TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
シェアするシェアする
報告する

 待ち合わせの時間に遅れる事無く通い慣れた店にやってきた彼は、程良い賑やかさに包まれる店内で友人を探すように視線を巡らせ、窓際のテーブルで体格の良い赤毛の青年が手を挙げている姿を発見して目を細める。

 テーブルに手をついて彼を見つめる青年の前には中身が半分ほどになったビールグラスがあり、もう飲んでいるのかといつもならば恋人に言われている言葉を告げれば、たった今来たばかりだと肩を竦めながら返され、向かいの椅子を引いて腰掛けると同時にビールを注文する。

 「久しぶりだな、ウーヴェ」

 「ああ。・・・いつ見ても山帰りの時は真っ赤になっているな」

 「ははは。ニンジンが熟れすぎたトマトになったって昔カスパルに言われた事があったな」

 年中雪を戴いているアルプスの山々に足を踏み入れたもの特有の顔で笑った友人、オイゲンに目を細め、マッターホルンの様子はどうだったと頬杖をつきながら問いかけたウーヴェは、運ばれてきたビールのグラスを軽く掲げて泡の向こうで笑う友人の無事の帰還を祝って乾杯と小さく声を掛ける。

 「ダンケ、ウーヴェ」

 「ああ。で、どうだったんだ?」

 「天気も良かったし山頂で少しだけゆっくりする時間もあったから、写真を沢山写すことが出来た。医者と山岳写真家ってのも良いと思わないか」

 グラスのビールを飲み干しお代わりを注文しながら笑うオイゲンに何をバカなことを言ってるんだと苦笑したウーヴェは、彼が取り出したデジカメのモニターに映し出される絶景に次第に言葉を無くして引き込まれるように見つめてしまう。

 「マッターホルンは分かるだろう?」

 「・・・綺麗だな」

 「それは今朝の写真だな。朝陽が当たって山頂が綺麗だった」

 少しでも山に詳しいものであれば一目で名前を言い当てられる特徴のある名峰が朝陽に染まる写真に目を奪われたウーヴェは、その絶景を一緒に見ていたのが叔父のドンだったことだけが悔やまれると笑うオイゲンの説明を上の空で聞いてしまうほどその写真を見つめ続け、苦笑の声で我に返って顔を上げる。

 「その写真、プリントしてやろうか?」

 「そうして貰っても良いか?」

 「もちろん。他に気に入った写真が有れば言えよ。それも一緒にプリントしてやるからさ」

 お代わりのビールに口を付けつつ片目を閉じる友人に笑顔で頷き、カメラに納められている写真を一枚一枚時間を掛け、時にはオイゲンに状況の説明をさせながら見ていったウーヴェは、深く青い湖に逆さまになったマッターホルンが映り込んだ写真を指さし、この写真も欲しいと告げてビールを飲む。

 「お前が少しでも山に興味があればすぐにでも連れて行って実物を見せてやるのになぁ」

 学生の頃から言い続けていることを呟くオイゲンに一転して表情を曇らせたウーヴェは、登山から連想されるものが過去への扉を開いてしまう為に極力登山やハイキングなどは避けていることを学生の頃から何度も伝えているようにまた今夜も伝えると、オイゲンの表情も一変して真摯なものになる。

 「すまない、ウーヴェ」

 「悪いと思うのならもう言わないでくれ」

 「悪かった。もう言わない。見るのは平気なんだな?」

 「この湖と朝陽の写真と山頂での記念写真が欲しいな」

 オイゲンの表情や心を和らげる為に目元を柔らかくして頷き、気に入った数枚の写真をプリントして欲しいと伝えると、ウーヴェのそんな気遣いを察した彼が大きく頷いてザックから平たい石を取り出してウーヴェの前にそっと置く。

 「マッターホルンの石だ」

 「また一つ手土産を持って帰ってきてくれたな。アルプスの名の通った山はほとんど持って帰ってきたんじゃないのか?」

 「そうか?ああ、いや、でもまだ登ってない山がある」

 学生の頃から珍しい形をした石や登頂した記念として山頂から持って帰ってきてはウーヴェに渡していた為、ウーヴェの自宅リビングの暖炉の上には日付と山の名前が書かれた石がいくつも並べられていた。

