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『それでは、上半期、台数目標達成者を発表します。名前を呼ばれた方は、登壇してください』
市の複合センターの大ホールを貸し切り、TOYODA自動車の社員、330人が集結していた。
男たちが着ているスーツの埃っぽい匂いにもまれ、麻里子はケホケホとせき込んだ。
『ランク1から』
入社1年目の顔なじみの営業の名前が呼ばれていく。
「あの上に立ったら、麻里ちゃん、見えなくなりそうだね」
次々に人が昇っていく舞台を見ながら、隣に座る大貫が笑う。
「右手上げて立っててよ。そうしたらわかるから」
「大丈夫ですよ。私。前列なんで」
驚いて大貫が振り返る。
「え、もしかしてーーー」
『ランク3。MVPスタッフは、黒田支店、佐藤麻里子』
「はい!」
立ち上がった麻里子を、大貫が口を窄めながら見上げる。
「どいてください」
言うと、大きな体を縮こませながら、「やるじゃん」と笑った。
黒い集団が振り返る中央の通路を歩く。
新調したハイヒールがコツコツと階段に響く。
短く切りそろえた髪がフワフワと揺れる。
スカートからパンツに変えたスーツから、引き締まった足首が覗く。
「佐藤さんて、あんな感じだっけ?」
どこからか声がする。
「なんかもっと女の子らしかったよね」
「ユルフワな感じで可愛かったのに~」
麻里子はその称賛の言葉に、ベージュのリップが光る口で微笑みながら、登壇した。
舞台の最前列の端で、ランク4、ランク5と続いていく発表を待つ。
と舞台袖に立っている男が目に入る。
奨励金を持った結城がこちらを見ていた。
「麻里子さん。パンツスーツ似合わないですね」
小声で囁く。
「足が短いもんね」
視線を前方に向けたまま答える
「―――冗談ですよ。すごく似合ってます」
「そりゃどうも」
視線の端で、奨励金の封筒を、舞台のライトに透かして見せる。
「いくら入っているか教えてあげましょうか」
「10万くらいじゃない?」
「正解。何に使うんですか?」
「うーん」
「使い道決まってないなら旅行にしましょ」
意味が分からず、彼を見つめる。
「勝手に決めないでくれる?」
「え、ダメでしたか?」
結城がキョトンとおどける。
「行き先ももう、決めちゃってるんですけど」
「———え?」
『それでは表彰に移ります。MVPに輝かれた皆さんには、金一封が送られます』
アナウンスとともに、結城が袖から出てきた。
司会者からマイクを受け取り、330人の社員に一礼する。
「皆様、お疲れさまです。そして受賞者の皆さんはおめでとうございます。経理の結城です。」
「存じ上げてまーす!」
「イケメンの代名詞!」
「よ、TOYODAイチの伊達男!」
「死語だって」
野次と突っ込みが飛び、場内は和やかな笑いに包まれた。
「表彰と奨励金授与に先立ちまして、皆さんにお話があります」
緊張した面持ちでステージに立っている営業も、客席で欠伸を噛み殺しているエンジニアも、全員がマイクを握る結城を見つめた。
「ランク3、MVPの佐藤麻里子さんですが、近々、結城麻里子になる予定ですので、今後、余計な手出しは一切お断り致します」
和やかだった場内がシンと静まり返る。
皆が一様に口を開ける。
麻里子も例にもれず口を開けながら、マイクを握る結城の横顔を見る。
「もし何かございましたら、行為に準じた額を給料から天引きさせていただきますので、よろしくお願いします」
結城が言いながらにやりと微笑むと、一瞬の間があったのち、会場に拍手と喝采が起こった。
「よそでやれー!」
「ふざけんなー!ゆとり!」
「ここをどこだと思ってる!!」
言葉とは裏腹に、指笛が飛び交い、割れんばかりの拍手で大ホールが振動する。
呆然と立ち尽くす麻里子に、マイクを切った結城が、一歩近づく。
「俺は往生際が悪いんで」
また一歩、距離を詰める。
「諦めない。あなたのことを」
今まで薄いベールがかかっているように、ハッキリしなかった結城の気持ちが、真っ直ぐに流れてきた。
「あなたも諦めないで下さい。この仕事も、黒田支店も、そして、俺のことも。全部、選んで下さい」
「ーーーーー」
『ええっと』
司会をしていた総務課長が笑う。
『じゃあ、佐藤麻里子さん改め、結城麻里子さんから一言』
会場からの笑いを拾いながら、マイクが向けられる。
麻里子はそれを受け取ると、結城を見て言い放った。
「ユウキマリコって、響きがいまいちですね」
微笑んだ麻里子に、結城が口の端を上げる。
「……はっ倒しますよ」
会場は再度、大爆笑に包まれた。