「……っ……は……ァ……」
古いパイプベッドが軋む音に掻き消えるような小さな快感の声にそれを挙げさせているリオンの蒼い瞳がぎらりと光り、荒い息を吐いて身体を震わせるウーヴェの腰を掴んで引き寄せると白っぽい髪が左右に揺れ、汗ばむ手が縋るものを探すようにシーツの上を這う。
二人の約束を誰の目にも見えるようにもするために嵌めたリングがサイドテーブルの明かりに煌めくが、それを掻き消すようにウーヴェが手を滑らせた結果、枕に辿り着くと同時に無意識にそれを引き寄せる。
「……ン……っ……ア!」
「……枕なんか抱くなよ」
いくらバックだからといって枕なんか抱くなと、掌と同じように汗ばむ背中にぴたりと胸を当てて項垂れるウーヴェの耳にキスと共に不満を囁きかけたリオンだったが、シーツを握りしめていた手がゆるゆると持ち上がったかと思うと己に向けて手が伸ばされたことに気付いて目を細め、己の不満を解消してくれる手にキスをして一度離れるが、ウーヴェの姿勢を入れ替えさせ、快感に霞む瞳にもキスをしてゆっくりと中に身体を沈めれば先程抱き寄せた枕に頬を押し当ててつつウーヴェが唇を噛む。
「ん……ぁ……っ……! リーオ……っ!」
「……やっぱさ、素直なお前がマジで好き」
快感を堪える横顔に囁きかけてキスをし己に向けて伸ばされる手を再度掴んで背中に回させると、触れた場所から伝わる熱にリオンの身体がひとつ震え、それがウーヴェにも伝わって小さな震えとなり背中を抱く手に力が籠もる。
それが嬉しかったのか、ウーヴェの膝の裏に腕を通したリオンがグッと腰を押しつけると、白っぽい髪が枕で擦れてさらさらと音を立てる。
シーツではなく枕を握りしめ、頬ではなく顔をリオンの視線から隠すように枕に押し当てるウーヴェは、本当は聞かせたくない喘ぎ声を聞かせながら快感に溺れそうになるが、その時、リオンのものとしか言いようのない匂いが一気に鼻腔に溢れ、驚くと同時にその匂いに身体が敏感に反応する。
ウーヴェの身体の変化は当然リオンにもダイレクトに伝わり、さすがに驚いたように蒼い目を瞠るが、腰を引いて進めた時とはまた違う身体の動きに興味が湧き、枕に顔を押しつけるウーヴェの耳にキスをし、今何を考えたか教えろと囁くと震える声が何も考えていないと素直でない言葉を返してくる。
「ウソつけ」
考えていたからお前の中が纏わり付いたんだと情よりも欲を強く感じさせる太い笑みを浮かべたリオンがウーヴェに囁き、さっきも言ったが素直なお前が本当に好きだとも告げると、さっきと同じ快感に再び包まれる。
その事からウーヴェが考えた何かが己への情の類であることに気付くと快感とそれ以外の理由から目尻を赤らめるウーヴェの腰を引き寄せ、リオンしか聞くことの出来ない喘ぎを挙げさせる。
「ア……ぁあ……っ……!」
「な、オーヴェぇ、教えてくれよ」
「だ、から……なに、も……考えてな……ッ……!」
本当に何も考えていない、身体が敏感になっているんだと途切れ途切れに零すウーヴェを疑いの眼で見つめていたリオンだったが、胸だけではなく身体全体を喘がせ目尻のホクロを赤く染めている姿を見ればウソを言っているとも思えず、ウーヴェの弱点である首筋に顔を寄せて汗ばむ素肌にキスをしびくんと肩を竦めさせる。
「オーヴェ」
名を呼ばれて何とか顔を上げて背中を抱いていた手をくすんだ金髪の中に差し入れそのまま手を閉じるように髪を握ると、この年ではげるのはイヤだからお手柔らかにと苦笑されるが、今度は意地からうるさいと返して直後に突き上げられ頭が仰け反ってしまう。
「素直じゃないお前も好きだぜ、オーヴェ」
「……っ……ん、……ハ……っ!」
激しくなるリオンに振り落とされないように再度背中に手を回し、揺さぶられ快感に溺れる苦しさを荒く熱の籠もった呼吸で伝えたウーヴェは、程なくして手が届く白熱の瞬間を迎えるために何も考えることなくリオンの動きに合わせてベッドを軋ませる。