 そこにまた一つ記念の石が増えたと苦笑するともう一つ有名どころの山を登っていないと笑ったオイゲンに何処の山だと問いかければ、アイガーというこれもまた一度ならずとも何度も耳にした山の名前を答えられる。

 「まだ登ってなかったのか?」

 「ああ、アイガーはまだ登っていないんだ」

 ヨーロッパアルプスの三大北壁と呼ばれるグランド・ジョラス、マッターホルン、アイガーのうち二つの北壁は制覇したが、アイガーだけがまだだと教えられ、もう登ったと思っていたウーヴェが苦笑すると、何故か登る機会が今まで無かったと肩を竦められる。

 「普通に登ってもいないのか?」

 「北壁以外か?」

 「山には詳しくないから何というのか分からないが、北壁以外のルートでは登っていないのか?」

 「いや、一度だけ登った事はある。北壁は挑戦していないだけだな」

 だから今度機会を作って北壁に挑戦するが、無事に戻ってくれば北壁から登った山頂の石を持って帰ってくると笑ったオイゲンにウーヴェが微苦笑を浮かべ、学生の頃から変わったようで変わらない表情で友人を真正面から見つめる。

 「・・・・・・お前の腕前は分かっているつもりだけど、何処の山に行くにしても、怪我をせずに帰って来て欲しい」

 行きっきりになるなと目を伏せながら呟くウーヴェにオイゲンが驚きと歓喜を秘めた灰色の瞳を見開くが、一転して自信に満ちた笑みに切り替えて大きく頷くと、軽く握られているウーヴェの手を一つ掌で撫でて安心させるように片目を閉じる。

 「大丈夫だ。俺も自分の力量は弁えているつもりだ。無茶はしない」

 「・・・・・・それなら、良い」

 「行く時にはまた連絡をするよ」

 いつかアイガーに登る日が来るだろうが、その時は真っ先に知らせるし、戻ってきた時もまずお前に知らせると断言されて安堵したウーヴェの前にオイゲンが注文していた料理が並び出し、目の前の料理を二人で食べながら山の話で盛り上がるのだった。

 


 久しぶりに二人きりで会って食事をした為か、話は尽きることはなくてついつい店に長居をしてしまった事に気付いてどちらからともなく苦笑した時、オイゲンの携帯が着信を伝える機械音を流し始める。

 携帯を手に取って相手を確認したオイゲンの表情が一瞬だけ疎ましそうなものになった事に気付いたウーヴェは、友人の様子からそろそろ店を出た方が良いと判断をし、少し離れた場所に立っていた自分たちのテーブルを担当している店員を手招きして会計をしてくれとも頼むが、低く抑えられているがそれでも腹立たしさを隠しきれないオイゲンの声が聞こえてきた事に軽く目を瞠って視線だけを向ける。

 「・・・だからもうすぐ帰ると言ってるだろう?明日病院で挨拶をするよ。それで良いだろう?」

 ウーヴェとの再会と久しぶりの登山が楽しかった事や山での出来事を面白おかしく話していた先程までの彼の口調や声がまるで嘘のように固く冷たく響き、相手が誰だか分からないが深く立ち入らない方が良い事に気付いて何気なさを装えば、店員がトレイと伝票片手にやって来る。

 支払いを済ませながら耳だけは友人へと向けていると、低い声が次第にヒートアップしてくる気配を察し、店員が立ち去ると同時にオイゲンへと向き直り、眼鏡の下の双眸を細めて無言の忠告を発する。

 「・・・・・・ああ、分かった。もう帰るから怒鳴るな」

 電話の相手がかなり感情的になっている事は携帯から漏れ聞こえる声からも察することが出来るが、その相手が女性である事から相手が誰であるかを察すると同時にオイゲンが苛立たしそうに通話を切って携帯をテーブルに手荒く置き、残っていたビールを飲み干す。

 「オイゲン」

 「・・・悪い、フェル」

 拳を握って何かを堪えるように呟くオイゲンに軽く目を瞠ったウーヴェだったが、懐かしい呼び名をされたことに気付いて久しぶりにそう呼ばれたと肩を揺らしてしまい、不審な目で見つめられる。

