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翌日も、その翌日も、そのまた翌日も。
若井という男はそれから本当に毎日、うちの店にやって来た。
時間は決まって昼、12時から13時の間くらい。
ふらりと来て、どうもーと笑って、今日は寒いですねーとか。
いい天気ですねーとか。
少し世間話をして、あの絵をしばらく眺めて、やっぱりいいなぁとか呟いて。
じゃ、また来ますねーとにこにこ手を振って帰って行く。
……妙な客。
変わった男だ、本当に。
こちらがどれだけ素っ気なく対応しても、気にする様子もなく。
やたらいい笑顔だし。
いい匂いがするし。
髪がさらさらと綺麗なミルクティー色なのも、毎日同じ。
(……そろそろ、かな)
ちらり、と時計を見る。
12時35分。今日はちょっと遅め…かな。
店の外に目をやれば、今日も気持ちの良い秋晴れ。
あのドアを開けて入ってくるその人を、いつの間にか、待ってしまっている自分がいる。
別に、楽しみとか。
そういうのじゃ、絶対に、ないんだけど。
事務作業をしながら、どこかそわそわ落ち着かないでいたら、キィ、とドアが開く音。
(……来た)
「元貴ー、久しぶりー!!」
静かな空間を引き裂くように、賑やかな男が入ってきた。
「………………………。なんだ。涼ちゃんか」
「どう?元気?元気してるー?」
「見ての通りだけど」
「何それ冷たい。冷たいね?いつにも増してさー!」
「…」
涼ちゃんは俺が子供の頃からの知り合い。
年齢は3つ離れているけど、家が近くて、父や母が生きていた頃は親同士も仲が良かった。
金色の長い髪に、原色が多めの派手な服装。
けれどこう見えて、この銀座や有楽町界隈では老舗にあたる大きな楽器店の息子で、次期経営者だ。
「なんか、俺を見てガッカリしてなかった?元貴」
「そん…なことはないよ。今日はどうしたの」
「仕事で近くまで来たから、会いたくて」
「あぁそうかじゃあもう帰ったほうがいいね仕事中ならね尚更だよね」
「ちょ、ちょっと!まだ来たばっかだよ。なんで追い出そうとするの。ランチでも行かない?」
「店、閉められないから」
「えー、休憩時間くらいあるでしょ」
「ない」
「えー。えー」
「ない。ないものはない」
「えー。えー、えー」
駄々をこねる涼ちゃんの声に紛れて、キィ…と。
遠慮がちに、静かに扉が開く音がした。
思わず、ハッと目をやれば。
「…こんにちは」
若井さんが。
少し困ったような笑顔で、そこに立っていた。
「こんにちは…」
俺も少し笑って、そう返す。
涼ちゃんが、「???」という顔をして、俺と若井さんを交互に見つめている。
「すみません。お客様がいらしてたんですね。じゃあ、今日は帰りますね」
そう言って、若井さんがペコリと頭を下げる。
「あ…、若井さん、大丈夫です。これは客じゃないです。これはただの通りすがりの友人です」
「これって元貴、俺をまるで物みたいに」
「もう帰りますし、だから、大丈夫ですから」
何故か必死で言っている俺に、彼は笑って、
「いえ、お邪魔したら悪いので」
言いながら、「あ、そうだ」と手に持っていた茶色の小さな紙袋を渡してきた。
「今日は寒いので、温かい飲み物でも、と思って買ってきました。良かったらお二人で、どうぞ」
「え…」
受け取った袋の中から、優しい紅茶の香りがした。
「あ…。ありがとう、ございます…」
「いえ。それをテイクアウトしたカフェが混んでいて、来るのが遅くなってしまって。じゃあ、また明日」
若井さんが小さく手を振って、ふふっと笑う。
お日さまの笑顔だ。
今日も。
「はい…」
「あ、なんか…僕までいただいちゃってすみません、ごちそうさまです」
そう声を掛けた涼ちゃんにもニコッと笑ってペコリとして、若井さんが店を出て行く。
「……なんか、すげーかっこいい人だったなぁ……」
涼ちゃんが、ポツリと呟いて、若井さんの置いていった紙袋を覗きこむ。
「あ、アールグレイのミルクティーだ。このお店、紅茶が美味しいって最近人気なんだよね」
「…そう、なんだ」
「なんか…ごめんね、元貴。俺、邪魔しちゃったみたいで」
「何が?」
「いや…あの人を待ってたんでしょ?俺が店に入った時、ガッカリした顔してたから」
「別に…」
俺は壁に飾ってある小さな絵に目をやって、
「あの人、あの絵が、気に入ったんだって」
「えっ…」
涼ちゃんもその絵を見つめて、
「だけど、あの絵は」
「そう。売り物じゃないから。売れないって言ったら、毎日見に来るようになった。ただ、それだけ」
「そっ…か…。そう、だよね。だって、あの絵は…」
「……」
「元貴が、描いたんだもんね」
俺は何も言わずに、もう一度、その絵を眺めた。
自分の心の中を、うつすように。
冬の海のような寂しい青色が、ただただ静かに広がっていた。
元貴の店を出た、俺、藤澤涼架は、さっき出会った若井という男の事を思い出していた。
「……どこかで……」
見たことがある気がする、んだよな。
あの端正な長身の男。
優しく整った顔。
どこだったか……。
「…んー、駄目だ、思い出せない」
ぷるっと首を振る。
でも。
あの男が店に入ってきた時の、元貴の顔。
ちいさな花がほころぶような笑顔。
元貴にあんな顔させるなんて。
元貴があんな顔、するなんて。
「ただ者じゃないなぁ……」
ふふっと笑って、呟く。
今日は、やけに寒い。
街にはそろそろ、冬の匂いがし始めていた。
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