そしてウーヴェが思うのとほぼ同じ頃に何もかもが消え失せたような瞬間を迎え、大きく上下するリオンの背中から息も絶え絶えになりながら手を滑らせてシーツに落とし忘失の直後の弛緩に手足を投げ出すウーヴェは、鼻腔一杯に広がった恋人そのものの匂いを消し去ることが出来ず、さっき感じたものへの答えを出せないまま目を閉じてしまうのだった。
先日、リオンと抱き合っていた時に感じた匂いとそれに引きずられたように敏感になった己の心身の動きの理由が分からずに密かに悩んでいたウーヴェは、珍しく患者が少ない日でもあったために急患の対応だけはしっかりとしながら待合室のカウチソファでクロスワードに闘いを挑んでいた。
そんな己のボスの姿にリアも和やかな顔で仕事をこなし、闘いの途中申し訳ないがこの書類への対応はどうすると問い掛けたりしながら仕事をこなしていた。
穏やかな午後の時間を従業員と二人で過ごしていたウーヴェだったが、クロスワードとの闘いに勝利を収め、凝り固まった肩をぐるりと回しながら身体を伸ばすと、くすくすと好意的な笑い声が聞こえてくる。
「お茶を入れましょうか、ウーヴェ」
「……リアが飲むのなら入れて欲しいな」
「今日はベリーパイを焼いてきたから一緒に食べましょう」
己の仕事も一段落ついたらしい彼女が立ち上がり、今日のパイは会心のできだから是非とも食べてくれと笑ってキッチンスペースに向かう背中に口の中で何ごとかを呟いたウーヴェだったが、ひょっこりと顔を出した彼女に問われて肩を竦める。
「リアが美味しいケーキをいつも焼いてくれるから買いに行かなくても良いのがありがたいな」
「ありがとう、ウーヴェ」
あなたはお世辞を言わない人だから素直に嬉しいと笑う彼女に頷いて同意を示したウーヴェだったが両開きの扉が静かに開いて人が入ってきたことに気付き、一瞬で気分を切り替えて立ち上がるものの、入ってきたのが上の階のクリニックで受付などの事務をしている双子だと気付いて表情を和らげる。
「久しぶりだな、双子達」
「久しぶりでーす。先生、双子達って一纏めにするの止めて!」
「そうそう! 私は私だもん。ねー、アンナ」
双子達にもそれぞれの個性があり個別の人間なのだと可愛らしく頬を膨らませて抗議する姿に苦笑したウーヴェは、湿り気を帯びた目で睨まれて咳払いをし、マリーとアンナは今日は暇なのかとソファを勧めると、異口同音にその通りと返される。
さすがは双子と言いかけた口を閉ざしてリアのパイを食べるかとも問うと、人数分の紅茶の用意をしたリアが笑顔で姿を見せる。
「いらっしゃい、マリー、アンナ」
「ハーイ、リア! 今日のケーキは何?」
ここのクリニックで出されるお茶やケーキが有名店にも引けを取らない物であることを良く理解している二人はリアのケーキを食べたいと顔を輝かせ、その表情からウーヴェはここ数日事件に追われて帰宅していない恋人の顔を思い出す。
先日は心ゆくまで互いを確かめ合い気絶するように目を閉じたウーヴェの後始末などを総てやってくれたリオンだが、翌日出勤すると同時に事件が発生したため帰れないと半ばキレかかっているメールが届いたのだ。
数日で終わると思うがいつものように着替えを用意して欲しいことも伝えられ、以前とは違って意地を張ることもなくなった証の言葉に頷いたウーヴェは、その日の午後遅くに着替えなどを詰めたボストンバッグをリオンに届け、帰り際にキスをしてその背中を押したのだ。
その時の事を思い出したウーヴェだったが、双子が再び異口同音に香水を変えたのかと問われて瞬きを繰り返す。
「何だって?」
「え? 先生今日は違う香水つけてきてるから新しいのに変えたのかなーって」
双子がベリーパイに頬を落としかねない勢いで顔を綻ばせていたがマリーがウーヴェの香水が違うことに気付いてアンナの脇腹を肘で突き、ほぼ同時にさっきの疑問が出てきたようだった。
それに対してすぐさま回答できなかったウーヴェは咳払いをした後にいつも使っている香水が無くなったのが買い置きを忘れていたので別のものを使ったと答えると、何やら意味ありげに双子が目を眇めてウーヴェを見つめる。