 「ギムナジウムの卒業でその呼び方は止めた筈だろう、イェニー?」

 「あ、ああ、そうだったな」

 お互いに学生の頃には一日に何度も呼び合っていたが、卒業と同時にすっぱりと止めた懐かしい呼び方をして片目を閉じたウーヴェにオイゲンも当時を思い出しているのか懐かしそうに目を細めて一つ頷き、悪かったともう一度詫びて財布を取り出そうとするが、ウーヴェがゆっくりと首を振ってその動きを止めさせる。

 「今日はお前が無事に帰ってきた事と久しぶりの再会だから出さなくて良い」

 「何だそれは」

 「マッターホルンの写真も貰うし、アイガーの写真もいつか貰うつもりだからな」

 今夜は本当に美味しくて楽しい酒を飲ませて貰ったから感謝していると、友人達でも逆らうことの出来ない綺麗な笑顔を浮かべたウーヴェは、オイゲンの顔に複雑な色が浮かんだのを素早く読み取ると、だから次に飲み会があれば奢ってくれと告げて片目を閉じる。

 「駄目か?」

 「じゃあ、次に会ったときは・・・ホテルのバーにするか」

 「良いな。バーボンを山ほど飲んでやろうかな」

 ウーヴェが相手のプライドを傷付けない程度に自らの意見を主張し、傷付けたと思った刹那に妥協案を提案すると、そんな彼の気遣いを感じ取ったオイゲンも納得したように頷いて立ち上がる。

 「明日からまた仕事だな」

 「山と違って病院は窮屈か?」

 澄み渡った青と解けることなく存在し続ける白と岩山の灰色の世界をぎらぎらと輝く太陽が支配する清冽な世界から、ドロドロとした人間関係の渦巻く世界に戻ってくるのは苦痛だろうとウーヴェが苦笑すれば、思意味の掴めない溜息を一つ零したオイゲンが仕方がないと肩を竦めるが、何かに気付いたように一つ頷いてウーヴェに片目を閉じて見せる。

 「病院も一つの山と思えば楽しめるかもな」

 「・・・そんなものか?」

 「はは。お前は出世に興味がないからそう感じるのかも知れないな」

 だが、自分のように頂点が目的ではなく、他の目的の為に通過する場所として頂点へと上り詰めたいと思っている者からすれば出世レースも山登りの一つだと、野心家らしい、それでも何処か清々しさを感じる突き抜けた笑みを浮かべる。

 「目的があるのか?」

 「当たり前だろう?・・・人の力をバックにのし上がったなどと言われるのは今だけで十分だ」

 その一言が示す存在を脳裏に描き、数年前のまるで絵に描いたような、だが何処か不自然さを感じさせる結婚式の様子も思い出したウーヴェは、無意識に友人の右手に視線を投げ掛け、控え目にきらりと光るリングがまだそこにあることに安堵してしまう。

 「最終的には院長だが、ひとまずは部長の座が狙いだな」

 「恨みを買うようなやり方はするなよ?」

 「・・・お前の心配性はあの頃から全く変わっていないな、ウーヴェ」

 学生の頃は無表情で人と殆ど接点を持つことは無かったが、二人きりになれば途端に心配性の顔で饒舌にもなったと笑うオイゲンに反論できずにいたウーヴェは、そんなことはないと無駄な反論をしてみるがきっぱりと否定されて口を閉ざす。

 「・・・サイズのあわない服を着れば風邪を引くことがあるからな、気をつけろよ」

 「ああ。忠告ありがとうよ、ウーヴェ」

 反論を封じられた悔しさを皮肉に込めて囁くが、その声に茶目っ気たっぷりの声が重なって諦めの溜息を零したウーヴェは、二人で店の外に出て冬の星座が瞬いている夜空を見上げて白い息を吐く。

 「もうすっかり冬だな」

 「朝晩はさすがに冷え込むように・・・ちょっと失礼」

 オイゲンの言葉に同意を示したウーヴェの携帯が映画音楽を流し出した為に断りを入れて携帯を耳に宛えば、いつもと同じ言葉がいつもとは違う空気を纏って聞こえてくる。

 『ハロ、オーヴェ』

 「もう家にいるのか?」

 『ああ、うん・・・お前は?』

 「今から帰るところだ」

 電話の主はリオンだったが、一日を無事に終えて眠りに就く前に掛けてくる声にしては沈んでいる事を察し、湧き上がる不安を押し殺しながらどうしたんだと問い掛ければ、今すぐ家に行っても良いかと問われて目を瞬かせる。

