テラーノベル
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「……あの、朝からすみません。今すぐ死にたいんですが、今って飛び降りOKですか?」
「だめに決まってるだろ」
月曜日、午前7時52分。
都内某所のタワマン22階のベランダにて、スーツ姿のサラリーマンが柵に腰掛けていた。
名前は和田 湊(わだ みなと)、29歳。
特に何の取り柄もない普通の営業職で、顔も「ギリ不細工ではない」レベル。
性格は優しいが、自分にまったく自信がなく、最近は「なんとなく」死にたい気持ちが慢性的になってきた。
ちなみに、ここは彼の部屋ではない。
「そもそもおまえん家じゃねえから、飛び降りるならせめて帰ってからにしてくれよな」
部屋の主であり、湊の同期であり、恋人であり、そして“異常な執着者”でもあるのが──
芦屋 聖(あしや ひじり)、29歳。
大手広告代理店のエース。外見も中身もイケていて、社内では「顔面も年収も国宝級」と称されている。
……が、湊に対してだけは、完全に病んでる。
「どうせ僕なんか、生きてたって誰にも必要とされてませんし……」
「俺が必要だって言ってんだろうがバカ」
「そう言っていただけるのは嬉しいんですが……あの、なんでそんな怒ってるんですかね」
「怒ってるんじゃなくて心配してんの。おまえの思考がすぐ“死にたい”に直結すんのマジでムカつくんだけど」
「すみません、ムカつかれてまで生きてるのが申し訳ないです……」
「……わかった。じゃあおしおきな」
「へ?」
ぐい、と聖は湊の腕を引き寄せた。
「あ、ちょ、ちょっと、どこへ──っ」
「布団に決まってんだろ、今日は一歩も外に出るな」
「いや、仕事が──」
「辞めろ。今日から俺の専属ペットとして生きろ」
「それは人権という概念が……」
「ないね。俺の前ではおまえは俺だけのものだから」
「こ、こわ……」
けれど、湊の頬はほんのりと赤かった。
実のところ、彼は“強引に必要とされる”ことに弱い。
否定されることに慣れすぎて、誰かに「いるだけで価値がある」と言われると脳がバグる。
そんな彼にとって、聖のような男は、まさに極端な処方薬だった。
◆ベッドにて
「……聖さん、その、もう仕事に……」
「やだ。まだ出す」
「すみません、もう三回……いや四回目です……っ」
「じゃあ五回目は記念に中で出してやる」
「な、なんの記念ですか……っ」
「生きててくれてありがとう記念だよ」
情事の合間すらも、彼はそうやって口説く。
湊は顔を覆ってごまかした。
「……優しすぎてこわいです。こんなの、僕にはもったいない」
「そう思ってる時点で、俺の努力が足りねえな」
「え?」
「おまえが“自分でも生きていいのかな”って思えるまで、何回だって抱く。
何回だって言う。“好きだ”って。
だってそれしか、おまえの思考を止められないんだろ」
その声は、思ったより低く、静かだった。
いつもの軽薄な口調ではない。
湊はそっと目を伏せた。
涙がこぼれそうになるのを、必死に堪えた。
「……そんなふうに、言わないでくださいよ」
「なんで」
「ほんとに……死ねなくなっちゃうじゃないですか……」
「それが狙いなんだから、しゃーねぇよな」
「……バカみたいですね、僕ら」
「うん。共依存、最高だろ?」
そう言って笑った聖の顔は、世界で一番やさしくて、
世界で一番おかしかった。
湊の人生はたぶん壊れてる。
でも、この人と壊れてるぶんだけ、生きていける気がした。
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