「この匂い……リオンと同じだよねー」
「ねー」
双子達の様子から己をネタにしこの話題に食い付きそうなリアと一緒に盛り上がろうとしているのを素早く察したウーヴェは、もう一度咳払いをした後、誰も逆らえないそれはそれはキレイな笑みを浮かべて三人のレディを見つめる。
「汗臭いよりもこっちの方が良いだろう?」
それに俺はリオンと一緒に住んでいるのだから同じ香水を使って同じ香りを身に纏っていたとしても不思議はないし誰に何を言われる筋合いはないと、顔を見るだけでは分からないが意味を考えれば辛辣な言葉を吐いて双子を沈黙させたウーヴェだったが、リアが小さく咳払いをしたことに気付き笑みの質を変えて口調を和らげて二人を呼ぶ。
「二人も早く同じ香水を使える相手を見つけて俺に紹介してくれないか?」
「……先生のイジワル! 絶対紹介しない!」
「しないからね!」
「はは。楽しみにしている」
そう遠くはない未来に君たちの恋人の顔を見られるだろうが今はその美味しいパイを沢山食べなさいと掌を向けると、双子がヤケ食いのようにパイに齧り付くが、背中を向けているドアが開く気配に気付かずに美味しそうに顔を綻ばせていた。
だがそんな二人の間にいつかのように顔を突っ込んできた男がいることに気付いて飛び上がってしまう。
「……っ!」
「ハロ、双子達。今日は暇なのか?」
「リオンも双子達って一纏めにする!」
二人の不満を一心に受けたリオンだが程なくして三人のレディの顔が顰められ、年若いレディ達などはあからさまに鼻を押さえて顔を背ける。
「リオン、クサイっ!」
「へ!? あー、やっぱにおうか?」
己の腕を上げて匂いを嗅ぐリオンにリアが微苦笑を浮かべつつ頷き双子達がぶんぶんと頭を上下させたため、ただ黙っているウーヴェの横に駆け寄ったリオンだったが、いつもの癖で痩躯を抱きしめようとするのを踏ん張るように足を止めて拳を握る。
「……気にするな」
「や、俺が気になるから。なあオーヴェ、制汗剤か香水置いてねぇか?」
つい先程女性陣からクサイと指摘されたのに愛するお前に抱きつくなんて出来ないと頭を振り、お手洗いに置いてあるとリアに教えられてそちらへと駆け出し、程なくして戻って来たかと思うと今度は遠慮する理由がないことからウーヴェにしがみつくように腕を回す。
「ハロ、オーヴェ! やっと事件解決したぜー」
久しぶりにこうしてお前をハグ出来ると笑い呆れるウーヴェの頬にキスの雨を降らせたリオンだったが、何かに気付いたのか鼻をひくひくと動かした後でウーヴェの顔を覗き込む。
「どうした?」
「俺の香水使った?」
「……新しいのを買うのを忘れていたんだ」
だからお前のを使った、そう先程と同じ説明をしたウーヴェだったが、眼鏡のフレームを撫でたためリオンの蒼い目が軽く見開かれるもののそれに対する言葉はなく、双子の何故か感心したような声に肩を竦めるだけだった。
「先生が買い忘れるなんて珍しいなぁ」
「そうだなぁ。あ、今日のおやつはパイか?」
双子が食べているものを目敏く発見し俺も食べたいと騒ぎ出したリオンにリアとウーヴェが顔を見合わせて深い溜息を吐くと、仕方がないが食べてくれる存在がいる事が嬉しい複雑な表情で立ち上がったリアがキッチンスペースに向かう。
「ね、リオン、久しぶりってことは最近ずっと帰ってなかったの?」
「そうなんだよ。やっと今日送検したから明日は休みを奪い取ってやった」
同じように他の同僚達も働いているはずだがその中でも明日の休暇を奪取する為の戦いは壮絶だった、その戦いを勝ち抜いたことを誇らしげに語るリオンにどうせ実力行使に出たんだろうとウーヴェが冷たい声を発すると誇らしげな顔が瞬時に情けない顔になる。
「何でそんな事を言うんだよ、オーヴェ」
「事実だからだろう?」
せっかく奪い取った休日に部屋の片付けをしようと思ったが止めたとそっぽを向く恋人に苦笑し、明日は一日寝ているのかと問えば拗ねている目がじろりと睨んでくる。
