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side mio
「…僕の家に行こう」
低く落ち着いた声が、車内に落ちる。
その瞬間、胸の奥で何かがはじけた。抗いたくても、抗えなかった。
マンションの駐車場へ向かうスロープをゆっくり下っていく。
――今しかない。
ずっと喉の奥で引っかかっていた言葉が、さっきから何度も浮かんでは消えていく。
怖い。聞いたらもう、戻れなくなる。
でも、このままじゃもっと怖い。
「…おおもり…もときさん…ですよね? 」
か 細い声が、自分の口から零れ落ちた。
彼はハンドルから片手を離し、片側だけマスクを外す。
見えた口元が、淡く笑った。
「…そうだよ?」
その言葉は、思ったよりも静かで優しかった。
そして、何よりも確かだった。
マスクを戻し、車を駐車スペースへ滑り込ませる。
視界がにじむ。涙が、勝手にあふれてくる。
彼にとってこの正体は、重くて、遠くて、触れてはいけないものだと思っていた。
それなのに、今、こんなに近くにいる。
助手席のドアが開く。
「おいで」
差し出された手に、逆らう理由なんてなかった。
その温もりが、怖さも不安も、すべて溶かしていく――。
side mtk
「…おおもり…もときさん…ですよね?」
その声は、決して強くはなかった。けれど、僕の胸を鋭く撃ち抜いた。
ハンドルを握る手がわずかに強張る。
迷う時間なんて必要ない。
片手でマスクをずらし、口元を彼女に見せる。
「…そうだよ?」
その瞬間、彼女の瞳が揺れ、わずかに潤む。
――驚きも、不安も、全部抱えたまま。それでも、視線を逸らさない。
駐車スペースに車を滑り込ませ、エンジンを切る。
助手席側へ回り、ドアを開ける。
うつむく彼女の横顔に、街灯の明かりが落ちる。
その光で、頬を伝う涙が見えた。
「おいで」
差し出した手を、ほんの少しのためらいのあとで握り返してくる。
その瞬間、指を絡め、恋人つなぎに変える。
細くて温かい手。
守りたいと思っていたはずなのに、触れたら欲が滲む。
――もう、離すつもりはなかった。
side mio
恋人つなぎされた手は、温かくて、逃げ場をなくすように指が絡む。
引かれるまま、エントランスを抜け、エレベーターに乗り込んだ。
「怖くないから、ね?」
低く穏やかな声が、耳の奥に落ちる。
――全部、見透かされてる。
この人には敵わない。きっと逃がしてくれないし、私も逃げられない。
エレベーターが止まり、彼が家の鍵を開ける。
ドアが閉まり、鍵のかかる音が静かに響いた。
「靴、脱いで。そのままあがっていいよ」
促されるまま靴を脱ぎ、廊下に一歩踏み出す。
すれ違う瞬間、また手を繋がれた。
月明かりの差し込むリビング。
「……やっぱり、あなたなんですね……おおもりさん、なんですね」
自分でも震えているとわかる声。
彼はゆっくりマスクを外す。
その顔を、もう二度と忘れられないと思った。
「……澪ちゃん。」
名前を呼ばれた瞬間、心の奥がきゅっと痛む。
手を引かれ、温もりの中に閉じ込められる。
胸に顔を押し付けると、彼の匂いと鼓動が一気に押し寄せてきて――
怖いのに、安心してしまう自分がいた。