「いや……やっぱいいよ。有難い話ではあるけどさ……」
「そうか、わかった」
四季の断りに無陀野はあっさりと頷いた。その様子にほっと安堵のため息を吐いた。自己防衛のためになるとはいえ、やはり素面の状態で恋人でもない相手とセックスをしなければならないなんて状況は避けたかった。いや、発情していても嫌ではあるけれど。
その場で無陀野と別れ、四季は与えられた一人部屋に向かった。ベッドに倒れ込み、夕方の無陀野との話が脳内に駆け巡った。
「あー……すっげー面倒だなーΩとかαとかって」
なぜ第二の性なんてものがこの世に存在しているのか。大多数の人間が縁遠いものとはいえ、極一部の当事者になってしまった者たちにとっては地獄でしかない。特に男のΩなんて、京都で唾切のクソ野郎も言っていたが「男でも妊娠出来る」というだけの存在だ。もちろん、人によっては吉報なのかもしれない。が、大多数の男には不要の器官だ。そしてそれは四季もそうだった。男の身で子供を産みたいなんて思うわけがない。Ωに覚醒した時は無陀野の子を孕みたいという欲求が出てきたがあれはあくまでもΩとしての本能だ。四季の意思ではない。
(……でも、俺もいつか、誰かと番になって、子供を産んだりするのか……?)
いざ真剣に考えようとするとなんだか怖くなって、むくりと上半身を起こした。腹を見下ろしても見慣れた自分の身体でしかない。なのにその体内は自分でも知らない内に変わってしまったのだ。肉眼で確認することが出来ない体内があまりにも未知すぎて、恐ろしかった。
それから二週間後、四季たち無陀野組は練馬へと研修にやってきた。ただの社会科見学のはずだったのに、皇后崎が子供を助けるために街中で血を使ってしまったために桃太郎に目を付けられてしまった。そのせいでほとんどなにも出来ずに急遽学園にとんぼ返りする羽目になってしまった。たとえ結果が悪かったとしても皇后崎のやったことは褒められて然るべきだと思うのに、どうやら練馬の偵察部隊に所属する隊員たちはそうは思わなかったようで、極一部を除いて皆殺伐としていた。
その上当の皇后崎が書置きを残して姿を消してしまい、さらに一般人に拉致されたり練馬以外の桃太郎が関与していたりと面倒事が重なったことで余計な仕事が増えたことに苛ついていたのだと思う。皇后崎だけでなく四季にまで飛び火した。
「だいたい今年はなんだよ、Ωまでいるとか……また面倒事が増える予感しかしないぜ、大人しく引きこもってろよ」
「なっ……」
確かにΩは面倒だと四季自身も思う。けれど今は別に関係ないだろう。八つ当たりされる謂れは無い。四季が声の主を探そうと周りに視線を走らせた時、後ろから何かを蹴り飛ばしたような大きな音が聞こえてきた。
「うるせぇぞお前ら。静かにしろ」
「真澄隊長……!」
「お疲れ様です」
現れたのは偵察部隊隊長の淀川真澄。小柄でやや幼い顔をした彼は皇后崎の単独行動を自己責任だと切り捨てた。勝手に行動する奴は勝手に死ねとまで言う口の悪さに唖然としてしまう。
「だから戦闘部隊動かさねぇのかよ!? ありえねぇぞ!」
「お前も周りに迷惑かけそうなタイプだな。だからあんな陰口叩かれんだよ」
「はあ!?」
なんなんだこの男。陰口なんて言うほうが悪いに決まってるだろう。それをまるで四季が悪いみたいな言い方して。感じが悪すぎる。
四季の真澄への第一印象は悪かったが、横暴な態度が許されるくらいには仕事が早く、出来る男だったことは素直に感心してしまった。流石は隊長職についているだけはあるといったところか。
皇后崎救出に四季たちも同行することに同意させ、隊員服に着替えた四季はすぐ後ろに真澄がいることに気づき、思わず後ずさって距離を取ってしまった。驚いたのもあるが、それ以上になんだか近寄りたくないと感じてしまったのだ。
「あ……な、なんかごめん……?」
「ケッ、なかなかいい勘してるじゃねぇかガキ。その調子で自己防衛はしっかりやれよ」
そう言われて四季はやっと気づいた。真澄がαであることに。すぐには気づかなかったのは匂いというかフェロモンが弱いからだ。無陀野や京夜のように一目でαだとわかるような濃いフェロモンが感じられなかった。
「あんたα……なのか」
「一応な。ここには他にもαはいる。いつ何時、なにがあるかわからねぇ。テメェの身はテメェで守れよ」
「……襲うような奴がいるってことかよ?」
「さあなぁ。なんせΩなんて滅多にいねぇからよ。ただいつだって最悪を想像して動けってことだ」
「……」
忠告をしてくれているんだろうが、正直四季にとっては不安でしかない言葉だった。同じ鬼に襲われる。しかも命を狙われるとかではなく、性的に。ほんの幼い頃から不良だった四季は喧嘩を売られるという意味で襲われるのは慣れていた。しかし恋愛経験は無いから、自分が誰かからそういう目で見られるという経験も無い。性的に触れられたのは無陀野と京夜にだけだが、あれはあくまで処理が目的であってそれ以上でもそれ以下でもない行為だ。けれど真澄の忠告はそうではないだろう。あのふたりみたいに四季が出したら終わりではない。最悪あらぬところに突っ込まれて、精液を中に出されたりなんかしたら――。