「……寝てる」
「そうか」
じゃあ明日一日寝て英気を養い明後日からまた精一杯刑事として働いてこいと笑って金髪を撫でると、拗ねていた気分を吹き飛ばしたらしいリオンが嬉しそうに目を細め、そこにリアがパイを持ってやってきた為細められた目が完全に線になってしまう。
「どうぞ」
「ダンケ、リア!」
ここに来れば美味しいデザートにありつける感謝の思いを素直に伝えパイを受け取って一口食べると、双子が感心したようにリオンの食べっぷりを見つめるが、さっき感じた働く男の体臭が消えたことに顔を綻ばせる。
「もしかして事件の間って家に帰らないで警察署に寝泊まりしてるの?」
「んあ? ああ、まあ今回はそうだな」
「だから臭かったんだ」
「そーだな。ちゃんとシャワーを使ったんだけどな、いつも使ってる香水も持って行ってなかったし誰かの制汗剤を借りただけだからなぁ」
体臭に対するケアが出来なかったことを振り返り、だから臭かったが今はもう大丈夫かと問えばマリーとアンナのそっくりな顔が同じタイミングで上下する。
リオンの体臭の原因を突き止めて納得した二人だが、いずれ働く男の汗臭さも好きだと思える様になるとリアに笑われて目を丸くするが、もう一人ここにいる働く男からは汗の匂いを感じ取ったことがないことに気付き再度興味津々な顔でウーヴェを見る。
「先生ってあんまり体臭ないよね」
「そうか?」
確かにウーヴェは体臭はひどくないとリアも頷き何だかいつか何処かで経験したような光景だとウーヴェが苦笑すると、それでも男だから時々汗臭いとリオンがにやりと笑みを浮かべる。
「うそ、先生がクサイなんて想像出来ない!」
「まあなぁ。オーヴェは汗臭さや匂いに結構敏感だからなぁ」
「そうなんだ?」
「そうそう」
双子の言葉に同意しながらも、仕事を終えて帰宅した時先程のように己でも気付くほど汗臭かったとしても何も言われないことも思い出したリオンは、ちらりとウーヴェの横顔を見ると、リオンだけが見抜ける程の微かな緊張を覚えているようだった。
何か緊張するような話題でもあるのかとマリー達の会話に意識を集中すると、この間すれ違った人の匂いがあまりにもツボにはまったので思わずついていきそうになったと笑ったため、職業柄それに対する注意をするものの、そんなに良い匂いだったのかと興味深げに問うと何故かアンナもマリーと同じだけの強さで頷く。
「もう最高! すっごい良い香りだったー!」
しかも香りが良いだけではなく顔立ちもハンサムで、モデルか何かをしている雰囲気を持っていたと当時を思い出してマリーが頬を赤らめる。
「モデルみたいってさ、お前達のクリニックにいるクリスもそうじゃねぇか」
上の階の歯医者で助手をしているクリス青年は過去に何度もモデルのスカウトを受けたりするほどの容貌でで、外見も良いし金も持っているし良いところだらけだろうとリオンが苦笑すると、クリスは趣味がおかしいと一言で否定されてしまう。
「おかしいのか?」
「だって、趣味がアロイスのお世話だなんておかしいと思わない!?」
別に二人がゲイのカップルであっても偏見はないがクリスはともかくアロイスに性欲があるとも思えないとアンナが断言すると、さすがにそれにはウーヴェも飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。
「はい、オーヴェ」
ウーヴェが口元を手で押さえた為リオンが珍しく-と言ってもこれもすべてウーヴェが用意させたもの-ハンカチをウーヴェに差し出し、咳き込みながらそれを受け取ったウーヴェが涙目で双子を見つめる。
「ダンケ、リオン……アロイスも男なんだ、人と付き合いたい欲求ぐらいあるだろう?」
「無い! だって、前にみんなでタイプの人の話で盛り上がってた時にアロイスが言ってたのは何処かにある珍しい本ばかりを集めた図書館に眠る彼女に会いたいってことだったんだよ!?」