 『なぁ、オーヴェ、良いか?』

 「良いかと言われても・・・家に帰るのにまだ時間が掛かるぞ?」

 『良いって。外で待ってるからさ。な、良いか?』

 畳み掛けるような声がただ逢いたいという思いだけではなく、今感じているであろう心の不安定さも同時にウーヴェに伝えてきた為、焦燥と躊躇いを声に滲ませながら有りっ丈の思いを込めてリーオと呼べば携帯の向こうに静寂が生まれ、隣でタクシーの手配をしていた友人からは驚愕の気配が伝わってくる。

 「外で待っていれば風邪を引くぞ?今から帰るからもう少しだけ家で待っていてくれないか?」

 『・・・うん』

 「頼む」

 すぐに帰るからと出せる限りの優しい声で告げて通話を終えたウーヴェは、もの言いたげに見つめてくる友人に目を細め、恋人かと問われて苦笑しつつ頷く。

 「少し前に知人を亡くしたんだが・・・我が儘が少し酷くなった」

 「人が亡くなったのなら不安になっても仕方がないんじゃないのか?」

 お前があんな優しい声を出す相手なのだから、今すぐに恋人の元に駆けつけてやれと背中を叩かれて一つ咳き込んだウーヴェは、今度みんなで集まるときに連れてくるつもりだと苦笑を深くすると、店の前に横付けされたタクシーのドアを開けてリオンの自宅住所を告げる。

 「お前がいないと不安なんだろうな。可愛い我が儘じゃないか」

 「まあ、な」

 友人の言葉に歯切れの悪い言葉を返したウーヴェは、助手席の窓を開けてオイゲンを手招きし、今日は本当に楽しかったことと次に会う時には皆でまた大騒ぎをしようと笑みを浮かべる。

 「もちろん、楽しみにしてるぜ、ウーヴェ」

 「ああ。じゃあな、早く帰れよ、オイゲン」

 「心配するな。お前こそ早く行ってやれよ」

 お前が不在で心が揺れる恋人の傍に早く駆けつけてやり、その心を落ち着かせて安心させてやれと鷹揚に頷かれてただ苦笑したウーヴェは、運転手の視線を頬に受けていることに気付き、一つ頷いてお願いしますと口にし、ミラーの中で手を振って見送る友人に目を細めるのだった。

 ウーヴェを乗せたタクシーが走り去ったのを見送り、陽気な山男の顔から無表情に近い出世だけを考えている冷徹な医師へと変貌したオイゲンは、少し遅れてやってきたタクシーに乗り込んで自宅住所を告げるが、助手席に座って家に辿り着くまでの間、運転手がちらりと視線を寄越してきても意に介することなく携帯でメールを作成し、送信と返信を繰り返しているが、満足のいく回答が得られたからか、大きく溜息を一つ零してシートに深くもたれ掛かり、今度は打って変わった調子で運転手に語りかけ続けるのだった。

 

 リオンの家の下でタクシーから降りて料金を支払ったウーヴェは、古びたアパートの階段を足音高く駆け上り、階段から数えて二つ目のドアの前に立ってベルを鳴らすが、室内にそれらしい物音は響くことはなく、ドアノブをガチャガチャとさせて気付いてくれと願う。

隣近所からうるさいと苦情を言われかねないその行為を二度ほど繰り返した時、そっとドアが開いて視界が翳ったかと思うと、逆らえない強さで抱き竦められて息を飲む。

 「リオン?どうしたんだ?」

 「・・・オーヴェ・・・・・・飲んでたのか?」

 肩に額を押しつけてくぐもった声で問いかけてくる恋人の背中を撫で、ギムナジウムからの友人と一緒に飲んでいたことを告げるが、先に中に入らせてくれと苦笑し、抱き竦められたまま室内へと引きずり込まれてしまう。

