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差し込む太陽の光が、やけに眩しく感じられた。
明日になれば、理人とのデートが待っている。そう思っただけで、瀬名の口角はどうしても緩んでしまい、自分でも締まりのない顔になっている自覚があった。
「今日は一段とご機嫌だね、瀬名くん。何かいいことでもあった?」
隣の席の萩原が、さっそく目ざとく突っついてきた。
「わかりますか? 実は明日、理人さんと一緒に出かけるんです」
浮かれすぎて、もはや黙っていられなかった。つい嬉しさが溢れて口を開くと、萩原は「あ~、なるほど」と得心した様子で苦笑を浮かべた。
「へぇ。デートですか。鬼塚部長って、プライベートではどんな所にデートに行くんだろう。……全然想像つかないな」
「聞きたいですか? 実は動物園に行こうと思ってて」
「えっ?」
萩原の動きが、ピシッと凝固した。瀬名は「何かおかしなことを言っただろうか」と小首を傾げる。
「……もしかして、猛獣を素手で手懐けるトレーニングとか?」
「違いますよ。普通の、のどかな動物園です」
「……ぜんっぜん、想像つかない!!!」
「そんなに驚くことかなぁ」
「だって、あの『鉄仮面の鬼塚部長』だよ!? 動物園なんて、似合わないにも程があるでしょ!」
萩原は大げさに肩をすくめてのけぞった。
「う……っ。やっぱり、そうですかね。行きたいって言ったら、ものすっごく嫌そうな、困った顔をされたんですけど……」
今朝の理人の反応を思い出し、瀬名はガックリと項垂れた。
「はぁ~……。でもさ、あの鬼塚部長を動物園に連れ出すなんて、瀬名くん、本当に愛されてるんだねぇ」
「そ、そうかな?」
「だって、他の誰が誘ったって、秒で『仕事しろ』って一蹴されるよ。絶対」
そう言われると、むず痒いような誇らしいような、形容しがたい熱が胸に広がっていく。
「おい。無駄話してる暇があったら、ちゃっちゃと手を動かせ。萩原、随分と余裕があるみたいだな。これを百部、今すぐコピーしろ」
「げっ、部長!?」
会話が聞こえていたらしい理人が、無慈避な音を立てて書類の束をデスクに叩きつけた。萩原が「百部……」と絶望の声を上げる。
「瀬名もだ。あんまり浮かれてるんじゃねぇぞ。……定時までに終わらなかったら、置いて帰るからな」
ギロリと射抜くような視線に、瀬名は思わず背筋を伸ばした。本当にこの人は、ONとOFFの差が激しい。
会社ではこんなに近寄りがたい上司なのに、家ではあんなに甘い声を漏らして、自分に翻弄されている。そのスーツの下に隠された白い肌のそこかしこには、瀬名が昨夜刻みつけた独占欲の痕が、まだ生々しく残っているはずなのだ。
そんな「独り占めの優越感」に浸っていると、思考を読まれたかのような絶妙なタイミングで、理人に思いっきり脛を蹴り飛ばされた。
「痛っ……!」
思わず声を上げると、理人は「ふんっ」と鼻を鳴らして、颯爽と自室へ去っていく。
(……理人さん、本当に鋭い。でも、そんなところも大好きなんですけど)
瀬名は痛む脛をさすりながら、堪えきれない笑みを漏らした。それから幸せな余韻を胸に閉じ込め、デスクへと向き直った。
翌日は見事な晴天。まさに絶好のお出かけ日和だった。
「やっぱり、家族連れが多いですね」
入場ゲートを見渡して、瀬名は感嘆の声を漏らした。それはそうだろう、動物園といえば子供が喜ぶ場所の代表格だ。いい大人の男二人が連れ立って来るような場所では、決してない。 現に、列に並んでいる最中も、不思議そうな、あるいは微笑ましそうな視線を向けてくる親子が何組もいた。
「……まぁ、いいんじゃねぇ? たまには」
「僕、正直に言うと、理人さんがこういう所に一緒に来てくれるとは思ってませんでした」
「別に、来たくて来たわけじゃねぇよ。お前が行きたがってるから、仕方なくだ」
ふいっとそっぽを向き、スタスタと先を歩いていく理人。だが、その耳朶がほんのりと赤く染まっているような気がするのは気のせいじゃない筈だ。
