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三日目。朝食は昨日の残りご飯を焼きおにぎりにして、昨日商店街で買った堺名物の水茄子のお漬物を出してみた。
皮が柔らかく、アクの少ない水茄子のお漬物は絶品で澪様も私もペロリと食べた。
堺は美味しいものが多くていいな。気候もいいし。山は空気が澄んでいたけど、すぐに天候が荒れるのがいけない。
こうして色んな料理を作ったり、澪様がお仕事に行かれたあと、一人でお掃除するのも苦じゃない。
そうは言っても澪様はとても几帳面なのか、私がしっかりとお掃除するまでもなく。家全体は良く手入れをされていて綺麗だった。
唯一、入ることが許されてないのは澪様の私室だけ。そんなことを思いながら畳の上に寝転ろがっていた。
「綺麗な畳気持ちいい」
横になり、降り注ぐお日様の光に眠りを誘われる。
少しだけ、このまま寝てしまおうか。
そんな甘い誘惑に寝返りを打つと、ガラス障子に自分の姿が写りビクッとした。
そこには紺色の男物の着物を着た、髪の短い私がいてハッとした。
「私、髪の毛伸ばしていたのにな。いつまで欺いていられるなかな……」
さらりと耳を触っても、掻き上げる髪がない。
田舎──京都宇治にいた時はよく花柄の着物を着ていた。
その頃の私はここには居ない。でも、アイツらの目を眩ますのには丁度いい。
脳裏にふと『桐紋』の家紋を身に付けた人達がぞろぞろと勝手に家に入って来たことを思い出して、ふるりと体が震えた。
アイツらの目を誤魔化せるのなら、ずっと髪は短いままでもいいのかもしれない。
澪様を騙しているのには、気が引けるけど仕方ない。
そうやって色んなことを考える。頭の中を整理する。
「今、私のやることはお昼寝じゃない。髪型を気にすることでもない。なんとかお茶会を滅茶苦茶にしない打開策を練る。そのあとアイツらから逃げる事だ」
この家で思いのほか不自由なく過ごせてしまい。藤井様との会話も楽しくて気が緩んでしまったと思った。しっかりしなくてはと、自分の頬をペチペチ叩く。
この庭のすみには最初に身に着けていたボロ着物と、一緒に拾った紙幣を隠してある。
私はそれを持って、ここを出て行かないといけないのだ。
むくりと体を起こす。
果たしてお茶会も逃げることも上手く行くかわからないけど目下、迫っているお茶会のことを考えよう。
昨日は少し澪様のことがわかったし。ちょっとずつ進展しているはず。
「今から、お買物ついでにお茶会の場所、宗南寺を見てみようかな。雰囲気や歴史を知りたい」
昼間の時間、今の私の姿ならアイツらには見つからないだろう。ビクビクとして陰に隠れるのも嫌だ。
澪様のことは一期一会。やれることはちゃんと全部やっておきたい。
お茶を楽しんで貰うには相手を知ることも大事だが、使わせて貰う場所にも敬意を払いたい。人、心、場所、どれかが欠けていてはならない。
頭の中で整理が付いた。眠気は霧散した。
「よし。行動開始っ」
畳からさっと手を離すと指先に軽くトンと、何か当たった。
なんだろうと思うとそれは、雑記帳とかではなくて綺麗なノートだった。手に取ると微かに澪様の香りがした。
「和紙じゃなくて製紙だ。澪様、本当にお金持ちだなぁ」
思わず紙に惹かれて手に取ると、表紙には『藤井屋 帳簿』と書かれており。後ろにはゴム印で藤井屋の住所の捺印。船のマークも入っていてオシャレだった。
「あれ。これは忘れもの?」
帳簿って大事じゃないのかな。チラッとノートを開いて見ると。青いインクで数字と覚書がびっしりと書かれていた。
「大阪株式取引所……南海電鉄、大阪電灯、紡績。会社の名前かな。えーと、一株五十円。百株追加購入……『呼値、要確認』これは株かな。む、難しい」