 「本当にどうしたんだ?何があったんだ?」

 さっきは友人の手前もあり満足に問いかけることも出来なかったが、二人きりの今ならば誰に何の遠慮も必要はなかった。

 その為に有りっ丈の思いで顔を寄せてくるリオンの名を呼び続け、どうしたんだと根気よく問いかけ続けたウーヴェは、一瞬のような長い時間の後でようやく楽に呼吸が出来る様になって安堵すると同時にリオンの顔を両手で包むように掌を宛がい、見つめてくる蒼い瞳を覗き込む。

 「仕事で何かあったのか?」

 「・・・・・・特に何かあったって訳じゃねぇけど・・・」

 一人でいるのが何故かいつも以上に辛く感じてしまったのだと無表情に教えられ、そんな顔をしなくて良いとくすんだ金髪を胸に抱え込みながら少し移動し、ベッドに腰を下ろして寄り掛かってくるリオンの背中へと片腕を回して覆い被さるように抱きしめる。

 「一人じゃないだろう?」

 「うん・・・ごめん、オーヴェ」

 「一人じゃないことを思い出してくれたのならそれで良い」

 リオンの広い背中に頬を押し当てたウーヴェは、顔を上げてごめんと小さな声で謝罪をする恋人の頬を掌で撫でて目を細めると、シャワーを浴びてくることを言い残して立ち上がる。

 「あ、そうだ。この間のリンゴのコンポート、美味くてみんな喜んでたってマザーが言ってた」

 「そうか」

 以前顔見知りの花屋の青年が突然リンゴが山盛り入った大箱を抱えてウーヴェの元を訪れたのだが、その時のリンゴはウーヴェの秘書であるリア・オルガに一抱えお裾分けをし、上の階にあるデンタルクリニックを経営しているアロイス・ベンカーにもお裾分けをしてもまだ余っている程だった為、ウーヴェの幼馴染みであり予約の取れない料理店として名前が知れ渡ってきたゲートルートのオーナーであるベルトランに押しつけてコンポートとリンゴのタルトを作らせたのだが、その時のものが美味しかったと聞かされて満足げに目を細め、いつもより時間を掛けずに手早くシャワーを浴びてベッドに戻れば、リオンが胡座を掻いた足首を掴みながら身体を前後に揺さぶっていた。

 白い髪を軽く拭いてこの部屋にも置くようになったパジャマに着替えたウーヴェを視線だけで追いかけていたリオンだが、そのままベッドに押し倒されてしまって目を瞠りながら恋人の端正な顔を見上げれば、小さな声で名を呼ばれて鼻の頭と額にキスをされる。

 「もう寝るか?」

 「オーヴェが寝るなら俺も寝る」

 一応伺いを立ててくれているらしいリオンにくすりと笑みを一つ零したウーヴェは、じゃあそろそろ寝ようと頷き、リオンの身体に半ば乗り上げるように横臥すると腰に腕が回されて抱き寄せられる。

 「今日はギムナジウムの友人と飲んでたのか?」

 「ああ。オイゲンと言って登山が好きな奴で、今日もツェルマットから帰ってきたと言っていたな」

 「ふぅん・・・オーヴェの友達で山が好きな人って想像出来ないなぁ」

 「どうしてだ?」

 「んー・・・何となくみんな勉強好きで頭が良いって感じがするから」

 その言葉に込められている雑多な思いの一端を感じ取り、リオンの顔の傍に頬をついて間近で見つめたウーヴェは、今度その友人も含めた面々とリアと一緒に飲み会をするが、その時に一緒に来いと呟くと蒼い瞳が驚愕に見開かれていく。

 「前に約束しただろう?友人達に紹介する」

 「・・・うん。・・・ダン、オーヴェ」

 「お前が感じたように勉強ばかりをしていた奴ばかりじゃない。大学の頃はそれなりにバカなこともやっていたから、気が合わない事は無いだろう」

 驚きに見開かれた後で細められる瞳を愛おしそうに見つめ、その肩に腕を回して抱き寄せたウーヴェは、リアも参加するし平気だろうと心配性故の問いを発すれば、お前もリアもいるのならば問題は無いと笑われて安堵に胸を撫で下ろす。

 「一緒に行こう」

 そうして自分が愛する人を友人達に紹介し、学生の頃に得た今ではなかなか得ることの出来ない友人達をお前に紹介したいと笑って額と額を重ね合わせるように枕の上で顔を寄せると、心底嬉しそうな穏やかな笑みを浮かべてリオンが小さく頷く。