この間の漠然とした恐怖が思い起こされて身震いした。心なしかお腹が痛くなってきたような気さえする。そんな四季の様子をずっと黙って観察していた真澄は「さっさと行くぞ」と背を向けて部屋を出て行った。四季も行かなければならないのに、しばらくその場から動くことが出来なかった。
「あの! 本当にすみませんでした!!」
「もういいって言ってんだろしつけぇな」
練馬の桃太郎とのゴタゴタがひと段落つき、タイミングよく駆け付けた京夜の能力で瀕死の状態から無事生還した四季は、暴走状態の際に殺しかけた真澄に何度目かもわからない謝罪をした。真澄には鬱陶しがられるが、何度謝ったって謝り足りない。だって無陀野の到着が後一分でも遅ければ真澄は死んでいた。四季が殺してしまっていた。そんな結果にならなくて良かった気持ちと、死にはしなくてもそういう未来もあり得た過程にしてしまったことへの申し訳なさが同時に襲ってきて、なにか言わないと落ち着かなかったのだ。四季たちは明日の夜には羅刹に戻る。そうしたら真澄に謝罪する機会は無くなってしまうのだし、言える時に言いたかった。
とはいえ何回もされるほうはたまったものではないのだろう。仕事の邪魔だと追い返された四季は、とぼとぼと廊下を歩いていた。そんな時だ。
「おい、一ノ瀬四季」
「ん?」
声をかけられて俯いていた顔を上げると、揃いの隊服を着た三人の男が目の前に立っていた。隊服的に偵察部隊所属に違いないだろうが、正直まったく覚えていない。というか四季が今回の事件で覚えた隊員の名前は真澄と馨くらいのものだ。こんな奴らいたっけレベルである。
「えーっと、誰だっけ?」
「俺たちのことなどどうでもいい。それよりお前、真澄隊長を殺しかけたそうだな」
「うっ……」
なんてタイムリーなんだとか、なぜ一般隊員がこのことを知っているんだとか、色々言いたいことはあるが、それ自体は事実だし後ろめたいこともある四季は言葉に詰まってなにも言えなかった。隊員たちは口々に「やはりそうなんだ」などと言い合っている。真ん中に立っていた男が一歩前に出た。
「我らが偵察部隊隊長を手にかけようとするなんてとんでもない奴だな」
「いや……確かにとんでもないことしたけど、真澄隊長にはちゃんと謝って許してもらってるし……」
「真澄隊長の優しさに甘えるな。隊長が許してもお前の罪は消えない」
「な……」
こいつらはなにが言いたいのだろう。確かに言う通りかもしれないが、それは無関係のこいつらが言っていいセリフではないと思う。面倒な連中に絡まれたなと思わず舌打ちが出そうになる。四季の不満げな表情に気づいたのだろう。男のひとりが近づいてきて四季の腕を掴んだ。同時にいつの間にか背後に回っていたもうひとりが四季を羽交い絞めにした。
「なにを……っ」
「鬼神の子だかなんだか知らないが、Ωなんて劣等遺伝子のくせに真澄隊長の手を煩わせたことが気に喰わないんだよ」
そう言って無理やり口を開けさせられ、なにか小さな固形物を飲まされた。反射的に飲み込んでしまい、渾身の力で男たちの腕を振りほどき、無我夢中で走り抜けた。どこになにがあるかなどまったく知らない場所を目的もなく走り回るなんて自殺行為なのはわかっていたが、今はとにかく男たちから離れてひとりになりたかった。自分の身になにが起きるのかわからなかったから。
しばらく走った後、とりあえず目についた扉を開けて内鍵を閉めた。どうやら書庫兼倉庫のような場所らしく、天井まである高い本棚と段ボールが狭い部屋でひしめきあっていた。地下ゆえに換気もろくにされていないのか埃っぽい上にかび臭い。段ボールをかいくぐって部屋の奥のほうまで行った時、身体が熱くなりはじめた。この感覚には覚えがある。発情だ。おそらく飲まされた薬が催淫剤かなにかだったのだろう。Ωに覚醒してから何度も味わってきた感覚だが未だに慣れない。
(抑制剤は今持ってねぇしどうしよう……)
連絡をしようにもスマホは他の荷物と一緒に置いてきてしまったから誰にも頼れない。ここがどの辺なのかもわからないから、部屋を出て羅刹のみんながいるところに戻ろうと思ったら闇雲に探すしかない。その間にさっきの連中に見つからないとも限らないのだ。
ただ、それはこの部屋でじっとしていても変わらない。いずれ発情が酷くなればΩフェロモンでバレてしまうだろう。だったらまだ軽い症状のうちに出てみんなを探したほうがいいかもしれない。
しかし飲まされた薬の正体がわからない以上、逆にじっとしていたほうがいいパターンだってあり得る。もしかしたら今がピークで、これ以上は酷くならないかもしれない。
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