ひとつだけ、思い出した事がある。
『ごめんなさい………』
どのタイミングで、どういった経緯からそんな事を言われるに至ったか、詳しい部分は判らない。
ただ、彼女らしからぬ頼りない声が、哀しげな声が、松林の中を駆けている間、ずっと頭の中を巡っていた。
「あと少し!」
前を行く幼なじみに、すぐ隣を走る幼なじみ。
奇しくも、あの夏を思い起こさせる光景に、私の胸は熱くなった。
あの時は、知らず知らずの内に迷い込んでしまった“あちら側”へ、いま改めて自分の足で向かっている。
それが人間として正しいことなのか、そんな事は分からない。
史さんが示したように、もう後戻りのできない場所まで踏み込んでしまった場合、どういった事態に見舞われるのか。
そんな事、何ひとつとして分からないけど、私たちが足を止めることは無かった。
「見え……った!?」
「うわ……っ?」
私が彼女に惹かれた要因は、そもそも何だろう?
幸介が史さんを慕うのは、彼の在り方というか、生活スタイルに起因するものだと思う。
端的に言えば自由人。 適当なところはあるものの、頼れる近所のお兄さんといった具合か。
珠衣《タマちゃん》とほのっちが仲良しなのは、もはや言うまでもない。
感性が似通っているのか、両名とも可愛いモノに目がなく。 いつだったか、パジャマパーティーならぬ、ぬいぐるみ抱き心地選手権なるものに巻き込まれた際は、さすがに辟易した。
じゃあ、私の場合は?
「………………っ!」
当面の松林を抜け、一気に視界が開けた途端、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
気味の悪い人影に対し、友人が今まさにゲンコツを浴びせる場面だった。
そんじょそこらのパンチとは物が違う。 形容通りの鉄拳だ。
あの細腕からは想像もつかない腕力で振るわれた撃打は、人影のみならず、運河に面して設けられたスチール製の欄干を、紙屑のように吹き飛ばした。
直後、水面を撃ち抜いた拳圧は、間もなく河底に到達して爆散。
遠方にのぞむ工業地帯の、煙突の背丈にも及ぼうかという水柱が、上空まで高々と上がった。
必然、これがすぐに取って返した所為で、この一帯だけ瞬間的な土砂降りに見舞われた。
「………………」
少なからず、私にも彼女に対する憧憬はあったと思う。
ぬいぐるみについては勉強中だけど、他の事で意気投合する場面も多々あったように思う。
それが理由かと考えて、ハッとした。
“理由”って何だ?
どうやら、愚にもつかない事で散々頭を捻っていたらしい。
「あの野郎、また目茶苦茶やりやがって……」
ふゆさんと愈女ちゃんを伴い、遅れ馳せて到着した史さんが、現場の様子を確認して顔を顰めた。
その模様に、ふと柄にもなく茶目っ気が湧いたのは、心が幾分にも晴れていた所為かも知れない。
「あれも持つんでしょ? ケツ」
「勘弁しろ……」
そんな中、こちらに気付いた様子の友人が、はたと動きを止めた。
“あ……”という表情で、ぎこちなく固まっている。
ぎこちなさで言えば、こちらもどっこいどっこいか。
お互いびしょ濡れの格好で、うじうじと見つめ合う二人。
まるで、ありがちなメロドラマか、そうでなければ青春ドラマの登場人物にでもなったような気分だった。
「行けオラ!」
「……っと?」
史さんに背中を押され、俄かに足元を損ないそうになった。
振り向くと、当人は何とも言えない顔つきでこちらを見ている。
「……行っていいの?」
「行かなくていいのかよ?」
我ながら、何とも情けない質問をしたものだと、すぐに恥ずかしくなった。
恐る恐る踏み出した足は、いつしか駆け足となって段丘を下っていた。
友達と一緒にいたい。
そう思うのに、そもそも理由なんて。
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