事後処理は、後に駆けつけた白砂神社の巫女衆によって、円滑に進められた。
彼女らはまず、運河にぷかぷかと浮かぶあの胡乱な人影を、数人掛かりで祓除した。
本式のお祓いとは少し違う。 どちらかと言えば、お焚き上げに近しい儀式だった。
他の数名は、公園設備の破損箇所をチェックしつつ、市の土木管理課と連絡を取っている様子だった。
こうした事態に際して、建造物等の破損が出た場合、補償については、“人影”の対処を正式に受諾した団体が務めるという、公のルールが設定されているそうだ。
ただ今回、明らかに手を下したのは彼女個人なワケで。
“絶対拗れるな、こりゃ……”とは、なかば顔色を損なった史さんの弁である。
お祓いの儀式が行われる間、ほのっちと史さんは、春見大社の二柱を厳重に隔離して、かの人影には一切近づかないよう配慮している様子だった。
そうだ、春見大社の二柱と言えば
「姫さま、これ。 もう絶っっ対に落とさないでくださいね?」
「えぇ、気をつけます。 ごめんね愈女」
愈女ちゃんがふゆさんに手渡したのは、綺麗な色をした勾玉だった。
これこそが、彼女の言う“落としもの”の正体だった。
「通力の、物実? そんなモンあんのかね? 初耳だわ」
「えぇ、姫さまの出自は少々特殊でして」
「元は人間か?」
「お分かりになりますか?」
「何となくな………」
通常、神々には内燃機関のような物が備わっており、これを働かせて神通力を揮うという。
ふゆさんの場合は、言い方は悪いがそれが外付けの形になっていて、この物実を常に身につけておく必要があるとの事だった。
もしも手放してしまえば、神通力の行使は疎か、神格にまで影響を及ぼしてしまうと。
言うまでもなく、絶対に落としてはいけない部類の代物だ。
「あの日は、お友達のお宮に遊びに参りまして、それでうっかりと」
「うっかり……」
マイペースなのは、彼女の地なのかも知れない。
ふと、疑問が湧いた。
「記憶は? なんで記憶が、あんな風に……」
これまた言い方は悪いが、エンジンを取り外したところで、走行距離がリセットされる訳じゃない。
神通力の核を手放したからといって、記憶にあそこまで障害が現れるものだろうか?
「そりゃ混線だな……」と、史さんが小難しい表情で言った。
彼にしては珍しく、考え考えの調子で語を紡ぐ。
「人間の頃の記憶と、神になってからの記憶。 長さで言やぁそりゃ後者だろうが、その濃さで言やぁ……な」
人間にとって、自分が生まれた土地、故郷は一人にひとつしかない。
そこで体験した事柄は、どれほど年月が流れようと、容易に褪せるものじゃないだろう。
「ん……?」
違和感がある。
その図式で行くなら、人間の頃の記憶が表に出てきても良さそうなものであるが。
一緒に“落としもの”を探し歩いたふゆさんに、そうした兆候は、特に見られなかったと思う。
先ほど、史さんは“混線”と言った。
長い記憶と濃い記憶。 その二者が、勾玉という安定を欠いたことで複雑に絡み合い、予期せぬ不具合を出したという事だろうか。
そうした疑問も、続くふゆさんの言葉を経て、有耶無耶の内に霞の向こうへ消え失せた。
「ともあれ、この度は誠にお世話になりました。 禍津星霊神」
たちまち、現場が凍りつくのを感じた。
白砂神社の面々は、揃いも揃って口をポカンと開け、潔斎した巫女にはあるまじき不体裁を晒している。
うち一名が、スマホをポロリと取り落とした。
「あの、何か………?」
「いや、無事に落着して良かったぜ。 良かったよ、なぁ?」
渦中の史さんは、平静と変わらず。 いつでも剽げることが出来るよう、口元に幾分かの遊びを持たせている風だった。
けれど、見間違いでなければ、その眼は決して笑っていなかった。
ふと、友人に目を向ける。
彼女の顔が真っ青になっているところを、初めて見た。
「姫さま姫さま……」
「あ、そうでした……」
なにか無礼があったのか、場の空気を察した当人たちも、いよいよ不安になったのだと思う。
ふたりして、何やらゴニョゴニョと取り交わした後、ふゆさんは改めて恭しく礼を述べた。
「ありがとうございました、禍津星霊大神」
「うわ……」
思わず口に出したのは、巫女さんの内の誰かだと思う。
史さんの表情を見る。
顔は笑っているものの、額に青筋が立っていた。