その他にも何やら、びっしりと数字や会社の名前、記号が記載していて私には分からなかった。
でも、お仕事に関する大事なものだと思い、パシリとノートを閉じた。
ノートと和室に掛かっている時計を交互に見比べる。
時間は正午を回っていた。
後ろに捺印している藤井屋の住所は、昨日行った商店街の近く。ここからはすぐだ。
「ひょっとしたら澪様、このノートがなくて困っているかもしれない。お届けしよう」
藤井屋も見てみたい。
そう思って、家を出る準備をするのだった。
風呂敷に帳簿を入れて外へと繰り出す。
一応、桐紋の家紋を身に付けた人はいないか。注意しながら人通りの多い道を選んで歩く。
商店街に近づいていくと、人が自然と多くなり。喧騒も大きくなってきた。
すると目の前に大門に『山之口筋』と掲げられている看板が目に入った。
「えっと。この筋をまっすぐ行って、二つ目の辻を左に行くと藤井屋」
チラッと風呂敷の中を見て、住所を確認してからさくさくと歩き出す。
それにしてもやはり山之口商店街は活気にあふれている。昨日は景色を見る余裕がなかった。
この付近には氏神さまが祀られている開口神社があり。その他、見世物小屋、飲食店、カフェなどもある。いつか全て物事が解決したら行ってみたい。
あとはかつて、この辺りに住んでいた大爺様の屋敷跡があるらしいけど。
目の前の大通りにせり出すように、両脇から看板や彩り豊かな旗の方が気になってしまう。
その下にはもっと目立つ堺の商人が、威勢の良い声で客寄せをしている。
思わず足を止めて品物を見てしまいそうのを堪えて、先を急ぐ。
そうしてたどり着いた『藤井屋』は。
「お、おっきい。まるで老舗の呉服問屋みたい……!」
ふぁと、関心して道の端から藤井屋を見つめる。
白の漆喰の壁が美しい二階建ての建物。横にすらりも広がる軒の下には紫の暖簾。大きな間口の左右には『藤井屋』の名前が書かれた垂れ幕が立派。
木材の外観は古めかしいが、軒下には電球が付けられていたり。今と昔が融合していた。
間口からは大人の男の人が行ったり来たりしていた。そこに澪様の姿は見えなかった。
ここに私がおいそれと入るのは気が引ける。
「後ろ口だったら、入りやすいかな?」
これだけ大きな建物だったら、裏口ぐらいあるだろう。
きゅっと風呂敷を胸に抱いて、藤井屋の裏口を目指した。
ひと区画、ぐるっと遠回りしたが立派な門に、藤井屋と書かれた提灯が左右に掛かった裏門を見つけられてホッとした。
ここは表通りと違って人通りはまばら。
とりあえず、裏門に近づくと『藤井屋』と言う法被を来た男の人達がたむろしていた。
これはちょうどいい。この人達に澪様のことを尋ねて見ようと思うと。
すると──。
「今日も藤井兄弟は怖いねぇ」
「いやぁ。派手に喧嘩してくれたらまだしも。まるでアレは梨園の意地の張り合いよ。微笑みながら言葉はつらら。怖い怖い」
その言葉に足をピタッと止めて、思わず電柱の後ろに隠れて耳をそば立てる。
男の人達は、はははと笑いながら紙煙草を吸い出した。その様子から休憩中なんだろうと思った。
そして煙を纏わせながら会話を続ける。
「澪様はあのド派手な容姿をしているのに、頭が回る。胆力もあって商才はピカイチ。藤井屋の大黒柱に違いねぇよ。俺は澪様が藤井屋に相応しいと思うがね」
「でもよぉ。大旦那様と大奥様が長男、臣様を溺愛しているからなぁ。澪様の姿が外国人だからお二人は忌避している。それで何かと臣様の肩を持つ。いくら澪様が賢くても、家督は継ぐことは出来ない。次男坊とは世知辛いもんさ」
「確かに澪様は頭が回る。しかし、それは独楽でも出来るだろ?」
そりゃ言い過ぎよと、他の人が嗜めたがその人達の顔は笑っていた。
なにあれ。
──なんか腹が立つ!