図書館に眠る彼女って普通に考えれば死体だし、場所柄から推測すればそれは本と言うことになるが、本を彼女と表現するあのセンスにはついていけないことを力説する二人にリオンはちらりとウーヴェを見つめ、見られた方はごほんと咳払いをして眼鏡を押し上げる。
「オランダのその図書館は俺も行きたいな」
「はいはい。新婚旅行でオランダに行こうかー」
ウーヴェの呟きにリオンが肩を竦めてさり気なく返すと眼鏡の下のターコイズ色の瞳がきらりと光るが、その光が決して新婚旅行という言葉に反応したためではないことを悲しいほど理解しているリオンが深く溜息を吐き、アロイスともそんな話をするのかと今度は二人に向き直る。
「うん、するよ。でもやっぱりクリスの趣味はちょっとおかしいと思う」
奇人変人と称されてもおかしくないアロイスの世話をするのが趣味だなんて才能の無駄遣いだと心底残念そうに呟くマリーに、ウーヴェが微苦笑しつつ人の趣味なんて本当に人それぞれだからと告げると他にそんな人を見た事がないと反論されてしまう。
「そっか?」
「リオン?」
「いや、いろんな被疑者を見てきたけどさ、ホントに色々な趣味があるって思ったんだよ」
アロイスの趣味としてあり得ないからこそ笑い話に出来る死体愛好家だが決して笑い話に出来ない人などもいたし、黒いストッキングと真っ赤なハイヒールに興奮する男とかもいたと告げて肩を竦めるリオンにさすがにマリーとアンナが顔を見合わせて息を飲む。
「靴とか女の人の足が好きってこと?」
「いや、女の足じゃなかったなぁ……」
「!?」
リオンが過去を思い出しながら呟く衝撃の事実にその場にいた全員が動きを止めてどういうことだと双子が身を乗り出すが、いち早く事情を察したウーヴェが真摯な顔でストッキングと赤いヒールに対するフェティシズムだなと頷くとリオンがウーヴェに人差し指を突きつけて口笛を吹く。
「さすがはドク。……そいつ、ストッキングと赤いヒールがセットになってれば老若男女関係なく興奮して勃つって」
「リオン」
リオンの言葉の先を読み切ったウーヴェが少しだけ真摯な顔に苦痛の色を滲ませて恋人の名を呼ぶと、同じくウーヴェの心を読んだリオンがてウーヴェの頭にキスをする。
「フェチって良く言うけどさ、ただ単にそれが好きってことだけじゃないんだよな」
「そう、だな。その性癖によって日常生活に支障をきたすようになったりそれらを目撃するだけで身体への不調が現れたりすることをフェティシズムと呼ぶが、まあメディアでは性的嗜好が顕著なことをフェチと呼んだりしているな」
「ふぅん……じゃあさ、オーヴェが俺の匂いにだけ敏感に反応するのは匂いフェチだと思ってたけどそうじゃないってことか?」
「!!」
「リオン、それどういうこと!? もっと聞かせて!!」
リオンが破裂させた爆弾は小さな爆発の後に女性陣の悲鳴を巻き起こして炸裂しウーヴェが真っ赤になったり蒼白になったり忙しく顔色を切り替えるが、俺の匂いを嗅いだからと言っていきなり盛ったりしないもんなぁと残念そうにリオンが呟くと己の言動の責任を取らされた哀れな男の見本のように頭を抱えてその場に蹲る。
「……っ!!」
「何か言ったか、リオン・フーベルト?」
リオンを睨むウーヴェの声は極低温で、微かに震える拳をブロンドの上に落下させてぐりぐりと押しつけつつ何か言ったかともう一度問いかけると、拳の下で悲鳴が上がる。
「ぃたいいたいいたい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お願い許してオーヴェ!」
もう調子に乗りませんだからお願い許してと一息に捲し立てると、ようやくウーヴェの手がリオンの頭の上から離れるが、今度は広げられた掌がしっかりと載せられる。
「俺は匂いフェチじゃないぞ、万年欠食児」
「うぅ……」
頭上の掌と言葉に打ちのめされるリオンを気の毒そうに見つめる女性陣だったが、先生の意外な顔が見られたから今日は来て良かったと笑いながら双子がほぼ同時に立ち上がる。
