした。
会社のこと、辞めると決めた日のこと、これからの生活のこと。
俺も、祖父母のことや、サラリーマンをしていた頃の話を少しだけした。
会話はとぎれながらも、不思議と心地よかった。
互いの言葉が、コーヒーの香りに溶けて、深夜の空気に馴染んでいく。
気づけば、時計は午前四時を回っていた。
外はうっすらと白み始め、路地の石畳が雨で光っている。
カップの底には、もうほとんどコーヒーは残っていなかった。
「そろそろ、帰ります」
立ち上がった彼は、カウンターの上に会計を置き、少しの間、何かを言おうとして迷うような顔をした。
そして、ドアに手をかける前に、背を向けたまま小さく呟いた。
「……会いたかったです」
その言葉だけを残して、夜明けの路地に出ていった。
湿った空気が一瞬入り込み、ドアベルがかすかに鳴る。
俺はしばらく動けず、カウンターの中で立ち尽くしていた。
皿の上には、ナポリタンの赤いソースがほんの少しだけ残っていた。
会いたかったぜベイベー
コメント
2件
だはーん壁になりたすぎて😔😔 もっと近付いてくれ ー!!!!!😫😫😫 お互い相手のこと思ってるのすきー!!!!