その独楽だって上手に回せなさそうな人達のくせにっ。むかっとしながらも会話に耳を傾ける。
「ほらだってよ。長男、臣様は大学院を首席で卒業したエリィト様よ。頭の使いどころが違うのサ。臣様は果心居士の如く、不思議と人をあっという間に懐柔しちまう。男も女も骨抜きよ。俺は商売にはその方が大事だと思うね!」
「いやいや、澪様も帝都大を卒業している。見た目はカブキモンだとしてもさ。大層、株で儲けているとか──」
男達は口々に言いたいことを言う。
その様子を見て聞いて、色々と思うことがありすぎて。心がざわめき。
一度お茶を立てて、心を落ちつかせたいと思った。
「こんなにも、お抹茶が欲しくなるなんてっ」
指先が茶筅を求めてぷるぷるする。
澪様の抱えている問題は、お茶会を滅茶苦茶にしたところで何も解決しないのではないか。
いっとき、肚の虫の癇癪が治るだけなのでは。
いや。そもそも! 長男だけを溺愛する両親ってなんだ。そんなに見た目が重要なのか。皮一枚剥がれたら人間なんて皆同じじゃないのか。
それよりも心が大事でしょう! と、叫びたくなったとき。男の人達に帽子を被ったスーツを来た男の人が近づいて。
「Excuse me, may I ask for directions?」
(すみません 道を尋ねてもいいですか?)
流暢な英語が耳に飛び込んできた。
英語のおかげで頭が沸騰しそうになった直前。
すっと差し水を頭に掛けられたように感じて、ひとまず大きく深呼吸して怒りを抑えた。
じっと男の人達の様子見ていると「のー、ワカリマセン」「ソーリー、ソーリー」と身振り手振りで対応していた。
それを見た外国人の人はしょげて、大きくため息を吐いた。
これは放って置けないと思った。
電柱から身を踊り出し。つかつかと外国人の人に近づいた。
「えっと。Hello. Did you get lost?」
「oh! Can you speak English? That’s amazing. Thank you for your help. Actually, I wanted to go to the station, so I got lost when I tried to take a shortcut.」
(君は英語が出来るのか。凄いね。助かったよ。実は駅に行きたくて、近道をしようと思ったら迷ってしまったんだ)
「そうだったのですね」
──That’s rightと答えてから、駅は確かこの商店街手前にあった。
こことは反対方向であることを英語で伝えると、スーツを来た外国人の人は助かった! と私と握手を交わしてその場を去って行った。
軽く手を振ったあと、藤井屋の男の人達を見ると目を丸くしていた。
これだったら、澪様に取り継いでくれるかなと思って。手前にいた男の人に素早く話しかけた。
「すみません。実は私は藤井澪様の知り合いです。澪様にこれを渡したくて参りました」
ハキハキと喋り、男の人の返事を待たずにして、さっと風呂敷から帳簿を取り出した。
「藤井屋の帳簿です。お願い出来ませんか?」
硬い口調だと自分でも思うけど、先ほどの会話を聞いてしまって友好的に喋れなかった。
すると、男の人は他の人に助けを求めるように「な、なんだ。この坊主。澪様の知り合い?」と、こそこそと話し合い出した。
そんなことはいいから、帳簿を受け取るか、取り継ぐかさっさと決めて欲しいと思っていると。
「おや。どうしたのですか?」
私の後ろから凛とした声がした。
なんだろうと思って振り向くと、そこには洋装姿の伸びやかな身長の男の人が立っていた。
銀鼠色のスーツ姿がオシャレ。
髪は黒髪の清潔でサラサラとした短髪。
お顔は先ほど梨園という言葉を聞いたからだろうか、女形のように繊細で優美な顔つきだと思ってしまった。
その瞳はずっと見つめていたくなるような、春の夜空。
澪様とは違った浮世離れした、綺麗な男の人を前に一瞬言葉を失っていると。反応したのは藤井屋の男の人達。その場に紙煙草をばっと捨てて。
「|臣《おみ》様!」と声を上げた。