「頑張ってねー、リオン」
「リア、パイ美味しかった。また美味しいの食べさせてねー」
涙目になるリオンに微苦笑しリアには満面の笑みを見せたマリーとアンナだが、ウーヴェに対しては他意も何も無い純粋な笑顔でお邪魔しましたと礼儀正しく礼を述べ、うちの奇人変人達と同じようにならないでねと忠告を残してクリニックを出て行く。
何だか嵐が過ぎ去った後のようだとリアが呟くが双子の嵐が強風程度ならばこれから今まさにここで発生する嵐は暴風もしくは竜巻が発生しかねない低気圧であることを察し、テーブルの食器を片付けるためにそそくさと立ち上がる。
「……さて、そこの万年欠食児」
「……な、何だよ、オーヴェ」
リアが立ち上がると同時にウーヴェが相変わらず極低温の声で恋人を呼んでいるとは思えない言葉を投げ掛け、呼ばれたリオンも意地を張るように胸を張るが、頭の上の掌から伝わるのが怒りではないことに気付き恐る恐るウーヴェを見ると、怒りと呆れが絶妙に混ざり合った瞳に睨まれてそれが錯覚ではないかと思い始めてくる。
だが、小さな声で己の思いを酌み取ってくれてありがとうと礼を言われて蒼い目を瞠るが、何を言わんとしているのかに気付いて何でもないことのように頷いて口の端を持ち上げる。
「俺が匂いフェチということに関してはあれだが、ストッキングとヒールに執着する男の話を止めてくれてありがとう」
「オーヴェ」
「……その手の性癖を持つ人はお前の言うように相手が老若男女関係なく性的興奮を覚える人が多い」
「そうだな……。結局そいつの被害に遭ったのって一番下で十歳だったし一番上は七十のおばあちゃんだったもんなぁ」
しかもその十歳の子どもは男の子だったと肩を竦めるリオンにリアが驚愕の声を掛ける。
「そうだったの!?」
「そうそう。まあシリアルキラーにはならなかったけど、被害者の年齢に共通項がなかったから犯人を推測するのが結構手間が掛かったのを覚えてる」
「そう。……本当に色々な人がいるのね」
上の階のアロイスしかりその人しかりと頷く彼女にリオンも頷くと、今日は仕事で疲れたから明日の休みは家で一日ぐっすり眠っていることを宣いながら伸びをしてウーヴェに苦笑を貰うが、何か大切なことを思い出した顔で動きを止める。
「どうした?」
「やっぱりさ、バスルームの棚に香水の買い置きあったよな?」
「……!!」
「……ウーヴェ、私は後片付けをしているから、用があったら呼んで」
リオンの顔がじわじわと不気味なものに変化していくのを見たリアが今度はさっきとは比べられない早さでキッチンスペースに避難してしまい、そんな彼女を尻目にリオンの蒼い瞳がシュトレンのような形になる。
「買い置きあったのに俺の香水使ったんだー?」
「べ、別に良いだろう? 気分転換したくなっただけだ」
リオンがにやにや笑いながらウーヴェに顔を近づけるがその顔を立てた両手でブロックしたウーヴェが言葉に詰まりつつそれがどうしたと言い返すものの、両手の間から漏れてくるのは別にぃというやけに間延びしたリオンの声だった。
「別に良いけど、双子になぁんで買い置きがなかったなんて言い訳をしたのかなーと思っただけだ」
なぁダーリン、どうしてそんなウソを吐いたんだと詰め寄られ、ウソではない本当に買い置きがなかったんだと吐き捨てるように呟きながら眼鏡のフレームを撫でたウーヴェは、その癖が何を示しているのか、またその癖を今目の前で不気味な顔で笑うリオンがしっかりと意味を把握していることを思い出して顔を赤くする。
「いつも言ってるけど……」
素直じゃないお前も好きだけど、素直なお前はもっと好き。
耳まで赤くするウーヴェに囁いたリオンは更に顔を赤らめるウーヴェに不気味な笑い声を挙げ、赤い顔を瞬時に青くした恋人の頬に素早くキスをするのだった。
「……ん……っ、……ァあ……!」
先日は枕など抱くなとリオンに睨まれたウーヴェだったが、快感に沈もうとする身体を支える為にシーツに手を這わせて握りしめる。
