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——扉の前に、立っている。
それは、まるで誰かの“手紙”のように静かで、それでいて心臓を刺すような気配を持っていた。
「この扉の向こうには、現実があるかもしれない。
でも、それは“苦しみ”と“痛み”の始まりかもしれない」
深紅の絶望が、飄々とした声で言う。
「逆に、もう一方の扉は、ただの静けさ。
全部を手放せる。怖いものなんて、何もない。
音も責任も、感情も、全部——」
「うるさいよ」
元貴が低く呟いた。
「俺は……怖いけど、全部、捨てたくない」
扉に触れた瞬間、またあの“音”が聞こえた。
ピアノの音。ギターの響き。
そして、声。——滉斗の声だ。
『おい、元貴。お前、また途中で逃げんのかよ』
夢の中に響く、現実の声。
『……俺、マジで泣きたくなるくらい、お前の曲が好きなんだよ。
音作ってるときの顔も、完成したときの「どや顔」も、いちいち腹立つけど、最高だって思ってる。』
その声のあと、もうひとつ——優しい声が重なる。
『……元貴。今、どこにいるの?
ねえ、僕らさ、3人でまた音を鳴らそうよ。
元貴がいないと、やっぱり寂しいよ。音も、空気も、全部違うんだ』
それは、涼ちゃんの声だった。
『——だから、帰ってきてよ。僕、待ってるから』
元貴の指が、扉から少し離れた。
「……あいつら、ちゃんと……俺のこと、呼んでくれてる……」
彼は呟き、わずかに目を細める。
そこへ、白い天使と赤い絶望が再び現れる。
「選ぶのは、今だよ」
天使が静かに言う。
「どっちでもいい。お前の自由だ」
絶望が笑う。
—
そのとき、扉の隣に、ぼんやりと“映像”のようなものが浮かび上がった。
涼ちゃんと初めて顔を合わせた、小さなスタジオ。
滉斗と2人で「俺たち、絶対何かできる」って意気込んでた高校生の頃。
そして、3人で初めて音を合わせた瞬間。
涼ちゃんが20歳で、ふたりは17歳。
世代も違えば、性格も違うのに——不思議と、音だけは、最初から溶け合っていた。
「こんな出会い、もう二度とないんだろうなって思った」
元貴がぽつりと呟いた。
「——だから、俺、失いたくない」
夢の空が、音を立てて割れる。
扉の奥が、淡い光に包まれていく。
その光の中に、現れる“手”。
現実にいる、滉斗と涼ちゃんの声が、夢の中で“手”となって差し伸べられる。
「……ただいま、言わせてよ。もう一度だけでいいから」
元貴は、扉を——開いた。
—
集中治療室。
心拍のリズムが、微かに変わる。
機械音がピッと鳴り、モニターが動く。
涼ちゃんが息を飲み、滉斗が顔を上げた。
そして——
元貴の指が、ほんの少しだけ、動いた。
「……元貴……?」
「動いた! 今、動いたよ!!」
涙が一気に溢れ、2人は声を上げる。
—
夢の中では、白と赤の2人が後ろ姿で見送っていた。
白が静かに微笑み、赤はつまらなさそうに肩をすくめる。
「……ったく、しぶといヤツだな」
—
光の先には、まだ現実の“痛み”と“再生”が待っている。
それでも、彼は選んだ。
君の声が、まだ届くなら——
僕は、帰るよ。