 「うん。────オーヴェ」

 「・・・っ・・・、な、んだ・・・?」

 不意に変わった声音に固唾を飲んだウーヴェだったが、己の予想が間違っていないことを示す様に顔を覗き込まれてそのまま背中をベッドに押しつけられてしまい、総てを任せるように目を閉じてリオンの背中に腕を回すと、最初は遠慮がちに、だが次第に深くなるキスを受け止め恋人の背中を抱きしめ、自宅と比べれば遙かに安いが何故か寝心地が良いベッドを二人で軋ませるのだった。

 


 穏やかな満足そうな顔で静かに寝息を立てるリオンの顔を間近で見つめていると汗が引いた身体が寒さを覚えた為、寄り添うように身を寄せればもぞもぞと身動いだリオンが無意識にウーヴェの身体に腕を回して引き寄せる。

 その動きに逆らわずに恋人の穏やかな眠りを妨げないように気を配りつつも、己も密かに望んでいる温もりを得る為にリオンの腕に身を任せて小さく欠伸をした時、脳裏に友人の冷たく硬い表情が思い浮かんでしまい、電話で漏れ聞こえてきたヒステリックな女性の声も思い出すと、今日クリニックで休憩の時間にリアと話していた危惧が現実のものにならないだろうかという心配が首を擡げて胸の裡に溢れかえる。

 妻が勤務先の院長の一人娘であるという事実は、友人が自ら語ったように出世に興味のあるものならばまず嫉妬の対象になるもので、その嫉妬が思わぬ形となって友人の足を掬わないかという不安に囚われそうになるが、己の前ばかりを見て後ろを気にしない友人ではない為に、病院内での立場が危うくなるような事態が迫っていても安穏としているとは思えなかった。

 我が身を守る術を持ち合わせているオイゲンだから大丈夫だと己を納得させるように強く胸の裡で囁いたウーヴェは、ふと視線を感じて上目遣いになると、眠っていると思っていたリオンが静かに見つめてきていることに気付き、一つ苦笑してリオンの瞼を親指の腹でそっと撫でる。

 「起こしてしまったか?」

 「・・・何か考えてたのか?」

 「俺にはあまり分からないが、やはり出世して地位や肩書きが欲しいものなのかな」

 出世欲があまり-はっきり言って乏しい-為に理解出来ないと苦笑したウーヴェの額にそっとキスをしたリオンは、俺は刑事になりたかったからその為ならばどんなことでもすると思っていたと答えて苦笑し、ただ人を蹴り落とすようなやり方だけはしてこなかった事も告げると、安堵にも似た溜息がこぼれ落ちる。

 「出世を望むことで誰かを蹴り落とすことになるのなら・・・もっと嫌だな」

 「・・・・・・誰かいるんだ、出世して登り詰めたいって言ってる人」

 「ああ」

 具体的に名前を出すことはなかったウーヴェにリオンが小さな欠伸を一つすると、それがもし友人ならば忠告してやればいいし、面識のない医者というのならば放っておけばいいと面倒くさそうに呟き、反論し掛けたウーヴェの鼻先に小さな音を立ててキスをする。

 「もう寝ようぜ、オーヴェ」

 「ああ。・・・起こして悪かったな」

 「キス一つで許してやる」

 その言葉がついさっきまで見ていた沈みがちなリオンと言うよりも、常日頃騒々しいとウーヴェが眉を寄せている時と同じで、無意識に安堵の溜息を零してリオンの薄く開いている唇にキスをする。

 「お休み、リオン」

 「うん。お休み。明日の朝は何処かで朝飯食っていこうか」

 「そうだな・・・家に帰る暇はなさそうだな」

 車でここまで来ていれば朝一番で帰宅する事も出来るが、今日はタクシーで来た為、一度家に帰るのならたまにはカフェで朝食にしても良いだろうと素直に口にすれば、嬉しそうな気配が伝わってくる。

 「うん、そうしようか」

 「ああ」

 明日の朝スッキリと目覚める為に必要不可欠な目覚まし時計をセットし、もう一度お休みと告げたリオンに頷いたウーヴェも欠伸を一つすると、リオンの穏やかな寝息を感じつつ目を閉じるのだった。



Über das glückliche Leben.

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

27

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