先日のようにパイプベッドが軋む音は聞こえないが、二人で使うには少し手狭に感じるベッドでリオンの手に弄ばれ熱を上げ続けるウーヴェは、中に入ってくる熱に顎が上がり、熱の籠もった吐息と微かな嬌声を零してしまう。
快感にきつく眉を寄せる上気した顔をリオンの熱い手が撫で顎を掴んで正対させると、夜の太陽を彷彿とさせる笑みを浮かべてターコイズ色の瞳を見下ろす。
「な、オーヴェ。そんなに俺の匂いがスキ?」
クリニックでは断固否定をした匂いフェチ疑惑だが、フェチではないのならばこの状況はどういうことだと意地の悪い声で問われ、顎を掴む手を振り解くように顔を振って知らないと告げきつく目を閉じるが、だから素直になれと笑われ腹に付きそうになっているその先を指の腹で強めに撫でられてしまい腰が跳ねる。
「……ッア!」
強い快感にウーヴェが高い声を挙げるがリオンの手がシーツを握る手に重ねられたかと思うと、くるりとひっくり返されて汗ばむ掌が重ね合わされる。
無意識にその手に縋り付くように指を曲げて手を組んだウーヴェは、耳元に顔を寄せて、なぁといくつもの思いが籠もった強請る声に手に力を入れてしまう。
「俺の匂い、スキ?」
重ねて問われる言葉に頷くことも首を振ることも出来なかったウーヴェだが、鼻先を擽る匂いが先日よりもリオンらしいものだと気付き、その匂いを求めて自然と身体を寄せてしまう。
今日はクリニックから戻り微妙な温度を保ちつつもいつものように二人だけなのに賑やかに食事を終えてシャワーを浴びたのだが、その際使っているシャンプーやボディソープなどは同じものを使ったはずだった。
同じものを使っているはずなのに、またここ数日は違っているが二人で暮らすようになってからは朝晩と同じものを食べているはずなのに、今ウーヴェの鼻腔を満たす匂いはリオンのものだとしか言えない匂いだった。
己の体臭を自覚することは難しいかも知れないがリオンに何となく確かめたところ、ウーヴェの匂いは水のように涼しげで爽やかだが決して揺るがないものを芯に持っているとやけに抽象的な感想を述べられて返答に窮したことがあったが、その言葉と今己が感じているものは全く違っていた。
そのリオンのものとしか呼べない匂いを知覚し実感すると先日のように身体が過敏に反応してしまい、ウーヴェの眉が悩ましげに寄せられる。
己でも驚くような身体の反応を知られるのが気恥ずかしくて何とか抑え込もうとするが、先日と同じようにリオンの熱を体内で感じている今、当然ながらそんな心身の動きはリオンに筒抜けだった。
言葉では好きだのとは言われないが無意識に行動で示してくれる思いが嬉しくて、ついリオンがウーヴェの弱点である首筋にくすんだ金髪を押しつけると、重ねていた手が解かれ、先日と同じように髪の中に手を突っ込んで軽く握ってくる。
クリニックで双子達に見せていた言動からは想像も付かない、リオンだけが知る甘えているような仕草に背筋が震え、ウーヴェの手が髪の中から背中へと移動する。
こんな風に背中を抱かれることも慣れてしまった感は否めないが、マンネリ化するのではなく背中に手が回される度に情や欲が掻き立てられ、熱という形を取る衝動を抑えられなくなってくる。
「……リーオ……っ……」
「どうした?」
自ら身体を寄せて途切れながら名を呼ぶウーヴェの顔を覗き込んだリオンは、快感に揺れる瞳にキスをすると瞳だけではなく身体も揺さぶるように抱き寄せて腰を押しつける。
上がった息と快感の滲む声がリオンの耳に届きそれに煽られるように動きを早めれば背中に回った手に力が籠もる。
今日は特に敏感になっていると思ってはいたがリオンが匂いについて問いを発した時に更にそれが強まったことを思い出し、リオンの動きに合わせて呼吸を繰り返すウーヴェにもう一度囁きかける。
「――俺の匂い、スキ?」