「待ってくださいよ、置いていかないで」
「ニヤニヤしてんじゃねぇ」
「だって、嬉しくって。ずっと、こういう場所に憧れてたんです」
瀬名は少しだけ歩調を緩め、自分の幼少期に想いを馳せた。
「小さい頃から、幼稚園や学校以外で家を出ることは禁止されていたので……。母が今の父さんと再婚した時は、僕もだいぶ大きくなっていて、今さら『行きたい』なんて言い出せなくて。以前の彼女たちに誘ってみたこともありましたけど、大抵は引かれるか呆れられるかだったので、まさかOKしてもらえるなんて夢にも思わなかったんです」
正直な吐露が、ふいにその場の空気をしんみりとさせてしまった。
「すみません、せっかくのデートなのに」と瀬名が慌てて口を開きかけた瞬間、コツンと額を指先で突かれた。 驚いて顔を上げると、理人が複雑そうな、けれど射抜くように真っ直ぐな瞳で瀬名を見つめていた。
「……たく。これから何回だって連れてきてやるし、お前が行きたい場所は全部一緒に行ってやる。だから、もう過去のことは忘れろ」
ぶっきらぼうに投げられたその言葉に、瀬名の胸が熱く震えた。
(ああ、僕はこの人に出会えて、本当によかった……)
理人の不器用な慈しみが心の奥までじんわりと広がり、瀬名は満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「理人さん、大好きです」
「あ? んなこたぁ知ってる。つか! こんなとこで言うセリフじゃねぇだろ、馬鹿っ」
素っ気ない罵倒とは裏腹に、理人は瀬名の手を引いて歩き出した。繋いだ指先から伝わる確かな体温に、心まで温かくなっていく。瀬名は幸せを噛み締めるように、その手をギュッと握り返した。
「理人さん、あっちにパンダがいるみたいですよ!」
「向こうには象の親子が」
「あ、コアラがいる! へぇ、コアラってあまり動かないんですねぇ」
念願が叶った喜びで、瀬名はまるで少年に戻ったかのようにはしゃぎ、理人をあちこち連れ回した。ブツブツと文句を言いながらも離れずについてきてくれるのは、先ほどの身の上話への同情だろうか。それとも、恋人としての甘やかしだろうか。瀬名は「後者だったらいいな」と、密かに頬を緩ませた。
やがて二人は『ふれあい動物コーナー』へと足を踏み入れた。小さな子供連れの家族に混じって柵の中に入ると、そこにはヤギや羊、ゾウガメなどが気ままに闊歩している。
「うわぁ……理人さん、どうしたんですか!? なんだか凄いことになってますね!?」
瀬名が驚愕の声を上げた先では、理人が不機嫌そうに舌打ちをしていた。 餌の入ったカップを持った理人の周りに、これでもかというほどヤギが群がっている。その光景はあまりにもシュールで、当の本人は本気で迷惑そうだ。
「おい、わかったから服を引っ張るな。てめぇはさっき食っただろうがっ! 順番だ、順番! お前じゃねぇ!」
文句を言いながらも、せがまれるまま律儀に餌を分け与えている姿に、瀬名は思わず吹き出しそうになる。
「瀬名、てめぇ写真なんて撮ってねぇで助けろ! これじゃ身動きが取れねぇだろうがっ!」
「あはは、すみません。可愛くってつい……。とりあえず、その餌を遠くに投げてみたらどうですか?」
促されるまま、理人はしぶしぶといった様子で餌を放物線を描くように投げた。それを合図に、一斉にヤギたちがそちらへ飛びついていく。
「たく……わらわらと群がりやがって」
「動物たちは心が優しい人がわかるって言いますし。みんな理人さんのことが大好きなんですよ、きっと」
「……嬉しくねぇよ。それに、俺は優しくなんかねぇ」
「そうですか? 理人さんは、すごく優しいと思いますよ。僕は」
「……っ」
瀬名の言葉を聞いた理人は、何故か一瞬だけ息を呑み、そのまま黙り込んでしまった。 どうかしたのだろうか、と瀬名が顔を覗き込むと、理人の頬が僅かに赤らんでいるのが見えた。
(……これは、もしかして。……照れてる……?)
そう確信した瞬間、どうしてもニマニマと頬が緩んでしまう。