好きなら好きと言えとも囁いて返事を待つがいくら快感に溺れていたとしても素直に口にするウーヴェではないことを知っている為、好きなら背中に返事をしてと助け船を出すと同時に背中に痛みが芽生えて顔を顰めてしまう。
「……っ……いてぇなぁ」
そんなに好きかと太い笑みを浮かべたリオンは、その返事がうるさいという言葉だったことに笑みを深め、そんなお前が大好きだとキスをするとその後は手が背中から離れないようにしろと告げ、時折背中に走る鋭い痛みに耐えながら二人で絶頂に向かうのだった。
白熱した瞬間を過ぎた身体には力が入らずリオンがいつものように手早く身体を拭いてくれたのに小さく礼を言ったウーヴェは、程なくして背後に潜り込んでくるリオンに気付くと肩越しに顔を振り向ける。
リオンに背中を向けているウーヴェだったが、振り向けた頬にキスをして背中に胸を押し当てられて眠気に負けそうな目を何とか瞬かせる。
「オーヴェ」
「……なんだ……?」
「気持ちよかった?」
久しぶりだったからすごく頑張ってみたんですがどうだったと下から疑問を投げ掛けると、遙か上に見えながらも実は同じ高さから悪くはなかったという尊大な言葉が投げ掛けられる。
「悪くなかった?」
「そう言っただろう?」
聞こえていなかったのかと問いかけながら振り返り、疑問とは裏腹に自信満々の笑みを浮かべるリオンの鼻を摘んだウーヴェは、何をするんだよーと間延びした声に非難されてつい吹き出してしまう。
「何をするんだよーじゃない」
「へへ……な、マジな話、俺の匂いがそんなに好きなのか?」
自分の香水の買い置きがあるのに俺の香水を使ったんだと問いかけると、仕方がないと言いたげな顔でウーヴェが溜息を吐いて摘んでいた鼻先にキスをする。
「……言っておくが、俺は匂いフェチじゃないぞ」
「……う」
どうしても人をフェチにしたいようだが残念ながらお前の匂いを嗅いでも性的興奮を覚えないと再度言い放たれてリオンが情けない顔をするが、その割にはさっきは敏感だったことをそれとなく伝えると、鼻がもげてしまいそうなほどの痛みを感じて悲鳴を上げる。
「ぃたいいたいいたい!」
「う・る・さ・い!」
「ごめーん! さっきのオーヴェがメチャクチャ可愛かったからとか、背中が痛いけど気持ちよかったとはもう思ってても言いません!」
思っているんだなと睨まれて情けない顔になるが、二人で熱を吐き出した後のピロートークにしては騒々しすぎることに気付いてどちらからともなく口を閉ざすと、リオンが未練がましく好きなら好きと言ってくれれば良いのにと文句を垂れたため、ウーヴェがもう一度溜息を吐いてリオンの左手-ウーヴェの心が疲労した時にはウーヴェの為だけに差し出されるそれ-を掴んで腰に回させると同時にリオンに背中を向ける。
「オーヴェ?」
腹の前に自然な形で伸ばされる手の甲に手を重ねてさっきとは逆に手を組んだウーヴェは、何かを期待して背中に胸を押し当ててくるリオンの手の甲を親指で撫でながらお前だから惹かれるんだと口早に告げる。
「ダンケ」
面と向かって素直には言えないがお前が不在の時にお前の匂いを感じれば落ち着くしこうしてベッドの中で感じれば多少なりとも興奮することも告げると、ウーヴェの赤く染まった頬にリオンが伸び上がってキスをする。
「おやすみ、オーヴェ」
「……おやすみ」
これから眠りに落ちる間、もちろん落ちてからもその手を離さないでくれと囁いてもう一度ウーヴェの頬にキスをしたリオンは、お返しのキスの代わりに掌にキスをされてくすぐったそうに目を細める。
熱を出した身体は心地よい疲労感を訴えていたためほぼ同時に目を閉じ、仲の良さを示すように同じ頃合いに夢を見ない深い眠りに入っていくのだった。
その夢の中でウーヴェは愛するリオンの匂いに全身を包まれていることから、ここ数日一人きりで眠っていたために無意識に察知していた寂寥感を吹き飛ばすことに成功するのだった。
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